母麻里と娘雪子を中心とした5編の連作短編。

よしながふみ先生が母娘の絆や呪縛を物語に落とし込むと、こうゆう怪作が生まれるのだなと。母、娘、女性、恋人、恋人未満、女友達…登場人物それぞれの細やかな心情が多くを語らず、でも痛いほど丁寧に伝わってくる。
育ってきた環境も立場も生き方も異なるけれど、皆それぞれ誰かの「愛すべき娘」。
でも人はいつだって不器用で、勝手で、不完全な生き物。愛を与える側も、愛を受け取る側も。

2023年10月11日

読書状況 読み終わった [2023年10月11日]
カテゴリ コミック

感想は最終巻に。

2023年9月29日

読書状況 読み終わった [2023年9月29日]
カテゴリ コミック

1972年に連載開始。感想は最終巻に。

2023年9月29日

読書状況 読み終わった [2023年9月29日]
カテゴリ コミック

人から忌み恐れられる存在“バンパネラ”。期せずして大老ポーから血を分け与えられ不老不死となったエドガーは、愛する妹メリーベルとともに終わりのない旅へ出る。

時系列を前後しながら展開する連作短編です。
望んでポーの一族に加わったわけではないエドガー。14、5歳の少年の姿で永遠を生き続けなければならない苦悩と孤独が痛いほど伝わってきます。その苦しさすら包括して、人を惹きつけて止まない美しさと佇まいと知性。関わった人々は魅了され、時に人生をかけて翻弄されていきます。
最初は物語に惹き込まれ一気読み。ラストまで読み、登場人物と全体の構成力に圧倒されしばし呆然…。その後登場人物たちの関係を確認するため、そして世界観にまた没頭するべく再読に次ぐ再読…。少女漫画は苦手と敬遠して今の今まで積読してしまった自分を叱りたい。
どの章も印象的ですが、『エヴァンズの遺書』で密かな計画がうまくいったと知ったメリーベルの表情がとても良いです。ゾクゾクします。
永遠を生きる彼らと、彼らからすればあまりにも刹那的な生である人間たちの対比が儚くも切ない。多くの数奇な人生に触れ、重厚な歴史書を読み終えた気持ちになりました。

2023年9月29日

読書状況 読み終わった [2023年9月29日]
カテゴリ コミック

耳の良いちっちゃなこいぬマッフィン。ある晩なにかの、とってもしずかな音で目が覚めた――。
蟻が這っている音?バターが溶けている音?聞こえる「音」の正体を突き止めようとします。

「しずか」と表題にありながら、ページを開くと迫力のあるにぎやかな原色のイラストの数々。マッフィンと一緒にひとつひとつの音に想像を巡らせることで、読者のあたまにも豊かに音が響きます。
周囲がまだ寝静まり、自分以外の時間が止まっているような静寂あふれる夜と朝の狭間。そこから一気にトビラを開け放して光が燦々と差し込むような描写の対比が心地よく、前向きな気持ちにしてくれます。

2023年9月27日

読書状況 読み終わった [2023年9月27日]
カテゴリ 絵本・児童書

舞台は1930年代の世界恐慌下のアメリカ。哀愁と喪失を抱えながら“狭間の時代”を生きる、ある家族を描いた戯曲作品です。
過去に何度も舞台や映画で演じられ、多くの人々を魅了してきた本作。2021年末にはれて観劇することになり、まず原作に触れたいと思い手に取りました。

登場人物はウィングフィールド家――母親のアマンダ、姉のローラ、弟で語り部のトム、後半からトムの友人のジム、の以上4人。
ローラはハイスクール時代の出来事が原因で何に対しても消極的であり、ひきこもり生活をしています。唯一の趣味は大切にしているガラスの動物のコレクションを手入れすること。アマンダはかつて数多の男性に言い寄られ華やかだった社交場の思い出に浸る反面、自分のもとから去った夫に時折悪態をつきながら、ローラと明日の生活を案じセールス業に勤しみます。トムは密かに夢を抱えながらも家族のため、不満を募らせながら安月給の工場へ勤めに向かいます。それぞれが心に喪失を抱え、満たされない日々を過ごしています。

