星の子

著者 :
  • 朝日新聞出版
3.27
  • (101)
  • (347)
  • (499)
  • (149)
  • (46)
本棚登録 : 3409
感想 : 468
本ページはアフィリエイトプログラムによる収益を得ています
  • Amazon.co.jp ・本 (224ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784022514745

感想・レビュー・書評

並び替え
表示形式
表示件数
絞り込み
  • あなたは友人との会話の中で、友人の両親の日常風景をこんな風に説明されたとしたらどう感じるでしょうか?

    『水をしみこませたタオルをね、頭の上にのせてると、悪い気から守られるの。うちのお父さんとお母さんはそう信じてるんだ』。

    家族の日常を隠すでもなく、ごく普通にそう語る友人。一方でそこに違和感を感じざるをえない聞き手の感情。『これはね、特別な儀式で清められたお水でね』と、『金星のめぐみ』という水をありがたがる家庭がそこにあると知った時、果たしてあなたはその友人とどのように向き合っていくでしょうか?

    文化庁の統計では、日本には18万を越える宗教法人があると言います。人と宗教の向き合い方も多種多様です。これだけの数があると、信仰される側にいる人もいるでしょうし、当然に何かのきっかけでその宗教に積極的に入信した人もいるでしょう。一方で、『その学者をだました誰かも、やっぱり別の誰かにだまされてて、その別の誰かもそのまた別の誰かに 』と騙し騙されの結果論という人もいるでしょう。では、信者となった人の子供たちは、そんな両親のことをどう見ているのでしょうか?私たちは、親の姿を見て育ちます。そんな親が、朝起きて、顔を洗って、ご飯を食べて…と行う行為と同じように『水をしみこませたタオルをね、頭の上にのせてる』という行動を日常の中で普通に行っているとしたら。どこか違和感を感じることがあっても、子供にとって一番”信じるべき”存在である両親が取る行動を否定することなどできるものでしょうか?

    この作品は、『だまされてるの?』と訊かれて、『わたし?だまされてないよ』とさらりと答える中学生の物語。『金星のめぐみ』という水の『効能』に囚われながらも、お互いを”信じ合う”家族の姿を垣間見る物語です。

    『小さいころ、わたしは体が弱かったそうだ。標準をうんと下回る体重でこの世に生まれ、三カ月近くを保育器のなかで過ごしたそうだ』と語るのは主人公の林ちひろ。『母乳は飲まないし、飲んでも吐くし、しょっちゅう熱をだすし、白いうんちをだすし…』という ちひろを抱いて『家と病院のあいだを駆け回る毎日』を送ったという両親。そんな ちひろに生後半年目にして、湿疹が全身を覆うという事態が襲います。専門医の治療も民間療法も効果を発揮しない日々。そんな中『我が子について抱える悩みを、会社でぽろっと口にし』た父親に対して一人の同僚が次のような言葉を口にしました。『それは水が悪いのです』。そして『翌日、プラスチック容器に満タンに入れられた水を』渡され『この水で毎晩毎晩お嬢さんの体を清めておあげなさい』と言われた父親。併せて指示された方法を伝えると『うんわかったやってみる』と母親は ちひろの身体をその水で洗い始めました。『翌朝もわたしの体を洗った。その晩も、その次の日の朝も。一日二回』という中、『目に見えて肌の赤みが引いて』いきます。そして『水を買えて二カ月目で、「治った!これは、治ったといえる!」』という日が到来します。『この水を飲みはじめてから風邪ひとつひかなくなった』という父親はパンフレットをもらってきて自らその水を頼むようになりました。『「金星のめぐみ」という名前で通信販売されて』おり、『免疫力向上、美肌、高血圧…』とびっしりと効能が記されていたというその水。そんな ちひろの話は『奇跡の体験談として顔写真付きで会報誌に掲載され』ました。『にっこり笑う小さなわたしの体を、父と母が両側からぎゅっと抱きしめている写真』は『幸せいっぱいの笑顔』に溢れています。そして、『五歳のとき、落合さんの家へいった』と、水を勧めてくれた同僚の家を訪問した家族。そんな場で『落合さんの頭の上に、白いものがのっていることに気がついた』ちひろは、『奥さんの頭の上にも、白いものがのってい』るのを見ます。『お試しになります?』と落合の勧めに従って真似をする父親は『なるほど。こういうことですか』と感想を述べました。それに対して『巡っていくのがわかるでしょう…特別な生命力を宿した水ですからね』と説明する落合。『女性会員のなかにはこれで赤ちゃんを授かったっていうかたもいらっしゃる』と補足する落合の妻。そして『その日、帰宅してから、父は早速落合さんのまねをしはじめ』ました。『「羽根が生えたみたいに体が軽いぞお」といい、母にも実践するよう』勧める父親。すっかり『金星のめぐみ』の効能に魅せられていく両親。そんな中、ちひろが『小学二年生のときに、「雄三おじさんお水入れかえ事件」』が起こり、家族と周囲の人々との間の関係が崩れていく物語が始まりました。

