征韓論をめぐる歴史小説。日本は警察を作るため、汽車の窓からウンコを投げ捨てた。
もちろんウンコは保線夫に命中した。
西郷隆盛を知りたくて読み始める。ところが、彼を中心にその周囲の一人一人のことが詳しく語られている。幕末・維新は竜馬や西郷とかがインパクト強すぎるけれど、大久保利通がじつは一番重要なキャラなのではないかと思う。次のターゲットが決まった。
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p45 ジョゼフ=フーシェ
ナポレオンのもとフランスの警察組織を創設した男。川路利良の最も尊敬する男。カメレオンのようにその主義思想を変幻し、穏健共和派だったところからルイ16世処刑に賛成し革命を支持し、革命後ロベスピエールと対立しナポレオンの政権奪取に貢献した。ナポレオン没落後は王政復古に加担したが、ルイ16世の処刑で王殺しの悪名がついており、のちに失脚した。権謀術数に優れた男である。興味深い。
p58 失敗しないことが大事
明治の新政府に対して外国人顧問はしきりに「権限は一人に帰するべき」と進言している。しかし、旧幕藩体制の名残で、権限を分散させることが依然として大事とされた。例えば奉行が必ず二人置かれて、合議制のもとあらゆる物事が決断された。それにより極端な行政はほとんどなくなり、変化は乏しいが失敗の少ない保守的な体制になっていた。
これが明治新政府にも色濃く残っていた。この江戸時代と同じような慣習の残った描写が作品中によく出る。そういう時代だったということ。明治は表面では劇的変化だが、内面では変われないでいた。
p69 誰の国家か
当時の固まっていない行政府組織において、内務省を抑えたものが実質、政権を掌握できた。内務省には警察の権限が含まれ、自分の思惑に沿わない者は公然と取り締まれたのである。川路は警察の長として大久保利通につくか江藤新平につくか迷った。それはどちらについても、内務権限を持って反対を排除するだろうからである。慎重になる必要があった。大久保国家か江藤国家か、日本のいく末が川路の肩に圧し掛かったのである。
p75 大久保は怖い
西郷隆盛は人情味厚く、おおらかな態度で人の話に傾聴する。話に行けば喜んで迎え入れ、質問にも優しく答え、話し相手に春風の吹いたかのような心持にさせる。
対して、大久保利通はこわばった顔で何も言わず、相手を威嚇するかのような威厳を以て対した。話し手は緊張し、言葉を選ぶようになり言いたいことも言えなくなる。
そういう人物だった。
p110 征韓論
西欧列強の植民活動のやり方。①独立を謳って対象国の内戦・紛争の火種に火をつけます。②武力や資本を提供して傀儡政権を作ります。③独立後、傀儡政権を骨抜きにして植民地にします。
征韓論はアジア極東の地で西欧列強進出の機会を与えるに等しい行為であった。だから反対意見が多かったが、それでも征韓論派が出た。まだまだ感情が強い時代だったのだ。
p118 西郷の犬「寅」と「ツン」
西郷は犬好きであった。京都では寅という蘭犬を飼い、犬好きで粋な人物という評が起った。またツンという薩摩犬も飼い、上野公園の銅像もツンであろうと言われた。が、銅像のモデルは薩摩藩の仁礼景範の愛犬が使われたということである。でもツンに似ているらしい。ww
p130 日本の外交における呪術性
大陸国における外交は国家利害に尽きる。利害を求めて国家一丸になる。しかし、日本の外交問題には内政の不和がつきまとう。それは離島国家ゆえに発症する、外国に触れることへのアレルギーのようである。司馬氏はこれを外交に働く悪霊的な呪術力と比喩する。
明治維新では鎖国・開国を巡っていたらいつの間にか国の利害を超えて徳川政権をめぐる話になった。日米安保の時も外交問題の利害を超えて思想的爆発がおきた。
これが日本人の特徴でもある。外交に関する考えは利害だけに収まらない、これを冷静に自分に投影してみるべきだね。外交問題を考える時、背後にお化けがいないだろうか。