アマンダの個性は強烈で、行動思考の発端が“ローラのため”ゆえに、過干渉な母親です。ローラは母親の機嫌を損ねないよう振舞いつつ、その期待に応えられない自分の器量に落ち込み、極度に内向的な性格にさらに拍車をかけています。トムはそんなローラの気持ちを汲みながらアマンダを制することもありますが、そもそもトム自身を受け止めてはもらえず衝突するばかり。
父親不在のこの家族ははたから見るといびつで、とても不安定な様相です。「もっとこう振る舞えば相手にも伝わるし、事も上手く向かいそうなのに」とつい口出しをしたくなるほど不器用だとも思います。しかしそれぞれ不器用なりに、家族に対して愛を持っている。期待をしては裏切られ、自由を願いながらも責任を果たそうと務め、華やかな世界を横目に閉塞感あふれる我が家で生活を営む。不器用な家族愛のもと、絶妙なバランスでこの家族は成り立っています。
そんな家族のもとに“青年紳士”であるジムが訪れます。アマンダとトムの密かな思惑、ローラのかつての恋心と、ジムの登場は家族に大きな変化をもたらすことに。

トムは著者テネシー・ウィリアムズ、ローラは著者の姉、アマンダは著者の母親がモデルです。この作品自体、著者が愛する亡き姉へ捧げたと思われる自叙伝です。
多くの人はなぜジムのように、そしてガラス細工のペガサスのように自分の長所や特別な光るものに目を向けず、短所ばかりに目がいって身動きが取れなくなるのだろう。家族とは一体どのような集まりだろう。繰り返し考えることになりました。
物語は読みやすく、展開もシンプルです。しかし登場人物を掘り下げていくと、それぞれに共感できる部分があります。さらに、ラストへ向けての各々の決断には胸が張り裂けそうになりますが、同時に背景を考えるととても理解もできるし、そっと寄り添いたくなります。考えれば考えるほど多くの気づきを与えてくれる作品で、機会あればまた舞台も見に行けたらと思います。

2022年1月12日

著者レイチェル・カーソンが甥ロジャーとともに自然を探索し見聞き感じた情景と、そこから得た考えを綴った未完の書。

最初に読んだのは思春期、写真も素敵だしキレイな情景が描かれている美術書のような本だと思った。二度目は社会人なりたて、こんな穏やかな世界に浸る余裕なんてないと悪態をついた。そして三度目の今回、子供をもち親になった私は「この本は子育ての指針だ」と、強張っていた心身が不思議とふと軽くなるのを感じた。

親として大人として、子に何を伝えられるだろう、何を教えられるだろう。ぐるぐると考えては心ばかりが焦るこの頃。本書で著者の自然や子供へのおおらかな視点に触れて、子と一緒に感じることや、私自身が楽しもうとする余裕を少し見失っていたなと反省した。

大切なのは「知る」より「感じる」。「座学」より「体験」。
私のまわりには著者のような環境、つまり星が覆うような空や、眼前に広がる海や、青々とした森はないけれど、それでも自然の偉大さを感じる手段はいくらでもある。早速あしもとの蟻の列にでも、子と飽きるまで眺めてみようかななどと思った。
「センス・オブ・ワンダー」の精神は一生モノ。心に刻んで生きていこうと思う。

2021年12月4日

読書状況 読み終わった [2021年11月30日]
カテゴリ 自然科学

田舎暮らしをスタートさせながらも田舎に染まらない早川さん、経理一筋バリバリ働くマユミちゃん、接客を仕事を通して人間関係に少し疲れるせっちゃん。独身アラサー3人の日常と交流。

早川さんの暮らす田舎へ、マユミちゃんとせっちゃんは週末に時折遊びに行きます。デパ地下や老舗でしか手に入らない食べ物を手土産に(よく分かっていらっしゃる)、山の中を散策したり湖をカヤックでこいでみたり。普段できない自然での体験や3人での何気ない会話を通してふと感じる悟りのような気付きは、読み手が普段心の奥にしまい込んでいるモヤモヤとした感情にもほんのりと暖かい光を当ててくれます。毎日を劇的に変えなくても、少し考え方を変えてみたり視点を移すことで息はしやすくなるもの。読む時々で心に刺さるフレーズは変わると思うので、また少し時間を置いて手に取りたいと思います。

ふと肩の荷を軽くしてくれる処方箋のような一冊です。
良いなぁ、週末に森。

2021年8月10日

読書状況 読み終わった [2021年8月10日]
カテゴリ コミック

たくさんの怪物たちをのせて旅をする“怪物園”。ある日怪物たちは怪物園から抜け出し、街を行進し始めた。人間たちは大人も子供も家へ逃げ込み、外へ出られない退屈な日々が続く。