    第157回芥川賞の候補作となり、また2020年には芦田愛菜さん主演で映画化もされたこの作品。未熟児として生まれ、病弱だった主人公の ちひろを襲う原因不明の湿疹が、父親の会社の同僚である落合により『それは水が悪いのです』と断定され、『この水で毎晩毎晩お嬢さんの体を清めておあげなさい』という言葉を信じた先に、完治という結果を体験した家族が宗教に走る姿が描かれていきます。神秘的な光景を見せつけて入信へと誘い込むのは新興宗教の一般的な手口としてよく言われることです。ただ、この作品で取り上げられる『金星のめぐみ』という水は、何をやっても消えない ちひろの湿疹を消す効果を見せることが、読者の中にモヤモヤ感を生みます。そんな眉唾な話は当然に否定したくなる一方で、特に身近な存在であればあるほどに目を覚まさせてあげたくもなるのだと思います。それが妻の弟による『雄三おじさんお水入れかえ事件』でした。これによって、その水の真偽のほどが明らかになりますが、そこで今村さんは『これはね、特別な儀式で清められたお水でね』と父親に語らせることで、読者にも父親が騙されていることを納得感を持って暗示します。しかし、そう簡単には目を覚ませない両親は『身なりにかまわなくな』るなど、ますますその世界にハマっていきます。一方で『あそこの家の子と遊んじゃいけません』と、そんな家族と関わることを避けようとする周囲の人々。そんな物語で注目すべきは、やはり主人公ちひろの存在だと思います。今村夏子さんは「こちらあみ子」で、主人公のあみ子の視点に固執し、彼女の目を通して不思議な美しさを纏った世界の有り様を描いていました。この作品の主人公・ちひろはあみ子のような”危うさ”は持ち合わせてはいません。どちらかと言うと、両親を、そしてそんな両親を見る身近な人々をも客観視する、そんなクールな一面をも持ち合わせた存在です。私たちは、大人になっていく中で、またニュース報道の中でこの世には怪しげな新興宗教というものが存在することを知ります。しかし、ちひろは、まだ物心つく前からそれを当たり前とする環境の中で育ってきました。『高そうな水だな』と、『金色のラベル』が貼られたペットボトルを話題にされても、それが当たり前の環境で育った身には、なかなかに他人にとってはそれが当たり前でないという感覚は理解できません。また、『星々の郷』という大規模な施設で行われる泊まりがけの大規模な集会の様子が細かく記述されてもいきますが、それが ちひろ視点である限り、それが問題視、危険視されるようなイベントには見えないから不思議です。新興宗教を信じる両親の元に育つ子供視点から、その内側にある世界がどのように見えるのか、とても興味深い世界を見ることのできる作品だと思いました。

