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感想・レビュー・書評
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出張に持って行ったキンドルである本を読み始めたのだけれど、どうも気分的に乗れず、キンドル内に積ん読していた『それから』に手を伸ばした。
芸術や文化を追求し、労働はそれを妨げるものにすぎないとして、親のすねをかじりながら生活している代助が、友人・平岡の妻に惚れてしまう。親から勘当され、友人も失いながら恋愛に進むことを選んだ代助だが、生活の糧を得る術を全く持たない自分に気づく。そして、代助の『それから』は破滅に向かうのでは、と思わせて物語は終わる。
初めは、代助をモラトリアム、あるいは現代でいうニートに近い人物としてとらえて軽い気持ちで読んでいたが、この小説が書かれた時代をふと思い出し、実はテーマは重いのでは、と考えを改めた。『それから』が書かれた1909年は、日清戦争、日露戦争に勝利し、西欧列強に肩を並べようとしていた時代。そう考えると、西欧から始まった芸術や文化を追求した代助は、当時の日本の姿そのものに重なってくる。そして、その代助は破滅を予感させて終わる。漱石は、西欧を意識しすぎることへの警笛を鳴らしたかったのか。そう考えると、俄然この小説の重量が増した。 -
とくに
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精神的世界に生きるか
物質的世界に生きるか
「自由に」生きるってどういうことか
家族・社会に従う生き方とそうでない生き方
そういった対比でならわかるけど
美しいと思うことが一緒とか
そういう価値を分かち合う相手と共に生きることを選ぶ
でもそういう相手との生活をするために
労働をしなければならなくなった時
その相手は変わらず理解できる相手でいてくれるのか
それとも肉に生きるようになった時点で大切な相手ではなくなってしまうのか
「それから」というタイトルの通り
家が絶対的な力を持っていた時代から個人が浮かび上がってきた時の悩みをヒリヒリ感じさせる -
最後の急展開に驚かされた。赤の描写まで引き込まれて行く感じがたまらなかった。ただこれを味わうにはやはり前半の進むようで進まなかったりたまに少し進んだりする場面が確かに必要だと思った。
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『三四郎』『それから』『門』と続く夏目漱石前期三部作の二作目。主人公の代助は30歳過ぎて就職も結婚もせず、難しい本を読んで高尚な理屈ばかり並べている“高等遊民”。実家を離れて親の金で暮らしているのに何故か家に使用人がいる。親から何度も見合いを紹介されながら断り続けている。そして実は友人の妻に横恋慕している。要するに、気位ばかり高いニートだ。
「働いたら負け」という有名なニートの言葉があるが、就職に対する代助の態度もそんな感じだ。初版発行は1909年なので、100年前からそんな人物がいたのかと思うと、日本のニートの歴史は長さに驚かされる。もちろん代助は架空の人物だが、そういう人が全然ありえなかったわけではないのだろう。
いつまでも結婚せずにいて家族から心配されている点は自分と共通だが、その理由は全然違うし、彼の生き方には共感も羨望も感じない。ただ、かと言って軽蔑する気にもなれないのが不思議なところだ。こういう人が友人にいたら、それなりに面白く付き合えるかもしれない。 -
主人公・代助が友人の妻を奪う話です。
これだけを書くと社会的な側面だけに着目してしまい、不実な奴で終わってしまいますが、実は様々な側面があり、奥行きが深く清々しい作品だったりします。代助の心の変化が絶妙に描かれていて、読み手まで心臓がバクバクします。退屈な『吾輩は猫である』とは違い、本作は非日常で地に足が着かない心持ちへ誘(いざな)ってくれます。
そして日露戦争が終わってしばらく経った明治末の東京、その雰囲気が良く伝わって来ます。『坂の上の雲』では、明治を「高揚感」と表していますが、本作はあまり明るく描いてません。それにしても、このような現代でも通用するストーリーを目の当たりにすると、やはり人間の本質はそうそう変わらないものだと実感してしまいます。
最後に主人公・長井代助、どこか他人とは思えない程、自分にも共通する部分があります。それとも誰もが少なからず持っている資質なのでしょうか?ともあれ代助に好感を持ってしまったのは確かで、それを非難されても構いません。明治末、彼らはどんな気持ちで大正を迎え、昭和へ進んで行くのでしょうか?昭和に入る頃、代助は今の私と同じくらいの歳になります。同じように新年号を迎える平成末、代助と自分を無理くりダブらせながら楽しみ尽くした一冊でした!