- Amazon.co.jp ・本 (576ページ)
- / ISBN・EAN: 9784062647991
作品紹介・あらすじ
50年前、日本画家・香山風采は息子・林水に家宝「天地の瓢」と「無我の匣」を残して密室の中で謎の死をとげた。不思議な言い伝えのある家宝と風采の死の秘密は、現在にいたるまで誰にも解かれていない。そして今度は、林水が死体となって発見された。二つの死と家宝の謎に人気の犀川・西之園コンビが迫る。
感想・レビュー・書評
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「S&Mシリーズ」の第5弾となる作品。由緒正しき旧家で代々受け継がれてきた木箱と壺、そして蔵で死亡した家主に関する事件が展開される。今回の事件のトリックとしてはそこまで驚かされるものではなかった。子供による証言がキーとなっていたが、証言者の証言には信頼性に欠けていると感じた。
今回は今までの4作品に比べて、犀川先生と西之園さんの恋愛模様?も多く含まれていた。エイプリールフールということでとんでもない嘘を犀川先生についた西之園さんには、読んでいてかなり参ってしまった。だが、それだけ犀川先生が西之園さんを心配したということは、犀川先生にとって西之園さんはもうただの一研究室の学生ではないことが改めて再確認される形となったと感じる。いよいよ、シリーズも折り返しとなるが、犀川先生と西之園さんの関係性の変化にも注目である。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
50年前、仏画家・香山風采は息子・林水(りんすい)に家宝「天地の瓢(こひょう)」と「無我の匣」を遺し、密室で謎の死をとげた。匣を開ける鍵は「天地の瓢」という壺の中に入っている。しかし、その鍵は壺の口が狭くて入れることも取り出すこともできなかった。
当時、林水は鍵が外にあり、匣が開いてるところを見たという。風采はどうやって壺の中に鍵を入れたのか?現在に至るまで誰にも解かれていない謎は、林水の死によって問い直されることになる──。
犀川・萌絵コンビが活躍するミステリのS&Mシリーズ第五弾!まずタイトルがカッコいいよね。「封印再度」と「WHO INSIDE」の語呂合わせが絶品。「壺を割らずに中の鍵を取り出せるのか?」というパズルに始まり、そのピースが最後に埋まることで物語が完成して封印されるという構成が上手い。このパズルは人間ドラマの中で問いへと姿を変えていき、禅問答のような哲学性を帯びていくのも魅力だと思う。真相は謎が埋まることで明らかになり、真実は答えが欠けることによって美しく完成するのだ。
仕事場の蔵で発生した事件。それは50年前の再現なのか?状況は重なるも、決定的な違いもある。そのアシンメトリーな状況が指し示すものとは何なのか。不可解な密室という封印が意外な解決をみたのが面白かった。言われてみればなるほどと。単純な物事を複雑に考えるのは人間のサガなのかな。いや、その逆もある。そもそも人間は「自分とは何者か?」という問いにすら、人生をかけても答えが出せるかどうかわからない生き物だからね。
そして、犀川と萌絵のドラマが急展開するッ!というか、萌絵が鍵を取るために壺を割ったくらいの暴挙に出た!これは恋のスピード違反で免許取り消しですねー。萌絵おばちゃん、やっていいことと悪いことがあるんだよ?個人的に好感度が滝の如く落下した。まあ、初めからこういうキャラかもしれんけど(笑) それにしても、犀川が本当に変わったなと。昔ならこれで関係が終わっていた気がする。今回は二人の関係性に持って行かれた感があって、ミステリとしてはやや薄味で冗長かも。タイトルや物語に込められた哲学性は安定の面白さだった。
p.79,80
犀川は、もともと教育なんて行為を信じていなかったし、自分が教育者だなんて自覚したことは一度だってない。教育者には、ものを教えることができる、という思い上がった信念が存在する。それが犀川にはまったく馴染めない。手を出さない子供にお菓子を与えることができないように、教育を受けるという動詞はあっても、教育するという概念は単独では存在しえないのである。それに、教育には水が流れるような上下関係がある。しかし、学問にはそれがない。学問にあるのは、高さではない。到達できない、極めることのできない、寂しさの無限の広がりのようなものが、ただあるだけだ。
p.269,270
「日本の美は、だいたいその七五三のバランスだ。シンメトリィではない。バランスを崩すところに美がある。もっと崇高なバランスがある」
「たとえば?」
「そうだね……、法隆寺の伽藍配置、それに漢字の森という字もだいたい、三つの木の大きさが七五三だね。東西南北という文字だって、左右対称を全部、微妙に崩している……。最初からまったく非対称というのでは駄目なんだ。対称にできるのに、わざとちょっと崩す。完璧になれるのに、一部だけ欠けている。その微小な破壊行為が、より完璧な美を造形するんだよ」
p.376,377