    そんな新興宗教を大胆に物語に組み込んだこの作品。今村さんの作品では「あひる」でも同様に宗教の『お祈り』の場面が登場します。しかし、そんな「あひる」でも、そしてもっと大々的に宗教を取り上げているこの作品でも、その主題はあくまで別のところにあると思います。『私はこの作品を通じて、「”信じる”ってなんだろう?」ということについて深く考えました』と語るのは映画で主人公・ちひろを務めた芦田愛菜さん。『自分にとって信じたいと思えるような人って誰だろう』と芦田さんがおっしゃっる通り、”信じる”ということは、集団社会で生きる私たち人間にとって、ある意味で最も大切な概念だと思います。この作品では、その作品の長さに比して数多くの人物が登場します。それは、両親や姉という一番身近な存在に始まり、一方は新興宗教側で生きる人々であり、もう一方は『雄三おじさん』に代表されるような主人公家族を宗教から抜けさせようと試みる人たちであり、そしてちひろの友人のような、そういったものとは無縁に、ただ ちひろの友人であるという存在に分けられると思います。そんな彼らそれぞれが語ることに、ある意味で素直に耳を貸していく ちひろ。自分が今まで生きてきた経験の上に、そんな彼らの言うことを理解しようとする彼女はそれぞれの言わんとすることを”信じて”生きています。そして、友人の一人、なべちゃんが ちひろに問うシーンがあります。『あんたはどう?だまされてるの?』と、訊く なべちゃんに、『わたし?だまされてないよ』とはっきりと返す ちひろ。自分を大切にしてくれる両親を”信じて”いる一方で、宗教はあくまで、生まれ育った日常の一つと捉えている ちひろの冷静な感覚。”信じる”対象である両親の行為をある意味で割り切って捉えている ちひろ。そこに”だまされる”というような余地は生まれないのだと思います。そして、それが故にこの作品の主題は、”家族愛”なんだと思いました。『奇跡の体験談として顔写真付きで会報誌に掲載された』のは両親が ちひろを挟む絵柄。『ふたりともわたしのほっぺたに顔をくっつけて、幸せいっぱいの笑顔を見せている』というその写真。これと同じ絵柄を別のシーンでも見ることになる読者。それは家族の真に幸せな姿をそこに見るものなのだと思いました。

    この作品の結末はある意味あっけなく訪れます。私も一瞬、そこで話が終わったことに、えっ?という思いで一杯になりました。それは、未来の ちひろたち家族の有り様を読者に委ねる形の幕切れです。それが故にブクログのレビューでも、その結末をどう捉えるかについて議論はあるようです。しかし私は、この物語の結末は、その先に続く家族の幸せを描いたものなのだと理解しました。一つには最後のシーンの意味合いが直前の会話の中に暗示されていることです。実のところ、読書スピードを上げすぎて、私は直後に読み返してしまいましたが、それは家族の会話の中に上手く表現されていると思います。そして、もう一点は、この物語が ちひろ視点となってはいるものの、例えば落合さんの家を『大人の目から見ても豪邸には変わりないのだろうけど、当時は小さかったからなおさら圧倒された』と書いたりするなど、極めて第三者的に過去の振り返りをするような、一種過去の家族の姿をクールに垣間見る視点で描かれているところです。他の今村さんの作品同様、こういった部分が物語全体をどこか冷めた目で読ませることにも繋がっていると思いますが、一方でこの冷静さこそが未来に繋がる家族の幸せを暗示しているようにも感じました。

    『この小説では「この家族は壊れてなんかいないんだ」ということを書きたかったので、ラストシーンに登場させるのも家族だけにしました』と語る今村夏子さん。

    新興宗教という土台の上に、お互いを信じ合う家族の深い絆を感じさせる物語。それは、”壊れてなんかいない”家族の絆の強さ、”家族愛”をとても感じさせてくれた、そんな印象深い作品でした。

