高い城の男 (ハヤカワ文庫 SF 568)

  • 早川書房
3.43
  • (76)
  • (205)
  • (316)
  • (52)
  • (12)
本棚登録 : 2987
感想 : 201
本ページはアフィリエイトプログラムによる収益を得ています
  • Amazon.co.jp ・本 (432ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784150105686

感想・レビュー・書評

並び替え
表示形式
表示件数
絞り込み
  • SFの古典的名作。
    第2次世界大戦の勝利国が枢軸国側だったら?というIFの世界。
    設定がSFなだけで中身は純文学の様。多彩な登場人物がドイツの首相の突然の死去に右往左往する様が描かれる。
    陰謀あり、黒幕あり、政争あり、と世界情勢は混沌としている。世界を日独伊が仕切っており(何故か伊の影は薄いが)英米が日独の顔色を窺いながら卑屈に生きている。
    同時進行的に話は進行するが最後に収束するわけでもなくクライマックスがあるわけでもない。
    色んな事件はあるが結局「世は全てこともなし」、無常観だけが残る。後味は悪くない。

  • ディック祭り第3弾!

    第2次大戦でドイツと日本が勝利した世界。その世界の人々をリアルに描いているところまでがかろうじてSFと呼べるか。でも、ディックが描きたいのはそんなことではない。現実ですら苦しいことも多い世の中、じゃぁ全く逆だったらどうなのかという設定にはなっていいるけれども、明るい世界が広がっているわけでもなく、やっぱり描かれるのは「不安」。

    相手の気に入らなかったら・・・偽物と見破られたら・・・そもそも本物って何・・・もう不安だらけ。その不安だらけの日々の道筋を示すために卦が用いられる。こういう小説に惹かれるってことは、自分の「今」が不安だらけだからなのだろうか。

    ディックの小説を読んでも何も解決しないし、すっきり爽快感もない。でも、共感する不安な部分に気づく。それで、また読んでしまう。凄い!

  • 我々とは違う時間を歩む世界の物語を、時折めまいを覚えながら読み進め、時折現れる易経の描写に我に返る。逃れられぬ焦りのようなものを感じつつ登場人物たちは歩みを進める。
    そしてジュリアナは振り返らない、フリンクの元にも戻らないだろう…。

  • …多分、面白かった。
    まあよく理解出来なかったのは、私の方の問題。

  • 『高い城の男』は日本では評価が一段低いようだけれども、僕にとっては忘れがたい作品だ。おそらくSFというジャンルの力を確信したのはこの作品からだったのである。

     第二次大戦で日本に敗れたアメリカは国土を日本によって支配されている。しかし、「これはニセモノの歴史で、真実の歴史はアメリカが日本に勝ったのだ」という内容の小説が人々のあいだで話題にのぼるようになる、いっぽう魂の指針をなくした人々はしばしば「易経」を行動のガイドとして利用する、『高い城の男』はそのような世界を描いている。
     だが、現実反転ものに見られるような派手な展開は底流にすえられたままだ。この作品にあるのは、理不尽な世界に投げ入れられた個々の人間の生き方なのだから。

     ディックの作品において職業というのは、登場人物の性格をあらわすひとつの指標となる。

     フランク・フリンクは元の職場で戦前のアメリカ製品のニセモノを作る大量生産のラインで働いていた。このことは彼がナチスドイツの目を逃れるためにユダヤ人であることを隠して、偽アメリカ人として生きていることとパラレルである。

     彼は工場を辞めたあとも、友人のエド・マッカーシーと新しくオリジナルの装身具作りの事業を始めようとしたり、自信をなくして廃業しようとしたりとフラフラして落ちつかない。


     一方、工芸品の小売商であるチルダンに対し顧客の梶浦は、フランク・マッカーシー工房の作った工芸品の中にある芸術的な性格「無(ウー)」について明快に説明する。

    「ここには釣合いがある。この金属片の内部のいろいろな力は安定状態にある。落ちついている。いわば、この物体は宇宙と仲よく共存している。宇宙から独立し、それによって恒常性(ホメオスタシス)に達している」
    「この工芸家の手には無(ウー)があり、その手がウーをこの一片の中に流れこませた。おそらく彼自身も、この一片に満足がいくことしか知らなかったでしょう。これは完全なんですよ、ロバート。これをじっと見つめることで、われわれ自身もより多くの無(ウー)が得られる。芸術よりもむしろ神聖なものと結びついた平安を味わう」(p262)


     恐ろしいのは梶浦がこれほどにフランクの作品の価値を明確に述べながら、同時にチルダンに対して「この品物を大量生産のラインに乗せろ、販売システムを確立せよ」と「助言」を行うことなのだ。

