能・狂言/説経節/曾根崎心中/女殺油地獄/菅原伝授手習鑑/義経千本桜/仮名手本忠臣蔵 (池澤夏樹=個人編集 日本文学全集10)

  • 河出書房新社
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  • Amazon.co.jp ・本 (848ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784309728803

感想・レビュー・書評

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  • 能も狂言も人形浄瑠璃も見たことないので、
    実際にどのような”動き”をするのかは全く想像するしかないのですが。

    後書きでは「舞台での人形は本当に死ぬ。首が飛ぶ、崖から落ちればそのまま動かなくなる」とありそれを想像しながら読むと心に迫ります。

    【「能・狂言」新訳:岡田利規】
     能「松風」
    磯に立つ一本の松の木。
    行平中納言の一時の寵愛を受けた二人の女の情念。

     能「卒塔婆小町」
    若き日は美しかった。
    その昔戯れに扱った男の怨念が憑り付いて、
    いまでは卑しく年を取った。

      能「邯鄲」
    ”邯鄲の夢”の能舞台化。

     狂言「金津(かなづ)」
    「はい、こうして登場したのが誰かと言いますと、金津というところに住んでいる人です」
    新築したお堂に置くための地蔵を求める金津の住人と、
    詐欺師”すっぱ”の悪巧み。
    ”すっぱ”の子をお地蔵様として金津に送り込んだ!

     狂言「木六駄(きろくだ)」
    伯父へのお使い品を使い込んでしまった太郎。
    さあどうやって誤魔化す?!

     狂言「月見座頭」
    座頭と男は気が合って楽しい時間を過ごすが、
    男には相手が盲目と言うことで意地悪心が湧き上がり…。

    【「説経節」新訳:伊藤比呂美】
     語り物「かるかや」
    刈萱(かるかや)の総領、加藤左衛門重氏は、花見の最中に浮世を離れることを決意し、妻と幼い子供たちを残して出家する。
    父を恋う子供たちは、長じて父を探しに出る。
    すれ違う親子。
    しかし僧門に入った重氏は、現世への思いを断ち切る。
    立ち去る父の哀れ、追えない子らの哀れ、待つ身の妻の哀れ。

    【人形浄瑠璃 近松門左衛門「曽根崎心中」新訳:いとうせいこう】
    天満屋の遊女お初と将来を誓い合った平野屋の手代徳兵衛は、
    金銭詐欺にひっかかり身動きが取れなくなってしまう。
    弁明は聞かれず、無実にして死罪は免れなかろう。
    お初と徳兵衛はあの世への道行を進む…。

      ***
     最後の道行の文章が美しく美しく。
     これは近松門左衛門がすごいのか、
     いとうせいこうがすごいのか。
     舞台で見たらさぞかし胸に迫るだろう。

    【人情浄瑠璃 近松門左衛門「女殺油地獄」新訳:いとうせいこう】
    油や河内屋の次男与兵衛は、生来の遊興癖、怠け癖とズル賢い気質から借金を重ねる。
    向いの小さな油問屋豊島屋(てしまや)の嫁のお吉は娘三人を育てる気風のいい女。
    良からぬたくらみを持った与兵衛は、豊島屋へと忍び入る…

     ***
     動きのある文章でテンポよく話も進み、
     お吉の明るさで弾みもつき、
     そんななかで何も考えないかのごとく
     与兵衛の行動がひたすら深みに堕ちていく様相が
     不穏さを見せ続ける。
     激しくしかし密かな家族の愛、
     クライマックス”油殺し”惨劇の迫力、
     そして殺人が露見するミステリー要素…
     これは確かに見事な脚本。

    【「菅原伝授手習鑑」新訳:三浦しをん】
     梅は飛び 桜は枯るる世の中に 何とて松のつれなかるらん

    菅原道真の領地の四郎九郎の三つ子、梅王丸、松王丸、桜丸は、
    それぞれ菅原道真、藤原時平、斎世の宮の牛車番。
    斎世の宮は道真の娘刈屋姫と駆け落ちし、
    時平は道真の筆法伝授を巡り道真を失脚させる。
    主人たちの関係が変わった三つ子たちは、それぞれの主人に従うこと気持ちを示す。
    梅王丸は道真の流罪先を訪ね、桜丸は自害する。
    道真への忠誠を指した梅と桜に対し、あくまでも彼らを追及する松。
    しかし松王丸は、誰よりも苛烈な方法で道真への忠誠を示していた。