  • カルト教団にハマっていく親に、違和感を感じながらも親を理解をしていく子供目線で語られるストーリー。
    親がカルト教団にのめり込んでいったキッカケは、子供の皮膚病や病弱な体質が魔法の水で治ったことからだった。
    家の私財をつぎ込んでいるからだろうか、うちはどんどん貧乏になり長女は家出。
    家庭はいつ崩壊しても、おかしくない状況。
    叔父や他人から親の怪しい言動を指摘されわかっているが、親を擁護する子供の気持ちが痛くさえ感じる。
    親が否定されることは自分も否定されることだと子供心にわかるのだろう。

    最後に流れ星を追うシーン。
    見えた親と見えない子供、行き違いがいつまでも続く。
    見えなかった子供は親が見えたと話す流れ星を一生懸命に探し、親に理解を示す子供の気持ちが描かれて物語は終わる。

    家族の形を壊したくないと子供は本能的に思うのだろうか、奇妙な感覚になる。
    親は子供にイビツな愛情を注ぐ、子供はそんな親のことをイヤだと思っても完全に離れることができない。
    親への愛情と嫌悪感が押したり引いたり、そして砂磁石のように子供は親の元へ引き込まれていく。
    たとえどんな親であっても、子供は親を信じ子供の時の記憶は楽しく永遠に持ち続けるのだろう。

    家族とは、親とは、自分にとってどういうものか、考えさせられる本。
    映画化もされている。
    映像で見るのも楽しみな1冊。

  • 新興宗教にどっぷりハマっている両親のもとで素直に成長していくちひろ。年に一度の研修旅行で何度も両親とすれ違いになったことと、一緒に星空を見上げながらもちひろには見えた流れ星が両親には見えなかったことが(見えないふりをしてた?)、この家族の未来を暗示してるのかな。宗教じゃなくても無意識に子どもを洗脳してしまってることもあるかもしれないと思うとちょっと怖い。

    • nananinunenonさん
      確かに確かに。親を見ているこどもの視線、意識しないとですよね。うん。今日から意識する。
      確かに確かに。親を見ているこどもの視線、意識しないとですよね。うん。今日から意識する。
      2021/01/28
  • 病気がちな女の子として産まれたちーちゃん。か弱い娘をどうにかしたくて新興宗教にどっぷりとはまる両親。そんな家庭環境に生まれた時からおかれてるちーちゃんは、両親を信じ、友達を信じ、宗教の仲間を信じる。

    新興宗教側から見た日常を描くと、こんな感じになるのかなと想像する。新興宗教を弾劾する作品ではない。一般的に胡散臭いものと思われるものでも、当事者からしてみれば純粋な存在である。チャラチャラした男を好きになるのも、そこに信じる何かがあるわけで、信じることについては、新興宗教も人を好きになること、友達と過ごす日常も、等しく人間の純粋な気持ちが生み出すものだ。

    偏見とは自分勝手な概念だ。ちーちゃんのニュートラルな行動を見ると、偏見を持たないことがどれだか難しいのか思い知らされる。

  • あっという間に終わってしまった
    あっという間の中に不穏と切なさが入り混じっていてなんてうまいんだと思った

    敬遠されてしまう宗教の家の子の表現、最初は少し目立たない子くらいの描写でちひろの学校には表立って避けるような子はいないみたいだが、
    あの教師、ネトっとした自分以外の人間を小馬鹿にしている描写がうますぎて文字越しに即お近づきになりたくないと思ってしまった

    教師に面罵された時にかばってくれた子の純真な心に私も救われた
    そうだぞ、お前なんか描いてないんだぞと
    あの朝、あの子と会話していて本当に良かったねと

    最後、ご両親はちひろとの別れを覚悟していたんだろうなと思った
    あのご両親はちひろにタオルを乗せて学校に行けなどとは強制をしていないので私が読んできた宗教の家の子に比べたらだいぶまともなのではと思ってしまった
    ただ、子供が親が世間から外れているのを認識してしまうとちひろの姉のように抵抗するだろうし、そこで子のために信仰をやめるのは難しいのだろうな