この作品の征韓論でもお化けが出ているのである。
p133 日本人による朝鮮人への不理解
朝鮮人にとって昔から日本は野蛮人で儒教の教養のない後進国であると思っていた。そんな国が1592の壬申丁酉の倭乱で秀吉に攻め込まれると甚大な被害をこうむった。秀吉にとって朝鮮はただの外国で、中華思想なんて予備知識は対して持っていなかった。ゆえに攻め落とし配下に加えて打倒明帝国の案内役にすればいいと思っていた。しかし朝鮮は儒教国家で、宗主国の明に助けを求め抗い続けた。結果、秀吉も朝鮮も明も被害だけが甚大で得をするものがなかった。この時から朝鮮の日本への恨みが決定的になった。
その後の日本は朝鮮を理解するようになったかというと、そうはならなかった。征韓論の時代もただの外国としか見れないものが多多いた。そのため儒教国の朝鮮に日本のように開国するよう進言したり、大きなお世話をしたのである。それを聞き入れられず、独善的な論調で征韓論を推し進めようとする血の気の多いものがいたのである。
p161 西郷の征韓論
温和な征韓論。軍事行動はダメ。特命全権大使を派遣して、懇切丁寧に朝鮮と話し合う。それでも聞き入れてもらえなければ、世界にその儀を証明してから実力行使に出る。朝鮮との交渉に際しても一切丸腰で臨み、命がけで交渉にあたる。その危険な役目を西郷自身が買って出ていた。
ちなみに最も過激だったのは板垣退助である。
p166 銭勘定
大隈重信が土佐藩出身ながら身を立てたのは銭勘定が得意だったから。薩長の志士あがりの人材は思想をもっていても銭勘定が苦手だった。特に国家財政は新しい近代国家のしくみのものなので、特殊なセンスを要した。近代化とはそういう困難もあるのである。
大隈は才略機鋒を誇りとし、秀才偏重主義のある土佐藩らしい優秀な人材だった。
p190 大久保はずるい
明治維新は薩摩藩の金で成された。藩主島津久光は新たな征夷大将軍になれると思って戊辰戦争に加担した。滑稽。その久光を謀ったのが大久保利通である。西郷は久光に嫌われた。真っ直ぐに保守的藩主に向かったからである。維新後、久光は西郷と大久保を世界の二大悪党と罵った。
廃藩置県によって不満に満ちた士族の鬱積は、西郷に向けられた。その頃大久保は外国視察に出ていたのである。権謀術数に長けたマキャベリズムである。
p193 革命というのは
革命というのは光と影である。既得権益者が涙を呑んで、革命勢力がその利を新たに貪る。正義のオブラートで包んでも、弱肉強食の野蛮さがある。
西郷は革命の成功者にありながら利益にありつくこうとせず、敗者の救済を望んだ変人であるといえる。彼は没落した武士階級の不満を受け止め、外征によってそれを晴らそうと考えた。そこを死に場所と決めたのだ。
彼は自分のおこした革命を愛し、自分の倒した者に憐憫した。「巨大な感情量」という言葉、司馬氏は頑張って生み出したのかな。感情の、量って、なに!?
p197 堯舜の世
中国神話の名君主。太平の世を作ったとされる。
p202 独裁
西郷は独裁者にならなかった。それは西郷が江戸時代の人間であるからだと司馬先生は言う。江戸時代は合議制のもと、権力が一つに集中することをしなかった。独裁者を作らないことを良しとする風があった。
大陸国の革命後には独裁者的な頭首が出る。しかし日本の明治維新は天皇を奉じたものの、明確な独裁者はいない。そういうお国柄なのである。
p221 魑魅魍魎
魑とは山の神で虎の化身、魅とは沢の神で猪の化身である。征韓論を唱える幕末志士の急進派は、慎重派にとって合理性を理解できない魑魅魍魎のようなものだったろう。
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ウンコみたいな小説だ。いや、ウンコの小説だ。いや、いや、下痢の小説なのだろうか。。。