- Amazon.co.jp ・本 (215ページ)
- / ISBN・EAN: 9784122020863
作品紹介・あらすじ
三週間ほど前から、わたしは奇妙な日記をつけ始めた-。春の訪れとともにはじまり、秋の淡い陽射しのなかで終わった、わたしたちのシュガータイム。青春最後の日々を流れる透明な時間を描く、芥川賞作家の初めての長篇小説。
感想・レビュー・書評
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小川洋子 著
小川洋子さんはとても好きな作家さんで、
少し前に久々に読んだ『まぶた』も、やはり良作で面白かったけど、短編小説だったのが物足りなく、
また長編小説を読みたいと思い手にした本作(まだ読んでなかったのか…?と思った。)
題名の『シュガータイム』のように、
サラサラと溶けてゆくように、あっという間に読んでしまった。青春の淡い記憶のような小説で、今度は物足りなさは感じなかった、小説としては完成されていたから。
ただ、小川洋子さんにとってもまだ淡いような感覚のこの物語りは青春時代を振り返って、
これからの人生がまだ続いてゆくことを示唆しているような小説だった。
林真理子さんの解説が際どくも面白く本作の内容を言い当ててる気がする。
ただ、解説の最後の方で…
「わたしたちのシュガータイムにも、終わりがあるっていうことね」「砂糖菓子みたいにもろいから…中略…そういう種類のものじゃないかなぁ」という締めくくりはあきらかに余計である。ときっぱり切り捨てている、
(私も実は感じてた違和感はその辺りか…?)と思って読んでいると、
この最初の長編小説を書いてた頃、小川洋子は自分の”ヘン”にまだ腹をくくってなかったにちがいない。と続く、
これは意地悪な感想ではなくて、この時のまだ若い小川洋子の中にある”ヘン”が開花することへの期待と小川洋子への愛情の裏返しの言葉のように感じられました。
脱線したけれど、本作はまたしても、冒頭から心を掻き立てられる。
不思議で奇妙な世界に引き摺り込まれる感覚が、妙に感じるのに、淡々とさりげなく語りつつ、描写は細かくいつも魅力的だ。
奇妙な事態や症状に巻き込まれて不安になるのに、今はとりあえず、特に問題なさそうだからと甘んじている訳ではないが、とにかく今はこの状況のまま突き進み溶けこんで状況を見極めようとしている。
しかし、本当はこのままでいいはずはないと自分で受け止め分かっているから、その時が訪れるのを見逃さないようにしたいと思ってることも事実で、
その感覚が読んでいる方にも少し安心感を与えてくれる。
異常な食欲も変で不安ではあるが、美味しいと感じてどんどん食べる感覚やスーパーに陳列する食べ物を手に取って料理したり食べたりすることに、こちらも、その美味しさが伝わってきて(@ ̄ρ ̄@)悪い気はしないどころか心地よい気分にさえなる(^^;;笑
人の体や奇妙で過剰なものについても、それよりもその者が持つ一点の美しさに魅了されて、その他のことはとりたてて騒ぐようなことじゃない気持ちにすり替わる。
奇妙な事柄も、この世にあるのは当たり前の事で、ある意味、其れは人の人生に於ける中のひとつの症例に過ぎないように、よくあることじゃないとも思えてしまう。
よくあることじゃない!そんなことで済まされない!と思うこと自体、誰彼なしにあるのではないだろうか?そんな気分になった。
哀しみもさめざめと泣く心の内を哀しみの色で鮮明に表現しているところが、小川洋子さんの描く世界の好きなところだと思う。
まばたきの美しい小さな弟のことを読んでいると、かなり前に読んだ
『猫を抱いて象と泳ぐ』の本を思い出した。
あの小説は、上手く言葉に出来ないけれど、とても哀しみの色が濃過ぎて胸に痛くて涙が溢れて読後も暫く泣いた。
本作は悲しくて見過ごせないような哀しみの色合いのものと飄々とした明るい部分と溶け合った青春時代の甘酸っぱい気持ちを感じることが出来た。
暗い気持ちを引き摺らずに、清々しい気分で乗り越えられた作品だったと思います。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
小川洋子の文章は品が良いのに、どこかちょっとこちらを不安にさせるし、少しだけ恐い(それらはプロットの問題だけじゃない気もする)。この初期作品でも、その印象はぜんぜん揺るがなかった。
