フラナリー・オコナー全短篇〈上〉 (ちくま文庫)

  • 筑摩書房
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  • Amazon.co.jp ・本 (448ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784480425911

作品紹介・あらすじ

フラナリー・オコナーは難病に苦しみながらも39歳で亡くなるまで精力的に書き続けた。その残酷なまでの筆力と冷徹な観察眼は、人間の奥底にある醜さと希望を描き出す。キリスト教精神を下敷きに簡潔な文体で書かれたその作品は、鮮烈なイメージとユーモアのまじった独特の世界を作る。個人全訳による全短篇。上巻は短篇集『善人はなかなかいない』と初期作品を収録。

感想・レビュー・書評

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  • 使用人と雇用主あるいは親と子の心理的真剣勝負、男主人の不在、障害や病をもった家族、アメリカ南部でクリスチャンとして生きるということ、などなど、わりと共通するモチーフで連なる短篇集。たしかにルシア・ベルリンにも通じる(と友人に勧められ、読みはじめた後で川上未映子もそう言っていたことを知った)し、文体も好みでどんどん読めた。で、読み終わってどれが一番よかったかなあとぱらぱら振り返ってみると、似ているようですべてが粒だって甲乙つけがたい。『矯正追放者』や『火の中の輪』の「くるぞ、くるぞ…ああ、やっぱり」っていう破滅にじわじわ向かうスリルもいいし、『人造黒人』のおじいちゃんが思わぬ失言で神の憐れみを知るというのも味わい深いし、初期短編(これが修士論文だったとは、なんたる才能か)の『ゼラニウム』のおじいちゃんや『床屋』のリベラル学者(←こういう人ツイッターとかに今も居そう)のけっして他人事じゃない無様さもいい。でも、一番は『田舎の善人』ですかね。そりゃあジョイからハルガに改名したくもなろうし、最後の展開もあっと驚くし、何よりミセス・ホープウェルがとても他人とは思えなかった。わたしもしたり顔で「なにを言うの!田舎の善人は地の塩です!それに、人間のやり方は人それぞれなのよ。いろんな人がいて、それで世の中が動いていくんです。それが人生というものよ!」とか言ったあげくに痛い目に遭いそう。怖い怖い、気を付けなきゃ…。というわけで上巻だけでけっこう満足してしまったが、いずれ下巻も読みたい。

  • フラナリー・オコナーは1925年生まれのアメリカ南部の作家(短編の名手として知られる)。紅斑性狼瘡という難病に冒され39歳の若さで亡くなるまで、精力的に描き続けたという。本作『フラナリーオコナー全短篇』は彼女の死後にまとめられ、1972年に全米図書賞を受賞している。

    友達に勧められてこの作家を知った。
    オコナーの小説は、日常生活のささいな悲喜劇を通して、人間のグロテスクさ、不完全さを真正面から見つめることで普遍性を獲得している、と思った。
    とても好みの文体だし、「強制追放者」は僕が読んできた短篇小説の中でも(少ないけど)パーフェクトだった。上下二冊で彼女のすべての短編がまとめられていることは嬉しくもあり、早逝していることは悲しい。

  • 書店主フィクリーの物語で取り上げられ、気になって読んでみた本。
    曖昧ストーリーのなかで、複雑な人間を多面的に、淡々と描写されていた。あまりに冷静に語られているため、余計に人のむき出した部分が垣間見える気がする。
    フィクリーが、なぜ興味を持ったのかわかった気がする。

  • なかなか〜のみ読んだけど、辛くてこれが続くとなるときつい。

  • 読後感が悪すぎて、一気になかなか読めなかったのだが、初期作品含めてどれもいい。

    個人的に1番印象的だった話は「強制追放者」でした。救いようなさすぎて。。

  • 雑誌『MONKEY vol29』フラナリー・オコナーの描いた漫画が掲載されています。上手ではないですが強烈なメッセージが伝わってくる力強いペンタッチが特徴です。フラナリー・オコナーの冷静な視線は学生時代から変わっていないというのがわかります。

    ラジオ番組でフラナリー・オコナーを紹介していたのを聞いて興味を持ったタイミングでこの漫画を読みました。これもなにかの縁だとおもって図書館で借りてきました。

    全体の感想としては恐ろしい小説集だということです。その恐ろしさはオコナーの「おまえさんわかったつもりになってないかい」という声が聞こえてくるような感じがするところです。人種差別や暴力にたいしての我々の感情。簡単にそれが良くないことだと感じるのですが、私の中にも差別や暴力に対する快感のようなものが眠っていないかと問いかけてくるところが恐ろしいのです。

