- Amazon.co.jp ・本 (288ページ)
- / ISBN・EAN: 9784062902533
作品紹介・あらすじ
1975年以降に発表された名作を5年単位で厳選する全8巻シリーズ第2弾。現代小説は40年間で如何なる変貌を遂げてきたのか――
感想・レビュー・書評
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どれもこれも文学じゃないと味わえない気持ち、ザラつきを持っている作品だった。
個人的に思うことがあり、特に坂上弘さんの巻末エッセイに感銘を受けた。
「どの現実も、言葉につくりかえてみなければ悪夢の一種であって、存在しないものと同じということである。人はこのようにフィクションを生きる。それは、生きる意志を言葉に託するからである。」
ほとんど悲劇しかないように思われるこの世の中、言葉にすがらざるを得ない小説家の性を見た気がした。
そしてそれはとても胸に迫る。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
野間宏 「泥海」
内海が干上がり、堪らない臭気が襲ってくる。環境破壊、という前提にはあえて触れないで読みたい。作中にも、それを示唆する表現は登場しない。とにかく、干上がってしまったというところから始まる。そのなかで、人間は逞しく適応していく。国から支援を受け、経済活動を再開し、臭気を抑えるための計画を立て始める。対して、ハゼや、イソギンチャク、クラゲ、エビなどはどうにもならない。登場人物の会話にはコミカルさがあって好き。耳、鼻の不快感がおさまらない。
藤枝静男「みな生きもの みな死にもの」
生活の断片、断片、断片。小説にかぎらず、この形態の作品はどう捉えたものかと困惑するもの。しかし易しいことに、この短編は書かれた経緯や意図と理解して良さそうなものが十分に記されてある。ありがたい。ただ、味わえるかは読み手次第。
吉行淳之介「菓子祭」
場面は銀座のフランス料理店、月に一度は通う店。そこに何度か口をきいたことのある客。そのぐらいの客が、娘の注文に口を挟んでくる。読者はじっとりした気持ち悪さを感じつつも、警告する根拠も手段もない。ただ周囲の雑談を聞かされながら、食事が進むのを待つだけ。短くても、しっかり胃もたれさせてくれる。
吉村昭「鯊釣り」
主人公は、友人の津山らと共に鯊釣りに行く。その先で、昔親しくしていた宇田川家に立ち寄るが。"津山を案内してきたことが恥しかった"──この一文を蝶番にして、懐古と現実の二枚の殻が広がっていく。
増田みず子「独身病」
独身感も、いろいろあるよね。現代では独身感も多く語られているので、いまさら取り立てて考えるほどの能力も麻痺してしまい、碌な感想が出ないのです。独身病ですね。
坂上弘「杞憂夢」
人間の一個を感じさせるものは何か。芸術の表現の中に、通勤電車のサラリーマンに、小説家仲間の死に、父親に。作中では最後まで、一個という言葉について、主人公自身による説明が出来ていない。もっとも、同時代の文脈に生きた人には、言葉にせずに伝わるものがあるのだろうけど。とにかく僕は、坂上弘の一個の感覚について、ぼんやりとした外縁部にしか触れることが出来なかった。
島尾敏雄「湾内の入り江で」
魚雷艇訓練所、それから特攻へと近づいていく日々の、平穏と興奮。特攻志願への勧誘も、その場にいれば僕も間違いなく乗せられただろうという内容だから、やりきれない気持ちしかない。
大江健三郎「泳ぐ男──水の中の「雨の木」」
こんなにも性器を剥き出しにした小説があるだろうか。その上、読み進める上で脳内に複製された玉利君、猪之口さんに対しても、なに一つ救済となる帰結を導けないまま、ついに読み終わってしまった。
澁澤龍彦「きらら姫」
江戸時代のお話なのだけれど、固いどころか、ユーモアに溢れていて、時代錯誤ジョークまであるのだから、とにかく、リラックスして読むしかない。オチの笑いどころが、いにしえ感覚過ぎて理解できないのも、もはやそういうもの。 -
現代小説クロニクル、第2巻は1980~84年に発表された短編を収録。
野間宏、吉行淳之介、吉村昭、島尾敏雄、大江健三郎など、純文学作家の名前がずらっと並ぶ中、何故か最後は澁澤龍彦w 何故w
そのせいなのかは解らないが、リアリズムを追求したものばかりでなく、幻想的な短編の比重が高かったのは嬉しい限り。