ハンナ・アーレント - 「戦争の世紀」を生きた政治哲学者 (中公新書 2257)

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  • 中央公論新社
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  • Amazon.co.jp ・本 (239ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784121022578

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  • 「ハンナ・アーレント」矢野久美子著、中公新書、2014.03.25
    239p ¥886 C1210 (2019.01.10読了)(2018.01.17購入)(2014.08.05/7刷)
    副題「「戦争の世紀」を生きた政治哲学者」
    Eテレの「100分de名著」で『全体主義の起原』が採り上げられるまでハンナ・アーレントを知りませんでした。『全体主義の起原』が刊行されたのは、1951年ということですが、トランプ大統領の登場によって再び注目されているのだそうです。日本でも、1972年ごろに翻訳が出版されていますが、2017年に翻訳を見直した新版が出ています。値段が高いし、全3巻とボリュームもあるので、ちょっと手が出ません。内容的にも、難しそうです。
    概要を知りたければ、下記の本を読むのがいいかもしれません。
    「精読 アレント『全体主義の起源』」牧野雅彦著、講談社選書メチエ、2015/8/11
    全体主義というと、ファシズムを連想しますが、アーレントは、スターリニズムも含めて論じているということです。イデオロギーに偏らない公正な判断と思います。
    1961年にイスラエルで行われたアイヒマン裁判を傍聴して書いた『エルサレムのアイヒマン』(旧題『イェルサレムのアイヒマン』)も興味深い本です。アイヒマンを断罪するだけでなく、ナチスに協力したユダヤ人についても論じているということで、非難を浴びたということです。協力することがいいとか悪いとかいうことではなく、なぜあのようなことが起こり、再び繰り返さないためにはどうしたらいいかを考えるうえで、重要なことと思います。
    本が出版された当時、ナチスの協力していた人たちが、健在でイスラエルの要人になっていたので、配慮が足りなかったということでしょうけど。
    ハンナ・アーレントは、1906年10月14日にドイツのユダヤ人家庭で生まれ、大学では哲学と神学を専攻し、ハイデガーやヤスパースに師事しています。1933年にパリに亡命し、1941年にアメリカ合衆国に亡命しています。1951年にアメリカ国籍を取得し、アメリカのいくつかの大学で教えています。1975年12月4日に心臓発作で亡くなっています。69歳でした。
    ハイデガーとは、一時恋愛関係にあったようです。(26頁)ヤスパースとは、終生交流があったということです。

    【目次】
    まえがき
    第1章 哲学と詩への目覚め―一九〇六-三三年
    Ⅰ 子供時代
    Ⅱ マールブルクとハイデルベルクでの学生生活
    Ⅲ ナチ前夜
    第2章 亡命の時代―一九三三-四一年
    Ⅰ パリ
    Ⅱ 収容所体験とベンヤミンとの別れ
    第3章 ニューヨークのユダヤ人難民―一九四一-五一年
    Ⅰ 難民として
    Ⅱ 人類にたいする犯罪
    Ⅲ 『全体主義の起原』
    第4章 一九五〇年代の日々
    Ⅰ ヨーロッパ再訪
    Ⅱ アメリカでの友人たち
    Ⅲ 『人間の条件』
    第5章 世界への義務
    Ⅰ アメリカ社会
    Ⅱ レッシングをとおして
    Ⅲ アイヒマン論争
    第6章 思考と政治
    Ⅰ 「論争」以後
    Ⅱ 暗い時代
    Ⅲ 「はじまり」を残して
    あとがき
    主要参考文献
    ハンナ・アーレント略年譜

    ●ヤスパース(29頁)
    ヤスパースは精神病理学専門の医学博士で、ハイデルベルク大学の哲学科に心理学という分野から参入し、哲学に転じるとともに伝統的な既存の哲学体系に挑んでいた。
    ●フランスでの仕事(51頁)
    親とともにドイツから避難したユダヤ人の多くの若者たちは、教育を受ける機会も将来の展望もない状況の中で暮らしていた。こうした若者たちの手に職を与えてパレスティナへと合法的に送り出すことが、アーレントの携わった仕事だった。
    ●アメリカでの英語習得(79頁)
    アーレントは、ギリシア語・ラテン語・フランス語は堪能だったが、英語は一から学ぶ必要があった。
    ●知識人の大移動(80頁)
    三三年から四四年までの間に、およそ二万三千人から二万五千人の知識人たちがヨーロッパからアメリカに移ったと言われている。