突然やってきた怪物たちは危害を加えることはありませんが何日も行進を続けます。それに対し外に出られず退屈をしていた子供たちは、家の様々なものを別のものに見立て、空想することで外の広い広い世界へと旅立ちます。怪物たちが黙々と行進する暗い街と、子供たちが空想で旅する色彩豊かな空や海が交互に切り替わり、やがて彼らはある場所で交わることとなります。
現在をとりまく世の中と否応なしに重ねることになりますが、この本のラストのように、困惑し頭を抱えているのは案外人間だけではないのかもしれません。

多種多様で個性にあふれた怪物たち。実は可愛い目をしていたり、おしゃれな衣装や装飾を身に着けていたり、質感のようなものも感じられて、一体一体がとても精緻に書き込まれていて見ごたえがあります。きっとお気に入りの怪物に出会えるはずです。

2021年6月7日

読書状況 読み終わった [2021年6月6日]
カテゴリ 絵本・児童書

辻村深月さんの作品はそう多くは読んでいません。10代向けの作品が多い印象で、とうにその時代を越えた今となってはくすぐったい気持ちになり手を伸ばす機会がありませんでした。しかしここにきてこのタイトル名、首がもげるほど頷いてしまいほぼ反射的に購入。

学生時代の閉塞感や、当時そばにあった“本”への想いや夢中になった作家・作品への敬意、そして作家であり親となった今の日常のエピソードなど。辻村さんご自身の好きな本や映画、自書解説はファンなら興味津々な世界でしょう。しかしもともとのファンでなくともブクログを利用するような本が好きな人は、著者のような生粋の本好きの本を語る熱量に親近感を感じること間違いなしです。私自身の短所として好きなモノや人へ直接想いを伝えるのが苦手という点があるのですが、著者は当時から好きな作家さんへ分厚いファンレターを送るなど自分の言葉でしっかりと伝えていた辺り、こうゆう書く行為の積み重ねが現在の物書きたる由縁なのかと妙に感心してしまいました。

ちょうど同じ月齢ほどの子を抱える働く親という視点では、保育園と交換日記のように往復する日々のやりとりを綴った「週刊エッセイ」などは共感の嵐でした。今まさに仕事帰りの電車でこの本を読み終え、子を迎えに行くところ。モードを切り替えるのが少し億劫なときもあるけれど「同じ働く母親として頑張りましょう」と背中を押された気分。さあ、仕事終わりからのもうひと頑張り。

2020年11月14日

読書状況 読み終わった [2020年11月14日]

人類のまえに突如現れた圧倒的な高度文明を持つ“オーヴァーロード”。彼らの出現によって人類は争い・犯罪・貧困・宗教のしがらみ等から解き放たれる。彼らは一体何者なのか。なぜ地球にやってきたのか。人類はどのような未来を辿るのか。

海外SFの金字塔として名高い本作。「『幼年期の終わり』のように……」と様々な作品にモチーフとして登場するのでいい加減元ネタを読まねばと思い手に取りました。
オーヴァーロードとの邂逅~人類の繁栄期~そしてラストまで、全3章を通じて150年に渡るオーヴァーロードとの軌跡を描きます。
最初こそ未知の生物(?)の到来に恐れ反発もありましたが、人間とは良くも悪くも慣れるものでいつしかオーヴァーロードたちは日常の一部となりその恩恵に甘受します。皆が“理性的”に生きる時代。それは表面状としては平和な反面、人類の創造性は退化する一方でした。

それぞれの時代で主役が異なり、その時々での人間対オーヴァーロードが向き合うシーンは程よい緊張感が伝わってきます。その間、目を引いたのは“圧倒的知”に対峙したときの人間の行動や思想についてです。
好奇心は人にとって生きる原動力です。人はまだ見ぬ答えを得ようと努力し、自分と向き合い、時にもがき葛藤を繰り返し、年齢を問わず成長します。しかしオーヴァーロードという存在がすでに明らかな答えを知っている。他者から答えを与えられたり、探求心や好奇心の芽を摘まれる日常はつまらない、もっと言えば苦痛だと思います。
そんな相手を前に、自身の湧き立つ好奇心や譲れない信念に従って、相手をどうにか出し抜こうと奮起する人々はどの時代にも少なからず登場します。その姿は滑稽に映るでしょうか。その素直なまでの人間らしさ・人間味は私はとても魅力的に映りました。

