存在しない女たち: 男性優位の世界にひそむ見せかけのファクトを暴く

  • 河出書房新社
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  • Amazon.co.jp ・本 (424ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784309249834

感想・レビュー・書評

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  • 人類の人口の半分を占める女性を「ないもの」として設計された社会は、「人」とは男性を意味する。男性を基準に制度はつくられる。スマホの大きさは男性の手の大きさを基準につくられ、棚の高さも男性の身長にあわせて設計されている。音声認識ソフトも男性の声にはよく反応するが女性の声には反応が鈍い。GDPには掃除、洗濯、育児、料理などの無償労働は含まれていない。
    そもそもの前提として、制度設計の基になるデータに女性が含まれていないというデータにおけるジェンダーギャップがある。そのため、この世界は女性の視点が決定的に欠けている。
    そこで、筆者は「女性の体」「女性に対する性暴力」「無償のケア労働」の3つテーマのデータを収集・分析し、それを社会に還元することがこの世界をよりよいものにすると提唱する。
    男性のみならず女性もこの男性の作り出した世界に絡め取られていることも問題解決を難しくしているのだろう。
    政治家や会社経営者の男女比が半々にならない限りこれらに問題は解決されないのだろう。逆に、制度としてクォーター制を導入することは一つの解決策だと思う。

  • 最近になって、「生理の貧困」や、災害時の女性の困りごとについても知られるようになってきた。
    そして今、ウクライナの現状を報道で見ると、女性たちが悍ましい被害にあっていることが伝えられる。
    一部ではフェイクニュースと言われるが、規模はともかく、女を黙らせ、欲望を満たすのに手っ取り早い方法を兵士が取らないはずはない。
    時間が経つにつれ、忘れられていくけれど。

    女は運転が下手、と私も思ってきた。
    近くにしか視野が行かないんだろうと思っていたが、発想を逆転してみると、そもそも男性にとって使いやすい車が女性も使いやすいとは限らない。
    私は背も高く足も長い方だが、とにかく運転席は居心地が悪い。
    全てが使いにくい。固すぎる、デカすぎる!
    昔、防具を使っていた頃は金的用の防具が邪魔で仕方なかった。
    しかも男性が使った後のを何で使わなきゃいけないんだ・・・

    PTAも含むケア労働、昇進の壁(産休育休、時短勤務)、未だ通用できない旧姓(試験は本名で?旧姓が本名だが?)。
    とにかくありとあらゆることが男性中心で女性は使いにくい(どころか命の危険性がある場所だってある)。
    本書に書いてあることを大袈裟、とか、嘘だ、とか決めつけるのは簡単だろう。
    自分にとって信じ難い事実をないものとするのは一番楽だ。
    しかし、見なければ無かったことにできるのか?
    気づかなかった、で問題は解決するのか?
    いや、もはやこれらを無視はできないだろう。
    なぜ変化を恐れるのか?
    解決、改善を進めれば今までより、自分が、皆が、生きやすくなる。
    本書は日本を含むアジアについてはあまり触れられていないのが日本の読者としては残念だが、どの国も、どの地域も女性の困りごとはあまり変わらないようだ。

    さて、日本は変われるかな?
    経済が没落仕掛けている今、再び名を上げるには、ジェンダーランキングを1位にするのが、手っ取り早くない?

  • 世界は男性中心にデザインされている、男性優位で女性は「いないこと」になっている、という指摘。「ジェンダーニュートラル」な社会は実は男性が男性のために作った場所であって男女平等ではない。
    「person」で「政治家」「医師」といえば男性、「受付」「家事をする人」は女性を思い浮かべるように、子供は教育される。「人は女に生まれるのではない、女になるのだ」byボーヴォワール。
    その結果、建築やテクノロジーは男性中心に設計されているため女性にはフィットせず時には危険である。医療においても、男性と女性には身体に大きな違いがあるが、医療や薬は男性基準で作られている。コロナにおいても、ワクチンの副反応が女性に多いという話があるが、これも「女性不在」の結果ではないか。さらに、AIも学習データが男性メインであるという指摘には戦慄を覚えた。音声認識の精度も違うという。医療診断にAIが活用されると危険なのではないかという未来。偏りが倍増される。
    災害において女性のレイプ被害や生理用品の供給が軽視される問題、女性政治家が男性政治家以上に攻撃され、ハラスメントを受ける問題、賃金格差…世界共通の問題ばかりだ。日本は本書より更に一層ひどいわけだが。
    著者は、女性たち自身が関与することで問題を解決しようといる、と指摘する。また、次世代の女性達が同じ苦しみを味わわずに済むよう、今の私たちが声を上げよう、ともいう。そのとおりだ。声を上げ行動しよう。