    これらの話がのちの世まで知られているのは、天神さまとなられた菅丞相の御恵みであろう。

     …という、シリアスな話を「少年少女名作文学集」かなんかで読んだのですが、いざ全体版を読んでみたら、以外に軽妙だったりユーモラスだったり色艶っぽかったりという場面も多かった。
    悪役時平公が、牛車で大立ち回りを演じる場面などさぞかし迫力であろう。きっと人形の首がクルッとかわって怒髪天を抜くかのような顔面に変わり…などなど頭に浮かんできます。緊迫場面、ゆったりした場面、人間心理の妙、じつにバランスが取れています。

    【人形浄瑠璃 ・歌舞伎 「義経千本桜」新訳:いしいしんじ】
    壇ノ浦にて平家を滅ぼした義経だが、兄の頼朝に追われることになる。
    義経の正室卿の君の犠牲、暴れる武蔵弁慶、義経を慕う静御前、そして忠臣の佐藤忠信。
    捕る者逃げる者らの思惑を経て、義経一行は北上する。
    海の上で義経以降は、壇ノ浦に沈んだはずの平知盛の襲撃に逢う。
    知盛は壇ノ浦を逃げ延び、安徳天皇を擁し再起を図っていた。
    宿敵との戦いは、共通の目的を持ち…

    清盛の直径でありながら、平一門からはぐれた平維盛は、 正室若葉の内侍はわが子六代との再会を目指し、身を潜めていた。

    そしてやはり壇ノ浦から逃れた平教経との邂逅…

    後白河法皇から賜った鼓に情を寄せる狐の思慕、
    男女、親子、そして主従の情景が絡み合い…

    …ということで、「●●は生きていた!」「▲▲は実は※※だった!」などなど、想像を広げまくって自由闊達に書かれた脚本でした。

    【人形浄瑠璃・歌舞伎「仮名手本忠臣蔵」新訳:松井今朝子】
    「江戸時代の赤穂事件を足利尊氏の執権高師直に置き換えて上演」ということは聞いていましたが、高師直相手に仇討なんてしたらさすがに歴史を変えすぎないか…?と思っていたのですが…いやあ、筆は強かった、史実なんてかっ飛ばして仇討しちゃいましたよ(笑)


    高師直は、塩谷判官の妻”顔世”に恋慕するが、袖にされた恨みを判官にぶつける。
    塩谷判官は高師直に切り付け、切腹と家の取り潰しを申し付けられる。
    塩谷判官の家老大星由良助は、遊びに興じる振りをして仇討の機会を探る。
    由良助の嫡子力弥は、判官の同僚桃井若狭守の加古川本蔵の娘小浪と婚約していたが…

    …えーっと、高師直を討ち取ってしまいましたが、今後の歴史をどうするつもりなんだ(笑)。人がエンターテイメントを求める気持ちは史実を超越する(笑)

  • 我が家から五十メートルばかし行ったところに「口の芝居跡」という碑が立っている。その昔、京・大阪の芝居小屋にかける前、全国から伊勢参りに来る旅人目当てに、ここで演じて評判が良ければ大受けまちがいなしとして、試演される芝居小屋だったと聞く。有名な歌舞伎役者もこの芝居小屋の舞台に立ったこともあって、古市は歌舞伎とは縁が深い。『伊勢音頭恋寝刃』の舞台となった油屋跡では町の若い衆によって小屋掛けの地芝居も演じられた。父は坂東庄雀という名を持つ立女形で、「伊勢音頭」ならお紺、七段目ならお軽というのが役どころだった。

    芸事の好きな人も多かったのだろう、歌舞伎衣装や大道具小道具を扱う道具方や浄瑠璃、義太夫を語る人もいなければ幕は開かない。ほんの子どもの頃、父に手を引かれて夜道を歩き一軒の家を訪れたことがある。小さい頃のことで、覚えているのは老人が何か唸っていた記憶があるだけだ。浄瑠璃か義太夫か、どこぞのご隠居の趣味につき合わされたわけだが、おぼろげに首実検の話だったと記憶しているのは、幼心に気味悪かったからだろうか。

    そんなこともあって、小さい頃から父につき合ってテレビの歌舞伎番組を見るようになった。地方公演があれば劇場にも足を運んだが、『仮名手本忠臣蔵』なら七段目、『義経千本桜』なら鮨屋、『菅原伝授手習鑑』なら寺子屋と、限られた場面しか目にすることができないのが常。有名な場面ばかりをぶつ切れで見せられても、今一つよく分からないのが歌舞伎のお約束、吉野下市の鮨屋の弥助、実は平維盛、といわれても何のことやら。

