コレラの時代の愛

  • 新潮社
3.97
  • (92)
  • (81)
  • (75)
  • (9)
  • (2)
本棚登録 : 1161
感想 : 110
本ページはアフィリエイトプログラムによる収益を得ています
  • Amazon.co.jp ・本 (528ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784105090142

作品紹介・あらすじ

夫を不慮の事故で亡くしたばかりの女は72歳。彼女への思いを胸に、独身を守ってきたという男は76歳。ついにその夜、男は女に愛を告げた。困惑と不安、記憶と期待がさまざまに交錯する二人を乗せた蒸気船が、コロンビアの大河をただよい始めた時…。内戦が疫病のように猖獗した時代を背景に、悠然とくり広げられる、愛の真実の物語。1985年発表。

感想・レビュー・書評

並び替え
表示形式
表示件数
絞り込み
  • 17歳の時の初恋を成就するために、51年もの長い年月、女の夫が死ぬのを待ち、そのためだけに生きた孤独で愚かな男の人生。「コレラ感染者乗船」の旗を掲げた船の中だけで成立する愛は、死出の旅でしかありません。

  • スペイン語圏作家のとてつもない巨人、マルケス。余りのエネルギーに圧倒され中短編をつまみ食いした程度だった。
    フォークナーが影響を与えたと近日読了の解説で読み、久しぶりに触れた。

    表題通り「コレラの時代・・何と51年9か月と4日、一人の女性を思い続けた男性、相手の女性、取り巻く周囲」を描いたサガ。
    読了に1週間を超えたが、余りの語りの巧みさは秋させることなく牽引してくれた。

    そんな長い時間続けられた愛はある意味、幻想ロマン。
    マルケスはそこを図ってか19世紀リアリズムの中にきっちり小説として構築した世界を築くことに成功している。

    高齢者の愛「この場合男性80歳超、女性78歳」、しかも女性にはこの愛を反対する息子娘、そして孫がいる。
    男性フロレンティーノ・アリーサ、女性フェルミーナ・ダーサは最初から最後までこの表記・・長い、笑えてしまうほどに繰り返される・・これってスペイン語圏作品の特徴だったか?とふと疑問。
    構築された世界に登場する人々、芸術と歴史、景勝、あらゆる小物まで目を見張らせられたり、端倪したり愉しいスペイン旅行を味わえた気分。

    着地をどう持っていくのは括目!大河マグダレーナ川をゆっくりあがりつくだりつ・・生きている限りという広大なエンド。
    訳は木村氏、安定した流石の口調でとても良かった。

  • ふむ

  • 素晴らしい小説だった。
    人を愛するとはなんと滑稽で、狂おしくて、切なくて、壮大なことなんだろうと思った。

    3人の男女を軸に描かれる、様々な人物の様々な愛。
    50年貫き通し続ける愛、激しいセックスを通しての愛、夫婦という形式の中で憎んだり生活に疲れたりしながらも続いていく愛、どれも本当の愛だし当人たちは真剣にやっているんだということがユーモアをまじえながら丁寧に描かれている。
    いろんな男女が出てくるけど、登場人物らはみんな刹那的な関係でも相手を大事にいつくしめる人たち。例え永遠には続かなくてもその時その人を愛している気持ちは絶対に本物であることは確かなのだと思える小説だった。
    いろんな愛を肯定してくれてありがとう。

    読んでいたら、自分の愛している男の人のことを想ってなぜかわからないけど涙が出てきた。
    愛し合っている人とする、あなたのことが好きで好きでたまらないという気持ちが全身から溢れ出ているようなセックスが、この世で一番の幸せな快楽なのではないかと思う。

    さすがガルシアマルケスで、描写が恐ろしく細かいのに全く飽きさせない。
    屋敷の中の調度品とか、船の展望台から見える風景とか、普通なら読み飛ばしてしまうような描写もじっくり読みたくなる。
    話の筋には関係がない脇役の登場人物の描写やエピソードが抜群に面白くて、それもじっくり読んでしまう。
    南米の気だるい空気や少しずつ近代化していってる時代感、内線が繰り返される政治的緊張、この時代にこの場所に生きる人たちの暮らしの様子が生き生きと伝わってくる。
    こんなに分厚いのに読んでいてずっと楽しくて、やはりガルシアマルケスは本物のストーリーテラー。

