- Amazon.co.jp ・本 (283ページ)
- / ISBN・EAN: 9784048836814
感想・レビュー・書評
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テレビでは拝見したことがあったけれど
まだ著書を読んだ事がなかった米原万里さん。
まだ途中ですが、おもしろーーーい!
眠れなかった。
はやく続きが読みたいな。 -
いままで読むこともないだろうと
思っていた作家さんですが、
素敵な出会いができました。
考えさせられつつ、楽しめる作品です。 -
まじいいよ。最高。
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タイトルと表紙に惹かれて読みたいなーとずっと思ってた本でした。
中身はソ連や東・中欧の内紛とか共産主義とかそういう背景のノンフィクション小説で、はっきり言ってそっち系にめちゃくちゃ疎いのでぶっちゃけよくわかりませんでした・・
アフリカとかイスラエルとかの内紛とか民族戦争とか宗教戦争とかの映画や
ちょっと前の戦争(第1次とか、湾岸とかベトナムとか)映画や
すごい昔の戦争(十字軍とか?)映画や本など
けっこう見てなくもないのですが、世界史やってなかった・・というかそういう常識がないので、わからないまま見てわからないなりに考えたり泣いたりうなったりしてます
背景とかもろもろわかってたほうが、面白いし得られるものも全然ちがうんだろうな~勉強大事だな~とは思うのですが、
勉強って然るべき時(環境や時間やモチベーションが整ってるとき)にやらないと、なかなか独学でやろうと思っても難しい気がします
勉強だと思うからだめなのかな。笑
ということで、少女時代の純粋さとか、共産主義っていうちょっと特殊な環境での思想とか、体制への疑問とか、ままならない世の中への不満とか
時間をこえて再会したともだちへの思いとか
時間が経ってもかわらない友情とか
いろいろ面白かったのですが、
あまりにソ連とかチェコとかルーマニアとか、その辺の知識がないので、読んでて申し訳なくなりました。
とりあえず何を読めば大体その辺の事情がわかるのかなー
世の中知らない・わからないことだらけで、うっかり口が開けません。ばかなのがばれてしまう´о` -
米原さんは、『オリガ~』を読んで、ああこの人は愛される人だな。と思った。
それまで、この方の小説を読んでこなかったのがちょっと惜しかったかも。
作者がプラハ・ソビエト学校に通っていたころの思い出話から始まるので、どの話もとても読みやすく、帰国後に、友人の現在を訊ねるストーリーは、推理小説のようでもある。
日本人は島国に住んでいるので、地続きの国境を挟んでせめぎあう民族どうしの感情がわかりにくい。という。
ナショナリズムって何?
国際的って、何でも受け入れること?
でも、自分の血って、そんな簡単なものじゃないんだなと、その根の深さに惑ってしまった。
プラハにあるソビエト学校には、共産主義系の国、もしくは共産党のある国から、家族の仕事の都合で引っ越してきた、常時50ヶ国くらいの子供たちが通ってきていて、そこでは誰もが、自分が祖国を背負っている。
祖国から遠く離れているほど、彼らは祖国を深く思う。愛する。
自分がその地を踏んだことがないのに、ギリシャの空の青さをうっとりと語るリッツァ。
チェコの幹部の娘で、その祖国を非常に自慢していたのに、成長してイギリス人と結婚してからは「もう私はイギリス人も同然よ」と語るアーニャ。
自分はそうと思っていないけれど、両親がムスリムだったから、ムスリム扱いされて、友人だった人びとからも無視されて苦しむヤースナ。
自分の国って何?