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春に近づくこの季節にこの本を読めてなんだか良かったなあ、と思った。
主人公のかおるやその弟、恋人の吉田さん、それぞれが人とは違うこと(異常な食欲や病気等)を持っているけど特段それに悩まされることもなく淡々と日々を過ごしていく。
大きな感情の波も無くごく当たり前にも思えるような、そんな優しい情景ばかりが描かれているけど紛れもなく彼女たちが過ごした時間は甘くほろ苦い青春だったんだろうなと思う。
私は中学から高校へと進み、皆が若さを言い訳に出来る甘酸っぱい時間が終わりに近づくことを悟り始めた途端に口を揃えてやれ青春だ一致団結だと言い始めることに同調圧力じみた気持ち悪さを感じていて、青春という言葉を口に出すことを気恥しいことのように感じていた。
けどこの本を読んだあと、紛れもなく私は今過ぎ行く青春という時間の中にいるんだろうなあと素直に呟ける気がする。
かおる達が一度目に野球場に行った時、二度目に野球場に行った時で抱く感情が違うように日常を過ごす中で今にしか感じられないものは沢山ある。
だから別に学校に行けなくったって、夏休みを太陽の下で謳歌出来なくったって、今の過ぎ行く時間を愛おしく思えているということ、それだけで胸を張って青春を過ごしていると、現在進行形でそれなりに私も甘酸っぱい時間を過ごしていると思えた。
小川洋子さんの書く文章はどれも儚げで優しくてどれも噛み締めたくなるようなものばかり。 -
脆く今にもこぼれてしまいそうな美しさと醜さを、ヴェールに包んで差し出してくるような儚さを感じる物語だった。食に魅了されていく主人公の様子や、弟のまつげの描写がとても綺麗であった。病という言葉の中には収まりきらない彼女たちの姿を、これから先もふと思い出す事があるだろうと思う。
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季節の描写がものすごく美しくて、はかなげで淋しい感じがした。
多感な年頃って、いったいいつのことを言うのだろう。
人間って淋しい生き物なんだなぁって思う。
真由子の友情が健気で、優しい。
決して力強い文章ではないのに、何だか勇気づけられる。 -
かおるは異常な食欲に苛まれていた。普通の女子大生が食べる量を遥かに上回る食べ物を無意識に食べてしまうのだ。原因も分からず、突然、湧いた食欲を抱えたままの、かおるだったが、親友や恋人、複雑な関係ではあるが仲は良い弟に囲まれて穏やかな生活を送っていた。しかし、恋人が交通事故に遭ったことをきっかけに、彼女の生活に暗雲が立ち込める。
この本を読み終えた時に、かおるの食欲の正体は何だろうと考えました。
初めに思いついたのは、「恋人への不満」。食べるという行為は、よく性欲のメタファーとして用いられるので、夜にベットに一緒に入っても語り合って眠るだけの恋人に対して不満を持っているのではと思ったのです。 -
何故か本屋に平積みされてたので、最近の作品の文庫化?と思って購入したけど、芥川賞受賞くらいの時期の作品との事。
確かに最近の現代のファンタジー的な作品と比べて、もう少し現実的で表現も少し奇妙な感じのある『薬指の標本』とかのイメージと近い感じの始まりでとても入り込みやすかった。異常な食欲から、ホテルのオールドミスのウェイトレスとアイスクリーム・ロイヤルの流れなど最高にイカれてるのに、それが美しい文章で表現されるととても自然で素敵な事のように感じてくる。
物語の中盤以降はそういった表面的な異常さよりも、青春物語っぽい流れになり少し思っていたのと異なる展開に。吉田さんのいう「含まれている」とはどういう感覚なのであろうか?そもそも冒頭の「異常な食欲」はどうなったのか?欠乏感とそれを満たすための食欲は吉田さんに対して得られるとこのない満足感を表すメタファーなのかな。
航平との二人きりの晩餐会で全てに区切りを付けたのだろうか?その後の小川洋子さんの作品から見ると、解説にあるように「自分のヘンに腹をくくっていなかった」感は確かにある。しかしながら確かに文章は素敵で小川洋子さんの作品を読んだ満足感がありました。 -
秘められた喜怒哀楽とともに食があり、誰かを求めることは自らの中にその誰かを閉じ込めたいという飽くなき欲なのだと感じた。腹のなかに欲望とともに閉じ込め、消えていった数多の食べ物を忘れないように。その食べ物が記憶のなかでゆっくりとばらばらになって最後には跡形もなく消えていったとしても。
