東洋脳×西洋脳: 多極化する世界で生きるヒント (中公新書ラクレ 381)
- 中央公論新社 (2011年3月1日発売)
- Amazon.co.jp ・本 (214ページ)
- / ISBN・EAN: 9784121503817
作品紹介・あらすじ
脳科学者と中国文学者が東洋・西洋の普遍について縦横無尽に論じ合う。テーマは「漢字の凝縮力」「見える世界、見えない世界」等。多極化する世界における思考のエクササイズが一冊に。
感想・レビュー・書評
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2022年 18冊目
毎年、年の頭のうちは積読を消化していくぞと張り切っているのですが、年の半ばをすぎるとあれれ??そして年の瀬になると、年初と変わらぬ量の積読にまた来年こそは積読をなくそうと誓ってます。
積読の内容の入れ代わりはあれども積読は無くならない。
なんでだろう。
そんなまだ年初のうちに入る今積読消化です。
この本、去年のお正月に実家に帰った時に買ったな(笑)。
題名に惹かれたのだけど、内容は思っていたよりもふわっとしていて私にはイマイチでした。 -
西洋のオープンエンドな世界観に対し、中国は予定調和的という指摘はうなずける。しかし、西洋でもプラトン立体の数に準じて太陽系の惑星の数が5つとか、ある種の呪縛があったように思う。
付言:映画の「映」の字は、西洋人には「シャベルを持って蒸気機関車に石炭をくべている人」に見える。加藤教授のこの手のトリビアが愉しい。 -
読みかけとなっていた本です、最後まで読みたいと思っておりますが、現在このような本に部屋が占領されてきており、苦渋の決断ながら処分することに至りました。近い将来、この本を読破できる機会が来ることを願っています。
2018.1.2作成
完読できていませんが、以下は気になったポイントです。
・人間の思考の過程というのは、ある種の電流の流れというか、脳波の流れのパターンである(p22)
・エジプトに行っても、イスラム教徒がいてピラミッドを建造した人とは別の文化の人が住んでいる、インドもインダス文明のインダス文字を読めない、中国は断絶することなく続いている(p25)
・韓国、中国は今でも夫婦別姓、日本も江戸時代までは夫婦別姓だったのに、明治から欧州の法律に合わせて夫婦同姓にしてしまった。東アジアでは日本だけグレゴリオ暦、他は旧暦を使っている(p34)
・日本の社会は外国に少し長くいて、向こうのような人になって帰ってきた人を必ずしも歓迎しない(p51)
・中国も本当は単音節語だけでも話せるが、わざわざ二音節化してスピードを緩めている、思考のスピードに追い付けないのかもしれない(p97)
・中国語をローマ字化する計画は、文化大革命とともに終わってしまった、トルコ、ベトナム、とかローマ字化した国を見ると、革命時に一気呵成に決める必要がある。毛沢東もやろうとしたが、「農民たちが西洋の文字を使いたくない、学ぶチャンスがなかった漢字を習いたいと思う」と言われた折れた(p108)
2018年1月2日作成 -
タイトルから想像していた内容とは違ったけど、興味深かった。
「王道」と「覇道」の違いが印象的。 -
読みやすくて、おもしろかった!
気になったことをメモメモ。
・中国の美意識・・・一極集中だという。なるほど。
・海外に流出する中国人。リスク分散のハシュ(←携帯で漢字が出なかった)本能で、どこかがやばくなったら、そうではない親族のもとに逃げるという考え。
・「自分たちは先祖と同じ民族」
・日本は江戸基準 中国は清朝基準
・歴史的な経緯で染み付く、身体感覚・・・トラウマみたいなものか。過去こういうことがあったから、それを避けようとする。今読んでいる『それでも、日本人は「戦争」を選んだ』(加藤陽子)にもそういうことが書いてあったなぁ。感情と感覚。・・・あれ?感覚と感情?
