くらやみの速さはどれくらい (海外SFノヴェルズ)

  • 早川書房
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  • Amazon.co.jp ・本 (470ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784152086037

感想・レビュー・書評

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  • フォローさせていただいている本読みの方のツイートから興味を持ち、地元の図書室でお借りして読了。
    貸出カウンターの係の方に「変わったタイトルですね。光には速さがあるけどね……」って声を掛けられて初めて「ああマジだ!」とびっくり。ダメですね、もっとちゃんと考えて生きないと。

    で、このタイトルのような疑問を抱いているのは、主人公にして自閉症患者のルウ・アレンデイル。本作の大半は彼の視点で語られます。
    私の中の自閉症スペクトラムに関する知識は微々たるものなのですが、以前スクールカウンセリングをかじった時に知った、いわゆる「自閉症の症状」。これがルウの心象描写の随所に見られて、非常に興味深かったです。頭の中でこう考えているからこういう行動になるんだ、というのが、読んでいる側にスッと入ってきました。

     確かに、私とあなたは違う。
     違うことで、辛いこともある。
     しかし、だからといってそれが不幸だとは限らない。

    ……っていうアイデンティティの問題は、主人公のみならず全ての人に関係する永遠のテーマだよねえ。なーんて切なさを感じながら読みました。

    読了済みの人とオチについて語りたくて仕方ありません。
    身の回りにそういう人がいなくて非常に残念。

  •  光はこの世界で最も速いものだという。しかし、光の先には必ず暗闇がある。では、暗闇の速さはどのくらいなんだろう?

     35歳のルウは自閉症。感覚統合障害、聴覚処理障害、視覚処理障害、触角障害…。医師によってさまざまな診断を下されたものの、それでも自閉症に理解のある製薬会社に就職し、趣味であるフェンシングを通じてたくさんの人と知りあって暮らしていた。
     自分が正常(ノーマル)とは違うことを理解しつつ、正常とは何なのか、自閉症の自分とは何なのかを考えている。
     そんなルウに自閉症治療実験の話が舞い込む。この時代、自閉症は幼児期に治療できるまでに医学が進歩しており、ルウは自閉症のまま大人になった最後の世代だった。そして、そんな大人の自閉症者を治療する実験がおこなわれるというのだ。
     周囲の自閉症者たちと共に、参加するか否かを思い悩むルウ。自分が自閉症でなくなったら、それは自分ではなくなるのではないか…。
     2004年ネビュラ賞受賞作。原題The Speed of Dark。

     不勉強で、この本を読むまで自閉症の事をほとんど知らなかった。毎年4月2日は国連が定めた世界自閉症啓発デーだという。そんな事も知らなかった。
     調べてみると、自閉症にも人によっていろいろな症状があるらしい。ルウは会話や日常生活に支障はない程度で、パターン解析にずば抜けた能力を持っており、この才能を活かして会社でも重要な仕事を任されている。だが他者との細やかなコミュニケーションにはいささか難がある、という感じ。
     自閉症者の視点から物語を紡いでいるのが特徴的。解説で梶尾真治氏が指摘している通り、自閉症者の視点から世界を見せてくれるこの小説は驚きに溢れ、刊行後、同じく障害者の視点から物語を語った名作と比して<21世紀版『アルジャーノンに花束を』>だと絶賛された。それが『アルジャーノン~』と同じく小尾芙佐氏の名訳で刊行された事は日本人にとってとても喜ばしい。

     実は先日、ネット上であるニュース記事を読んで考えさせられた。今年の3月の初めごろに掲載されていたニュースなんだけど、ドイツの研究者たちが、ネズミの脳内の化学成分を調整することによって自閉症の誘発に成功。さらに同じ技術を使って治療することにも成功したというのだ。
     これはつまり自閉症のスイッチをONにしたりOFFにしたりする事が可能ということだろうか。ルウのように仕事に“使える”能力を仕事の時だけ発症させたりすることが可能ということなのだろうか。
     何か妙な怖さというか居心地の悪さを感じたのを憶えている。

