下流志向──学ばない子どもたち、働かない若者たち

著者 :
  • 講談社
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  • Amazon.co.jp ・本 (256ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784062138277

作品紹介・あらすじ

リスク社会に生み出される大量の弱者たち。"自分探し"の果てに。学力低下、ニート増加の深層。

感想・レビュー・書評

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  • ↓のレビューを全面的に改稿して、ブログ記事にしました。 http://burogu-mircea-blog.blogspot.jp/2014/08/blog-post.html
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    通俗的な功利主義的態度(消費者的主体像、心理的な契約・等価交換関係)が蔓延しているという現状認識のもと、処方箋として、リスクヘッジ的な態度を提案する。実際は『先生はえらい』的なアレも、そこに追加されるわけだけど。

    基本的には面白かった。ただ、教育の成果は数値化できない云々言ってるくせに、「学習時間」で子供の学力測ってるのにはたまげた。あほかと。
    ニートに関する認識もひどいもの。特に最近『無業社会』(西田亮介・工藤啓)でとりあげられるような若者も、成金のぐーたら息子も、構造的に生み出されるニート(階層的な問題のある)も、一緒くたにしている。要するに「根性なし」「考えが甘い」「師匠を持て」と連呼。これは処方箋でもなんでもない。
    加えて、ニートの数について触れた部分で、「統計は正確ではない」という内容のことを言っているが、統計についての無知を晒していて、それで『先生はえらい』ですかと思わざるを得ない。
    まぁ、最初の1,2章は面白く読めるのではないでしょうか。基本的に眉唾で読むべきです。

  •  この本が出版されたのは2007年、私が大学4年生だったころ。「微分・積分って何の役に立つん?」などと言いまくっていた私にとって耳の痛い話でした。消費主体として自己を確立した私たちの世代は、確かに学び=苦行であり、学校の先生をジャッジする側にあると思っていました。それはサービスを受ける側として当然の主張だと、信じて疑うこともなく。
     学びを放棄したツケは今の私に降りかかっていると考えれば、この本の論理は非常に納得できるものです。私が無用だと自己決定したことに対する保証は、現在の私が負っている。自分は変化することを勘定に入れていなかったのは完全なる私の落ち度です(当時の私にお告げに行きたい気分!)。会社を辞めると〝自己決定”したあの時も同じ。私には無時間モデルが通底しているのだなぁと思わされます。
     出版から15年ほど経った今は、当時に比べてより悪い状況にあると考えざるを得ません。今私ができることは、これから将来のために学ぶこと。そして、わが子に労働への参与を促すことなのかな。マネー教育もしっかりせねばと思っていたけれど、この世の尺度=お金とならないようにしなければなと強く思わされました。

  • 役に立つ、と思って学ぶのは損ですね。学ぶことに対する感覚が腑に落ちました。

  • 今までの価値観を大きく変えてくれるような本に出会った瞬間は、なんとも言えない愉悦に浸れる。この本がそうだ。教育を消費者感覚で考えることは、教育の自殺行為である。そもそも教育が子どもの「何で勉強しなきゃいけないの?」という問いを想定していない、という導入から、この本ヤバイなって感じがビンビンした。教育内容の価値の無時間性、等価交換の不成立など、本当に面白い。この理論は、ぜひ自分のものにしたい。これほどまでに思考回路の吸収を貪欲に求めたことはなかった。きっと、二度三度読んで、はじめて馴染んでくるんだろうな。

  • 2007年1月30日初版
    内田樹 著


    今を生きる子どもたちがなぜ、自ら学びや労働を放棄し逃走するのかを考察した一冊。

    毎度毎度、内田先生の言葉は分かりやすくて、
    逆に危険なくらい今回もいろんな腹落ちがありました。
    おそらく大事な視点は「本当にそうか?」と疑ってかかるくらいの視点。
    分かりやすいがゆえに鵜呑みの思考停止にならないようにと。

    子どもたちの等価交換志向とその背景にある「消費主体としての自我確立」。
    それに対しての教育と労働が、構造的に前提として帯びている「非同時性」。
    そこの矛盾から生まれる、権利の放棄。

    なんで上の世代の考えでは全く理解できない行動を、
    彼ら若者が、至極合理的かつ真顔でやれてしまっているか。
    そこに内在している両者の考え方のねじれが、解けるカタルシス。


    初版から5年経っているので変わっているところは変わっていると思うんだけど、それにしてもある大きなマインドの変化を捉えてセットしておく意味で、とても参考になった一冊でした。