    例えば『田舎の善人』。ミセス・ホープウェルと使用人のミセス・フリーマンは娘ジョイの片足が無いこと、これまでの人生で楽しいことがなにも無かったことを憐れんでいる。一方ジョイは大学で哲学を学び周りの人間が学がないことをバカにして、そこだけを拠り所に生きている。そして自分のことを賢いとおもっているジョイがふらりと立ち寄った聖書売りの男に簡単に騙されてしまいます、その男の目的は人間を辱めることなのです。登場人物がすべて他人の悪いところのみみて生きているところがものすごく怖くなってきます。生きていく糧が他人を下にみるところは現在にも通じるところがあると思います。

    人間の恐ろしいところ、いやなところのオンパレードの小説集なのになぜか引き込まれていきます。そこがフランクリー・オコナーの小説のすごいところです。

  • 豚がソファに座るくらいにはっきりしていることだと言った。

  • 書店主フィクリーのものがたり、阿久津隆「読書の日記 本づくり スープとパン 重力の虹」つながり (1)善人はなかなかいない:クルマで旅行中の一家が祖母の粗忽な思いつきに起因する事故にあい逃亡犯に一人一人射殺される(2)生きのこるために:片腕が半分しかない男が強欲そうな老婆の信用を得て耳の聞こえない娘と車で新婚旅行に出て、その先で娘を置き去りにする(3)田舎の善人:田舎町で義足で博士号まで取った娘が田舎の善良な青年とみた聖書売りを誘惑しようとするも、義足を持ち去られ(4)強制追放者:農園を切り盛りする女主人が、ユダヤ人迫害から逃れてきた家族を受け入れたが、いままでの白人男性、黒人男性の密かな反感を得て、事故に見せかけて家族の長が轢き殺され。あたりが印象に残った作品。後味の悪さ、むき出しのものも、密かに抱かれて爆発するように現れる悪意も、読み終えると重いしこりが残る感。著者の意図としては成功なんだろうと思いつつのモヤモヤ感。/「善人はなかなかいないもんだ。なにもかも悪くなる一方ですね。昔は網戸に錠をかけずに出かけたもんだが。もうそんなことはできっこないさね」/「死人をよみがえらせたのはイエス・キリストだけだよな。そんなことはしないほうがよかった。イエスはあらゆるものの釣り合いを取っぱらったんだ」/「人生には、ほんとの楽しみなんかあるものか。」(「善人はなかなかいない」)/「奥さん、人間は二つのものでできている。肉体と精神だ」(「生きのこるために」)/「なんだって完全なものなどありません。」「田舎の善人は地の塩です!それに、人間のやりかたは人それぞれなのよ。いろんな人がいて、それで世の中が動いてゆくんです、それが人生というものなのよ!」/「あんた、あんまり利口じゃないな。おれなんぞ、生まれて以来、なんにも信じたことはないよ。」(「田舎の善人」)/

  • 3.84/289
    『キリスト教を下敷きに、残酷なイメージとユーモアのまじりあう独特の世界を作り出した短篇の名手、F・オコナー。個人全訳。

    フラナリー・オコナーは難病に苦しみながらも39歳で亡くなるまで精力的に書き続けた。その残酷なまでの筆力と冷徹な観察眼は、人間の奥底にある醜さと希望を描き出す。キリスト教精神を下敷きに簡潔な文体で書かれたその作品は、鮮烈なイメージとユーモアのまじった独特の世界を作る。個人全訳による全短篇。上巻は短篇集『善人はなかなかいない』と初期作品を収録。』(「筑摩書房」サイトより▽)
    https://www.chikumashobo.co.jp/product/9784480425911/

    目次
    善人はなかなかいない/河/生きのこるために/不意打ちの幸運/聖霊のやどる宮/人造黒人/火の中の輪/旧敵との出逢い/田舎の善人/強制追放者/ゼラニウム/床屋/オオヤマネコ/収穫/七面鳥/列車

    著者:フラナリー・オコナー (Flannery O'Connor )
    訳者:横山 貞子
    出版社 ‏: ‎筑摩書房
    文庫 ‏: ‎442ページ

  • #八蔵の会

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