     冒頭の光に関する疑問はルウが本書内で度々口にする問いかけだ。この疑問は物語が進むにつれ、隠喩としていろいろな意味を帯びてくる。読了後にタイトルを再度見返した時、複雑な思いが去来するに違いない。
     ところで話は違うが、風味堂というバンドが数年前、彼らのラジオ番組『風味堂ロックでください』の中で、「光はすごく速いけど、部屋の電気を消したら同じ速さで闇がやってくる。ってことは闇もすげー速い」といった内容の話をしていて、おぉこれはまさに『くらやみの速さは~』だ! と思ったのは個人的にいい思い出。

     柔らかな光が包み込むようにルウの生活をナイーヴに描き出していく。いわゆる正常(ノーマル)の女性に対するルウのほのかな恋心も描かれるが、そんな彼に投げかけられる言葉が胸をえぐる。「出来損ないは出来損ないと結婚すりゃいいんだよ(中略)きさまが正常な女と ―ああいうことをする― と考えただけで反吐がでそうだ」

     著者のエリザベス・ムーンは’45年テキサス生まれの品のいい感じのおばあちゃんで、自閉症の息子を持った経験からこの小説を著したという。
     細やかにルウの心情を積み重ねていきながら、読者である我々は同じ視点で決断を迫られていく。その過程は、『アルジャーノン~』とよく比べられるものの、決定的に違う部分がある。それが何かを考えながら読むと著者の意図もより明確になるだろう。果たしてルウは最後にどんな決断を下すのか。そしてその先に待つものとは。
     障害者や自閉症者と関わりのある人はもちろん、いままでほとんど関わった事はないという僕のような人にこそ読んでほしい。そこには多くの発見があるだろう。人が人たる理由とはなにか。
     SFであり、また硬質な感触を持つ小説でありながら繊細な印象を残すのは、それが我々の人生に大きく関わるテーマを持っているからだ。

    「ほかの人間がきみよりうまくできない唯一のこと、それはきみであることなんだ」

  • この一人称を自閉症の人間の内面として捉えることには大きな抵抗があるが、一面は映していたようにも思う。

    ハッピーエンドとも、そうでもないとも言えるなんとも言えない終わり方。

    しかし良書であることは間違いない。

  • 自分を自分たらしめているものは何なのか。

  • 2022年10月28日再読。自分が2010年に★5をつけていたが読書メモを残しておらず、当時何を感じたのか知りたくなり再読した。

    自閉症の主人公の物語。
    「ノーマル(健常者)」と「それ以外」という枠組みを軸に物語が進んでいく。
    タイトルの「くらやみの速さ」は「光と暗闇」という枠組みに違う見え方の可能性を気づかせる。

    物語の中で私は「ノーマル(健常者)」と「それ以外」の境目でその評価の反転や往復を何度もした。ニーチェ以来のニヒリズムについて言うまでもないが絶対が失われた世界で、悪に描かれがちな資本の論理まで含め、どれが正しということもないのだろうと思った。
    ただ、常に、一人の人間の生きた物語があるということなのだろうと思う。
    自身の人生についてもだが、できうることなら、それが、人の心を動かすものであればと思わずにいられない。

    SFであり自閉症の主人公という「自分からの遠さ」を忘れる生々しさを感じた。
    この物語は、読み手に、強く、今までと違うものの見方を、問いかけるように思う。

    果たして10年前の自分は、どう感じたのか、改めて読んでも、実は思い出せなかった。素晴らしい物語であることは間違いないが、その時に何が心を打ったのか。
    本書のテーマといわれる、「自己の連続性(アイデンティティ)とは」という問を、その意味でも考えずにいられない。

  • 近未来のお話。
    医学の進歩で、幼児期に治療を受ければ自閉症を治療できる。そして、生まれるのが早くてその進歩の恩恵を受けることができなかった自閉症の人びとのために、新しい治療法の臨床実験を始めることになった。
    自閉症の中でも、特殊な能力を持ったイデオ・サバンの主人公ルウが、障害を持つことが悪いことなのか?このままの自分ではいけないのか?ノーマルであるということがどういうことなのか?を問い続ける物語。