  • 何度読んでも引き込まれる。
    人物の視点も時代もあっち行ったりこっち行ったり自在に動く針のようで、茫然と見てるうちに万華鏡のように華やかで重層的な、20世紀初頭のコロンビアの街の絵柄が刺繍されていく…って感じ。
    『百年の孤独』のようなマジックリアリズム要素は薄いけど、(幽霊が一箇所出てくるだけ、たぶん)50年以上報われないままひとりの女性を愛し続けるとか、一方で13歳くらいの遠縁の少女との性愛に溺れるとか、鸚鵡を捕まえようとして木から落ちて死ぬとか、すべてが過剰で豊潤で、美しいラストの「限界がないのは死よりもむしろ生命ではないだろうか」の一文に深く頷きつつ、このように生を味わいたいな(もう少し薄味でいいけど)と願うのでした。

  • 参考文献

    時々なぜこの本を読んでいるのか忘れそうになりましたが、
    そうです『街とその不確かな壁』第二部P575 閉店したコーヒーショップで彼女が読んでいたのがこれだったんだ。

    引用された部分はラストの20ページあたり、この小説の中によく見られる、物語とはあまり関係ないような不思議で些細なエピソードからだった。
    そのあとの、私と彼女のマジック・リアリズムやガルシア=マルケスの小説について語り合うところを読み返してみる。

    引用します。

    _彼女なら子易さんと会っても、彼が既に死んでしまった人であることを、そのまますんなり受け入れてくれたかもしれない。_

    現実と非現実は春樹さんの世界にも混在しているのかしら?

    それにしてもすごい小説でした。

    主人公のフロレンティーノ・アリーサの、実に51年9ヶ月と4日待ち続けた女性フェルミーナ・ダーサとの物語。そんなのありえない!幻想でしょう?そんなに待てるか!? って思いますよね。

    …待てるのよ、だってその間彼が純潔を保ってたのは彼女への愛と精神だけで、身体はすっかり数々の女たちに慰められてるからなっ。

    なんだけど、なんなのこのマジックリアリズムとやらな筆致に、こんな男の勝手さと弱さも受け入れてしまう自分がいました。
    愛人たちの生き方や性格、出会いのエピソードなどがあまりにもおもしろく、ついつい読まされてしまった。とくに、二人のことを多分誰よりも早く勘づいていた、フェルミーナの息子の妻がとってもいいの、パンチのある一言が忘れられない。

    フェルミーナ・ダーサのちっとも甘くない、気の強いキャラクターにも助けられ、80歳を前にした、二人の愛の行方はあまりにも美しかった!
    たとえ、見事に禿げ上がり浣腸と入れ歯が欠かせない男でも、お婆さんの匂いのする彼女でも、今の私には美しく読めました。

    それにしてもタイトルにあるコレラについては、直接的でない描き方をしていて、それもまた変わってる。
    それから真面目な顔したユーモアが溢れてます。
    フェルミーナの夫に対する愚痴ってそんなに多くないんだけど、
    料理が面倒な彼女、
    食べたいものを聞くと何でもいいというわりに、ときどき的を得た文句を言う。
    ある日カモミールティーを出した時に
    「何だこれは、窓の味がするぞ」
    と突き返す。
    彼女も女中たちもそれを聞いてびっくりするが、一体どういうことだろうと飲んでみると、なるほど窓の味がするとわかって納得した…
    という訳の分からないエピソードなどが時おりみられます。

    でもですね、わたしが面白くてのめり込み始めたのは300ページあたりからでしたけどね。

    また少し時を置いて、
    『街とその不確かな壁』
    読み返したいな。

  • タイトルがかっこいいですよね!
    それはさておき、個人的な事情だらけの話に感じてしまって、感情移入できなかったんですが、見方によっては、人間ってこんなものですよね。その、人間ってこんなものだよなぁ、と感じさせる説得力が、この本にはあるのです。

  • 途方もないフラットさというか読み終えてみてあんなこともあったなこんなこともあったなと思い出して改めてなんとなくびっくりする

  • 一部しか読んでないけど...
    九尾の狐とキケンな同居っていう韓ドラからきになって。
    p.152
    「際立って美しく、魅力的な彼女が街路の敷き石の上をヒールの音を響かせて歩いているのに、どうしてみんなは自分のように心を奪われないのだろう、スカートのフリルがため息を吐くように翻るのを見て、どうして心が騒がないのだろう、揺れ動く髪の毛や軽やかな手の動き、黄金の微笑みを見て、どうしてみんなは彼女に恋しないのだろうと不思議に思った。」