  • 日常生活・職場・設計・医療・市民生活・災害。法律や政策がもとづいているデータを検討するなかで見えてきたことは、データに女性が存在していないということ。女性のデータがそもそも取られていない、または、データが性別に分けて分析されていないことによって、実際に様々な(ときには命にかかわる)不利益が女性たちには生じている。それはすべて、男性=基準(デフォルト)とする認識が未だに根強いからだ。これだけの多岐にわたる分野の「データ」を集めて一冊の本にしていることも驚きだが、急速な進展は期待できないもののジェンダーに十分配慮したデータが収集され、分析され、それにもとづいて適切な運用がなされたならば、この社会はまだまだよくなる余地があるのだという期待感も湧いた。

  • 2021年2月頭の森氏の「女は黙っとれ」発言をきっかけにこの本を手に取った。普段購入する本よりもお札一枚分多い金額に一瞬ためらったけれど、事前に目を通していた『この本は紛れもなく、非常に役立つ実用書である。手元に置いておいて、自分が黙らせられそうになった時、いないことにされそうになった時に反論の根拠として常に出せるようにしておきたい。』という書評の言葉に背中を押された。
    参考:書評全文
    https://web.kawade.co.jp/bungei/3957/

    読めば読むほど頭が痛くなる。私たちはこんなに不自由な社会で暮らしているのか。
    もちろん、日本で定職を得ている「私」と、本書で紹介されているような貧困地域の女性では、そこにも大きな隔たりはあるし、平成生まれの「私」と昭和生まれの母親世代、あるいは祖母世代の女性のあいだにも「女性差別」と言ってもその影響力にはグラデーションがあるだろう。

    しかし、森氏の発言や、つい先日Eテレで放送されたという亀井氏の夫婦別姓を望む人々への暴言などを見るにつけ、問題の根っこはなにも変わっていないと強く感じる。少しばかり待遇が良くなったからって「ま、いっか」なんて言ってやるもんか。

    雪かきひとつとっても、女性の行動パターンを勘案することでまわりまわってコスト削減につながる、女性が働けるようになればその分GDPが向上する、など社会的なメリットも多くある。多くの企業にとっても人口が増えれば利用者や消費者が増えて売上にもつながるはずなのに自社の女性社員の出産や育児には消極的な態度をとる。二枚舌じゃないのか。

    いないことにされている世界の半数の人たちが教育に経済活動に参加すればより優れた結果を生み出すことができる(なんせ可能性は倍になるのだから)。そうしたら私たちはその恩恵を受けてより豊かな社会で生きることができのに(この話は『教育格差』(筑摩新書)にもつながる話だ。)なぜいないことにする?

    冒頭の「黙っとれ」発言については、女性のほうが話を遮られやすいことがデータに基づいて紹介されている。世界でもあるあるな話のようで頭がくらくらしてくる。

    炎上案件といえば、生理と射精を同一視して炎上していた件を思い出したが、これって女性の体は男性の劣化版とする考え(p.226)と通じるものがあるように感じた。そもそも男女の体はまったく別のものなのだと認識していたらわざわざ同一視して互換させる必要なくない?

