- Amazon.co.jp ・本 (299ページ)
- / ISBN・EAN: 9784198935870
作品紹介・あらすじ
弱小地方球団・仙醍キングスの熱烈なファンである両親のもとに生まれた山田王求。“王が求め、王に求められる”ようにと名づけられた一人の少年は、仙醍キングスに入団してチームを優勝に導く運命を背負い、野球選手になるべく育てられる。期待以上に王求の才能が飛び抜けていると知った両親は、さらに異常ともいえる情熱を彼にそそぐ。すべては「王」になるために――。
感想・レビュー・書評
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貫き通すと妬まれもするし、賞賛もされるし、自分がどうしたいか。
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久々?伊坂幸太郎作品。
著者あとがきに『いつも以上に、自分の好きなように書く』とありましたが私にとっては読みやすく楽しめる作品で、内容に何かを求めるでもなく、野球好きだからかすんなり入って来た感じでした。准えが上手いなあと感心し、全てフィクションの中ではあるものの天才野球選手のストーリーって胸熱なんですよ。野球好きだから笑 -
解説にもある通り、いつもの伊坂幸太郎作品とはテイストが異なる作品でした。マクベスを読んでみたくなったな〜。
王求に降りかかる不幸が切なかった、、、。 -
文庫版の裏表紙に記載された、“この作品は、いままでの伊坂幸太郎作品とは違います”との文言が気になる本書。
とある天才バッターの数奇な運命が描かれております。
“常敗球団”・「仙醍キングス」の熱烈なファンである両親の元に生まれた、山田王求(おうく)。
類い稀な才能を持つ王求に、両親は情熱を注ぎこみますが・・。
“出る杭は打たれる”と言いますが、王求の場合は突出しすぎて、周りがドン引きしているような状況です。
故に、孤立しがちではあるのですが、王求自身はすべてを野球に“全振り”しているので、常に淡々としてブレずに自分軸を貫いている様が、ある意味凄みを感じますね。
このように、とんでもない才能を持った彼であるのに、王求の運命は何とも皮肉な方へ展開していきます。
その話の進め方が巧みで、読みやすさもあり、サクサク進みます。ラストは切なかったですが、独特の余韻が残るものでした。
因みに、『マクベス』の〈フェアはファウル。ファウルはフェア(良いは悪い。悪いは良い)〉という台詞が全体的なキーワードとなっているのですが、この物語は悲劇でもあり、喜劇でもあるのかな、と思った次第です。 -
2021(R3)5.4-5.11
前作『モダンタイムス』と打って変わって、サラッと読み終えた。
この「サラッと」感が、いつもの伊坂作品らしからく、そしてあまり深さを感じない理由であると思った。
それはなぜか?
『マクベス』なるシェイクスピアの作品を全く知らないから。
自分の読書力の無さゆえの感想でした…。
野球の天才の伝記みたいな物語。全体的に不思議な感じがした。
それはなぜか?
『マクベス』なるシェイクスピアの作品を全く知らないから。
でも知らなくても十分楽しめる。それは間違いない。知っていたらもっと楽しめるのだろう。 -
天才野球少年と3人の魔女。誰の心にも魔女がいるかも。フェアはファル、ファルはフェア。綺麗は汚い、汚いは綺麗。光と闇、闇と光。見方によって物事の良し悪しは変わる。人に良くても魔女には悪い。魔女に良くても人には悪い。マクベスを題材にした、天才野球少年の数奇な運命でした。ありそうでなさそうなお話。
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伊坂作品を出版順に読んでいる僕は、書いてある通り、初めての感覚でした。
特に伏線もオチもない、野球の物語でした。 -
英雄及び覇者はいつも後に残る大きな出来事を残すが、短命である場合が圧倒的に多いと思う。
突出した才能を妬み、妨害する社会と戦うだけで疲れてしまうのに、それを乗り越えたあとも、批評、批判、嫉妬による陥落を願うものと戦う必要がある。
王は一人ゆえ孤独。世渡りの上手い理解者と運をつかむラックも必要とする。
ただ、王求は相手を必要とするスポーツの中で、研究者のようにひたむきに野球と向き合っている。これを読むと英雄になることは決してちやほやされるだけではなく、生き抜くために覚悟はあるか?と聞かれている気がする。 -
プロ野球が始まりますね。
伊坂幸太郎って、野球派かサッカー派と言えば、間違いなく野球派だよね。それは、この作品が野球をテーマにしているからだけではなく、今まで「ポテチ」とか、「逆ソクラテス」とか言う中篇を読んで来て思うことである。
此処に出てくる「仙醍キングス」は明らかに楽天イーグルスをイメージして描いている。万年最下位チーム、それをもはや恐れることすらなくなったオーナーや選手たち。そんな中、いずれチームの救世主となるべく生まれた山田王求の半生がこの作品の内容である。単行本の発行が2009年、文庫本は2012年。まさか伊坂幸太郎も1人の優秀な監督と天才投手を迎えて、楽天がリーグ優勝までいくとまでは、想像していなかったのだろう。
同時に、伊坂版「マクベス」ではなく、「マクベス読本」になっている。木下順二の「マクベス」を愛読して来た私にはとても嬉しい内容だった。
伊坂幸太郎は、マクベスを持って来てもなお、主人公の手を血で汚しはしなかった。そこに、私はこの作家を読み続ける動機を確認するのである。
2014年3月15日読了