冒頭からオーヴァーロードの目的はなかなか明かされませんが、3章でそれらの謎が一気に解明されます。それは宇宙にとっては希望でも、人類にとって絶望に違いません。辛く苦しい真実を突きつけられた後、読者を引き付けて止まないのは圧倒的で刹那的な映像美。一読の価値があります。
読み終えた頃には地球終焉までの宇宙誌を読み切った気分になり、本を閉じた瞬間それが手の平に収まる本のなかの世界で心底ほっとしました。しかしぞっとする程のリアリティ。もしかして私は地球の未来を先取りしただけでは……と不安に駆られるほど臨場感があります。50年以上前に刊行された作品ですが今なお読み継がれるのも納得。

2020年10月30日

太宰治が解釈する、ユダの“主”に対する想い。

溢れ出る感情を叩きつけるような、終始疾走感のある語りです。ユダの告白はキリストへの愛憎混沌を極め狂気に満ち、敬意と愛と嫉妬と怒りが二転三転どころではなく入り乱れる感情の忙しなさ。ふとそんな自分の感情の振り幅に動揺を隠せない様子がなんとも人間らしく滑稽で愛おしい。特別であって然るべきの自分を、なぜあなたは拒むのか。何故?どうして?
この作品はあまり冷静に振り返らず、ユダの情念に引きずられるように自分も一緒にのめり込んで駆け抜けた方が楽しい。太宰にこういった自問自答して自棄していくような主人公を描かせると見事だなとしみじみ思います。

とあるフレーズがとても粋だと思ったので引用。作中で見ると自己中心的極まりない発言なのであくまで単発として。
「私は私の生き方を生き抜く。」

2020年10月24日

読書状況 プレイし終わった [2020年10月23日]
カテゴリ 日本文学

第二次世界大戦中にドイツからアメリカへ亡命したドイツ系ユダヤ人哲学者ハンナ・アーレント。彼女が執筆した『全体主義の起原』をはじめとした著書を通して、ナチズムやホロコーストを推し進める背景にあった社会の流れや大衆心理を説いていく。

『蠅の王』(ウィリアム・ゴールディング)や『一九八四年』(ジョージ・オーウェル)を読んだときに感じた背筋がヒヤリとする感覚は、本書を通してかなり補完されました。

ヒトラーが大衆心理を熟知し巧みに操り、自身の「法」に従うよう扇動していたのはその通りです。アーレントはさらに歴史的惨事が起こった時代背景として、政治や社会が混沌とし敵味方の見通しがつきにくい、将来が不安定、蔓延した閉塞感などを挙げています。そのような不穏な世の中にいると大衆は求心力のある「分かりやすい」対象・イデオロギーを求めるメンタリズムが働くと説きます。当時ドイツは近隣国から今まで経験のない圧を受け、国はそれに一丸となって対抗する必要がありました。連帯感・仲間意識を維持強化するための安易な近道は「敵」をつくること。つまり当時のドイツ政府は早急に国民の統制を取らねばと考え、その格好の対象となったのが国内の社会コミュニティのなかで異分子でもあったユダヤ人でした。彼らを大衆の憎悪の対象に仕立て上げ“排除”しようとすることで国民の足並みを揃えようとし、未曾有の殺戮へと繋がります。

分かりやすくレッテルを貼り自分達の存在や立場を正当化する、善良性を証明しようとする行為は大小さまざまな規模で起こっています(子供のケンカから戦争レベルまで)。おそらく自分が自分らしくあるために人間に備えられた安全装置なのだと思います。無くなることはないでしょう。

至って平凡に生まれ平凡に育ってきたと自覚している自分でさえ、大衆の渦に飲まれたときに冷静でいられるかと問われると自信がありません。
本書を読む前は「歴史」に触れるつもりで手に取りました。しかし読み進めるほど本書で書かれていることは歴史ではあるけれど過去ではない、そして他人事ではないと痛感します。むしろ国内外問わず社会情勢としては当時の状況下とかなり共通点が多いのでは……と邪推するのは考えすぎでしょうか。

memo:ハンナ・アーレント『全体主義の起原』『エルサレムのアイヒマン』など

2020年6月20日

鍼灸師で生計を立て、シングルマザーとして子育てに勤しむ南アフリカでの日々を綴ったルポルタージュ。

第1章では生活の拠点を置く「レストラン街」での日常が描かれます。
著者の周囲にいる現地の人たちは、おせっかいだけどねちっこくなくて人に優しい。様子を見に来る、声を掛ける、手を差し伸べる。それらを誰もが涼やかに実践し、そんな自分たちの行動に疑いなんて持ちません。「困ったときはお互い様でしょ」と言わんばかりに助け合い・支え合いが自然となされる気風は素直に気持ちよく感じます。