    綺麗、素敵、フェルミーナダーサの雰囲気が頭に浮かぶ


  • ①文体★★★★☆
    ②読後余韻★★★★☆

  • ガルシアマルケス 「 コレラの時代の愛 」 


    この本の命題は「夫婦生活という厳しいイバラの道を乗り越え、紆余曲折を経たのちに 愛の本質にたどり着いた〜愛はどこにあっても愛であり、死に近づくほど より深まるものである」


    著者の最後のメッセージ「限界がないのは、死よりむしろ生命である」は感動的だった


    タイトルの「コレラの時代」は、最初に 元軍人の自殺を描いていることから考えると「戦争後の平和な時代」という意味?


    夫婦生活の後にたどり着いた 愛の物語を通して、コロンビア人の楽観的かつ運命論的な一面も描いているように思う


    著者の描く夫婦生活は秀逸
    *老いが進むにつれて〜互いに相手にもたれかかるように生きていた〜それが愛情によるものなのか、分からなくなっていた
    *何も言わなくても相手の考えていることが分かった〜相手が言おうとしていることを先に言ってしまい不愉快な思いをした







  • あらすじを見て気持ち悪い話を期待したのだが,読んでみてびっくり,普通の感情吐露だけだった。その点ではつまらなかった。

    『族長の秋』と同じくイメージ先行で,それに酔った読者が賞賛しているのだろうという推定は変わらず。ただ他作品よりかは意図が分かりやすく,長い時間を封じ込めることには成功している。

  • 最初の方は非常に退屈だったが、途中から急に読むのがやめられなくなって一気に読破。
    それなのに、結末はがっかりだった。
    結末はいらなかったような気がする。

    面白く読めたのは1度目の恋が破れた後のストーカー男の人生と振った女の結婚生活のそれぞれが事細かに描かれ出した辺りから。
    逆に順風満帆に恋をしている時期(1度目の文通期と2度目の船旅期)の話は面白くなかったのだと思う。
    逆境の中で試行錯誤、七転八倒している人の方が面白いってことだろうか。

    特に心に残ったのは、女の夫が言った「結婚で一番大切なのは幸せではなく、安定」という内容。
    納得したけど、賛同できない気持ちになる。
    結婚ってつまんないもんなのかもなぁ。

  • 医術がまだ公共心がなく、祈りや呪いに近かったときの話 熱病にうなされたとでも言うような病的な執着は愛と呼べるのだろうか 最初の一節を暗記したい

  • 占いがきっかけで読んだ本は初めてかもしれない。石井ゆかりさんが魚座について書いた本の中で、「コレラの時代の愛」が引用されていたのだ。その名前を見かけてから手に取るまでに数年経ってしまったが、時間をかけたのは正しかった。これはきっと、歳を重ねるごとに理解度の深まる物語だからだ。

    フロレンティーノという男がフェルミーナという女に恋をする。環境に阻まれながら若い2人が長い間文通で育んだ愛は、ある時実際に2人が目を合わせた瞬間、幻となって崩れてしまう。フェルミーナは裕福な身分で人柄もいい医師と結婚し、別人のように生きていく。間違いなく幸せで豊かではあるものの、愛があるのか分からない結婚生活を送る。フロレンティーノは最初の失恋から立ち直れないまま、フェルミーナに恋焦がれてあちこちをさまよう。これは秒速5センチメートルやグレート・ギャツビーのような「重すぎる片思い」系の物語でもあるが、純愛というには野性的すぎるかもしれない。

    恋に恋するフロレンティーノは彼女一筋ではない。失恋前は頑なに純潔を守っていたものの、ある時に行きずりの女と寝て以来、欲に溺れていく。フェルミーナを忘れるためなのか、それとも単なる肉欲なのか、分からないままに経験を重ねていく。

    彼の前に現れた女たちは色々な思い出を残す。不思議な、と一言で片付けるにはあまりに奇抜なエピソードが断片的に差し込まれ、一つ一つに物語のような余韻がある。精神病院から脱走し、山刀で人を斬った後に平然と祭りで踊っていた女。おしゃぶりがないと絶頂に達しない女。単なる情景描写としてこういうディテールが入ってくるので、真顔でジョークを言われているような気分になる。この物語全体が、年齢不詳の老人から聞くホラ混じりの昔話のようにも思える。どこか魔術的な雰囲気があり、それが怪しい魅力となっている。

