- Amazon.co.jp ・本 (234ページ)
- / ISBN・EAN: 9784480426239
感想・レビュー・書評
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本書は、4つのテーマからなるエッセイである。
文庫版のあとがきにある、次のことばが、本書を物語っています。
「ライフワークという仕事のあることをめぐって考えたのが第1章、ついで、ただ知識をふやせばいいという知的能力だけでは不十分、自ら考える必要を念頭に大人の学びを考える第2章、さらに、われわれは島国に生きているのだということを再確認するための文章を集めた第3章、そして、最後は文化の根幹としての教育とことばについて考えた章。」
きになっていることは以下の通りです。
・(ことばをねかす)ねかす期間は、多忙な仕事時間だと思う。見過ぎ世過ぎの仕事に追われて、しばし、酒造りのことを忘れるのは、むしろ、いいことといわねばならない。
・セレンディピティ:serendipity 日本ではあまり知られていない、よい訳もないが、あてにしない偶然の発見というでも訳すのだろうか。
・自由な時間を上手につかうというのは、ぎっしりつまったスケジュールをこなすことではない。何もしないでボーッとする時間をもつことだ。
・自分だけの時間をつくることは長い目でみれば、いちばんの精神的な肥料になる。
・空白の時間の中から、自分の知的関心をそそるものを探し出して、自由な時間の中で育て伸ばして行く。それは当面の仕事となるべく関連の少ないものが望ましい。やがて、人生の収穫期に達したとき、離れたように見えた石と石とが、おのずからつながって、”盤上ことごとくわが陣地なり”という終局を迎えることができる。これが、ライフワークである。
・そもそも勉強が足りないのではないか。四十を越すと読んでいる本は小説くらい。だいたいは、テレビと週刊誌と新聞でいきている。こういうことだから知的に早くふけるのではないかと思われる。
・テーマはねかせたまま忘れてしまっていい。そして、いくら忘れようとしても、どうしても忘れきれないもの、それが、その人にとってほんとうに大事なものだ。
・明治以降に生まれた多くの日本語には汗のにおいがしない。人間味が不足していること、プラスチック製の人形のようである。
・「保守」は、イギリスにおいては、決して、「墨守」や「反進歩」ではない。イギリスの保守はいつの間にか新しいことをやって世界を驚かせるのである。
・感情は理性に比べて感性に支配されやすい。理性はしばしばその慣性から脱出する力を示す。
・中世までは、ヨーロッパは一つの文化圏であった。政治的、経済的にも一つの単位であった。それがルネッサンスを境として、各民族、国民単位の小さな文化に分化した。そして、それがますます個性をつよめて今世紀を迎えた。
・ことばの芸術、文学は、きわめて保守的で移動によわい。外部からの影響に対しても、言語の特殊性によって保護されている。
・文化は国境を越えにくいが、その中でも文学はそれを表現する言語とともに、もっとも、移動、交流の困難なものであるということがいえよう。
・陸続きの外国をもっていない地理条件は、国民の純粋、潔癖、孤立などの特性を助長するが、何よりの特色は外国、ならびに外国人に対する過敏さであろう。
・日本と似た島国であるイギリスは、形式的な鎖国こそしなかったものの、目に見えない鎖国をしてきているといってよい。イギリスの歴史や文化はすべて、イギリス人の手によってのみ成ったもののように書かれている。
・島国では、通人が読者であるから、くだくだ説明するのはくどく、うるさいと感じられる。理に堕するものは、月並みである。なくてもわかる部分を削ぎおとすところに日本の詩学の原理がある。
・日本文化は中国の大陸形式を学んで、日本という島国の中で移植する過程において、独自の島国文化を生み出したのであった。これからの時代において、われわれは、大陸形式をもった文化から積極的に学んでいかなくてはならない。すなわち、アメリカであり、ロシアであり、中国である。
・漢字を重ねた名詞は、多く外来の思想や文物を伝えるものであるに対して、仮名であらわされる動詞のほうはわれわれの遠い祖先の心を宿している。
・漢字という独自の表現手段をもつ日本語においては、視覚的表現の可能性は、なお、きわめて大きいように思われる。
目次
第1章 フィナーレの思想
第2章 知的生活考
第3章 島国考
第4章 教育とことば
文庫版あとがき
ISBN:9784480426239
出版社:筑摩書房
判型:文庫
ページ数:240ページ
定価:560円(本体)
発行年月日:2009年07月
発売日:2009年07月08日詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
1978年にそれまで書き溜めていたエッセイをまとめたものが2009年にちくま文庫として読み継がれている。
今(2023年)、改めて読んでも十分に読み応えがあった。学ぶところがあった。
時事的な話題はやはり半世紀ほど前のもの。逆に昭和の時代を当時の知識人がどのように見ていたのか、という意味で興味深い。
特に「市民的価値観」の章で、当時の日本人に「幸福の哲学」が欠如しているという指摘。
「あとがき」で外山滋比古さんが語っているが、エコノミックアニマルと日本人が海外から揶揄されていた時代、日本が経済発展を遂げ、衣食足りた時に、「人間と文化」を考えたいと思い、これらのエッセイを書き溜めたという。
こういう時代背景で書かれたエッセイを読んで、それから半世紀経過した今の社会はどうなっているのか?
