ハンナ・アーレント - 「戦争の世紀」を生きた政治哲学者 (中公新書 2257)

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  • 中央公論新社
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  • Amazon.co.jp ・本 (239ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784121022578

感想・レビュー・書評

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  • いずれ出るだろう。

    ハンナとハイデガーとナチスを少々そして愛

  • 昨今大きく喧伝される『多様性』であるが、全体主義こそその対極にあるものだろう。
    被害者はもちろん、加害者からも個性と責任を奪うことによって、
    一人ではなしえない大逆を可能とさせることはミルグラムの監獄実験によって示されたが、
    ハンナ・アーレントがいなければ、これがアイヒマン実験とも呼ばれることはなかったかもしれない。

    戦後まもない、誰もが理性的ではいられなかった時代、
    ナチ体制下における最終収容所の所長であったアイヒマンがイスラエルにて裁判に臨む際。
    大衆はもちろん、知的階級さえも懲罰的な復讐を望んでいた只中にて、
    ホロコーストを、残虐非道な悪役たちが非力な民衆を強制して実行した犯罪ではなく、
    歴史的な現象である全体主義の結果のひとつとして捉えることができたのは、彼女だけだった。

    2017年の現代においてさえ、この思想に同調できない人類は多い。
    『社会』がない限り犯罪は犯しようがないのに、『社会』の責任を考えず個人への復讐としての私刑を許す。
    『最大多数の最大幸福』を信じ、少数派は間違いであり、全員が多数派に正されるべきだと考える。
    犯罪者も被害者も多数派も少数派も『多様な個人』であるはずが、それを忘れて『全体視』してしまうことは程度が違えど誰しもある。
    それは個人の悪意から生じるものではなく、社会階層という分断された環境によって育まれる思考だ。
    この差異を、これからの技術革新や教育はどこまで埋めることが出来るのだろうか。

    学校、会社、地域、国。
    現行の法技術では、対象を不特定多数として扱わなければルールは作れず、行政と司法が果たすべき運用の役割は過剰に大きい。
    ならば、真に多様性を許容した社会での法とはどのような形をとるのだろうか。
    その答えは、ハンナ・アーレントの伝記ではなく、著作でこそ見つけられるのかもしれない。

  • アーレントの生い立ちから彼女の著作。政治は市民たちが法律に守られながら公の場で語り、人々が複数で共存すること。全体主義は政治の消滅。無世界性(全体主義の起源)。順応主義社会では満場一致が猛威を振るい、構成員の意見は単一化し、誰でもない者による支配(無人支配、官僚制)となる。その社会は構成員に「正常な」行動を要求し、唯一無二の「誰か」(個人)を表す行為は規制される。様々な表現、複数性は否定され、孤独な大衆人が生まれる(人間の条件)。

  • ハンナ・アーレントに興味を持ったのは映画を見たからかもしれないけれど、この間100分de名著の仲正昌樹先生の本も一気に読み終わって、原本に行く前にこの本を読んでみた。めちゃくちゃ面白い。
    考えたのはワタシが人間であることと日本人であることは同義なのか違うのかってこと。あと、人種を最近やたらと感じることが多くてそういうことについても考えた。複数性の大切さ。全体主義に向かう恐ろしさ。
    例えば、もしも地球上では人種間での争い事があったとしても月に行ってまで国家にこだわる必要性はあるのかどうかとか考えてしまった。何かを誰かを排除して出来上がる正義は本当の正義なんかじゃなくてまやかしなのではと思う。
    複数性で色んな意見を大切にしないとみんなが同じ方向へ向いてしまった時に間違っていることに間違っていると言えるようにすることの大切さとか考えてしまう。
    次は『今こそアーレントを読み直す』を読んでそれから原本へ行きます。

  • 全体主義と対決し公共性を問い続けたハンナ・アーレント。ユダヤ人としての出自を持ちながら、それにとらわれない。事実のみを見つめ続ける彼女の視線は厳しい。
    「独裁体制のもとでの個人の責任」のなかで、公的生活のなかで命令に服従することは、組織や権威を「支持」することだという。「事なかれ」を許さないわけだ。
    自分が情けない。

  • ハンナの全体像が理解される、ガイドブック。哲学・政治哲学をコアにして歴史や論理・倫理とかなりの分野に及ぶ思想家である。「イスラエルのアイヒマン」で、ユダヤ虐殺がユダヤ人協会の協力で行われたこと、ドイツ国内の反ナチ運動は非力であったこと、アイヒマンは凡庸な公務員である・・・。状況や雰囲気を超えて、主体的個人として、本質を抉るべく、考え・洞察する迫力には圧倒される。

  • ハンナ・アーレントの評伝。奇をてらうことなく、時系列に沿ってアーレントの生涯と思想をわかりやすく説明してくれている。思想内容の説明がやや手薄な印象はあるが、まずはこの本でアーレントの人となりを知った上で、他の本にあたった方が理解が深まるような気がする。