    フロレンティーノは同時に何人もの女性を愛することは可能だという信念を築き、肉体関係だけの相手が多々いながらも、フェルミーナに対する恋心を信仰のように守り続ける。女たちとの出会いを重ねる中で、彼は人間として色々なことを学んでいく。倫理や常識のない世界で彼は魂の遍歴を続け、50年以上もフェルミーナへの恋を諦めない。何ともスケールの大きい話だ。

    ジャングルの熱気、湿気、汚臭、汗、熟れ過ぎたトロピカル・フルーツの匂いなどがごちゃまぜに漂ってきそうな、濃密な空気感がある物語だった。猥雑かと思いきや、幻想的な情景描写もあり、そのギャップも魅力的だ。生命力に溢れた小説だった。

  • 「アゴーストストーリー」で数節引用
    「ニューヨーク公共図書館 エクス・リブリス」
    で、本の会のテーマ本に
    1:44-

  • 読了。
    ・時代は19世紀後半から二十世紀前半。
    ・502ページ
    ・初ガルシア・マルケスだったがラテンの世界観にほぼ共感できなかった、
    ・コレラあまりでてこない。フロレンティーノ・アリーサというおっちゃんの恋愛話。
    ・ラテンアメリカ文学。
    ・まだ子供14だったアメリカになんてことを!。しかも、あんなことに。いまだったらひどい虐待。
    ・最後、コレラの旗。愛があればなんでもいいの?
    ・おうむが原因であんな死に方?!
    ・フェルミーナ・ダーサはそんな魅力的かな?ものを仕舞い込むくせはひとごとではないけど、あそこまでいらんものは買わないなー
    ・フロレンティーノ・アリーサの行動は引いたけれど、あそこまで人を愛すことができることだけはすごい。けど、他の人たちにたいしては誠意ってもんがなさすぎないかな?とか。なんとか。
    ・最後の船旅強引すぎないか?
    ・ダーサは2人ともあまりすきではなかったのでは?

  • 聞くともなしにラジオを聞いていると、村上春樹、只今、読んでいるのは、El amor en los tiempos del colera (コレラの時代の愛)との事。 早速、再開したばかりの図書館に手配、読み始めております。
    今の時代は、コロナですので、コロナの時代の愛、という読み方もできるかと。

  • 読みかけて放置してたのが嘘みたいに一気読み。
    村上RADIOで村上春樹さんがいま読み返しているって言われていたので、お揃いにしようと思ったわけですミーハーなので(笑)
    しかし、これはめちゃくちゃ面白い小説でした! 百年の孤独も面白かったけど、あれは人間というよりマコンドという土地の記憶の物語だと思ってて、今回のコレラの時代の愛はフロレンティーノ・アリーサがある意味ストーカーのように51年9ヶ月と4日待ち続けた初恋の相手フェルミーナ・ダーサへの愛の物語なわけだけど、フロレンティーノ・アリーサがめちゃくちゃ過ぎて色んな場所で笑える。とにかくひどい。フェルミーナ・ダーサに一途とかいいながらめちゃくちゃたくさんの女のひとと恋愛しまくる。黒い服ばっかり着ている細くて死神みたいな人を想像するんだけど、映画はハビエル・バルデムなんや。ちょっとイメージと違う。
    父にこの小説の内容を説明したらロマンチックやなーと言っていたので、たぶん本を読まないひとにも需要あると思う。あー面白かった。

  • 「スミスの本棚」島田雅彦さん推薦本。

  • 冒頭と最後が特に面白かった。
    南米のセレブ〜庶民の暮らしが目に浮かぶような描写力。
    でも形式も題材も全く違うとはいえ
    『100年の孤独』を読んでからだと少し物足りないので★4つ。

  • 百年の孤独と比べると驚くほど地に足ついたリアリティある物語となっている。
    愛について、1人の女性を愛し抜いた男と愛された女のほぼ一生が描かれています。

  • 50年以上にわたり一人の女性を愛した男性の人生と、その周りの人々を描いた小説。
    幻想的な作風と言われるらしい。が、南米の日常についてそもそもほとんど知らない自分には、どこまでが幻想なのか分からない。ただそういう世界として丸ごと了解するしかない。
    男女のことがらを描いた小説ではあるが、恋愛小説とは違うように思う。特に誰にも感情移入する気にならない。作中で愛と呼ばれるものの大半が、愛というより一方的な思い込みにも見える。