様々な感情に寄り添っては、必要とあらば求められるがままに閉じ込められ、忘れられ、そういったささやかなものの儚さをわたしは感じた。 -
精神的充足感を求める主人公の潜在意識を食欲という形で表現しつつ、一方で食べることとは生きることに直結する行為でもあり、生命力の表れにもなっていてそれが良いと思った。全てのことは終わる、という意味での作品タイトルも素敵
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全体的に不穏で病的な空気が漂っている、ちょっと不思議な大学生の日常と失恋。
異様な食欲と食事のシーンは気持ち悪くも感じると同時に、なんだかこちらの「食」も刺激されてお腹も空いてくるというかなにかを食べたい欲求がそそられるような…不思議な感覚に陥りました。
弟の航平が優しくまっとうに成長しているのが良かった。 -
ある日突然果てしない食欲に駆られ始めた大学生のかおる。過食症ではないし、どれだけ食べ続けても太るわけでもないという不可思議な症状に見舞われた彼女は、奇妙な日記をつけ始める。
親友の真由子、恋人の吉田さん、そして身長が伸びない難病に冒されている弟の航平。
かおるの残りわずかな大学生活を綴る不思議な青春小説。
小川洋子さんの小説の主人公(女性が多い気がする)は、どんな大変な事態に見舞われていても、大抵淡々としている。
自分に起きていることなのに、どこか俯瞰で見ているような。
この小説の主人公のかおるも、突如異常な食欲に襲われて悩んでいるはずなのに、どこか冷めていて、その事態をとりあえず楽しんでみているようにさえ感じられる。
孤独、という言葉が読んでいる間ずっと頭の片隅にあった。
親しい人たちに囲まれ、ふれ合うことで日々生きているのだけど、基本的に人はひとりだという、そういう感じ。
とくにかおると吉田さんの関係は儚く、淋しい感じがした。
そして難病を抱えつつ毅然と生きる航平の清廉さにも、孤独という言葉がつねにつきまとっているように思った。
透明で、現代の物語なのにどこか浮世離れしていて、童話を読んでいるような気にさえなる小川洋子ワールドがやっぱり好きだ。すべてにその雰囲気が共通しているなんて本当に見事だと思う。
熱くない青春小説。そういうのもたまには、いい。 -
初めて読んだ小川洋子作品。
食欲の描写、とくに
アイスロイヤルのくだりがすごくリアル。
弟のことも、まつげや細々した描写が繊細。
世界、空気感が伝わってきて
自分が学生の頃を肌感覚で思い出した。
真由子の真っ直ぐなところが好き。
吉田さんは、今の大人の私からみると
あまり好きになれないかも。
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読み始めてすぐに、話の内容としては全然違うのだけど、博士の愛した数式に雰囲気がそっくりだと思った。
主人公の考え方とかによるものだろうか。
レースカーテン越しに物語を見ているような感じがした。
恋愛の話のようで、そうじゃない、いずれにせよ話の中に自分の怒りとか、そういう感情を持ち込みたくないと思った本だった。
この小説にはっきり星をつけたら大切なものを見落とす気がするので、星3〜4くらいとしておく。
解説の人とは価値観が合わないなと思った。 -
終盤、森鴎外の『舞姫』と近しいように感じたが、どろどろとした不快感ではなく、運命的であり儚いおとぎ話のようだった。
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三週間ほど前から、わたしは奇妙な日記をつけ始めた―。春の訪れとともにはじまり、秋の淡い陽射しのなかで終わった、わたしたちのシュガータイム。青春最後の日々を流れる透明な時間を描く、芥川賞作家の初めての長篇小説。 -
描写がとっても好きだった、繊細で雨の日にしっぽり読むイメージ
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あとがきが最も印象に残った。本文よりあとがきが面白かったといった意味ではなく、本文を読み終えて、あとがきを読んで何かが完成したような気持ちになりました。
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主人公の奇妙な日記からのスタートで、過食症に悩む女性の話かと想像したが、そんな単純ではなかった。
