- Amazon.co.jp ・本 (143ページ)
- / ISBN・EAN: 9784102114018
感想・レビュー・書評
-
詳細をみるコメント1件をすべて表示
-
おもちさん三島由紀夫の評論ですが、決定版三島由紀夫全集27(新潮社)に収録されております。「獣の戯れ」を読んだときに異邦人と印象が重なったので、そのと...三島由紀夫の評論ですが、決定版三島由紀夫全集27(新潮社)に収録されております。「獣の戯れ」を読んだときに異邦人と印象が重なったので、そのときに探したら最寄りの図書館にあって読むことができました。お近くにあるといいですね。2024/03/29
-
-
2.7
-
この作品は中学の時に『読書』っぽい事をしたくて読んでみた。
けど、全く分からなかった。『分からない』ということが、分かった作品だった。
それから著名な作品というものは『難しい』のだと思った気がして、読む気がなくなった。
この『異邦人』は母が買ったものだった。画像のとは違うもっと昔に出版されているもの。翻訳者は一緒なので中身は一緒だと思う。レイアウトはペストと同じで少し違うのかもしれない。
記憶の中では『老婆を殺した』ような気がしてたけど、老婆は別の作品だった。
『暑かったから殺した』というのは記憶と合致していた。
記憶に残ってるのは、それだけ、『暑かったから殺した』……意味が分からない。
でも、今、『ペスト』を読んでから『異邦人』を読むと、ペストの『人は全て罪人だ』と言ってたキャラ(……名前を忘れた)と、『異邦人』の話が重なるなと思った。
今だから『分かる』気がする。 中学の時は全く分からなかった作品が、いま読むと『こんなことかな』と。
作品を的確に理解するなんてどんなものだって無理だけど、ぼんやりと『こんなことかな』という輪郭が見えるし、頷けてしまう。
中学の時の私は『殺人は悪』だったし、同時に『殺人は社会的に自己を抹殺する行為』でもあると思ってた。
丁度その時に同年代の殺人犯が世間をにぎわせていたから、尚更、そんな風に思っていた。
でも、今は『殺人は悪だけど、殺人に至るまでの過程には理由がある』と思う。
どれか一つのドミノが倒れなければ起きない運命みたいなものは、あるような気がする。
平和な世界だと平然と『殺人はダメ』と叫ぶ人間も、戦争になれば『敵を殺せ』と叫ぶ。
外野は好きに叫ぶ事が出来るという点は、分かる。インターネットの世界もそうだけど。
ただ、『だから、殺人は仕方がない』には、行きつかないし、罪は罪だと思う。
それでも、『裁判の心象で刑罰が変わる』というのは不合理で、それに気がつかない事もまた『人間らしい』のだろうと思う。
そして、残念な事にそんな事例はざらにある。
『殺人』という罪にフォーカスをすると、『分からない』
『死刑』という刑にフォーカスをすると、『分かる』
そんな感じの作品なのかなぁと思う。
『暑かったから殺した』が印象的すぎて、刑罰云々の部分が頭の中に一つも残ってなかった。
たぶん、読むべきところは『死刑は妥当であるかどうか』という部分だと思う。
ところで、 『アラビア人』がどんな意味なのかが分からなかった。
これは、迫害されてる人として書かれてるの?それともただ単に『コミュニティーが違う人』?と、悩む。
わざわざ書くということは『差別対象』なのだろうか?海外の感覚がわからない。
そう思ったので、調べた。
『差別的対象』として読んで間違いはなかったらしい。物語はそういう話だと思うと、また色が変わる。
でも、難しいことに変わりはない。
追記:240406
※物語の中で全てが説明されるわけではなくて、この時代背景(アラビア人への差別)やカミュの思想がわからないと理解できない物語。
つまり、前提知識の量がモノを言う作品だと思うので、これ単体で面白いと思える人は少ないだろうなと思う。 -
常識が外れてそうで全くもってそうでもない。法の元では不利に裁かれる。主人公に共感できるところがあるからなんとも言えない居心地の良さ。
-
人は死刑の判決にならない様に「嘘をつく」、だが、ムルソーはその演技が出来なかった。ムルソーは不条理であったが避ける事なく罪を受けた。所謂「罪は罪」として裁かれて当然である、それが正当防衛、虚い申告であっても。だが、現代はずる賢い、権力を持った者が優勢であり、例え相手が真実を訴えても覆ることはさせない、のが現実だ。
-
「この小説は、よく「理由なき殺人」の代名詞のようにも使われるのですが、今回読み返して「本当にそうなのかな」と首をひねりたくなった。-僕には、「理由がない」とは感じられませんでした。おそらくこの本の事件は「理由がない」のではなくて、「本人にも理由がわからない」だけではないでしょうかーもちろん、理由があったからと言って、ムルソーを多めに見てあげればよかったのに、とは思いません(僕は何でもかんでも厳しく罰するべきだと思ってしまいます)。ただ、この小説に出てくる検事が、「この若者は、母が死んだというのに、海水浴へ行き、女の子と遊んで、喜劇映画を観に行き、そして母の埋葬の時に泣かなかった。なんて不気味なんだ。死刑に値する」と主張する様子は恐ろしくもあります。表面的な事実だけを見て、「理解できない」物には蓋をしてしまい、「若者は異常になってきている」と決めつけるのは、このカミュの時代から現代まで変わっていないということかもしれません。そんな気がしました。」
(『3652』伊坂幸太郎エッセイ集 p.124より)
「説明のつかない感情にとらわれたり、理性的な判断とは異なる行動をとったりすることは、誰にでもある。人生をリアルに感じられない時、家族を愛せないと思うこともあるだろう。世間に合わせるため、本音を隠して演技しているとか、仮面をかぶっていると感じている人も少なくない。どこにも居場所がないムルソーはまさしく自分だと感じるならば、この小説はあなたのものだ。「異邦人」はそうして長い間、特に若い人たちに熱く支持されてきた。ここには、表ではあまり語られないもう一つの真実が書かれている。」
(『いつか君に出会ってほしい本』田村文著 の紹介) -
主人公の心理にさほど衝撃を受けない。
なんか、わかるよ、って思ってしまう。
ヒトゴロシなんてしないけど。
お母さんの死に涙しないからって、殺人者と決めつけられるのって(いや、殺人者ではあるんだけど)、それは違わないかい? -
高3から何度も読んでしまう一冊。いつもは聴聞司祭とのやり取りで気圧され、ラスト数行で心地よい気分に浸って終わってしまうので今回は東浦さんの『晴れた日には異邦人を読もう』を手引書にして再読。ラストの心地よさで意識の表面に出てこなかったカミュの愛した情景の素晴らしさを実感できた。ムルソーという人物をこれまで崇拝の対象とも狂人とも言えない形容し難い人物として接し、なぜか彼に親近感が湧くのが不思議で仕方がなかった。手引書をもとにムルソーと接したことで、ムルソーがとても気を遣える不器用人間といえることに納得でき、そこでやっとムルソーへの親近感の正体がわかった気がした。
未来への確証のない可能性よりもありのままの今の素晴らしさを全身で謳歌する。そんな姿が自分にとって理想であり、今の自分はそこに近づいているのかもしれないと感じて高校生の自分に自慢したくなった。