「歴史に残る建築物は、人が生きるための必然性から造られたものではありません。例外なく、無駄なものです」
「贅沢という意味ですか?」
「いいえ、贅沢は、人の生にもっと近い……」犀川は言った。「贅沢とは、ある意味で生きるために必要なものです。権力を誇示する贅沢、それに、自己の感性を確認するための贅沢。しかし、僕が言っているのは、それを差し引いても残るものです。これは、無駄です。人間の歴史は、無駄でできた地層みたいなものなんです。これらは、偶然ではなく、意図的に役に立たないように、わざと無駄に設計され、それゆえ、普遍性を得るのです」
「あの、褒めていらっしゃるのかしら? それとも、けなしていらっしゃるのですか?」
「さあ、どちらでしょう……」犀川は微笑んだ。「無駄なものは、褒めることも、けなすこともできません。だから、いつまでも残るんですよ」
p.517,518
「東洋人というか、日本人というのか、とにかく、この辺りに住んでいるのは、奥ゆかしい民族だね」犀川は説明した。「自分を表に出さない。自分を消そうとする。それが、自分を高めることだと信じている。己を殺すこと、腹を切ることが奇麗なことなんだよね。美しいと、ビューティフルは、全然違う意味じゃないかな。きっと、奇麗な夕日を見て、ああ死にたいって思ってしまうんだ。しかも、それが全然悲愴じゃない。どうして、こんな奇麗な感情ができたんだろうね? なんかさ……、異物を押し込まれたところに嫌々できる、真珠みたいだと思わない?」 -
タイトルのダブルミーニングが、全編をあざやかに貫く!
S&Mシリーズ第5作。
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日本画家・香山風采の遺した壺と鍵箱。
壺の中に鍵箱の鍵は確かに入っているのだが、その壺は誰も鍵を取り出せない構造になっていた。
そして風采は、それを傍らに遺し、密室の蔵の中で謎の死をとげていた。
それから50年…
今度は風采の子・林水が、不思議な状況下で亡くなってしまう。
お嬢様大学生・萌絵は、壺と鍵箱に興味津々のあまり、事件にも首をつっこんでしまうのだが…
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日本語タイトル「封印再度」は、壺と鍵箱開閉の謎に掛かっている一方、英語タイトル「who inside」は、密室事件の謎に意味が掛かっています。
そして、もう少し深く考えてみると、「who inside」は、「身体」の中にいるこの“わたし”とは“誰”なのか?という意味にもとれます。
このタイトルを深読みした意味は、物語半ばで萌絵についてのある情報を聞いたあとの犀川助教授の状態に、ぴたりと当てはまります。
また「封印再度」の方も、事件の真相を犀川と萌絵がどうしたのか、という物語最後の展開にも掛かっていました。
このように、似た響きの音をもつ異なる意味の言葉が、2つともしっかりと作中を貫いているさまは、読んでいてとても痛快でした。
この物語のタイトルはまさにこれしかない!と、読みながら何度もうなずいてしまいました。
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さて事件の方はというと、相変わらず好奇心旺盛なお嬢様大学生・萌絵が、事件に首をつっこみまくるいつものパターンであり、事件解決のくだりは、この分厚い本の本当に後ろの方に位置しています。
いつもなら、事件解決までの道のりが長すぎてじれてしまうところなのですが、今回はその間に密室事件とは別の、犀川と萌絵にとっての“事件”が起こり、ぎょっとする展開に突入したため、最初から最後まで目が話せなくなりました。
そしてこの“事件”により、萌絵という人物が心底嫌いになった一方、犀川助教授がものすごく哀れになりました。
犀川助教授はもう、萌絵から離れた方がいいのではないでしょうか(苦笑)
まあでも別の見方をすれば、自分の静かな世界で生きてきた犀川助教授を揺さぶることができるのは萌絵の言動だけ、ということでもあります。
その揺さぶりが犀川自身の中でバグとなり、自身でも予測のつかない行動を犀川にとらせ、それが物語のおもしろさにつながっているので、このまま犀川にはなんとか頑張ってもらうしかないようです。
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密室事件の真相も、今回は難解な理系知識は登場しなかったため、理解できました。
壺の中にある取り出せない鍵の謎も、ちゃんと明かされますのでご安心を。
そして犀川研究室の助手・国枝桃子氏が登場するたびに、わたしの頭の中には宝生舞さんが国枝桃子氏として登場するのでした。 -
壺から鍵を取り出すというパズル問題から、その家で過去に起こった事件に興味を持った萌絵。
その直後に事件の再来のような謎の死があり、ますます事件に首を突っ込んでいくことに。
今回の事件も理系なトリックではあったけれども、何だか文系と言うか哲学的だった。
犀川先生と萌絵の関係も大きく前進、かな?