    ぶつぶつと文句だらけでもはやレビューでも感想とも言えない文章になってきたが、ひとつだけ言えるのは、値段や厚さに手に取ることを躊躇しているのならばとりあえずどこか気になるところを少し読んでみてほしい。どこを開いても、きっと、これはじっくり読まなければ、と思うだろうから。

  • いや〜、価値観変わる。経営者には全力おすすめ。読んだほうがいい。意思決定層における多様性の必要性もさることながら、ビジネスチャンスでもある。自社のデータを見る視点が確実に変わる。

  • 労作。

    自分も男だ。
    その眼が曇りきっていたことを実感した。

    徹底的にデータにあたる姿勢、集めよという主張に納得した。

    女性の存在を認めることは経済政策としても正しいことを示している。

  • 現代社会において如何に女性が不利益を被っているか。意識していない事自体が罪であろう、私は罪人の一人である。しかし、男女間の分断を煽り、ミソジニーを加速させてはならない。建設的な読解力が必要だ。何故なら相手は、女性専用車両にすら、不満を抱える人たちなのだから。

    医薬品や交通事情、車のシートにおける設計に至るまで、女はいつも二の次だ。その所為で、防護服なんかでは危険に晒されるリスクは上がり、実際に重傷を負う事も男より多い。骨盤の作りが違うから、男性同様の歩行訓練を強制されるのは辛いし、一人でバスに乗ったり、トイレに行くだけで、男は乱暴を働いてくる。2013年の国連調査では、世界の殺人犯の96%は男性だという。酷い生き物だ。

    強引なクォーター制のように、女性役職や採用を一定数確保すべきかという議論がある。能力に従い公平を期すべきという反論には、経路依存的な男性優位な価値基準が能力査定のベースにある事すら気付いていない。一度女性が選考者になれば、異なる基準が生まれる可能性が高く、それがクォーター制の狙いの一つだと理解すべきだ。

    分断を避けるべきだと書きながら、しかし、結局、生物としての男女に分断できるはずはないだろう。強引にでも進めて仕舞えば良い。反対論者は、性的パートナーの選択肢から漏れ落ち、やがて消えゆくのだから。

  •  「人は女に生まれるのではない、女になるのだ」とは、フランス人女性シモーヌ・ド・ボーヴォワールの言葉ですが、この事実が120年近く経った現代でも普遍的であることを我々はどう捉えるべきだろう、と思いました。

     本書は女性を取り巻く実情について、数値や論文などのデータをふんだんに取り入れて解説しています。
     よく女性が意見したときに言われる、「女性の意見ってデータとか客観性がないから」を見事に論破する内容になっていて、「自分の中にあったモヤモヤを言語化してくれた!」という気持ちになりました。

     本書はジェンダーについて取り扱っていますが、ジェンダーを論じる上でありがちな「男を貶めて女を立てる」スタンスとは一線を画しています。「男性はこんなにひどい。女性はこんなに頑張っている」という観点からジェンダーを語るのではなく、「ビッグデータの中に密かに存在しているジェンダーギャップが起こす、さまざまな不具合について」順を追って理路整然と述べられています。

     男性中心社会で困ることは、「女性だと舐められる」とか、「女性だと背が低いので棚に手が届かない」とか、そういった表面だけのことではなく生死に関わるものも多く、男性に効果のある薬は女性に効かないどころか、有害なものもあること。男性の精力剤の種類は、女性の生理痛の薬の何倍も多いこと。
     女性だからと審査の通りにくいオーケストラ奏者、ピアノが大きすぎて手を痛めるピアニスト、警察官や看守よりも暴力に遭いやすい看護師。同じことをしているのに「生意気だ」といって黙らされる女性議員。
     そういった人々の苦しみを踏み固めた上に男性が立っていて、しかもそのことに全く気付かずに「自分だけの力で頑張ってきた」と考えている。そしてそういう人たちは(女性の無償労働には全く目もくれずに)「機会は平等にあったのに、努力しなかったから」あるいは「女性なのに仕事も家庭もなんて欲張りだ」と女性に言う。
     それが今、私達が生きているこの社会なのだなと痛感しました。読み進めるにつれて目を開かされる思いがすると同時に「こんなにも女性が生きていくって不利なことばかりなのか」と憂鬱な気持ちになりました。
     それでもこれが、現実なのだなと思いました。

