- Amazon.co.jp ・本 (143ページ)
- / ISBN・EAN: 9784102114018
感想・レビュー・書評
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共同体がなんとなくの合意で形成した「人間らしさ」みたいな物差しで測ることのできないムルソーの行動原理。ムルソーは「精神的に母を殺害した男としてその父に対し自ら凶行の手を下した男とおなじ意味において、人間社会から抹殺される」。
文庫本の背表紙のあらすじにもある通り、ムルソーは「通常の論理的な一貫性が失われている」人間として描かれている。しかし、本作の狙いはいわゆるふつうの人間にもムルソー的側面があると警鐘をならすことにあると感じた。
主人公の社会への馴染めなさ的な部分は村田沙耶香の小説の主人公にも似たものを感じた。もちろん、コンビニ人間は不条理を扱った小説ではないが。
人間社会から抹殺されることはないにしてもある種魔女狩り的な、多数派が少数派を裁判する構造自体はありふれている気がする。
犬とか猫とか小さい子供とかが嫌いというと冷血だと言われるのとかその典型かと、、。
みんなどこかしら異邦人なんだろうなあ。
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ぶっさんにおすすめされて手に取る。
ミーハー読書家としては、避けては通れない不朽の名作。
偶然にも本書の一つ前に読んでいたのが「コンビニ人間」だったので、古倉恵子とムルソーが重なった。
個人的にはコンビニ人間の方が読みやすかった。
もちろん、和書であり時代が現代であるというのも読みやすい理由だが、現実感があり身近に感じやすいというのが大きい。本書の主人公ムルソーはあまりにもぶっ飛びすぎていたかな笑
また、コンビニ人間が正社員として働かず結婚しないという社会のマニュアルからの逸脱に関してであるが、
異邦人は殺人という一つ道徳的なルールからの逸脱がある。ここをどう捉えるかであるが、それに対して一貫性の欠如を責められ死刑を宣告されても仕方ない気はする。
<登場人物>
ムルソー 主人公
マリー 彼女。
レエモン 倉庫屋。-
僕も読んでいて、コンビニ人間みたいだなあと思ったのでこちらの感想には共感しっぱなしでした!!
社会からのズレ加減が似ている気がします。一方は...僕も読んでいて、コンビニ人間みたいだなあと思ったのでこちらの感想には共感しっぱなしでした!!
社会からのズレ加減が似ている気がします。一方は死刑で命まで奪われるのに一方はコンビニバイトを粛々と続けていけるのは理解できないものへの社会のリアクションが異なるだけで二人は本質的には似通った人間なのかなと。2021/02/14
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高3から何度も読んでしまう一冊。いつもは聴聞司祭とのやり取りで気圧され、ラスト数行で心地よい気分に浸って終わってしまうので今回は東浦さんの『晴れた日には異邦人を読もう』を手引書にして再読。ラストの心地よさで意識の表面に出てこなかったカミュの愛した情景の素晴らしさを実感できた。ムルソーという人物をこれまで崇拝の対象とも狂人とも言えない形容し難い人物として接し、なぜか彼に親近感が湧くのが不思議で仕方がなかった。手引書をもとにムルソーと接したことで、ムルソーがとても気を遣える不器用人間といえることに納得でき、そこでやっとムルソーへの親近感の正体がわかった気がした。
未来への確証のない可能性よりもありのままの今の素晴らしさを全身で謳歌する。そんな姿が自分にとって理想であり、今の自分はそこに近づいているのかもしれないと感じて高校生の自分に自慢したくなった。 -
海水浴場で思わぬ事態に巻き込まれたことで人を殺してしまい、斬首刑を言い渡された男の話。正直、裏表紙の解説文とは、かなり印象の違う作品であった。それは主人公の奇行の部分だけをあげつらっただけだからだろう。作中では主人公を感情のない冷徹な人物のように評しているが、わからないわけではない。そのような周囲や社会とのズレは私にも同じようにある。物語としては複雑ではないが、哲学的な思想が織り込まれているため、やや難解な文章である。ただ名著と言われるだけあって、何度も読み込めば深く味わえる作品だと感じた。