個人的には今の日本人は「幸福」志向の人の割合は当時よりは格段に高くなっているのでは?と思う。 -
なるほど、外山滋比古さんの初期の一冊なんだ。と気づいた一冊でした。
その理由の1つは書き方です。
シンプルに、テンポよく読ませる書き方が売りだと思っていたのですが、この本では、少し歩みが遅くなる印象。あれ?別の人の本かなと思ってしまいました。
その後の本にも通じる考えがあるので辛うじてわかった、という印象です。
もう1つ。これは御本人ではなく、編集の課題です。
本の中でもエディターという話題が出てきますね。一貫性がうまく感じられず、ここでこのテーマになる理由は??と頭をひねることが数回ありました。一部読み飛ばして読了です。
ライフワークに関する本だ、と事前に構えていたからかもしれません。多様な文化論の本、と思えばもう少し取り組めたのかも。
外山さんの荒削りな初期作品、というのが私の位置付けです。
これから彼の作品に手を出そう、という方には別の本をオススメします。
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ライフワークとはバラバラになっていた断片につながりを与えてある有機的統一をもたらす一つの奇跡、個人の奇跡を行うこと。
一旦習得した知識をバラバラなものではなく、まとまりのあるものにする。
自分のプライベートな利益のために、パブリックなものを利用する考えは卑劣である。これは実業界が教育界に役立つことをやれと注文したときのくだり。
新しい言葉を少しずつ覚えるのが若さを保つコツ。たは著者の談。
1978年の著書を改題した本。考えること。ただ知識を増やせばよいのではなくまとまりのあるものにすることは意識する。
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たまたま古書店でタイトルが気になって読んでみたんだけど、タイトルに関わるのは最初の二篇だけで他は関係ないエッセイだった。そしてなんというか思い込みと決め付けのオンパレードという印象。ベストセラーの『思考の整理学』も全然だったしこの方と合わないんだなぁ。
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忘れることの重要性について、学ぶことが出来ました。
頭で覚えた情報は適宜忘れていかないと、新しい知識が入る余地がなくなり、知識欲の低下や精神的な不調につながると本書では指摘しています。
本書が書かれたのは1970年代ですが、インターネットで際限なく情報が収集できる2023年現在において、物事を忘れることの重要性は一層増していると思います。
せめて、業務時間以外は仕事のことを考えないようにして、些細な物事は積極的に記憶の彼方へ飛ばしていこうと思いました。 -
昭和40年代や50年代くらいに
元々書かれていた本のようで
情報としては古かったり
ズレがあったりするものの
ものの考え方とかヒントになる
言葉や文章がいくつかあった
ブックオフ妙興寺店にて購入 -
参考図書
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蔵書整理で手放すので、再び出会い読む日もあるか
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ちょうど一年前に読んだのですが、忙しい時期だったようで、何もコメントしていませんでした。
改めて読み直してみました。
p.21 日本の文化は、若年文化だという。若いときには華々しくても、少し歳をとるとダメになってしまうという意味らしい。たしかに、意気込みのようなものが減少してしまうのかも知れない。
定年を人生の折り返し地点と考える場合もある。老後が長くなったという意味では、それもありなのかも知れないが、どうしても(職業としての)仕事が中心の発想であり、仕事がなくなったので、さて、何をやるかでは遅すぎるのは明らかだ。
お金や時間があっても、体が動かないでは意味がない。
また、p.14 カクテルと地酒の比喩も面白い。それは、既存の酒を混ぜているだけでは酒を造ったことにはならない。そして、本物の酒を造るには、時間が必要だし、ねかすことも大切である。多忙な仕事時間は、ある意味、このねかす期間にあたり、酒造りのことを忘れているのは、むしろいいことだそうだ。