     オリジナルな価値を完全に把握しつつ、一転してそこから模造品を大量に複製し、金を儲けろという要請。これはキリストを荒野でおそった悪魔の誘惑に等しい。悪魔はキリストに奇跡の力をもって石をパンに変えればよいとささやく。これは、実は石をパンに変えろと言っているのではなく、奇跡そのもの、神聖な価値を、そのものの力自身をつうじて物質的な利益(パンや金や)の水準にまで貶めろ(だから一面では高めろ)という誘惑なのだ。

     この悪魔は恐ろしい。黙示録のけもののせいぜい外的な恐怖をさそうような荒々しい暴力はない。しかし、わたしたちの中のよいものをその根底から蝕むような、それでいて一方ではわたしたちの現実的な生活の中に、逃れようもなく根ざした条件に真っ向から切りつけてくるものだからだ。この場面においてディックはドストエフスキーを瞬間的にであれ凌駕したとわたしは本気で考えている。

     チルダンは聞く「ウーはどうなるんですか?大量生産でも、それは一つ一つの中に残りますか?」
     そして梶浦はやや離れたセンテンスでこのように語る。「無教育な大衆がまだ世界にはおびただしくいるんです。彼らは、鋳型に流しこまれた画一的な品物から、われわれが味わおうとしても味わえない喜びを手に入れることができます。」

     このためしに対するチルダンの対応は実際に読むべきだ。ほとんど、作品中最大の倫理的問題とさえ言える場面を、主要人物とは言いきれないチルダンと言うキャラクターに任せるというのがディックのややバランスの外れたところなのだが、商人という存在は外部と接触する比率が高く、それだけ悪の誘惑も受けやすいと考えれば必ずしも奇妙なことではない。

     太平洋岸連邦第一通商代表団の高級官僚である田上信輔は、ナチスの後継者争いの中にある日本の危機を伝えに来たドイツの情報部員バイネスを殺そうとするナチスの手先から彼を守るために、二人の暗殺者を射殺してしまい、このことへの罪責感にかられる。
     そもそもバイネスの携えてきた代案も、日本を守るためにナチの後継者の中から巨視的に見ればより悪いものを後押しするというようなものだ。「おれはこのジレンマには立ち向かえない、と田上は心の中でひとりごちた。人間がこうした道徳的矛盾の中で行動を迫られるとは。ここには“道”(タオ)はない」というほどに精神の平衡を失う。

     やがて、田上はチルダンの勧めるフランクとマッカーシーの作ったアクセサリーを眺めているうちに、別の世界、日本がアメリカに敗れた世界をかいま見る。

     この光景を実際に見る特権を与えられたのは田上だけだ、そして日本の高官である田上にとってこれはあきらかに祝福される筋のものではない。
    「善行に対する報奨としての懲罰」という著しい逆説がここにある。しかし、善行とはおそらくそういうものなのだ。

     サンフランシスコ市警に、過去の詐欺行為とユダヤ人の身分を偽っていたことで捕まり、ドイツに引き渡されそうになっていたフランクは、違う世界を一瞬だけ覗いてしまった田上のナチスに公然と反抗した釈放指示により、わけも分からぬまま解放される。
     その後、フランクは、あらためてオリジナルの作品を作るべく決意し、友人のマッカーシーの待つ工房に帰る。
    「エドのところへ帰れ。おれはあの地下室、あの工房への帰り道を見つけなきゃならない。途中でやめたところからまた仕事をはじめ、この手を使って装身具を作ろう。働くんだ」

     それだけだ。SFというけばけばしいジャンルから想像されるような恐ろしいカタストロフもファンファーレが鳴り善が悪を倒す壮大なクライマックスもない。フランク・フリンクはドイツ首相の死をめぐる政治ドラマなどにはいっさい関わらず、作中したことといえば、ニセモノ作りのライン工から、オリジナルの装身具作りへの転進を自己の中で確かめるということのみ。

     しかし。彼の職業のニセモノ性が彼のアイデンティティのニセモノ性とパラレルだったとするならば、彼が彼の本物を作ろうとする決意を固めたときにアイデンティティにおける問題もまた解決されるべく決意されるのだろうと読むことは容易だ。
     真実性が揺らぐ世界の中で、なおかつ作中人物たちは自分の人生を決断し、世界に投企する。
     SFというものはこういうことが書けるのか、高校生のときに『高い城の男』を読んで、わたしは泣いた。このジャンルの可能性というものを初めて理解するにいたった瞬間だったと思う。