    ☆関連図書(既読)
    「ハンナ・アーレント『全体主義の起原』」仲正昌樹著、NHK出版、2017.09.01
    「ヒューマニズムについて」ハイデガー著・桑木務訳、角川文庫、1958.07.05
    「アドルフ・ヒトラー」ルイス・スナイダー著・永井淳訳、角川文庫、1970.06.30
    「わが闘争(上)」ヒトラー著・平野一郎訳、角川文庫、1973.10.20
    「わが闘争(下)」ヒトラー著・平野一郎訳、角川文庫、1973.10.20
    「ナチス追及」望田幸男著、講談社現代新書、1990.08.20
    「声の狩人」開高健著、同時代ライブラリー、1991.01.14
    「ヒトラーの抬頭」山口定著、朝日文庫、1991.07.01
    「ナチス裁判」野村二郎著、講談社現代新書、1993.01.20
    「ヒトラーとユダヤ人」大澤武男著、講談社現代新書、1996.05.20+
    (2019年1月11日・記)
    (「BOOK」データベースより)amazon
    『全体主義の起原』『人間の条件』などで知られる政治哲学者ハンナ・アーレント(1906‐75)。未曽有の破局の世紀を生き抜いた彼女は、全体主義と対決し、「悪の陳腐さ」を問い、公共性を求めつづけた。ユダヤ人としての出自、ハイデガーとの出会いとヤスパースによる薫陶、ナチ台頭後の亡命生活、アイヒマン論争―。幾多のドラマに彩られた生涯と、強靱でラディカルな思考の軌跡を、繊細な筆致によって克明に描き出す。

  • 『全体主義の起源』『人間の条件』『イスラエルのアイヒマン』等のハンナアーレントの生涯が描き表されている本。
    ユダヤ人として、ユダヤ・イスラエルにおいてもドイツに
    おいても、アメリカにおいても全体主義というか
    思考を停止させてしまういろいろな現象に対して勇気
    をもって警告する彼女の生き方・考え方に対いして
    感銘を受ける内容です。
    日本の東京裁判。いまの日本。世の中の状況などが
    彼女がどのように思考するかが聞いてみたいと
    思います。
    また、それらで垣間見える全体主義というか、凡庸な悪に対して思考を停止することに対してあらがってみる
    ことを心に持っていたいと思います。
    近代の哲学家・思想家の中でも感銘を受けるうちの
    一人であると思っています。

  • <内容>
    ハンナ・アーレントに関する伝記的作品。
    アーレントの生い立ちから、どのような人物に影響を受けて(ハイデガーなど)、どのような作品を発表し、終始考え続けてきたテーマとはなにか?というものである。

    <感想>
    人間の条件を読んでみて、ほとんど理解できず「なんでこんな思想になったの?」と思ったが、この作品を読んでみて彼女の経歴に触れる事で何となく分かった気がする。

    彼女をとりまく事実:ユダヤ人として生まれた事、ナチスによって迫害された事
    この二つの環境におかれながら、彼女は「思考=自分と対話し続ける」ことを大切にしてきたんだなぁと思った。もっと哲学は勉強しないと

  • お台場のくまざわ書店で購入。買うタイミングを逃していたけども、えいやーっと。
    思ってた以上に面白かった。読み終わってみると、付箋だらけ。勉強できない子の教科書みたいなありさまに。

    昨年、話題になった彼女の映画、面白いは面白いけど、あまりに「切り取り」すぎてる感じがして、もっとアーレントの人生の流れみたいなもんを知りたいと思ってたので、ピッタリ一致した。ついでに歴史もお勉強できる。

    2014年3月刊行で、翌月には再版とある。映画の影響が大きかったんだろうと思う。私は映画を観て直ぐに、家に置いてあった『革命について』を開いたけど、3秒で挫折した。それに比べて、新書ってほんとうに親切だと思う。「こんなに分かりやすくていいのかしら?」と、ちょっと後ろめたくなってしまうくらいに親切。

    ユダヤ人でありながらも、「自分は「民族の娘」ではなく自分自身以外の何者でない」、「なんらかの民族あるいは集団を愛したことはない」と言うアーレントの姿は、私にはとても誠実に見える。ベンヤミンやヤスパースとの交流にも胸を打たれる。著者・矢野久美子さんのアーレントへの愛を感じる良書だった。