どうしても研究者としての発想ではあるが、なるほどと思った。問題は、私の場合、ねかす前の仕込みというか、種がまだ見つかっていないことだろうか。
全体は4つの大きな章立てになっており、第一章がライフワークにも触れている「フィナーレの思想」、第二章が「知的生活考」、第三章が、ややパブリック・スクールの話が長いが「島国考」、そして第四章が「教育と言葉」。
面白く読み進めることができるし、発想もユニークだが、読後、やや散漫な印象は残る。でも、あとがきによれば、30年も前に出したものだそうなので、30年後も価値がある思想というのは、ある意味立派な「ライフワーク」であったと言えるのではないだろうか。 -
”みなとみらいのブックファーストで店頭にならんでいたのをみて購入
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T:
P:
O:
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★どんなに貧しく、つつましい花であっても自分の育てた根から出たものには、流行の切り花とは違った存在価値がある。それが本当の意味での“ライフワーク”である。(p.12)
・カクテルと地酒の比喩(p.14)
酒でないものから酒をつくった時、初めて酒をつくったといえる。ただし、その過程で失敗すれば、甘酒になってしまうかもしれない。酢ができてしまうこともあるだろう。必ず酒になる保証はないが、もし、うまく発酵してかりにドブロクでもいい、地酒ができれば、それが本当の意味で人を酔わせる酒をつくったことになる。(中略)
★われわれは、地酒をつくることを忘れて、カクテル式勉強に熱中し、カクテル文化に身をやつして、齢をとってきた。(中略)もちろん、すばらしいカクテルをつくってくれる人も必要だが、それで、酒をつくったように錯覚してはならないのである。
・根のあるものは一時、葉の散ることもあろうし、枝の折れることがあるかもしれない。けれども、めぐり来て春になれば、再び芽ぶき、花をつけ、そして実をつける。(p.23)
・そろそろこの辺で、できてもできなくても、酒をつくってみるべきだ。(p.26)
★人生の酒に必要なのは経験である。この経験を本などを読んで代用したのでは、カクテルになってしまう。やはり、その人が毎日生きて積んだ経験と言うものを土台にしなければならない。そして、それに加えるに、経験を超越した形而上の考え方、つまり、アイデア、思いつきをもってする。経験と思いつきとを一緒にし、これに時間を加える。この時間なしには酒はできない。時間は酒を“ねかせる”ため、経験とアイデアをねかせて作用させるのだ。頭のなかにねかせておいてもよいが、この二つのことを何かに書きとめておくのが便利である。そして、時々これを取り出して、のぞいてみる。のぞいてみて、何も匂ってこなければ、まだ発酵していない。何となく胸をつかれる思いをしたり、何か新しい思いつきに向かって頭が動き出す。(p.27)
★たしかに前へ走ることは進歩だ。だが、折り返し点ではそれまでの価値観をひっくり返して、反対側に走ることがすなわち前へ進むことになる。(中略)人生のマラソンにおいては、折り返し点を過ぎたら、今までとは逆の方向に走るということが、プラスなのだという発想の転換に達するのは生やさしいことではない。
エリートが齢をとるとだんだんつまらない人になってくるのは、彼らが一筋の道を折り返しなしに走っているからだろう。(p.30)
・小出しに与えられた断片的知識を、小刻みに習得する。学習の方法はどうしても分析的にならざるを得ない。(中略)しかし、いったん習得した知識はバラバラなものではなくて、まとまりのあるものにしたい。この二つの立場を調和させるにはどうしたらよいのか。それに成功したとき、「知識は力なり」(ベーコン)と言うことのできる知識になる。(p.50-51)
・目のまわるような忙しい生活の中で、何かのはずみに見出されるしばしの間の仕事からの解放、それがヒマである。(p.74)
・入って来るインプレッションの方が出て行くエクスプレッションよりも圧倒的に多い。この両者のバランスをとる役割を果たすのが忘却である。隠れた表現行為であり創造活動であるということにもなる。
#忘却は「創造活動」である!?
