冷血(下) (新潮文庫)

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  • 新潮社
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感想 : 55
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  • Amazon.co.jp ・本 (440ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784101347264

感想・レビュー・書評

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  • 評価3.5

    第一章は、なかなか読み進められなくて、読むのを辞めようかと思った。作者の意図的な狙いなのだと思うが、小説というよりはノンフィクションを読んでいるような、それでいて、事件の概要を外から描いているというよりは、犯人と被害者家族の心の声を延々と聞かされているような。
    第二章に入り、事件が発覚し、警察や検察、被害者家族の周辺が明かされていくと、ようやくミステリーっぽくなってきたな、と少し読書ペースがアップする。
    しかし、意外にあっさりと逮捕されてからは、またまた、合田刑事、犯人の井上・戸田の心の声が続く。

    結局、事件の動機もはっきりしないまま終わる。おそらく、現実の凄惨な事件も本当のところは、こうなんだろうな、と思わせる。第三者として関わっている時には、こんな残酷な事件には、どうしてこんなことが起こってしまったのか、どうしたら防げたのか、知りたいと思ってしまうけれど、結局、言葉に出来ないこと、矛盾することばかりなのだろう。

    それにしても、「冷血」なのは誰なのか。
    読み始めは、当然、こんな事件を犯した犯人二人だと思っていたが、読み終わった後は、違うと思っている。
    検察・弁護士・犯人の人生に関わった人たち(特に家族・親戚)・被害者の親戚。
    特に、終わりに出てきた、被害者遺族には、こちらの心が冷え冷えさせられた。

  • 年齢のせいか、この世に簡単に、簡潔に言い尽くせる物事などない、という感慨が深まる中で、久しぶりに読んだ合田刑事シリーズ。

    ここに何が書かれているのか、私には説明できない。終盤の論告や判決に虚しさを覚えたのであれば、人一人の重みを幾ばくかはつかみ取った気になっているのだろう。そして他人の内心は、いくら情熱を傾けたとて、把握するには彼我の距離の隔たりがありすぎるということ。

    言葉は所詮言葉であり、歪なキメラに過ぎない。文章を理解することは事象を認知することを意味しない。何とも不安定な視座は一方で、至極健全で、疲れるものだと思う。

  • 髙村作品は、合田シリーズは全て読みました。
    中でも、冷血は気に入って文庫になって、3回
    目の読了です。
    戸田、井上の生い立ちが丁寧に描かれていて
    今までの合田シリーズにはない、登場人物の
    描き方だったと感じました。
    次回作が今年に出るらしいので、楽しみです。

  • 上巻は起承、この下巻は転ですが、このパートは非常に深く内省的。生とは何か、死とは何か、人間の罪、そして罰とは何か。決は読者それぞれが考えるしかないのですね。素晴らしい小説でした。

  • 本家のカポーティ『冷血』と同じく、普通に暮らしていた一家が強盗殺人に巻き込まれたのが痛々しい。そこに『リヴィエラを撃て』『照柿』『マークスの山』『レディ・ジョーカー』でおなじみの合田雄一郎が登場し、彼の人生模様も変化している。

    犯人たちの人生も描かれ、やりきれなさが増す。残忍な犯人たちであったのか?​カポーティ『冷血』​で怖さを経験しているのに、筆運びが真に迫っている(相変わらず緻密だ)恐ろしさ。刑事合田でなくとも悩んでしまうし、処理できない思いもする。普通に暮らしていると思っている自分自身に悪がないと言い切れるのかと。

    その合田の私生活心情の変化、朝早く農家の手伝いしに行く合田、「合田はわたしです」という、高村薫作家自身が主人公になって行く感がますます濃ゆい。​
    ​​​

  • 愚直なまでに事件を起こすに至った背景をトレースする下巻。兎に角読むのに時間がかかった。
    どんでん返しを期待するこちらの心理を嘲笑うかの様。
    筆者はこの作品で何を訴えたかったのだろう。
    世の中の不条理?