     ディックはインタビューでこう述べたという。
    「わたしにとって小説を書く上での大きな喜びは、ごく平凡な人物が、ある瞬間に非常な勇気でなにかの行動をするところを描くことだ。その行動によって彼はなにも得をするわけではなく、現実世界に名前が残るわけでもない。とすれば、その本は彼の勇気を讃える歌なのだ。」
    「わたしの願いは、『高い城の男』の田上氏がいつまでも記憶に残ることだ。わたしの本の登場人物は、わたしが実際に見てきた人々の合成物であり、彼らが記憶に残る方法は、わたしの本を通じて以外にはない。」



     ル・グィンは「SFとミセス・ブラウン」の中で、現代のSFの中で最初に出あったミセス・ブラウンとして田上信輔の名を挙げている。

    「彼らは人間です。キャラクターです。完全で、充実していて、多分に複雑な人間です。とがったところや角ばったところがありかたい部分もやわらかい部分もあり、深みも高みもある人物です。」
    「彼らがあらわしているのは、作者ができるだけ明確に言いたいと切望したところのものです。圧迫下にある人間について、独特の現代的なかたちをとった、道徳的圧迫のもとにある人間について」

     道徳的圧迫。バイネスはナチスの狂気について考える。
    「彼らの観点──それは宇宙的だ。ここにいる一人の人間や、あそこにいる一人の子供は目に入らない。それはひとつの抽象観念だ──民族、国土。民族(フォルク)。国土(ラント)。血(ブルツト)。名誉(エーレ)。りっぱな人々に備わった名誉ではなく、名誉そのもの。栄光。抽象概念が現実であり、実在するものは彼らには見えない。ドイツ人にとって“善”(デイー・ギーテ)はあっても、善人たちとかこの善人とかはいない 。観念が具象に優先する。それがナチズムの根本的な狂気の正体だ。」

     これはル・グィンが「SFとミセス・ブラウン」のなかで語ろうとしたこととも重なりあう。「SFは人間を描けるのか」。あるいは、これを併記して考えると、『鉄の夢』でも少し触れた「SFの夢はナチスではないか」という問いにいたるのだが、それはおこう。

     それにしても誰が田上信輔を忘れられるだろうか。二人の人間を殺した自責の念にとらわれ、死体の残る現場で、易のたすけを求めて、木の茎を放心状態で手の中でもてあそんでいたあの男の弱さを。

  • 第2次大戦が枢軸国の勝利で終わったif世界が描かれる.その世界では,連合国が勝利する世界が描かれたフィクション本が人気となっているという入れ子構造で語られつつ,段々とifの世界のif本が実は真実であることに辿り着き物語は終焉を迎える.二重構造を駆使した世界観を使い,信じるものの真実性は決して受動的では成立しない,群体としてではなく個体としての人の有り様が物語られる.

  • 1962年、第二次世界大戦に勝利した日本とドイツはアメリカを分割占領され、太平洋側は日本の統治下に置かれた。日本統治の影響で中国由来の『易経』が普及し、日本人アメリカ人を問わず多くの人が易により物事を判断するようになっている。さらには「第二次大戦に連合国側が勝っていたら」という内容の小説が評判を呼んでいた。

    アメリカ古美術商のロバート・チルダン、通商代表団の田上信輔、贋作工場で働くフランク・フリンク、フランクの元妻・ジュリアナ、プラスチック産業のビジネスをするバイネス、イタリア人トラック運転手のジョーなど、さまざまな人の物語が交互に進み、そこにドイツ政府の思惑も交錯する。

    もし第二次大戦で日独が勝っていたら、という歴史改変モノなのだが、あくまで登場人物の物語が中心で、大戦終結以降の政治や歴史は断片的にしか描かれていないのでその方面を期待しては肩透かしをくらう。また、各登場人物の物語も丁寧に描かれるため、小説全体の進行もゆっくりとしている。

    田上や梶浦夫妻などの日本人に対するチルダンの卑屈な心理が描かれているが、これが戦争に負けて占領されることに対する(当時の)アメリカ人の見方なのかもしれない。

  • 話がよくわからなかった。

  • アメリカの作家「フィリップ・K・ディック」の長篇SF作品『高い城の男(原題:The Man in the High Castle)』を読みました。
    『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』に続き、「フィリップ・K・ディック」の作品です… SF作品が続いていますね。

    -----story-------------
    〔ヒューゴー賞受賞〕
    第二次世界大戦が枢軸国側の勝利に終わってから十五年、世界はいまだに日独二国の支配下にあった。
    日本が支配するアメリカ西海岸では連合国側の勝利を描く書物が密かに読まれていた……現実と虚構との間の微妙なバランスを、緻密な構成と迫真の筆致で描いた、「フィリップ・K・ディック」の最高傑作!
    -----------------------

