家守綺譚 (新潮文庫)

著者 :
  • 新潮社
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本棚登録 : 8970
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  • Amazon.co.jp ・本 (208ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784101253374

感想・レビュー・書評

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  • 好きな本だった。少し不思議で、やわらかい風とあたたかい温度が本の中から伝わってきた。いいな、わたしもこんな世界を感じてみたい。狸や狐に化かされて、カワウソになつかれて。退屈することがなさそう。

  • 図書館で。
    明治・大正辺りの匂いを感じるお話。漱石とか百閒先生見たいな感じというか。でもその二人よりはファンタジー寄りというか。

    現実と幻想の境界線が緩やか~な世界で、ちょっと不思議な体験をするというか。昔はこういう人も生きやすかったんだろうか、なんて考えたり。基本、主人公は優しいんですけどね。こういう人と所帯を持ったら奥さんは大変そう。それこそちょっと人間離れした妻を娶ればよいのかもしれないけど。

  • 100年前の京都あたりの話なんかな。狸に騙されたり、河童に出会ったり、サルスベリの木に好かれたり、亡くなった友人と話をしたり、そんな日常を驚きはするけどすんなり受け入れられる主人公。分からないものを分からないまま受け入れる、恐怖しないって柔軟な考えは、現代でも他者を尊重するのに必要な事だと思う。ファンタジーなのに八百万の神々がいる日本の宗教観が、そこに彼らが存在する情景を懐かしく想像させるし、彼らを見られない現代が少し寂しく思える。こういう妖しくて優しい話めっちゃ好きです

  • 万物に魂。
    縁側でぼんやり読みたい不思議な話。

  • 不思議な世界と現実とが入り混じってる感じ。
    そして、ほのぼのしている感じ。

  • 人でないものが当たり前のように人と共生する時代と世界。
    サルスベリが可愛らしくて、好き。

  • ※ものすごくネタバレ

    すごい本を見つけてしまった…ストレートに、好みすぎる。こんな本を探していたような気がする、いいものを勧めていただいた。
    こんなに短い短編はなかなか読んだことないけど、それがまた読みやすくて、総量としてボリュームは結構あるので満足。季節の移ろいや情景、そして言葉の美しさを感じられる描写が素晴らしかった。時折花や植物の名前を調べたりしていたけど、その時間さえなんだかとても丁寧な暮らしの一部に私も足をつっこめた気がして楽しい。
    読み始めた時点では現実的な物語かと思ったのに、息をするようにするっと、「動く掛け軸の絵」「しゃべる植物」「河童」などというような怪奇要素が動き出して、もうそれがたまらない。怪奇を怪奇としない小説がとても好きなので。高堂の位置付けや、ゴローのキャラクター、あと和尚さんなどの登場人物の要素も良かったなと思う。個人的に寺方面で起こる話は、好きなものが多かった。とりわけ狸に化かされる話が…なんか好きすぎる…
    湖で行方不明になった高堂の家を預かるという設定で物語が始まるけど、すぐにその高堂は掛け軸からあっさりと現れ、不思議な出来事を次々と連れ込む。そして時に山内や高堂との交流を通して、ことの発端である湖の事件のことがちらつきつつ…
    高堂はどこへ消えたのか…湖の底をみたいという主人公の気持ちに対して「その時ではない」とは、一体どういうことなのか…
    そんなことを交えつつ、四季折々と共に展開される侘び寂びある生活を、たっぷり1年分味わえる。最後にたどり着いた夢の中のお話で、見上げた空がレンズのようになっていて、ああここが湖の底なのか。そう納得した時には鳥肌が立った。
    最後の章、「葡萄」では、綿貫と夢の中の人物との間でかなり長い押し問答があるが、綿貫が答えている内容が結局この一年の物語を通して我々が垣間見ることができる一つのメッセージなのでは無いかと思う。「わびさび」と先ほども表したけれど、
    「私は、与えられる理想より、刻苦して自力で掴む理想を求めているのだ。こういう生活は、私の精神を養わない。」綿貫は言い切る。
    そしてこの言葉は少々勢い任せな、自分に酔ったものだったと羞恥を感じて引き返し、こうも言う。「ここに来るわけにはいかない事情が、他にもあるのです。家を、守らねばならない。友人の家なのです。」これは、まあここに来るまでに分かりきっていたことではあるけれども、今一度タイトルを見事に回収していく発言だったと思う。貴婦人は笑って、
    「そのことに気づいたのだわ。」と意味ありげに言う、、。もっと重要なことは、察するに高堂はここで葡萄を口にしてしまったということだろう。ここまで来ると、少し手前の「貝母」での高堂の言葉が意味ありげに思えてくる。「お前は人の世の行く末を信じられるのか。」高堂に問われ、綿貫は考える。"ペンとインキか。人の世はもっと先までゆくだろう。早晩鬼の子など完全にたえてしまうだろう。長虫屋などの商売も追いやられてゆくに違いない。"この物語の中で、綿貫の暮らしから文明はあまり感じないけど、時折その存在がふっとほのめかされる。植物が語りかけたり河童や小鬼が当たり前のように存在し、人々がそれを認識していながらも、世はこれから文明の発達、人の世の進化とともにその侘しさや静けさや、奇怪さを失っていくかのような書き方がなされている。綿貫は結局、それらと共存しながら生きていくことを選んで葡萄を食べずに済んだけれど、高堂はそうではなかった…なんでも教えてくれる、綿貫より数枚上手のようにみえていた高堂の中の、綻びのようなものを最後に見つけて話は終わる。その綻びが、なんか本当に切なくてしみじみして、読んだものの心に小さな隙間を残していくんだと思う。でもこんな美しい隙間風なら、吹き込んでくるのも悪くはない。

  • 梨木香歩先生の作品2作目読了
    この作品はずっと気になっていて、やっと読むことができました。

    河童、人間に化けたタネキ・キツネ、竜、人魚、鬼etc.まで登場してまさにファンタジーでした。
    小説の舞台となった高堂の実家付近は自然が一杯で、またその描写が巧みで情景が容易に浮かびました。

    最終シーンで綿貫が異界に連れていかれなくて本当に良かったと心から思いました。

  • 物語の世界に入れなかった。ファンタジー過ぎる。
    文章の美しさや時代の生活感は好きな感じなんだけど、河童とか鬼とか植物の感情とか出てくると、よくわからなくなってしまう。目に見えない自然の気があるということは理解しているが、気持ちがついていかない。

  • ときどき読み返したくなる味わい深い作品。

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著者プロフィール

1959年生まれ。小説作品に『西の魔女が死んだ 梨木香歩作品集』『丹生都比売 梨木香歩作品集』『裏庭』『沼地のある森を抜けて』『家守綺譚』『冬虫夏草』『ピスタチオ』『海うそ』『f植物園の巣穴』『椿宿の辺りに』など。エッセイに『春になったら莓を摘みに』『水辺にて』『エストニア紀行』『鳥と雲と薬草袋』『やがて満ちてくる光の』など。他に『岸辺のヤービ』『ヤービの深い秋』がある。

「2020年 『風と双眼鏡、膝掛け毛布』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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