    敢えて消化不良な部分を残し、読後にゆっくり読み手側で消化しろ、というメッセージと理解した。

  • 上巻所収の第1章「事件」は、被害者側・犯人側双方からのいわば「ゼロ時間へ」、第2章「警察」は事件発覚後の捜査から被疑者逮捕に至るまで、そして下巻は丸ごと第3章「個々の生、または死」で、取調べから犯人の死に至るまでが縷々記されるが、第1章では被害者の1人高梨歩をあんなにリアルに構築したにも関わらず、もちろん事件の再現という捜査過程で被害者個々の死の有様は語られるが、第3章で掘り下げられるのは専ら2人の犯人(と合田)の生(と死(=犯人の)である。合田は取り憑かれたように2人の犯人戸田と井上に深入りし、個人的な(としか思えぬ)交流に至り、その叙述に沿って、読んでいる私も戸田と井上に寄り添うことになる。しかし、2人の犯行は、法律を守り(大筋)常識的で理性的に生きている私には(合理的常識的に事件の筋を構築したい検察官にも)感情移入できるものではなく、ただし、(警察の捜査官たちが感じたように)そのまま・ありのままに理解するしかなく、8係の遠山係長の捨て台詞「いったい私ら、いつから心理学者になったんですかね」(p.136)は、本作への論評ともいえる。ああでもないこうでもないと、下巻において主に合田の主観を通してしつこく記述したあげく、「…被疑者という名の人間の不毛さ、もしくは空っぽさが、いまも眼の前にあるということであり、それだけのことだった。もちろん、あるのは被疑者と言う名の人間の中身に斬り込むことのほうの不毛さだったかもしれないし、またあるいは、ある人間に被疑者という冠が付いたとたん、そのこころの中身に踏み込んでゆけると錯覚する捜査の不毛さ、もしくはそうした錯覚をする組織の不毛さや、空っぽさだったかもしれない。」(p.261-262)、刑事は心理学者ではない、と書かれるのだから、乗れなかった人にはそりゃつまらないだろう。
    合田が(読者である私も)犯人たちのことにばかり思いを致す傍ら、下巻では被害者たちは殆ど顧みられない(現実にままあるように、被害者のプライバシーがあることないこと暴かれるよりはマシなのかもしれないが…)。とはいえ、被害者も犯人も架空の人物であるにも関わらず、ディズニーシーに行くのは翌朝かもしれない可能性に気付いて、侵入を翌日にしさえすればよかったのに…と悔やまれてならないのだった。

  • このじわりじわりと染み渡る話に圧倒されてもう言葉もない。

  • (上巻より)

    衝撃的だったのは、
    被害者の少女のモノローグ。
    それ自体は珍しいものではないが、
    殺される瞬間までつづられることが多い。
    そうすることによって、
    読み手はその瞬間を予想し、事前に被害者から離脱できる。

    ところが、この作品では、
    被害者となる予感がかなり低い時点で
    モノローグが打ち切られる。
    現実の災いの無慈悲さを表現したかったとしたら、
    かなり効果的だった。

    少女の遺体がひどい状況だったゆえに、
    誰かとすりかえられたのではないかと
    あらぬ方向に妄想してしまった自分は、
    ジェフリー・ディーヴァーの読み過ぎだ。

  • 高村薫“合田雄一郎刑事シリーズ”「冷血」の下巻です。
    事件発生から4カ月以上が経過、2人の被疑者が逮捕され取り調べを受けている場面から、下巻は始まります。
     
    容疑を認める、被疑者たち。
    しかし心身に課題を持つ彼らの供述に、合田たちは違和感と心配を持ちます。
    彼らはなぜ、このような事件を起こしたのか。
    その調査の経緯が、描写されていきます。
     
    彼らはどのような罪を犯したのか、それはどのような考え、感情により引き起こされたのか。
    そしてその罪を判定する側は、どのような点を確認する必要があるのか、その結果どのような判断をくだすのか。
     
    素人の目から見ると、かなり微妙な判断が行われているように感じられました。
     
    誰かが重大なことを行った時、他の人はその行動に意図があったと考える。
    しかしその意図がないまま、重大な結果を起こす人もいる。
    意図というものに、どれだけの意味があるのか。
     
    「動」の上巻に対して、「静」の下巻。
    そのぶん、人間が起こす行動の意味とその評価について、考えさせてもらった一冊でした。
     
    『冷血(上)』
    https://booklog.jp/users/makabe38/archives/1/4101347255
     
     .

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著者プロフィール

作家

「2022年 『ベスト・エッセイ2022』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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