若きサムライのために (文春文庫 み 4-2)

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  • 文藝春秋
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  • Amazon.co.jp ・本 (288ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784167124038

感想・レビュー・書評

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  • 081203-1219 エッセイ。

  • 三島の日本人論と言っていいんじゃないでしょうか

    彼の生き方というか生き様には、ひどく憧れを抱くものなんですよ

  • ----------------------------------------------
    ▼ 100文字感想 ▼ 
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    毎日に張りがないなぁと感じているなら、三島
    由紀夫。研ぎ澄まされた表現で、ピリリとした
    緊張感とエスプリの効いたユーモアを与えてく
    れる。この人のエッセイは何読んでもたのしい。



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    ▼ 5つの共感ポイント ▼ 
    ----------------------------------------------

    ■自己を尊重できない者が、どうして人間を尊重
     でき、真実を尊重できるのかね

    ■未来はオレに関係なくつくられてゆくさ。オレは
     未来のために生きてんじゃねぇ。オレのために
     生き、オレの誇りのために生きている

    ■私は糊の利いた裃の肩衣が美しいように、男
     を美しくするものは作法であると考える人間で
     ある

    ■一旦約束を結んだ相手は、それが総理大臣で
     あろうと、乞食であろうと、約束に軽量があるべ
     きではない。それはこちら側の信義の問題だか
     らだ

    ■たとえ動機が私利私欲であっても、結果がすば
     らしければ政治家として許される

  • これは40年前に書かれ、それは三島が死ぬ1年前である。
    三島が各問題についてどのように考えていたのかということが少し見える。天皇、日本文化、学生運動、自衛隊、核兵器など。
    ここで扱われている内容は未だ論争が行われているものばかりだ。重要な問題というのは解決されるのではなく、議論され続けるものなのかもしれない。

  • 日本人必読の書。

  • 友人がヨルダンに旅行に行った際に持っていったという本。
    海外旅行にはまさにオススメ。
    前半は短編集で、ちょっとした空き時間とか旅行では避けられない(!)待ち時間に重宝すること間違いなし。かつ、内容も日本を離れて日本を想うに最適。
    ただ、後半の対談集は晩年(というほどでもない年齢だけど)の三島World全開で、学生運動の時代に理解が無さ過ぎる私には少し苦しかった。

  • 三島由紀夫の死の直前の作品。
    とにかく全編にわたって尋常ならざるほどいらだっている感じなのだが、いらだちがポジティブな方向に向けられていて、netの世界にありがちなネガティブや寂しさ拡大再生生産なナヨナヨしたタイプのいらだちではない。割腹自殺する作家のいらだち方はマッチョだなと。