・日本化する=日本化できないものは入ってこない・・・なるほど。カタカナ英語とか、いろいろな概念はやはり「日本の身体」を通して得られるのか。その枠組みを広くできたらいいけれど、いずれにせよ、その長所と短所があるんだろう。
・鶏鳴狗盗・・・日本は均質性の押し付け合いであるが、中国は異質のものもそのまま受け容れる、というのは目からウロコだった。違って当たり前であるから、多種な民族を抱える大国なのだという。なるほどなー。日本だったら、同じか違うかでグループが変わるもんな。そこで階層も生まれる場合がある(身体的な優劣、クラスのイケてるヤツ、イケてないヤツなど)。それは自分にもがっちり当てはまっていて、弱いものに対して守らなきゃとか可哀想とか思うのは、けっこう日本的なところなのだと思った。道徳ではないとは言わないけれど(言えない)、それは平等に扱っていないという意も含んでいる。
・デフォルトは漢民族
・オープンエンド=終わりが分からない・・・西洋はオープンエンドであるがゆえに、自分たちのパラダイムを変えて、未知のものを求める。
・中国文化の美意識・・・陰陽五行的な、初めに枠組みありき
・ブリコラージュ=「手持ちの道具で何とか対応してしまう生命固有の能力をいいます。」 こんなところにレヴィ=ストロース!
・痩せ我慢の美学(日本)・・・騙されてもいい、踏まれても蹴っ飛ばされても、美しい嘘を信じたい。←これに笑った。ははは、でもわかる。
・「西洋では、社会のそのときの「常識」に反する個人の行為が「天才」と讃えられる。一方、東洋では何よりも「調和」が求められる。」
・対人関係にものすごく依存している思考形態
・摩擦抵抗が大きい東洋、小さい西洋・・・結果、そこにエネルギーを費やしてしまう。なるほど。
・今の脳科学では、個人というのは社会的に構築されるものだ、ということが普遍的
・自分の中に異質なものが混ざり合うような動きがない人は、結局リヴァイアサンとしてのエネルギーも出てこない←これは大事な気がする。せめぎ合いの造るエネルギーは、それが負だろうと正だろうと大きい。ちなみに文学の意義のひとつは、このせめぎ合いをいかに、どう、みせるかなんじゃないかな。
・直接本書とは関係ないが、違う本を読んでいたのに重なる部分があると気付くと楽しい。今回(というか今のところ)、先述した歴史的トラウマと、もうひとつ、『ガリヴァー旅行記』。これ、『シンデレラの時計』(角山栄)でも紹介されていたな。よし読もう。 -
西洋はオープンエンドエンド、東洋(中国)は予定調和。
中国人のリスク分散の考え方と、『解体新書』はオランダ語を日本語にではなく漢文に訳した本、というのが面白かった。 -
脳トレがブームになったときによくテレビでみた茂木先生のかかわる本としては、初めての本だったので、興味心身で読み始めた。
内容は、およそ中国のことと日本のことで、夏目漱石や森鴎外などがよく出てきた印象。前々から思っていた、文学を読まないといけないな、という感情がまた出てきた。
加藤先生は、実は知らなかったのだが、中国についての茂木先生からの質問を次々に的確に答えて、中国の姿を浮き上がらせてくれている。
よく考えたら、確かに中国は単純労働するには最適な国であるし、漢字を使うハードルの高い国であるし、現在の多くの日本人の考える理想の「東洋」ではないだろうし…。
自分はあまり東洋とか西洋といったように、ざっくりわけてしまうのは、やっぱり危険に感じるものの、あえてざっくりわけることよによって、衝突をおこさせて、そこにパワーを感じるのも事実だなぁと考えてしまった。、 -
西洋脳と東洋脳、読んでいて確かに違いはあるって思った。イギリスの大学に出す日本についての論文には論ずる視点を沢山提供してくれる本だった。
今年こそ積読消化をしていくぞ!と毎年年の頭らへんでは思うのですが、年末になるとか
今年こそ積読消化をしていくぞ!と毎年年の頭らへんでは思うのですが、年末になるとか