・三科・四学(文法・修辞学・論理学・数学・音楽・幾何・天文)のいわゆる自由七科 (p.93)
#イギリスのパブリック・スクールに関して。
・泥縄式=muddling through
★感情は理性に比べて慣性に支配されやすい。(p.127)
理性はしばしばその慣性から脱出する力を示す。同じ感情にしても、その内面の豊かなものはより強力な慣性を生ずる。しかし、慣性が必要とする十分な精神的エネルギーを伴わなくなると、惰性が起り、保守の弊害が表面化する。その惰性を克服する方法がすくなくとも二つあるように思われる。
一つは、慣性の力を理性で意識的に削減するのである。(中略)
もう一つは、惰性をそれからすこし離れた立場から見る態度である。慣性の勢いをちょっとかわしておいて、別の価値から批判する方法である。この方法から生まれるのが風刺やヒューマーである。(p.127:コンサバティヴ)
・どうもわれわれには交換という考えが乏しいように思われる。(中略)
精神文化の交易となると、事情はまさに逆で、一方的輸入である。何でもかんでも外国のものを借りる。(中略)入れたらお返しに何かを出そうという考えがない。(p.154-155:島国考)
・陸つづきの外国をもっていない地理条件は、国民の純粋、潔癖、孤立などの特性を助長するが、何よりの特色は外国、ならびに外国人に対する過敏さであろう。(p.157)
★役に立つ教育といったケチな目標でなされることが、子供の魂に火をつけるわけがない。(p.176)
・ただ、男性的性格を忘れてしまうと教育は骨格を見失いかねない。目先きの細かいことをやかましく言っても、長い目で人間の教育は何をなすべきかというようなことが欠落しては泰山鳴動してねずみ一匹出ないかもしれない。教育熱が高まって教育はいよいよ荒れ乱れるというおそれもある。(p.178)
・ある人間をダメにしようと思ったら、やんわり、繰り返して、「あなたはダメになります」と言っていればいい。本当にダメになってしまう。ご亭主にそういうことを口ぐせのように言っている奥さんもすくなくない。結果は奥さんの予言のとおりになってくれる。(p.224)
#ひょえ?、こわっ!!
・生活の条件がないときに若さを保つにはどうしたらいいか。いちばん簡単なのは、新しいことばを毎日すこしずつ覚えることだろう。(p.231)” -
自己啓発
思索 -
図書館
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1982年に出版された文庫を、再び発行した外山さんの本。当時の社会情勢についてふれながら説明している文書もあるので、今読むと「あれ?」という感じのところもないわけではない。とはいえ、示唆に富んだエッセイであることに代わりはない。
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2009年7月が初版
ということなのだが、新装版に近い。もとは1978年に出版された「中年閑居して・・・」という本らしい。
はじめ全くそれを意識してなかったので為替の話がでてきて驚いた。かなり時代がずれているのだが、でも現代にも通じるところは結構ある。
30年以上時代は過ぎてもそこに暮らす人々の意識というのはあまり変わっていないのかも知れない。
さて、内容は「ライフワーク」についてとその他エッセイ。 -
ベストセラー「思考の整理学」を書いた外山滋比古さんの40年前の書籍(エッセイ集)を文庫化した本です。
もともと、「中年閉居して・・・」というタイトルを「ライフワークの思想」と改題して出した本なので、ライフワークについて書かれているのは第一章だけ。
第二章は学び、第三章は島国論、第四章は教育とことばについて書かれていて、二章、三章は難しかったので、パラ読みした。
ただ、40年前に書かれた本が、今にも通ずる内容になっており、驚愕しました。とくに第一章のライフワークについては40年前から日本の社会がほとんど変わってないことが分かりました。脱帽です。
<メモ>
・人生80歳として、45歳が折り返し地点。前ではなく反対に走る。ゴールに戻る。
・週に一度は家族からも離れる一人の時間を(無為の時間)
・経験と思いつきを混ぜ合わせ、これに時間を加え、ねかせる。発酵させる。
