強烈なメッセージで、
大衆に馴染むことのつまらなさを
改めて教えてくれた作品。
読めば読むほど岡本太郎の世界観に引き込まれていく
圧巻であった
下記、特に惹かれた部分抜粋
p.36
人生を真に貫こうとすれば、必ず、条件に挑まなければならない。いのちを賭けて運命と対決するのだ。そのとき、切実にぶつかるのは己自身だ。己が最大の味方であり、また敵なのである。
自分を大事にしようとするから、逆に生きがいを失ってしまうのだ。
p.39
他人から見ればとるに足らないようなバカバカしいものでも、自分だけでシコシコと無条件にやりたくなるもの、情熱をかたむけるものが見出せれば、きっと目が輝いてくる。
これは自己発見だ。生きていてよかったなと思うはずだ。
p.60
「どうしてこうなんだろう」とか「これでは駄目だということはよくわかっているんだけれど、どうしたらいいか、その方法がわからない。行動に移れない」などと考えこんで、結局、自己嫌悪におちいってしまったりする。
そういう人の特徴は、みんな自分だけは特別だと思っていることなんだ。「自分は」だらしがない、「自分は」神経質だ、とか。そう思いたいかもしれないが、それは違う。ウヌボレだといってもいい。そんな人間は、がっかりするくらい、この世の中にいっぱいいる。むしろ、ほとんどがそんな人間だと思った方がいいかもしれない。
p.61
一度でいいから思い切って、ぼくと同じ駄目になる方、マイナスの方の道を選ぼう、と決意してみるといい。
p.126
ハイウェーでばく進しながら、その画一的、いわばスマートな身軽さを身につけながらも、しかし同時に、ジャングルの中を押し分けていくあの冒険。不如意。希望。失意とファイト。その孤独の戦いともいうべきロマンティスムを、意志的に自分に課すのだ。その対極的な相互作用に、身体全体をぶつけてこそ生きがいだ。
p.127
現代の小市民生活の単調さ、空しさは、一般的だ。だから束の間にもせよ、そこからの脱出をねがう気持ちはわかるのだが、「冒険」では実は己自身も、社会の運命も、小ゆるぎもしない。そういう安定した社会、生活、ふだんの土台に、いつでも戻ってきて心身を休められる。
それを期待し、頼りながら、ただ一時期、羽目をはずしてみるだけ。全体的、全運命的責任はとらないのである。
p.132
人間は、必ずしも成功することがよろこびであり大事なのではない。闘って、後にくずれる。その絶望と憤りの中に、強烈な人生が彩られることもある。
p.132
俗に"失敗は成功のもと"という。そんな功利的な計算ではなく、イバラの道に傷つくことが、また生きるよろこびなのだ。通俗的な成功にいい気になってはならない。むしろ"成功は失敗のもと"と逆に言いたい。その方が、この人生の面白さを正確に言いあてている。
p.134
経営者ばかりを集めたセミナーに話をたのまれた
中略
ぼくの前の講師の話は日本はやがてアメリカをおさえ、しのぐという勢いのいいものだった。まことに結構。だがそういう話を聞くたびに、ぼくはいつでも、ふと、それが一体われわれの運命をほんとうに変えて行くのかという、いささか絶望的な反問が心に浮かぶのだ。
ぼくの番になった。壇上からあらためて聴衆を見渡し異様な気分にとらわれた。・・・見るからに経営者。ビジネス、利潤追求だけに専念している、その外の人生は、ゴルフかマージャンだけというような。みんな同じ顔、同じ目つきで、ネクタイを締めて、ゾロッとすわっている。禿げた人、四角い顔、眼鏡、それぞれ違うのだが、同質に見える。ふと、何か異種の動物の前に立たされているような気持ちになった。
p.193
お互いに甘えて、さわらずに、そうっとしてればうまくいくような感じだし、優しさが一番のぞましいと思われている時代だから。きびしく自分というものを追求していこうとすると危険だ。親子関係じゃなく、すべてにそう言える。無難な方へ、無難な方へと行く。
そういうところに今日の空しさがある。だから一見幸せなようだけれども、その裏側に何ともいえないうそ寒さがある。
ぼくは生きるからには、歓喜がなければならないと思う。歓喜は対決や緊張感のないところからは決して生まれてこない。そういった意味で、親子の間にも、人間と人間の対決がなければならない。
p.198
ぼくは『今日の芸術』という著書の中で、芸術の三原則として、次の三つの条件をあげた。芸術はきれいであってはいけない。うまくあってはいけない。心地よくあってはいけない。それが根本原則だ、と。
ただ一言、「美しい」ということと「きれい」というのはまったく違うものであることだけをお話ししておきたい。
「醜悪美」という言葉も立派に存在する。
p.202
美人というのは本質的に女性の数だけあるとぼくは思っている。もちろん男性においてもだ。
p.203
ほんとうに生きようとする人間にとって、人生はまことに苦悩にみちている。矛盾に体当たりし、瞬間瞬間に傷つき、総身に血を吹き出しながら、雄々しく生きる。生命のチャンピオン、そしてイケニエ。それが真の芸術家だ。
p.207
ぼくはここで一つ提言したい。ひどくユニークで、突飛だと思われるかもしれないが。いま、この世界で必要なことは、芸術・政治・経済の三権分立である。
p.208
政治家は自分たちの囲いの中で権謀術数、かけ引きのかたまり、経済人はソロバン勘定だけ。その面ではきびしいが、人間としての生き方の哲学については、まるでうとい。と失礼ながらそんなふうに思えてならないのだ。
p.212
明治百年以来、日本人はなりふり構わず、大変な背のびをしてきた。その結果で経済大国にはなったようだが。しかし国や組織ばかり太っても、一人一人の中身は逆に貧しくなってしまったのではないか。
「日本人」は変身しなければならない。
政治家よ、エコノミストよ、官僚よ、もっと人間になってほしい。そして芸術家に。
p.212
芸術と言っても、何も絵を描いたり、楽器を奏でたり、文章をひねくったりすることではない。そんなことはまったくしなくても、素っ裸で、豊かに、無条件に生きること。
失った人間の原点をとりもどし、強烈に、ふくらんで生きている人間が芸術家なのだ。
p.245
自分を大事にしようとするから、逆に生きがいを失ってしまうのだ。
p.246
人間本来の生き方は無目的、無条件であるべきだ。それが誇りだ。死ぬもよし、生きるもよし。ただし、その瞬間にベストをつくすことだ。現在に、強烈にひらくべきだ。未練がましくある必要はないのだ。