確からしい結論のようなものは書かれていなくて、主人公の周りに起こっていることはドラマティックなのに、リアリティがあって繊細な食べ物の表現と、多彩な色の表現で、粛々と物語が進んでいくような印象だった。
小川洋子さんの作品は「博士の愛した数式」がはじめましてで、美しい文章と世界観に心打たれ、他の作品も読んでみたいと手にした一冊。
心がざわついていたので、美しい物語に触れ一気にリセットしたかったのだけど、この本は清らからな心で読んだ方が、響いたのかもしれない。 -
林真理子の書評のように最後のシーンは要らなかったかもなと思う
よくある青春の1ページに異様な食欲がちらちらするけれど、それもまた青春の1ページのように感じた。 -
丁寧な描写が心地よく、読み終わった後も何度もページをめくりたくなる青春小説。
大学生のかおるの「異常な食欲」はこの物語の軸として一体どんな意味があるんだろうと思いながら読み進めたが、恋人がソ連留学に連れて行く女性を語る部分にその答えの鍵があると感じた。「お互いに、含まれあっている」などと言える存在に多くの人は出会えるものだろうか。
また、1994年の作品ということに驚いたが、そんなに古さは感じなかった。 -
丁寧な表現で独特な世界観、繊細で生きにくさを感じながらも自分と向き合い考え悩みながらしっかりと生きている若者たちに好感が持てた。
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食べ物の生々しいリアルな描写、食事のシーンの勢い、思わず唾を飲み込んだ。
小川洋子の世界はいつだって、世界からちょっとあぶれた人間達の生活の慎ましさを見せてくれる。「異常」が当たり前のように馴染んでいく。パウンドケーキを作る夜のシーンは言葉にしようのない哀しさや漠然とした虚無感のようなものを覆うように練り込むように、しとやかで、私もあの夜に閉じ込められてしまいたくなった。
街の生活の音や、日常風景の捉え方を見るたびにこの人はどんな目で耳で毎日を過ごしているのだろうと思ってしまう。些細な音も光も声も色も逃さないで大切に絡めとって、美しいレースの糸にする。 -
とても繊細な作品だなぁと感じました。
少し、もの悲しくもあるけど 主人公には確かに
信頼できる人達がいることを羨ましく思いました。 -
丁寧に表現されている主人公の毎日に、なんだかわたしの日々も、文章に当てはめるように切り取ったら素敵な小説になるのかもなと思った。
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完璧な病室のグロさがちょっと苦手だったけれどこちらも小川洋子スキーさんにすすめられたので読んでみた。
結論とってもよかった!!
日常の描写を食べ物で例えるところがすごくシンプルでわかりやすく、アンバーがかったキラキラとした光を見ているようだった。
小川洋子さんは「独特の世界があります」と行きつけの書店さんがおっしゃっていたのだけれど、確かに独特の世界、つまりクセがあるとは思う。
私が大好きな京極さんの作品すべてを愛せなかったように、小川さんの全部を愛せなくてもグロくなくてアンバーがかった世界を描いた小川さん作品を読んでいけたらと思った。
このシュガータイムの世界観を例える言葉で一番しっくりくるのは閉店してしまった純喫茶。
いくら懐かしんでももう戻れない世界。つまり絶対に手が届かない世界。
私は何かと色で世界観を感じる変なクセがあるんだけれど、小川さんの世界の色合いは10年ぐらいしまったままで思い出したように読む文庫本のページの端がセピア色に染まりつつある部分。
あと、これは「さすがに…」というトンデモ展開がなかったのもよかった。
次は琥珀のまたたきを読んでみる。 -
読んでいるとおなかがすいてくる本。
特にドーナッツの描写は秀逸で、
買いに走りそうになった。
小川洋子のうまさ!
季節がひとめぐりするあいだに、
かおるの恋のゆくへは…。
淡くて、懐かしくて、哀しくて。
その移り変わりがなにげなくて美しい。
学生時代はそうやって季節に区切られていくのだ。
語り手かおるは、弟の不具や継母やの陰があり、
屈折しているのだろうか。
食べ物への異常な興味があり、心配になるが、
悲しくても、つらくても、
食欲があるって青春なのだよ。
二度とこない、ね