  • 人物像もさることながら、その主要な著作を中心に、どのような思索を展開したのかということが、「かんどころ」をおさえて記述されている。
    実際に、アーレントの著作をいくつか読んでみたくなった。良書である。

  • ハンナ・アーレントの生涯をたどりながら、彼女が何を経験し、何を考え、何を書いたか、を概観する。
    先に読んだ川崎修『ハンナ・アレント』でわかりにくかった部分が、本書を読んである程度理解できた。

    たとえば、『全体主義の起原』の論理展開のわかりにくさ。タイトルに「起原」とついているから、何か全体主義の種のようなものがあって、「風が吹けば桶屋が儲かる」方式の論理展開がなされるのだろうと読者は想像しがちであるが、アーレントの論理展開は連続性・必然性に今一つ欠ける。
    その理由が本書pp105-106に端的に書かれている。

    「アーレントは、因果関係の説明といった伝統的方法によっては、先例のない出来事を語ることはできない、と断言する。(略)それが運命といったものの流れのなかで必然的に起こるべくして起こったことではなく、人間の行為の結果としての出来事だったということを、アーレントは強調する。人間がどうなるかは人間にかかっている」

    『全体主義の起原』のわかりにくさは、アーレントの歴史理解のしかたによるものだった。そしてその「理解のしかた」は哲学者として誠実なものだったと思う。

    また、「無国籍者」などといった現代日本人からすればいささかリアリティを欠いた用語は、亡命を経験したアーレントにとってはリアルそのものであったということ。

    映画『ハンナ・アーレント』では、シオニストの指導者でありアーレントの父親的存在であったクルト・ブルーメンフェルトとの“絶交”のシーンが描かれていたが、実際には、『イェルサレムのアイヒマン』の発表後、彼女はブルーメンフェルトに面会することすら叶わなかったという……。

    壮絶な人生を送ったアーレントその人を「身近に感じる」ことはないだろうが、本書は、著書だけからは読み取りにくいアーレントの人生を、よりリアルなものとして理解する手助けをしてくれた。

    アーレントに興味をもったら、どの本よりもこれを先に読むことをおすすめしたい。
    (次に仲正昌樹『今こそアーレントを読み直す』、さらにその次に川崎修『ハンナ・アレント』、がベターな順番と思われる。)

  • この春「公共哲学」をかじり始めた私に
    FB友であり酒&歌の友でもある佐々木宏人さんが
    下さったのがこの本です。(感謝!)

    実はハンナ・アーレントの「暗い時代の人々」を
    読み始めていたのですが
    まだ哲学者の言葉に慣れていなかった私には難解
    (=超理屈っぽい)で
    このまま読み進められるのかどうか
    おろおろしていたところでした。

    特に哲学者の著作を読む時にはまず
    なぜこのような考えに至ったのか
    そのバックグラウンドを知ることが
    助けになることを実感しました。

    「哲学」とはすなわち思考することですが
    ハンナ・アーレントという人は見事なまでに
    思考することをやめませんでした。
    急激に堕ちていく社会の中で
    ユダヤ人であることが彼女を一層
    思考に掻き立てたことは明らかですが
    アイヒマン裁判後の轟々たる非難にもゆらがなかったのは
    思考することが、ナチのみならず
    人の世に常在する「悪」に対抗するために
    必要なことだったからです。

    そこにアーレントの特別な部分、
    悪と善が対抗するのではなく
    すべてを包括してとらえる、という
    人間への深い洞察力
    そして女性という性の芯の強さを私は感じます。

    彼女の思考や捉え方、結論のすべてを
    バイブルのように信じ込む必要はありませんが
    いまの世の中を見れば、明らかな「思考停止」状態
    であることはすぐにわかります。
    今こそ「ものごとの表面に心を奪われないで
    立ち止まり、考え始める」ことを重視した
    彼女の姿勢が必要とされる時代であることは明らかです。

    ぜひご一読を!