ただ、この展開はちょっと好きになれない部分もあったり。 -
S&Mシリーズ5作目!
今作は今までとだいぶ趣が違うけど、
これはこれで楽しめるというか、むしろ大好き。
今までは理系ミステリという謳い文句どおり
新ジャンルミステリがまずトップ。
そのスパイスとして、
S&Mの繰り広げる知的な会話や世界観がある。
ところが今回は、ミステリはただのオマケで、
完全なるラブストーリー。
いや、ラブコメかもしれない。
そして今作のもう一つのポイントは女性陣の勢い。
県知事夫人の萌絵の叔母である佐々木睦子。
犀川助教授と同じ講座の助手である国枝桃子。
この二人が素敵すぎる。
今作で好きなのは、ずばり、
「西之園さん。ごちそうさま。」
国枝桃子のメール文。
これ、今作の読者全員が思っている気がする。 -
'23年3月7日、Amazon audibleで、聴き終えました。シリーズ作品、連続5作目。
3,4作目はイマイチ良く覚えてませんでしが…これは覚えてました。でも…以前は凄く好きな作品てしたが、改めて聴いて、ちょっと違和感がಥ_ಥ
二人の恋愛ドラマ?いや、しっかりミステリーなのですが(そこは充分面白いと思います)、なんかなぁ…僕が少し飽きてきてるだけ?それほど繰り返し読んではいないのですが( ⚈̥̥̥̥̥́⌢⚈̥̥̥̥̥̀)
でも、シリーズ聴き出すと、止められない止まらない(ᗒᗩᗕ) -
まずタイトルがオシャレ。「封印再度」と「who inside」のどちらも話の重要な部分を表している。
謎のトリック自体も満足だし、犯人の動機から、生きる意味や美しさとは何かみたいなことを少し考えた。犀川の今まで見たことないような描写も見られたし、犀川と萌絵の関係性も面白くなってきていて、好きでした。
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たしか入院中にシリーズを一気読みした記憶があり、『F』は別格として一番好きな作品をあげるならこの作品でした。引き込まれるワクワク感があるのに、なぜか心穏やかで温かな気持ちで読み終えることができました。
こんな作品にまた出会いたいものです。 -
再読。
このタイトル、秀悦。
このシリーズの中で、一番好きなタイトルだ。
封印再度 Who Inside
読み終わって気づく。
このタイトルが物語の全てを一言で表現しているということに。
「天地の瓢」「無我の匣」もその名の通り!
パズラーが出てくるお話だが、作者こそ、言葉のパズルの天才だと思う。
この作品で、犀川先生と萌絵の関係が少し変わる。
犀川先生は、あらためて、自分の気持ちに気づく。
そのキッカケとなる萌絵の手段は、すごいとしか言えない。
万が一、自分がそれにひっかかったら、自分は、怒るだろうが、すごく安堵すると思う。
犀川先生も、そうだったのではないかな。
犀川先生の行動に、ちょっとニヤっとしてしまうのは、萌絵の長い年月をかけた行動が報われてほしいから。という、女性目線。
「なりたいものになれない人はいない」「なれないのは、真剣に望んでいないだけのことだ。自分で諦めてしまっているからなんだよ。人間、真剣に望めば、実現しないことはない」犀川創平
この言葉は、ドキッとした。
自分は、何度となく、真剣に望まず、それを手放してきた。
その結果がいま。
別に大きな後悔はないけれど、それを望んでいた当時、この言葉を聞いていたら、変わっていたのだろうなと思う。
そして、今でも遅いわけではない。
別のものを望んだなら、それを真剣にやれば良いと思う。
そんな積み重ねが、人生最後に何かわかるんだろうな。