    もともとは通し狂言で演じられてきた演目が、見た目の美しさや、歌舞伎らしいスペクタクル性、人情の機微に触れる口説き場面の有無などから、ひんぱんに演じられる場面とそうでない場面の差が生じ、現在ではいくつかの場面に限って上演される形態が普通になった。国立劇場などでは、現在でも通し狂言がかけられることもある。ただし、全部見ようと思えば一日がかりの観劇になるので、見る方にもそれなりの覚悟が必要になる。

    ところが、この巻では人気の高い『仮名手本忠臣蔵』、『義経千本桜』、『菅原伝授手習鑑』の浄瑠璃を初めから終わりまで通して読むことができる。それも人気作家による現代語訳で。何というありがたい企画だろう。通して読めば、吉野の鮨屋が平家の跡継ぎという設定も、それなりにではあるがのみ込むことができる。なにしろ、維盛だけではない。知盛も能登守教経も、実は死んでおらず、生きて潜伏していたという設定なのだ。この辺のいい加減さというかアヴァンギャルドさが歌舞伎(浄瑠璃)ならでは。SFでいうパラレルワールドである。

    橋本治がその著『浄瑠璃を読もう』のなかで『仮名手本忠臣蔵』を論じ、お軽という腰の軽い女と、それにすっかり夢中の勘平という若侍の、時と場所をわきまえぬオフィスラブが原因で起きた悲劇と説いている。本を読んだとき、それが今一つよく分からなかったのだが、今回『仮名手本忠臣蔵』を通して読んで、初めてその言わんとするところがよく分かった。

    年末になると、テレビでもよく取り上げられる忠臣蔵だが、忠義の臣が主人の恨みを晴らすため、艱難辛苦に耐え、晴れて仇討に成功するという、日本人大好きのストーリーは、小説、映画をはじめ、講談や浪曲などのサイドストーリーを入れてふくらませたもので、『仮名手本忠臣蔵』そのものは、まったくの別物。お軽、勘平、加古川本蔵の娘小浪と大星力弥、天河屋義平とその妻園らの男女の愛が物語の中心になっている。吉良邸ならぬ高師直邸内への討ち入りなどもあっさりとしたもの。

    討ち入りの合言葉といえば、「山」「川」だが、実は天河屋の義に感じ入った由良之介が「天」と「河」にしたところ、後世誤ってと伝えられたとか。地名尽くしやら、掛けことば、地口、洒落、かなり際どい性的なくすぐりも入れた浄瑠璃は語り物。それを読み物として読むのは、目からウロコの体験だった。儒教倫理にからめて、あたかも忠義がメインテーマのように持ち上げられがちな忠臣蔵も、浄瑠璃で読んでみると、その内実はもっとおおらかで、猥雑さすら感じさせるエンタテインメント性に溢れている。また、そうでなくては町人に喜ばれるわけもなかったろう。

    『義経千本桜』も、「鮨屋」や「寺子屋」では、自分の妻や子の首を切り、主人の身代わりとする場面にばかり目を止めがちだが、空気の読めない弁慶のキレッキレの暴れっぷりに義経主従が閉口する場面や、渡海屋銀平実は平知盛や横川の覚範実は能登守教経の胸のすくような奮闘ぶりがふんだんに用意されていて、明暗のバランスもよく考えられている。

    浄瑠璃は他に『曽根崎心中』と『女殺油地獄』を含む。特に後者における主人公与兵衛の描き方は、義理や忠孝といった観念的な倫理観に縛られた当時の浄瑠璃に登場する模範的人物像とは異なり、どうしようもない大阪商人の次男坊を描いて、駄目人間のかなしさをこれでもかとばかりに追求している点で瞠目に値する。真面目に生きようと思ってもそれができない与兵衛のような男は、現代でもそのままで通用しそうだ。人間観察のリアルさが半端ない。

    他に能、狂言、説教節を収録する。説教節『かるかや』は、これも小さい頃、高野山の土産にもらった『石堂丸』の絵本を思い出し、当時の切ない気持ちが改めて胸に迫った。大衆に仏教を信心することの大切さを宣伝する目的があっての説教節だが、突然、道心を発した父親のせいで、妻や子の一生が左右される、その理不尽さ。まさに宗教とは阿片だ。伊藤比呂美の訳も出色の出来。文学というと書かれたものにばかり目が行きがちだが、こうして語り芸に光を当ててみたとき、日本文学の底流を成すものとして、その果たしてきた役割の大きさを改めて感じる。

  • 「【毎日出版文化賞企画部門(第74回)】池澤夏樹個人編集による日本文学全集。10は、能「松風」、狂言「木六駄」、説経節「かるかや」、人形浄瑠璃「曾根崎心中」「女殺油地獄」「菅原伝授手習鑑」など、舞台・芸能の名作の新訳・全訳を収録。解説つき。」