  • 2012年刊。著者はフェリス女学院大学国際交流学部教授。

     ハンナ・アーレントは、主著「全体主義の起源」でナチス的ファシズムに鋭い分析のメスを入れる一方、イスラエルでの「アイヒマン裁判」傍聴録では、自身ユダヤ人でありながら、ナチ協力のユダヤ人への批判に加え、「アウシュビッツ」でのアイヒマンの歯車的役割を開陳して見せた人物でもある。
     本書は、ユダヤ人にありがちなジプシー的放浪遍歴を重ねた、異色の政治哲学者の評伝である。

     異色、すなわち伝統的・主流的枠組みに囚われない着想と、該発想に忠実で、学者の良心のみに従った生き方は間違いなく長所だ。
     それゆえに、一般に不倶戴天の敵と看做されてきたナチ・独とスタ・ソとの構造的類似という独自の主張を展開したり、民族や国民という枠組みを超えた視座(ユダヤ人も色々、ドイツ人も色々)、あるいはあるテーマで独特の立ち位置(米国の公民権運動には非暴力という枠の中で賛成したものの、子供が差別反対運動の矢面に立ちかねない義務教育機関での統合教育には暫時反対の姿勢など)を保持してきた。
     それは、ユダヤ系ドイツ人として、独国内(ユダヤ人だから)は勿論、亡命先の仏にても否定的目線に曝された(独人だから)という特異な経験に由来する。
     かような指摘に加え、しかも、ハンナの着想が自身の経験に多くを拠っている点も読み解けそうだ。

     ただ、逆に経験に由来しているが故に、1933年に離独したハンナに「アウシュビッツ」的実態を感得できたか。そのために生じた脇の甘い書き様がユダヤ人社会に加え、多くの友人を敵にした面はないではない(裸の王様に「お前は裸だ」と衒いもなく言われたら、恥辱等で当人の怒りを買うのは必然である)。
     また、経験由来の論は普遍性を保持しにくいが、叙述と視点の巧みさがハンナを支えたのだろう。そんな読後感。何にせよ「全体主義…」を読破してからだなぁ、と感じたところ。


     ところで、アイヒマン裁判でのアイヒマンの言動。それは、自らをしてゲシュタポにおける歯車の役割に徹していたことを強調したものである。
     しかし、もちろんこの陳述が、アイヒマンの真の姿かは判らない。すなわち、極刑を免れる法廷戦術として、歯車であることを強調する選択をした可能性があるのだ。
     ハンナはアイヒマンのその法廷での言動に頼って叙述を組み立てている可能性があり、ならば、却って物事の実体を見誤った可能性も残る。
     もっとも、仮に歯車の役割に徹していたとしてもそれだけで法的責任が大幅に軽くなるわけでもないだろうが…。もとより、道義的責任が減弱し、結果、大衆からの非難可能性も減弱するかもしれないが。

  • この激烈なユダヤ人女性については、詳しく知らなかった。
    読了後、知らなかったことを恥じた。

    ユダヤ人弾圧、ドイツからの国外脱出、新天地アメリカでの過酷な生活、そして故国へ戻れば同胞から裏切り者と罵られる。

    それでも、ブレぬ生き方と思想。

    これからまだまだ彼女について知りたいことがある。

    まずはこれが入門である。

  • 映画「ハンナ・アーレント」で初めて彼女の存在を知った。
    かなり感銘したので、その時に買っていたのですが、しばらく積読状態であった本書を手に取って読み始めた。
     
     あの時代に
     このような思索者がいた
     あの時代に
     その思索者がここまで批難にさらされた
     あの時代に
     その思索者を支えた人がいた
     あの時代に
     それでも生き抜いた思索者がいた

    もし
    池田晶子さんが あの時代に生きていたら
    どんな風に 思索していただろう
    どんなことを 発していただろう
    と 思った 
     
     
     

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著者プロフィール

(やの・くみこ)
1964年に生まれる。東京外国語大学大学院地域文化研究科博士後期課程修了。現在 フェリス女学院大学教授。著書『ハンナ・アーレント——「戦争の世紀」を生きた政治哲学者』(中公新書)、訳書『アーレント政治思想集成』全2巻(共訳)、アーレント『反ユダヤ主義——ユダヤ論集 1』『アイヒマン論争——ユダヤ論集 2』(共訳)、ヤング=ブルーエル『なぜアーレントが重要なのか』『ハンナ・アーレント——〈世界への愛〉の物語』(共訳、以上みすず書房)他。
*ここに掲載する略歴は本書刊行時のものです。

「2023年 『ハンナ・アーレント、あるいは政治的思考の場所 新装版』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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