もっといい部分も、たくさんあるのにね。
自国の政治家をけなす言葉ばかり出るのは、どうしてなんだろうね。
遠い国に行ったら、文化も違う、言葉も違うことに戸惑って、自分が寄って立つもの、自分の存在を証明するものにすがるようになるのは、想像がつく。
自分の体を確かめる。まずは、あるもの。さわれるもの。
自分の体のもとは、両親。血筋。
それから、国。自分が育ってきた環境。土地。
日本は単一民族だなんてバカなことを言った政治家がいたけれど、日本にだって、アイヌの人たちやら、戦争時に奴隷同然に連れてきた人々もいる。そもそも、天孫降臨の話だって、侵略の話であるわけだし。
同じ地に住まっても、彼らを最終的に分けるものは、何か。
宗教。思想。
自分を何かと区別しないでは、自分を確立できない。
今起こっている民族紛争や内紛。
かつての虐殺に端を発して、時代が変わって、偏向した報道でしか情報を知らされなくて。
じゃあ誰が最終的に悪いのか?とは、決め付けられない過去からの歴史があって。
何も知らないことよりも、考えないことの方が、罪が重い。
ものすごく、こたえた部分をいくらか抜粋
ところで日本ではいとも気楽に無頓着に「東欧」と呼ぶが、ポーランド人もチェコ人もハンガリー人もルーマニア人も、こう括られるのをひどく嫌う。「中欧」と訂正する。
……
地理的正確さを期して「東」を嫌がるわけではない。「東」とは第一次大戦まではハプスブルグ朝オーストリア、あるいはイスラム教を奉じるオスマン・トルコの支配収奪下におかれ、第二次大戦後はソ連邦傘下に組み込まれていたために、より西のキリスト教諸国の「発展」から取り残されてしまった地域、さらには冷戦で負けた社会主義陣営を表す記号でもある。
冷戦が終結する中で東西間のからくも保たれていたバランスが、「社会主義陣営」という意味でも「正教文明圏」という意味でも「東」であるロシアの敗北によって崩れた。
ポーランド、チェコ、ハンガリー、ルーマニアの人びとが東欧と言われるのを嫌うのは、後発の貧しい敗者というイメージが付きまとうのがイヤで仕方ないのだろう。「西」に対する一方的憧れと劣等感の裏返しとしての自分より「東」、さらには自己の中の「東性」に対する蔑視と嫌悪感。これは明治以降脱亜入欧をめざした日本人のメンタリティーにも通じる。
この中欧カトリック諸国の「東」に対する嫌悪感が最も著しく表われるのが、同じキリスト教ながら11世紀以降袂を分かち長くイスラムの支配下にあった東方正教に対する近親憎悪的な敵意なのではないか。
ところはユーゴスラビア
再会したマリとヤスミンカ(ヤースナ)
「この戦争が始まって以来、そう、もう五年間、私は、家具を一つも買っていないの。食器も。コップ一つさえ買っていない。店で素敵なのを見つけて、買おうかなと一瞬だけ思う。でも、次の瞬間は、こんなもの買っても壊されたときに失う悲しみが増えるだけだ、っていう思いが被さってきて、買いたい気持ちは雲散霧消してしまうの。それよりも、明日にも一家皆殺しになってしまうかもしれないって」 -
米原万理さんの第33回大宅壮一ノンフィクション賞受賞作。
「嘘をつくときのアーニャは、丸い目を見開いて真っ直ぐ相手の目を見つめる、一度ついた嘘を本人も信じ切ってします」
オーム真理教の村井秀夫のテレビインタビューを思い出した。清清しい表情、真っ直ぐ見つめる目・・・
1989年、チャウシェスク政権転覆、非公開特別軍事法廷で死刑宣告、ただちに処刑。労働党のお偉方は昔通りの特権を享受。
チャウシェスクばかりでなく、中国もソ連も共産党幹部の特権階級としての待遇は目を覆うばかり、共産主義革命は似非共産主義を内包せざるをえないものなのか?
「自分の父も、万が一日本で共産党が政権をとっていたら・・・」
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著者と各友人たちの幼いころの思い出と、激動の東欧を過ごし大人になった後に再会した状況が記されている。著者の生い立ち上、ソ連関係の話になるのだが、東欧諸国の歴史はあまり知らないので、ユダヤ人の位置付け等々がわからないところは少し困った。しかし、小学校のときの状況などは、日本と比べられてとても興味深かった。ソ連の学習で最も重要視されるのは、話すことだということがわかる。
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ずっと興味のあった米原さんのお話。
うーん、すごく面白く読めました。文化の違いとか社会的思想の違いとか…当たり前のように資本主義に生きてるけど、どれだけちゃんと理解して享受しているのかな、と反省もあったり。