    どんな障害を負っていたとしても、廻りの人々と調和していこうと努力をすること。そして健常者の側は、そういった障害者のありのままを受け入れること。それは、それほど難しいことではないはず。

  • くらやみの速さはどれくらい (海外SFノヴェルズ)

  • 「近未来小説」ということを忘れる。読み始めてから間をおかずに読了。そしてこの小説はそういう読み方のほうがいいと思う。
    読んでいて名作『アルジャーノンに花束を』を思い出す。
    結局元に戻ってしまったチャーリー・ゴードンに本書のような治療が施されたらどうなるだろうか、などと余計なことも考える。

    「何かを得るには何かを捨てなければいけない」と成功法則の本ではよく言われる。
    これは「自分がどんな選択をしてその結果どうなってもじたばたしない、失うものなど何もない」という、肝の座ったというかある意味切羽詰まって追い詰められた人間が一か八かで博打としてやる行動で、自分のようなプチリア充野郎は光も闇も速度のない生ぬるい現状でぬくぬくしているのが一番なのである。
    本書の主人公はその賭けをするわけだが、彼が賭けに勝ったのか負けたのかは読み手の判断にゆだねられる。
    私の場合は全編を通じて主人公に感情移入してしまったので(多くの人もそうなると思う)、結末は複雑な心境だ。

    また、自己啓発書でよく言っている「あなたはいまのあなたでいい」という言葉がなんと薄っぺらいお花畑的発言なんだろうか、ということを再確認できるすぐれた小説。

    終盤、主人公の周囲にいる人物の名前がジャニスとヘンドリックスという、オーバードースで死んだロックスターの名前なのがなんだか意味有りげ。

  • 自閉症が幼年期であれば治療できる時代に、成人でも治療可能かも?と云う機会を与えられたら、どうするのか?そしてどうなるのか?
    と云う筋書きで、物語の9割程度が治療に対して悩んだりなんたり、残りはその決断後の話と云う構成にまずちょっと意外でした。SFヒューマンドラマかと思いきや、物語自体にはSF要素は殆ど無く、現代社会の何かに置き換えて読んでも違和感無いんじゃないかな、なんて。
    前に読んだ「真夜中に犬に起こった~」の主人公より遥かに読みやすいのは、著者の体験の違いかなとも(エリザベス・ムーンは自分の息子、マーク・ハッドンは患者との経験を基にしていた…はず。)
    ルウが総じて聡明な人間であることが、この物語の救いになっていると思いました。ハッピーエンドと云うには、ちょっとなにかモヤモヤするので。
    しかし、面白かった!
    訳者が小尾芙佐さんで、先述の他作品と同じ方です。「なぜかというと~」が出てくると「あぁ…」という気持ちに(笑)

  • 自閉症者からみた視点はこんな感じなのかと驚く。会話すらパターン化して意識的に行っていた。なるほど、これは普通に生活するのは大変だと思う。また、ノーマル(正常)の人ならとか、ノーマルの人だったらと、意識しすぎてしまうところも、物事をより難しくしていると思った。
    自分の置かれている立場を、『ノーマルを求められる反面、ありのままの自分を愛せと言われる』とルウは表現した。確かに、自分ならルウに都合よく場面場面に応じて相反することを言ってしまいそう。また、その時々はきっと自分は真剣に相反することを言っているのだと思う。ルウの言葉にはこれと同様にギクリとさせるものがある。
    自閉症者としてのルウに長い間(ページ数)寄り添っていたため、この結末は寂しかった。良かったねって気にはなれない。言うならば、すごいですね、くらいよそよそしい感がある。
    作中で亡き両親は治療を望むのかという問いがある。私は逆に現在のルウを両親はどう感じたのか知りたい。喜ぶのか、寂しく感じるのか。自閉症の子を持つという著者はどう思ったのだろうか。すでに他界している両親という設定に著者の考えが隠れているのだろうか。

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