  • 学びからの逃走、労働からの逃走
    完全に親や子どもに問題があることを指摘している
    でもこれって、戦後わざと仕向けられたことのような気がしてしょうがない

    なんでも被害者ヅラしていていい訳ではないんだけど読んでいてしんどくなった
     
    消費主体、労働主体、という言葉で表現されているけど

    確かに世の中、消費者と生産者しかいなくて、それは理解していたつもりだったから

    常に自分が客だと思って偉そうにしているより、ないところから何かを生み出すことの方が尊くてかつ、楽しいという実感はあるし、評論家みたいになりたくない

    確かに今どきは子どもでもほとんどが常にジャッジする側のような気がする
    家事労働などで承認された幼少期がないとそうなってしまうと書いてあった

    換金性の高いものに飛びつきやすい(学問や学部でさえ)とか、待てない、100年後に形になるような仕事は失われていく、とかは本当だなーと思って、昔の日本人は違ったんだなとしみじみ

    個人的には
    最後の質疑応答の部分で救われた
    ニートに関しては正当なお金がもらえない(自分に対する評価ぎ低い)からニートになると書いていてそこまでは??と思ったけど
    ニートをバサバサ切り捨てる感じではなく、日本という環境がこうなればよくなるということもさし示してくれてたし、日本や日本人に対してただダメ出しばかりする人ではないんだとわかり、最後は著者の事が好きになった

    でもやっぱり本のサブタイトルと、下向きの矢印が↓いやで、好きになれなくて⭐︎4にしました

  • ・子どもは学習の主権的で自由な主体であるのではありません。
    まず学びがあり、その運動に巻き込まれているうちに、「学びの運動に巻き込まれつつあるものとしての主体」という仕方で事後的に学びの主体は成立してくる。私たちは自らの意思で、自己決定によって学びのうちに進むわけではありません。私たちはそのつどすでに学びに対して遅れています。
    〜「学びからの逃走」

    ・二十歳の学生の手持ちの度量衡をもってしては計量できないものが世の中には無限に存在します。彼は喩えて言えば、愛用の30センチの「ものさし」で世の中のすべてのものを測ろうとしている子どもに似ています。そのものさしでは測れないもの、例えば重さとか光量とか弾力といったことの意味を「ものさし」しか持たず、それだけで世界のすべてが計量できると信じている子どもにどうやって教えることができるでしょう。
    〜「学びからの逃走」

    ・「自己決定フェティズム」というのは、
    「自己決定すること」が国策として推奨され、イデオロギーとして子どもたちに他律的に注入されているという事態。
    「みんな自己決定する時代なんだから、君もみんなと同じように自己決定しなさい」という命令のありようそのものが論理的に破綻しているのに、
    子どもたちは( 子どもだから )気がつかない。選択を強制されていながら、選択したことの責任は自分でかぶることを強いられている。これはどう考えても不条理だ。
    〜「労働からの逃走」

  • 15年前の本だが、物凄く示唆に富んでいる。内田教授の慧眼に恐れ入る。

  • ある日の講演を質疑応答含めまとめた本。まあちょっと難しい表現もあるが、考え方としてわかるのではないか。この時点でも日本人の教養の低下が言われているが、いまはもっとひどいことになっているだろう。

  • 消費主体としてのふるまい⇔労働の褒賞、高揚感
    不快通貨
    即時の 等価交換

    自身の言動の積み重ね ←評価

    リスク化、二極化 結果責任
    「努力は報われる!」動機づけ、努力する能力

    リスクヘッジ 集団で相互扶助

    自由→孤立化

    幼くして自己形成を完了
    己の無知に固着⇔時間の中で自分自身もまた変化することを勘定に入れる

    雪かき仕事(地味。周りの人の不利益を抑止)の重要性⇔当人の達成感・満足感

    贈与はすでに行われている→反対給付の義務を負う

    私は師からこう聞いた

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著者プロフィール

1950年東京生まれ。東京大学文学部仏文科卒業。神戸女学院大学を2011年3月に退官、同大学名誉教授。専門はフランス現代思想、武道論、教育論、映画論など。著書に、『街場の教育論』『増補版 街場の中国論』『街場の文体論』『街場の戦争論』『日本習合論』(以上、ミシマ社)、『私家版・ユダヤ文化論』『日本辺境論』など多数。現在、神戸市で武道と哲学のための学塾「凱風館」を主宰している。

「2023年 『日本宗教のクセ』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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