・生活にすこしゆとりが生じると人間は幸福とは何かを考える
→カネや物が豊かであればあるほど幸福だと信じる
→やがて、経済力と幸福とは正比例しないことを知り、改めて、幸福とは何ぞやと -
20150323読了。
咲いた花を切り取ってきて飾る。その花は散ってしまえば終わりだ。その花の咲かせ方を知らなければ、ライフワークとは言えない。
ずしんと響いた。球根から花を咲かせる方法を知らなければならない。何年か後にもう一度読みたい。 -
外山氏の本は二冊目。思考の整理術を読んで以来。
この本は、タイトルと若干のズレがあるように思うのと、構成がイマイチわかりづらいのが難点ではあるものの、平易な言葉で深い深い考察が書かれているので、戦前生まれの知性に触れるにはとてもよい本だと思います。外山氏が一貫して主張することがこの本にも書かれている。
あと、同じ島国の大国であるイギリスについての考察が、突如として現れるのも面白い。
東浩紀さんが動物化するポストモダンで書いてた、大きな物語から、データベースの切り売りへ、という考え方のベースがこの本にも意外にも語られているので、触れてみてもよいかも。 -
人生の折り返しは定年とかで決められた事ではなく出家のように自ら決めること
折り返し後は今までとは逆方向に向かって走る -
『ライフワークの思想』
外山滋比古
……自分で考えるより、こっそり教えてもらった方が手っ取り早い。どこかに書いてあるのではないかというので、本を読む。それを知的生活のように錯覚しているとしたら滑稽である。(p35)
★つまり自分で考えて、行動に移さなければならない。考えるとは、読むことではなくそこからもう一歩すすんだ場所にあるのではないだろうか。
よく、落ちついてじっくり勉強がしたい、という述懐を耳にする。ソロの世界をあこがれ現実を逃避しようとしているのであろう。雑然とした多様の中においても、コンダクターがしっかりしていれば、すばらしい創造が可能である。
人生を芸術にする——これぞ最高の知的生活である。(p45)
★現実の慌ただしい生活の合間に、音楽や本を読む。機会を伺っているだけでは、日々は過ぎ去るのみである。 -
一度では足らんな。日をあけて再読要。
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外山滋比古さんの本は『思考の整理学』につづいて2冊目でした。書名の内容は概ね1~2章で終わり、3章以降はちょっと別のテーマで書かれているような感じでした。文化・言葉・教育・・・そこから派生したいろいろ。
いつもこういう文体なんでしょうか。とても親近感のある読みやすいタッチです。
底本が書かれたのが、1980年代、だったかな?扱われている事件や流行には時代を感じるものが多いですが、主張は色褪せないものですね。
ただ、もう少し年齢を重ねてから読んでもよかったのかな。と思います。 -
人生80年~90年。年々平均寿命は延びています。作者は、人生の折り返し点後の生き方に考えを巡らせます。昔の人は出家することで、それに区切りをつけていたそうです。
人生をマラソンに例えれば、うっかり折り返し地点を過ぎてしまうと、頑張って前に走れば走るほどゴールから遠ざかってしまう。人生のフィナーレは定年を迎えたときではありません。われわれは最後の最後まで、レースを捨てずに走ろう、と作者は呼びかけます。
定年より前にじっくり読み返して欲しい、そんな一冊ですね。
詳しくはこちら http://d.hatena.ne.jp/ha3kaijohon/20120326/1332724138 -
外山滋比古、知的生活について再考すると、知と体との手を握らせることである。よく、落ちついてじっくり勉強したいという述懐を耳にする。人生を芸術にする−これぞ最高の知的生活である。
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外山滋比古のエッセィ集。外山先生の著書は「思考の整理学」など日常生活の出来事を鮮やかに切って見せる独創的な中味で随分多くの人に読まれてきました。この文庫本も最近出版されたばかりですが、書き下ろしではなく、元は30年余りも前に書かれた内容に削除や加筆して出版したというからその色褪せない新鮮さに驚くばかり。