    だが信仰の自由で子を縛ってしまうのはなんとも良くない
    でも信仰したいものがある場合はどうしたらいいんだろうな

    私は不可知論者なので宗教も神の存在も基本的に信じていないが、他の人が信仰しているものに関しても私に強制しないのであればどうぞお好きにのスタンスでいる
    が、親子関係に宗教が入るとそのスタンスもかなり難しくなるなとこの本を読んで思った

    なべちゃんの彼氏の「そうか。信じてるのか」に思わず涙がこぼれた
    否定も肯定もしないことの優しさ
    受け入れなくていいから、拒絶はしないことの難しさ
    この一文に出会えて良かった

  • 信者2世の目からみた日常が、自然な流れで描かれている。両親が狂信する宗教について善悪を問うものではなく、主人公が育つ過程で感じる喜び、悲しみ、驚きが淡々と綴られる。彼女自身、姉のように家を出るわけでもなく、その境遇をむしろ楽しんでいるような様子もあり、だからこそよけいにリアルに映るのかもしれない。本作で巧みだと思うのは短い会話の連なりだ。学校でも、団体でも、打てば響くように言葉を返す様子からは、カラリとした強ささえ感じてしまう。よく読むと彼女自身が抱える「飢え」『渇き」が言葉の奥底に潜んでおり、それをサラリと読ませてしまう作者の力量はさすがだと思った。


  • どことなく不思議なステュエーション。
    病気がちな子どもの身体を一夜にして治した水。その水を売る宗教にどっぷり浸かる両親。

    物語は星空の下で親子3人が流れ星を探すところで唐突に終わる。
    いつまでも浮遊感が漂う。

    あからさまではない親子愛がジワる。

  • 初読

    おお…
    不穏さ、心のざわつき。
    そんな言葉が浮かんでも、ぴたりとハマる感じがしない。
    小川洋子曰く「読み手の言葉を奪う」
    三浦しをん曰く「あらすじを説明してもこぼれ落ちるものの方が多い」
    うん。その通りだ。

    水入れ替え事件のまーちゃんとか
    エドワードファーロングとか隣の席の田所君とか
    なべちゃんと彼氏の新村くんとか海路さんのやきそばとか
    うまいなぁ……

    これどう終わるんだろうとドキドキして
    娘を真ん中に抱き締め合う親子にあぁ…としか言えないのだった。

  • なるほど、なるほど…。

    今回の芥川賞候補作として発表されたこちら。

    何より装丁が素敵。
    色が良い。

    内容は新興宗教ものなのでだいぶデリケートなんだけど、
    切ない暖かさがつまっている。

    友達、みんなこんな風なら良いのにね。
    そうしたら色んなこと乗り越えられるね。

    愛するひとの信じることを自分は信じられるのか。

    お友達の、みんな騙されてるのかもしれないという話のくだりに哲学を感じた。


    ラストの余韻が凄い。
    きっとあの夜のあと、色んなことが大きく変わるんだと思う。
    良い方向だけでは無いだろうけれど。

    あえて描かれない部分に深い奥行きを感じる作品だった。

  • Audibleで聴いた。

    今村夏子さんの小説はこれが初めて。
    お話の世界に入り込みやすくて面白かった。
    最後の終わり方は、「え!これで終わり?」と思った。もっと続きが読みたかった。
    主人公が今後どんな人生を送るのか気になる。

著者プロフィール

1980年広島県生まれ。2010年『あたらしい娘』で「太宰治賞」を受賞。『こちらあみ子』と改題し、同作と新作中短編「ピクニック」を収めた『こちらあみ子』で、11年に「三島由紀夫賞」受賞する。17年『あひる』で「河合隼雄物語賞」、『星の子』で「野間文芸新人賞」、19年『むらさきのスカートの女』で「芥川賞」を受賞する。

今村夏子の作品

  • 話題の本に出会えて、蔵書管理を手軽にできる!ブクログのアプリ AppStoreからダウンロード GooglePlayで手に入れよう
ツイートする
×