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世界は無関心で、それゆえに人は自由なのだろう。
これぞ小説!とうならされた。
歴史に名を残す小説のなかにも、正直「よくわからないけど、すごいんだろうな」といった感想を抱いてしまう物が少なからずあったがこれは違った。心が震える感触がある。
批判を恐れず申しあげると、最後の2ページ以外はいくぶん退屈かもしれない。それは、邦訳するとどうしても違和感を伴ってしまうフランス語のせいもあるだろう。だからといっていきなり最後の2ページだけ読んだところで感動は無いだろう。めでたしめでたしではなく、それどころか何かの終わりですら無く、また、1番重要なことだが、安っぽいどんでん返しでも無いラストである。とにかくその2ページがものすごくいい。世界は無関心で、それゆえに人は自由なのだろう。孤独はただの自由、というある詩人の言葉を思い出した。
もう一つ。裏表紙のあらすじは、たしかに何一つ間違っていないが、少しも的を得ていないかもしれない。
たいていの小説は、あらすじから主題や雰囲気は把握できるものだが、この小説ほどそれらとの奇妙な乖離を感じ、そこに心なしかうれしい驚きを覚えながら読んだ本も無かった。ムルソーは奇人でもなんでもないのだ。 -
愚直。理はムルソーにあり。
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ブンガク(難解)
かかった時間110分
母の葬儀の翌日にデートをして喜劇映画を楽しみ、特別親しいわけでもない友人のために手紙を書き、太陽の暑さにやられて人を殺す。処刑を目前にして司祭にブチ切れ、あらゆることを終わってしまったことと考える。そんな主人公。
解説によるとこの作品は、嘘をつかない主人公のある種の誠実さが、システマティックな世の中では受け入れられず、それをわかっていながらも抗い続け、命と引き換えに自身の真実を貫く姿を描いたものらしい。
その意味で、「人間失格」的な、そして、嘘の拒否が悲劇?の発端となるところからは、「リア王」的なものとのつながりを感じる。
ところで、読みながら、これはひとりの発達障碍者の物語じゃなかろうか?と思った。ムルソーの認知の歪みのようなものや、自己を自己としてまとめる結び目のようなものの「なさ」、暑さや音、色へのこだわりと、心情的なものへの無関心などは、そういった特徴と重なる気がする。
また、個と社会の反転可能な対立関係みたいなものが読めた。
解説がなんとなく作家の年譜や作品の受容史寄りのように思えたので、この作品の解釈をいくつかきちんと読んでみたいと思った。
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▼「異邦人」カミュ(窪田啓作訳)。新潮文庫。初出はフランス語で1942だそうです。
▼とても薄い文庫本で、考えたら何十年も「いつか読みたい本」だった一冊。とうとう読みました。不条理不可解芸術小説かな?と思っていたら全然違って、大変に面白かった。後半終盤は打ちのめされました。さすがです。
▼そもそも舞台がアルジェリアです。北アフリカです。フランスの植民地でした。ムルソーという、大まかに言うと貧しい部類の青年がいて、母子家庭で育ち、今はサラリーマンをしているのだけど、冒頭でお母さんが病死します。離れた施設?にいたみたいで、休みをとってかけつけて、段取りをします。それから海でぶらぶらして、知人の女の子と出会ってデートして良い感じになったりします。一緒に知人の別荘?だったかに遊びに行き、その知人というのがやや愚連隊で、対立グループと喧嘩になって、巻き込まれて、主人公は一人銃で撃って殺してしまいます。で、裁判にかけられて死刑宣告を受ける。
・・・という流れです。
▼この主人公さんが、とても自意識が高いのか、別段母が死んでも嘆かない。この主人公はそれなりに問題なく生きているように見えて、さまざまな偏見や蔑みや抑圧や暴力や貧しさといった、そういったものに支配され、翻弄されて生きている。でもそこで暴発したら変人扱いされる。そんな「皮膚感覚」みたいなものがヒリヒリと伝わってきます。説明されずに伝わってきます。ハードボイルドです。ハードボイルドなドストエフスキーという感じがします。ちょっとチャンドラーに似ています。
▼終盤で、死刑宣告後に神父さん(牧師だったか?)の「許し」みたいな誘いを、激高して拒絶するくだりがあるんですが、白眉でした。圧巻でした。カミュすげー。