    松風 世阿弥 作 7−27
    卒都婆小町 観阿弥 作 28−43
    邯鄲 岡田利規 訳 44−59
    金津 岡田利規 訳 60−76
    木六駄 岡田利規 訳 77−99
    月見座頭 岡田利規 訳 100−111
    かるかや 伊藤比呂美 訳 115−168
    曾根崎心中 近松門左衛門 作 169−195
    女殺油地獄 近松門左衛門 作 197−317
    菅原伝授手習鑑 竹田出雲 作 319−487
    義経千本桜 竹田出雲 作 489−638
    仮名手本忠臣蔵 竹田出雲 作 639−775

  • 230731*読了
    能も狂言も、浄瑠璃にも詳しくない。ましてや説経節なんて知りもしなくて。
    観劇したことはないし、なんとなくのイメージしか持っていない。

    そんなど素人ながらも、文章で一つひとつのストーリーを楽しんで、実際に観たくなった。
    近松門左衛門は浄瑠璃を見たことはなくとも、ある意味昔から身近な存在だったし、関西人として曽根崎の地名、お初天神から想起する曽根崎心中は詳しい流れは知らずともとても近しい存在。
    この機会に文章で堪能できたのは何より。ますますお初天神を通るたびに、思い出してしまうだろうな。

    菅原道真は学問の神様として有名で、でも実際どんな人だったかは知らなかったし、忠臣蔵もこんな話だったの?と驚いた。本当に素人すぎてお恥ずかしいのだけれど。

    日本文学全集で、平家物語も読んでいるからこそ、義経や平氏の生き様をある程度知った上で読めたのは義経千本桜。
    千本桜って歌もあるけど、ここから来ている?来ているとしたら、話自体には桜感薄くない?
    みたいな思いも湧きつつ。

    古典を味わうことで心も、人生も豊かになっていく気がする。

  • 女子栄養大学図書館OPAC▼ https://opac.eiyo.ac.jp/detail?bbid=2000055913

  • 2022.03.09 図書館

  • 能は実際に観た時も分からんかったけど読んでも分からんかった
    狂言は面白かった
    説経説も面白かった
    出家した旦那追いかけ回すなよって思ったけど、私も絶対追いかけ回すタイプ
    浄瑠璃は世話物も時代物も人情味があって面白い
    時代物の戦闘シーンはやっぱり生で観たらさぞ面白いんじゃないかなって思う
    女殺油地獄は胸糞すぎて無理だったでもリズムがすごく良かった

  • 合唱曲「おかる勘平」のために

  • 「女殺油地獄」
     授業で習う平安時代頃の古文よりも、はるかに分かりやすい江戸時代の古典。封建的な身分制度や親子関係など現代人には「?」な窮屈さはあえど、時代を超えて人はあんまり変わらない。バカ者な若者が巻き起こすトンデモ事件。痛くて切ない現代的なドラマです。
    (一般担当/あほうどり)令和2年4月の特集「日本の古典を楽しもう!」

  • 「曾根崎心中」と「女殺油地獄」だけ読んだ。
    特に面白かったのは「女殺油地獄」。
    七五調で書いてある部分がリズムよく読めて、文楽での雰囲気がなんとなくわかった。太夫の声と三味線の音が聞こえてきそうな感じ。
    始めは笑いながら読んでたけど、色んな意味でドロドロな展開になってきて圧倒された。
    文楽でも観てみたい!

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著者プロフィール

1973年、神奈川県生まれ、熊本県在住。演劇作家、小説家、チェルフィッチュ主宰。2005年『三月の5日間』で第49回岸田國士戯曲賞を受賞。主宰する演劇カンパニー、チェルフィッチュでは2007年に同作で海外進出を果たして以降、世界90都市以上で上演。海外での評価も高く、2016年よりドイツを始め欧州の劇場レパートリー作品の作・ 演出を複数回務める。近年は能の現代語訳、歌舞伎演目の脚本・演出など活動の幅を広げ、歌劇『夕鶴』(2021)で初めてオペラの演出を手がけた。2023年には作曲家藤倉大とのコラボレーションによる音楽劇、チェルフィッチュ×藤倉大withクラングフォルム・ウィーン『リビングルームのメタモルフォーシス』をウィーンにて初演。小説家としては2007年にはデビュー小説集『わたしたちに許された特別な時間の終わり』(新潮社)を発表し、2022年『ブロッコリーレボリューション』(新潮社)で第35回三島由紀夫賞、第64回熊日文学賞を受賞。

「2023年 『軽やかな耳の冒険』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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