    男の生活、男の肉体は、それに向かって絶えず振り絞られた弓のように緊張していなければいけない。私は町に緊張を欠いた目をあまりに多く見すぎるような気がする。-29

    この一節にすべてがはいっているかんじで、緊張感のない目をした輩がとにかく嫌いなんだろうなと。

  • やっぱり三島、大好きです。
    べらんめぇ口調の所が良いですね。ふふ。

    私も誰かのためとかでなく、今日を必死に生きよう。

  • 三島が若い人達向けに,敢えて口語体で,時にはべらんめい口調で三島の思いが記された作品。
    想像力というのは多くは不満から生まれ,退屈から生まれる。危急に際して行動し,生きることに全ての力を注いでいる時には想像力の余地はほとんどない。戦争中の日本の人々の想像力のかては全て戦争につぎ込まねばならなかった。これは芸術と結びつき,退屈した平和な時代では爛熟した芸術を生むが,その爛熟した芸術は,その生の不安に耐えられないような魂を十分に魅了できないという矛盾も起こる。
    現在,日本の勇者が勇者であることを証明する方法もなく,不勇者が不勇者であることを見破られる心配もない。最終的には勇気は死か生かの決断において決められるのであるから,そのような決断を迫られることがない現代に生きていれば当然である。それでは,今,若いサムライが勇者か不勇者かを見分けるにはどうするか。三島は,それは,非常事態と平常の事態とをいつもまっすぐに貫いている一つの行動原理だという。危機というのを心の中に持ち,その危機のために毎日毎日日常を律してゆく根本的な生活に変えることが必要だという。
    努力についても三島は何が楽で何が努力かけじめが必要と言う。”天才は努力である”というのは,いわばなりあがり者の哲学で,金も地位もない階級の人間が世間に認められるための血みどろな努力を表現するものでむしろイギリスなどでは軽んじられたようだ。楽をする方が苦しい場合がある人もいる。何十年もの間会社や役所でじみな努力を重ねてきて,定年退職後は生ける屍となる。彼らにとっては努力を失った人生の空虚と言うものにほんとうに対処するすべを知らないので,庭木いじり等の無害な道楽に余生をおくるなど,また別な無駄な努力を重ねて死ぬまでいきたいと思うのである。しかし,一番つらいのは努力をすることそのものではなく,ある能力をもった人間がその能力を使わないように制限されることだと三島は言う。人間として一番不自然な苦しさ,つらさがそこにあると言う。人間の能力を100%出している時に人間は生き生きとしている。しかし,その能力を削減され,自分で出来ることよりもずっと低いことしかやらされないという拷問には,努力自体のつらさより,もっと恐ろしいつらさが潜んでいる。
    明治時代の新帰朝者は,西洋の物質的な進化に度肝を抜かれ,本当に大事な非物質的な精神価値を見失っていた。戦後の経済的な復興,物質的豊かさが満たされるに連れ,多くの人の心の中に,日本は大したものだという感情がわいてきて,人の目に見えない内面的精神価値を磨く必要がなくなり,情熱もなくなってしまった。
    このため,三島は日本のこの先を憂い,今まさに50年先を見据えた教育改革が必要だと。50年しなくては変わらないものだから,何ものより早く,まず真っ先に取り組む必要があるのだと。
    精神というものは,あると思えばあり,ないと思えばないようなもので,誰も現物を見た人はいない。その存在証明は,あくまでも見えるもの(例えば肉体)を通して成就されるのであるから,見えるものを軽視するのも妥当でない。行為を担うのはあくまでも肉体なので,精神の証明には行為が必要で,行為のためには肉体がいる。だから肉体を鍛える必要があると言う。文字によっても精神は表現されうるが,最終的な証明は出来ない。このため,やはり精神の証明は文字だけでは足りないと。まさに三島の腹切りは文字ではなく,肉体的な行為での証明でもあったようだ。

  • 第6回(09.04.22)田原

    (本文抜粋)

    危機というものを、心の中に持ち、その危機のために、毎日毎日の日常生活を
    律してゆくという男性の根本的生活

    完全な肉体を持つことによって精神を高め、精神の完全性を目ざすことによっ
    て肉体も高めなければならない。

    約束に軽重があるべきではない。それはこちら側の信義の問題だからだ。

    人生は、成熟ないし発展ということが何らか約束されていないところにおそろ
    しさがある。

    自分でできるよりも、ずっと低いことしかやらされないという拷問

    そもそも市民の自覚というのは、人間性への恐怖から始まるんだ。

    小説家にとっては今日書く1行が、テメエの全身的表現だ。明日の朝、自分は
    死ぬかもしれない。

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著者プロフィール

本名平岡公威。東京四谷生まれ。学習院中等科在学中、〈三島由紀夫〉のペンネームで「花ざかりの森」を書き、早熟の才をうたわれる。東大法科を経て大蔵省に入るが、まもなく退職。『仮面の告白』によって文壇の地位を確立。以後、『愛の渇き』『金閣寺』『潮騒』『憂国』『豊饒の海』など、次々話題作を発表、たえずジャーナリズムの渦中にあった。ちくま文庫に『三島由紀夫レター教室』『命売ります』『肉体の学校』『反貞女大学』『恋の都』『私の遍歴時代』『文化防衛論』『三島由紀夫の美学講座』などがある。

「1998年 『命売ります』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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