    ご参考までに。。。↓

    *NHK視点・論点 矢野久美子さん
    http://www.nhk.or.jp/kaisetsu-blog/400/191681.html

    *映画「ハンナ・アーレント」DVD発売!
    http://www.amazon.co.jp/ハンナ・アーレント-DVD-バルバラ・スコヴァ/dp/B00KA19RNA

  • もともとは映画を見に行く予定だったのが、行きそびれてしまったので、評伝を読んでみた。現代日本とはまったく違う文化背景で育ったアーレント。彼女の思想は理解しづらい部分もあったが、現代社会の不毛さを見事に言い当てており、読んでおいて良かったと感じた。
    何事も理解せずにはいらなれないという性質だったようで、生まれながらの哲学者だったとも言える。
    ドイツ国籍をもつ人間として生まれ育ったはずなのに、ナチスが台頭するとユダヤ人として故郷を追われる。その後亡命先でも、同じようにユダヤ人だからと追いだされたり収容状に入れられたりする。アーレントにとって頼りにできるのは個人的な愛情や友情だけだった。この経験が全体主義やイデオロギーに染まることへの批判を生み出す。また、人と人の間に存在するもの(それを「公共性」とアーレントは呼んでいる)の重要性を説いた。人間は密着しすぎても離れすぎてもうまく関係が保てない、という視点だ。密着しすぎれば視野が狭まり、離れすぎれば無関心になる。絶妙なバランス感覚はユダヤ人として、世間と微妙な距離を取りながら育ってきたからだろう。つながりを絶たれ、孤独に陥った人間は全体主義に染まりやすいという指摘、これはまさに現代日本そのものではっとさせられた。

  • ナチの迫害を生き延びた政治哲学者。
    ではありますが、その言語は示唆に満ちていて、ぎょっとするほどです。固有名詞を日本に、日本と関係の深い諸国に変えて読むと、まさに今日の日本の状況を言い当てられているように感じるのです。ナチの行為や、ユダヤ人の置かれた状況を特殊なものと片づけず、「理解しようとする行為」を続けることによって編み出された言葉は、全人類、中でも先進国の人々にとって普遍的な意味を持つと感じます。
    日本に特有と思わされている「世間」は、実はどんな文化圏にでも出現するもので、個人が考えることをやめ(或いはやめさせられ)社会が全体主義に陥った状況で必ず現れる現象であり、
    その結果現れる「悪」は、個人の、人間としての顔の見える関わり合いの中で出てくる「悪」とは比べようもないほど罪深く、赦しようのないものであること。
    一人でも、個人的に交流のある、外国の友人がいる方はわかるはずです。◯◯人ってのは…〇〇という国というのは…のバカバカしさ、浅はかさ、かなしさ。民族主義の無意味さ。
    一見美しげな言葉に踊らされ、「わたくしである個人」の抱く違和感を放棄してしまうことの危うさ。
    違和感を口にし、表現する人に対して、無知であり非効率的でありナイーブすぎると片付ける「力」の強力さ。

    現代社会は、それ自体が、個人に考えさせることを控えさせる装置です。
    でも、考えないことは、罪。
    私たち一人ひとりは、紛れもなくこの世界の一員であり、その行動のすべては、この世に影響を与えているということです。

    時に考えすぎと云われがちな私は、ナイーブすぎるのか、と思うことも多かったのですが、考えることは力であると、勇気ももらいました。

  • 世界の大問題と取り組み続けたハンナ・アーレントの姿を、落ち着いた筆致で伝える堅実な評伝。アーレントの政治思想の解説書だと思って読むと肩透かしを食らうかもしれないが、色々な意味で「あの時代にユダヤ人としてドイツで生を受けたこと」がアーレントの政治思想を根本的に規定していること、また、アーレント自身、自らの理論は日常生活から生まれたものだと語っていること(p.145)などを考え合わせると、やはりこの評伝は彼女の政治思想を理解するうえで有効な手掛かりとなるだろうと思う。

    本書を読んでみて、この「分かりづらい思想家」の「分かりづらい理由」が少しだけ分かったような気がする。

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著者プロフィール

(やの・くみこ)
1964年に生まれる。東京外国語大学大学院地域文化研究科博士後期課程修了。現在 フェリス女学院大学教授。著書『ハンナ・アーレント——「戦争の世紀」を生きた政治哲学者』(中公新書)、訳書『アーレント政治思想集成』全2巻(共訳)、アーレント『反ユダヤ主義——ユダヤ論集 1』『アイヒマン論争——ユダヤ論集 2』(共訳)、ヤング=ブルーエル『なぜアーレントが重要なのか』『ハンナ・アーレント——〈世界への愛〉の物語』(共訳、以上みすず書房)他。
*ここに掲載する略歴は本書刊行時のものです。

「2023年 『ハンナ・アーレント、あるいは政治的思考の場所 新装版』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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