30年も前に出された本(特にエッセィ集など)は大抵の場合絶版となっているのが常です。
本のテーマとなっているライフワークの花という章はところどころにポストイットを張り付けていくほど、重要な語句がちりばめられています。
曰くライフワークは文字通り生涯の仕事であって晩年になって初めて結実する。切り花ではいけない根のついた花である。自由時間とは週休2日の時間のことよりも定年後のいつまでも暮れない薄暮のような時間のこと。・・・いままでは、充電したバッテリーを使い切るまで突っ走るという形で仕事をしてきた。しかし、これからの社会では、絶えずバッテリーに充電するか、他日に備えてスペアを持っていないと危険である。・・・それは単に保険の意味ではない。自分の生きがいとして、人生の豊かさにつながるところで、能力の備蓄、可能性のゆとりを持つことである等など。
外山先生はいつも思うのですが、比喩がとても巧みです。人生を酒作りやマラソンや囲碁に例えて話すなど随所に見られます。発見する、新しいものを考える源泉には比喩、類推というような広義の比喩作用がとても大切だということをおっしゃっています。そして、知識を入れるだけでなく、むしろ活発に忘れることも大切と強調している。忘れることで心はいつも新しいものを迎えるゆとりを持つことができるという。この考え方、都合良く解釈し、忘れっぽい私などには大いに味方しているようで嬉しいものです。
それにしても、1923年生まれということは・・先生おいくつですか~!?(多分この事実が一番びっくりです)
是非とも気軽に皆さんに読んでいただきたいお勧めの本です。 -
刊行は1978年と古いが、著者の考え方は現在にも通ずる所がある。現在我々はgoogleなどの「検索」を駆使して、いわば《切花》のおいしい部分だけを他人の力を利用して簡単に知ったつもりになっているが、《球根》的な自分で考え出したアイデアではない。これは愚かなことかもしれない。「根がなければ花は咲かない」のだ。
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「思考の整理学」の外山滋比古氏が同著以前の
1978年に記述した本。
タイトルの「ライフワークの思想」の他、
複数のテーマについて著者なりの理論が展開されている。
内容は「思考の整理学」の同様にやや難解。
複数回読み込まないと理解しにく上、
30年以上前という初稿の古さから納得感に欠ける点も多い。
しかし、
ライフワークは新たなるスタートではなくフィナーレに向かうもの。
忘却は恐れる必要がない。
等、考え方としては一般的でないものもあり、
新しい気づきも多かった。 -
>どんなに貧しく、つつましい花であっても自分の育てた根から出たものには、流行の切り花とは違った存在価値がある。それが本当の意味での“ライフワーク”である。
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幸せに生きるためには、他人が持っていて自分が持っていないものを妬んだりせず、自分が持っているものを大切にすることが大切なのかもしれませんね・・・ -
「ライフワークの思想」5
著者 外山滋比古
出版 ちくま文庫
p62より引用
“この世にまったく新しいものは決してなく、
どんなに新しいものでも、何らかの意味で、
これまでのものとかならず何らかの関係をもっている。”
英文学者である著者による、
生き方や言葉に関する事柄を取り上げ、
著者独自の視点で分析・解説した一冊。
創造の為には忘却によって調和をとる等、
少し驚きを覚えるような考え方が目白押しです。
上記の引用は、
発見についての章の中の一文。
どんなに風変わりで奇妙な物や作品であっても、
材料がまずなければ出来上がらないと言う事でしょうか。
この本にある通り、
ライフワークを花咲かせる為にも、
今はひたすら材料をたくさん仕込んでおこうと思います。
多くの材料を用意し時々忘れ、
いつかこれが自分のライフワークだと、
家族達に胸をはれる物を作り上げたい物です。
考え方の方法のひとつとして。
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