  • コレラの時代の愛 (Obra de Garc〓a M〓rquez (1985))

  • だれも空を飛ばないし4年間雨が降り続いたりもしない(訳者の木村さんはあとがきで本書はリアリズムの手法で書かれていると述べている)。けれどガルシア=マルケスの与太話力は間違いなく全編にわたって発揮されており、最初から最後まで楽しく、ときどき笑いながら読んだ。

    みんな自分のことばっかり考えてて、ときにひどく残酷だったり目に入れるべきことを見なかったりなのに、それはそれとして生きるのはよい、楽しい、という肯定感。相手不在の恋であっても、それが生き甲斐になるなら大事にしたらいいんでしょうね。それに最後の解決策、無限! 繰り返し! 神話的! やっぱりガルシア=マルケスだなあ楽しいなあとと思いながら読み終えました。

  • 人類の未来 AI、経済、民主主義 推薦図書

  • 当初の展開は爺様と婆様がいちゃつく系なのです。これ系は割と海外じゃあありなんだろけど、日本では竹取物語くらいでしか聞かんよね。作品の中でも誰かが言ってたように、この手のラブストーリーにはどういう反応をすれば良いのか分からんけども、仲良きことは美しきかな、って事で良しとしようじゃないか。
    そんな事よりこの爺様の鬼畜っぷりが半端なく、婆様に恋い焦がれて会うだけで動悸が治まらずに脱糞しかけて養命酒必須なレベルなのに、他の女の人とはやりまくりで。女の人とやるのにお金を払ったら負けかな、と思ってる、みたいなどうでも良いポリシーを持ってたり。
    という事もどうでも良くなるくらいのエピソードが最後に待ってて。中学生の何も知らない女の子をうまい事やって手籠めにした挙句に、最後には捨てて自殺させるという、しかも70過ぎてから!これまたロリコンには堪えられないエピソード故に発禁レベルじゃないの。85年作っていうから、もうバブルのおとしごっていうか。
    なんていうぶっ飛んだ展開を、ページ内に徹底的に文字を詰め込んで読ませるという。とりあえず読み切った感は得られる。

  • 流行りの既視感ある純愛映画などには「真実の愛」なんて煽り文が付されていることがあるが、結局のところ愛に真実も偽りもなく、それぞれの形があるのだという単純なことをしみじみと考えた。
    若い頃の恋を生涯くすぶらせ続け、老女の夫が亡くなった途端、時がきたとばかりに愛を告げに来る男の一生を描いている。
    といっても一途に童貞を守ったとかいうファンタジックな話ではなく(現代日本なら案外ありそうでもあるが)、多くの女性と関係を結び、時にはそれなりに愛しもしているのが意外なところだ。
    だからといって、ファム・ファタルのごとき女性への愛が薄まったというわけではない。そこが女性と男性の違いかなと思う。
    女性でも多くの男に愛を振りまくことはあるだろうけど…

    マルケスの作品の中では比較的現実的な作風かもしれない。

  • 貴方達がいかに目を逸らそうとも男の本質とは程度の差こそあれ正にこの様なもので、人生とは愛とは永遠の愚行なのだ。
    しかしそれは温かく満たされるものでもあり得る筈だ。

    本書のテーマは男女の間の川に架ける橋はデリカシーであり、違いを尊重する気持ちなのだというのは見えづらいのかも知れないが、それに貫かれているからこそ変態ストーカーでも勝手な男の性の武勇伝でもなく、描かれるのは2つの孤独な魂なのだ。
    そしてそれは男女が愛し合うにはお互いに本来これだけの訓練が必要なのだ、ということを拡大して見せる。
    人生への肯定性に溢れた本書を私は深く愛す。人生最高の一冊かも知れない。

    アメリカ・ビクーニャの存在が、個の幸福の本質的な身勝手さと悲劇性、という視点を添える(なんと、この人は藤壺の身代わりの紫の上ではないか!紫の上の最後がどのようなものであったかを思い出せば、、)。

全110件中 1 - 30件を表示

ガブリエル・ガルシア=マルケスの作品

  • 話題の本に出会えて、蔵書管理を手軽にできる!ブクログのアプリ AppStoreからダウンロード GooglePlayで手に入れよう
ツイートする
×