《國分 ところがアーレントに言わせれば、動機は、明るみに出された途端、その背後に別の動機を潜ませているように思わせてしまう。だから動機を公の光の下に曝け出そうとすれば、誰もが偽善者になる。でも、革命の推進へと向かう動機を尋ねられたほうは、頑張ってそれに応えようとする。そして応えようとすればするほど墓穴を掘ることになり、結局は「お前は偽善者だ。反革命だ」ということになって、ギロチンにかけられることになるわけです。何でもかんでも理性の光の下に晒そうとすると全員偽善者になるので恐怖政治が起こる。これがアーレントによるロベスピエール批判なんですね。
(…)さらに厄介だと思うのは、ロベスピエールは「お前は偽善者だ!』と言ってきたけれど、今の社会はそうして語られた「動機」を評価してくるし、場合によっては信じてしまうわけでしょう。これは、心には光を当てても見えてこない闇の部分がどうしても残るのだという感覚をずっと否定されているということであって、何か感覚がおかしくなってしまうのではないか。》(p.57)
《千葉 動機を言語化できなくてはならない、説明できなければ動機ではない。しかしそれこそが、信頼を崩壊させる。だから「心の闇」が大事だということですよね。》(p.57)
《國分 エビデンシャリズムに対して僕は「言葉の力」ということを言いたいと思うけれど、それは明らかにある種の不平等の肯定とつながることも同時に確認しなければならないと思います。そこには、できる人とできない人という明確な能力差がある。》(p.59)
《千葉 今コミュニケーションの問題で苦しむというのはどういうことか……一方で、行為を私的所有するネオリベ的主体としてもうまく振る舞えなければ、他方では行為のコミュニズムに身を投じることもできないというダブルバインドがあるのではないでしょうか。》(p.66)
- 感想投稿日 : 2021年11月18日
- 読了日 : 2021年11月18日
- 本棚登録日 : 2021年11月18日
みんなの感想をみる