第2章では鍼灸師としてネルソン・マンデラ氏の治療にあたることになった著者が体験した、同氏との交流の日々が綴られます。
南アフリカのルールというより、マンデラ氏自身のルールやポリシーを感じる場面が多々ありました。一国の大統領をまえに、その距離感を測りつつ戸惑うことも多かった様子。しかしマンデラ氏の「例外を作らない」フラットな姿勢に著者は徐々にペースをつかみ始めます。人の上に立つ人はこのくらい強情な面がなければやってられないのかもしれません。一個人としてのマンデラ氏の素顔を垣間見れました。

現地で暮らす人々との交流のなかで、慣習的なメイドという職業に対する著者の考えや、反アパルトヘイト活動に尽力する人々の思想などにも触れています。著者の強い想いというよりは、口からぽろっと零れるように呟かれた一意見という種は、読者の心に小さな芽を生み、考えるきっかけになります。
全体的に控えめでいて軽やかな文章から南アフリカのルールに自然と身を委ね、どことなく大らかでのんびりとした著者ご本人の印象を受けます。言葉の選び方や感性が読み手としても心地よく、束の間南アフリカの暮らしに溶け込むことができました。

2020年4月17日

妊娠発覚~出産を迎えるまでの、主人公マキの揺れる心を日記調で描いた本作。

お腹に生命が宿す、もうすぐ母親になるという現実は、喜びや嬉しさ以上に戸惑いや不安も一緒くたに舞い込むもの。まだお腹もへこんでいるし、本当に私は母親なの?母親になれるの?
マキも例外ではなく心の浮き沈みを繰り返しながら妊娠生活を送ります。子どもが出来たことをちっとも喜べない自分を悪者に感じ、何かと「二人で○○やるのはこれが最後だ」と言う夫さんちゃんを横目にそう簡単に今ある生活が変わる実感がわかずヤキモキする日々。

妊娠出産は自分の身に降りかかる直接的な変化が大きい分、どうしても女性の方が冷静で現実的に受け止めるもの。女性と男性のものの見え方の差は良し悪しで、時にふさぎがちなマキをさんちゃんの楽観的な一言が救ってくれたりもします。

「なんかすごい。おれたちが知っていること、子供は全部はじめてなんだよな。はじめて海を見たり、はじめて雪を見たりするんだよな。おれ、いつがはじめてなのかなんて、覚えてない」(中略)
「はじめてのこと、覚えてくれているといいね」私は言った。(91p)

ふとした瞬間に幸せを感じたり、自分の親に思いを馳せたり。日記調だからこそマキの素直な心のうちが垣間見え、日を重ねるなかで少しずつ物事を受け入れていく様がまるで氷が溶けていくようなゆるやかさ。これが“丸くなる”ということなのかも。

余談ですがこの作品は私自身が妊娠9ヶ月の時に、母親ほど年の離れた人生の先輩から読んでみてと差し出された一冊です。妊娠真っ只中の自分に重ねながら分かる分かる時々分からんなどと首を縦横に振りながら読み進めたのは面白い体験でした。
読後すぐに我が子の予定日を調べたところ「ベッカム」だったので吹き出しました。(結局子は違う日を選びました。ちょっと残念)

2020年4月15日

読書状況 読み終わった [2020年4月15日]
カテゴリ 日本文学

全4巻。戴国へと帰還した泰麒。驍宗は何処か。貧困と荒廃に耐える戴国は誰の手に委ねられるのか。

本作に辿り着いた大多数が『月の影 影の海』の言いようもない苦しさを乗り越え十数年も続編を待ち望み、長編刊行の一報を聞いて歓喜に湧いた猛者ばかり。そう考えれば本作の息も詰まるほどの容赦のなさ、不穏で雲を掴むような展開はもはや覚悟の上だったろうと思います。覚悟をもって挑んだはずなのにそれを上回るほどの容赦のなさと不穏さ。さすがの一言。先の読めないストーリー、錯綜する真相、読者としては耐えに耐える展開に、著者の頭のなかは一体どうなっているのかと改めて感心するばかりです。