     途中、医療に関するデータが提示されるのですが、「女性にはホルモンバランスの差が大きい時期があるが、その時期を考慮せずに医薬品は作られている」という部分を見た時、ピンと来たことがありました。
     ワクチンです。
     コロナ禍で唯一の希望と言われた「mRNAワクチン」ですが、私より早く接種した知り合い(女性)は酷い副反応が出て苦しみました。彼女は私に「生理中とかその前後は打たないほうがいいかも」と言っていたのですが、今になってその意味が分かりました。医薬品開発の際に使われるラットは、(メスだとホルモンバランスのせいで結果にばらつきが出るために)大抵オスなのです。
     世の中が右利きの人間用にできているのと同じく、世界は男性用にできています。だから「女性の副反応が多い」と報道されていたのだな、と妙に腑に落ちました。

     私は以前からジェンダー問題に興味を持っていましたが、今まで「fitbitが大きすぎるのは私の手首が細すぎるからだ」と半分本気で思っていました。誰に言われたわけでもないのに自分の身体が小さすぎるのが悪い、と自分のせいにしていました。
     常に世界には「定型」と「非定型」があって、男性が定型なら女性は非定型、女性の中でも女性らしい人は定型で、女性らしくないと非定型、という物差しが自分の内外から(!)当てはめられています。「これが一般」「これが普通」と言われて育つことで「そんなわけない」と頭で理解していても、いざ自分の目の前のことになると、なかなか判断できないし差別に気づけない。その難しさ、無意識の差別の不透明さを、本書を読むことで改めて感じました。
     男女差別は男性の脳内だけではなく、女性の脳内にも存在していて、我々には「自分の中にどんな差別があるか」を自分ひとりで知ることがとても難しい。だからこそ、「世界と自分の擦り合わせ」のためにこういった本を読むことには大きな価値があるのだと思います。

     男性にとっては、社会進出して会議で意見を言う女性は「自分達の安寧を崩す者」「邪魔者」に映るのかもしれません。でも、本書が示しているように「女性の意見を取り入れる」ことは本当は、男性にとっても女性にとっても利益になる。たとえば商品開発の際に女性を入れることで女性の実情にも寄り添った商品が作れること。そして結果的に会社が発展することは、男性にとって本当に利益のないこと、障害になることなのかな? と思いました。
     もっと言えば、「目先の損ばかり考えてしまって、長期的に見た時の利益が見えていないのかな」と感じました。人間には男性と女性があって、その片方だけの意見、片方だけのやり方でずっと発展していくことは可能なのか? と考えたとき、どこかの時点で行き詰まるような気がします。
     それなら女性の意見も、もっと言えば性的マイノリティの意見も取り入れることで、今まで見えていなかった着地点だったり、企業で言えば利益だったりが生まれてくるんじゃないかと思えました。
     「男性だけに優しい社会」にいて居心地が良いという人たちは猛反対するし、自分達の地位を死守するために全力で抵抗するんだろうな、とは思いますが……。

     最近のジェンダー議論はとにかく「男VS女」の図式に入れてしまって互いを憎しみ合わせるような論調が目立ちますが、誰も憎しみ合って人類の半分を嫌いながら生きていきたいわけではないと思います。そんなことをしようと思ったら、相当な労力も必要なはずです。
     目指すべきなのは、今からでも統計データに男女別の運用を取り入れること。それから、医薬品開発の際に女性性を考慮すること。ひとつずつ、地道に進めていくことでしか、この問題は結局のところ解決する手立てがないのだろうなと思いました。

     女性である私個人視点から言うと、「今まで良い目をしてきたけれど、男性は女性を犠牲にしてきた」ということや「男性中心の社会は今後行き詰まる」ということを念頭に、それぞれが地道な努力をしていくことが大切なんだろうなと感じました。

    ※「男性にも差別しない人はいる」「男性でも、男らしさとか男社会に苦しんでいる人がいる」という意見があると思いますが、それは別枠として議論すれば良いことかなと個人的には考えています。(男性が苦しんでいるからって、女性の苦しみを蔑ろにしていいわけではないよね? 逆もまた然りだよね? という考えです)

  • 医療の問題について、治験が男性に偏っている事に驚き!
    世界の半数の女性の不自由さを解消するために、声を上げていきたい。

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