第1巻を手にした時は泰麒の、驍宗のその先が知りたくて読み始めました。しかし最終巻を読み終わったとき頭を駆け巡るのは戴国の、未曾有の国難を経験し疲弊した民と荒廃した土地。読者はあくまでも国史の一部を読んだにすぎないのだなと。こんなにも多くの人がもがき苦しみ、命を失い、国が大きく傾いた出来事が、戴国の歴史の極々一部分であることに途方に暮れました。嗚呼まだこの先も戴国に試練は続くんだ――。しかしその先も歴史を刻んでいると思えるほど、私にとって戴国、そして黄海を中心とした十二の国々がリアリティを持って生きていることに気づき嬉しくも思います。

また近々短編集の刊行が予定されているとか。また彼らに会えるのが楽しみです。

2020年4月14日

読書状況 読み終わった [2020年4月14日]
カテゴリ 日本文学

第3巻。感想は最終巻へ。

2020年4月14日

読書状況 読み終わった [2020年4月14日]
カテゴリ 日本文学

第2巻。感想は最終巻へ。

2020年4月14日

読書状況 読み終わった [2020年4月14日]
カテゴリ 日本文学

第1巻。感想は最終巻へ。

2020年4月14日

読書状況 読み終わった [2020年4月14日]
カテゴリ 日本文学

だるまさんシリーズ第3巻。

第3巻ではだるまさん以外のキャラクターも大活躍。だるまさんと、そして仲間たちと一緒にほっこりした姿を見せてくれます。4人(?)で見せるアクロバットな動きには思わず拍手を送りたくなる!

2020年4月8日

だるまさんシリーズ第2巻。

「だ・る・ま・さ・ん・“の”……」と続く第2巻ではだるまさんの体のパーツに注目。小物使いも可愛いです。そこそこパーツの書き込みがリアルなので圧倒される瞬間もあります。特に「歯」…だるまさんの笑顔と歯のギャップよ…。

2020年4月8日

「だ・る・ま・さ・ん・が……」その先にどんな姿のだるまさんが待っているのか、次ページをめくる瞬間のわくわくドキドキが楽しい0歳からのファーストブックの定番。だるまさんシリーズ第1巻。

記念すべき第1巻はだるまさん自身の愉快な動きを楽しむもの。とぼけた表情とボテッとしたフォルムが可愛いだるまさん。表情も動きも豊かで絵本をめくるたびに新しい発見があります。
「だ・る・ま・さ・ん・が……」と読むたびに自分自身も左右に揺れてしまうのは私だけではないはず!

2020年4月8日

軒先で手にした小さな小さな命。
第二次世界大戦中のロンドンでキップス夫人と小さなスズメのクラレンスとの交流を描いたノンフィクション。

鳥と人間にはまず言葉という圧倒的な壁があり、さらに振る舞いや生き方にも大きな違いがあります。
キップス夫人はこの小さなスズメ・クラレンスに対して一個人として礼を欠かしません。小さな声に日々耳を傾け、ささいな変化に気を配り、声を掛けます。そこに感じるのは命への敬意と尊重。時に寄り添い、時に見守り、日々の積み重ねを通して互いの心に深いつながりが生まれていく様子が伝わってきます。
……とここまで書いてみて、結局「自分」と「自分以外の他者」の関係も同じだなと。大切にしたいのは「親しき仲にも礼儀あり」の精神。そこに種の差はありませんし、いりません。

また、小さなスズメの健気な振る舞いは不穏な時代に生きた人々の表情を和ませます。ささやかだけれどポッと心が温かくなる場面に当時の人々はどれだけ救われたことか。
思わず現在進行形の先の見えない世の中に重ねてしまいます。いつも傍らにあると思っていた日常が揺らいだときに思う、当たり前への感謝。
まだ出口は見えにくい日々が続きますが、小さな幸せをしっかり噛みしめながら前を向いていこうと改めて思います。

抑揚がある展開はないけれどそれが心地よく丁寧な言葉でつむがれた本作は心を穏やかにしてくれます。
ゆっくりとした読書の時間を送りたいときに。

2020年4月8日

赤いバスから降りてきたのは…?
黄色いバスに乗り込むのは…?

こんなバスが運行していてこんな個性豊かな利用者で溢れる世界があってほしいと思わず願ってしまう。
「かげ」の乗車の場面は毎回背筋がひやりとし、せなけいこさんの『ねないこ だれだ』に通じる怖さの心地よさを感じています。

2019年8月30日

読書状況 読み終わった [2019年8月30日]
カテゴリ 絵本・児童書
ツイートする