    1962年(昭和37年)に発表され、1963年(昭和38年)のヒューゴー賞 長編小説部門を受賞した歴史改変SF作品、、、

    第二次世界大戦が枢軸国の勝利に終わり、大日本帝国とナチス・ドイツによって分割占領されている旧アメリカ合衆国領を舞台にした人間群像劇です。


    1947年、第二次世界大戦は枢軸国の勝利に終わり、アメリカ合衆国は戦勝国であるドイツと日本によって三つの国に分断され、両国の分割統治下に置かれていた… それから15年後の1962年、アメリカ人の間では謎の人物「高い城の男」によって執筆された『イナゴ身重く横たわる』という、「連合国が第二次世界大戦に勝利していたら」という仮想小説が流行していた、、、

    『イナゴ身重く横たわる』はドイツが支配するアメリカ合衆国およびヨーロッパでは発禁本に指定され、「高い城の男」は保安警察に命を狙われていた… 日本が支配するアメリカ太平洋岸連邦のサンフランシスコにあるアメリカ美術工芸品商会を経営する美術商「ロバート・チルダン」は、上得意先である「田上信輔」に、頼まれていた品物の手配が遅れていることを叱責され、代わりの品物を届けるために「田上」がいる通商代表部に向かう。

    一方、勤め先の工場をクビになった「フランク・フリンク」は、これからの指針を求めて易経に勤しんでいた… 「田上」もまた、「取引相手である実業家バイネスの正体を探れ」という日本政府からの指令に悩み易経を頼みとしていた……。


    作品内で「もしも連合国が枢軸国に勝利していたら」という歴史改変小説『イナゴ身重く横たわる』が流行している点には思わずニヤリとしちゃいましたね… 日本人は勝者として傲慢な部分もあるものの、人種政策でドイツと対立するなどある程度は話が通じる人間的な集団として描かれていましたね、、、

    逆にドイツ人は反ナチ派が軒並み粛清されており、ナチズムの狂気に満ちた集団として描かれており対照的でした… ちなみに、イタリア人は表面的には日独と並んで戦勝国として扱われているが実態としてはドイツの衛星国であり、その劣等感からアメリカ人に同情するという役回りでした。

    興味深い仕掛けだし、好きなジャンルなんですが… なんだか読み辛かったんですよねー

    嫌いじゃないんですけどねー 感情移入し難かったですね。


    以下、主な登場人物です。

    「ロバート・チルダン」
     アメリカ太平洋岸連邦で「アメリカ美術工芸品商会」を経営する古美術商。

    「フランク・フリンク」
     太平洋岸連邦の工芸職人。ユダヤ系アメリカ人。本名は「フランク・フィンク」。
     合衆国の軍人としてアメリカ本土決戦で枢軸軍と戦った過去を持つ。

    「ジュリアナ・フリンク」
     フランクの妻。美しい風貌をした黒髪の女性。
     フランクの貧しい生活に嫌気が差して別居。

    「ジョー・チナデーラ」
     イタリア国籍の退役軍人。北イタリアのミラノ出身。
     出稼ぎ目的の移民として合衆国に滞在。
     貨物運搬の用心棒としてロッキー山脈連邦を訪れた際にフリンクと知り合う。

    「田上信輔」
     太平洋岸連邦の第一通商代表団の代表を務める日本人官僚。
     日本政府からバイネスの素性を探ることを命令されている。

    「ポール・梶浦」
     太平洋岸連邦の不遇地域生活水準向上調査委員会の日本人職員。
     美術品愛好家で、チルダンの店の常連客。

    「ベティ・梶浦」
     ポールの妻。浅黒い肌に艶やかな黒髪をした女性。

    「手崎」
     元日本軍参謀総長の老将軍。軍部の宇宙進出推進派。
     「矢田部信次郎」の偽名を使い、サンフランシスコを訪れる。

    「府馬五十雄(ふま いそお)」
     原日本陸軍の退役少佐。
     旧アメリカ美術品の収集家。

    「エフレイキアン」
     第一通商代表団オフィスの職員で、田上の秘書。

    「ラムジー」
     第一通商代表団オフィスの職員で、田上の秘書。アメリカ系白人の男性。

    「ルドルフ・ヴェゲナー」
     ドイツ国防軍情報部の大尉。
     ドイツ国内の要人の密命を受け、スウェーデン人実業家「バイネス」の偽名を使いサンフランシスコを訪れる。

    「フーゴー・ライス」
     サンフランシスコ駐在ドイツ帝国領事を務める男爵。
     SS名誉少佐の階級を持ち、形式上メーレの指揮下にある。

    「ブルーノ・クロイツ・フォン・メーレ」
     太平洋岸連邦のSD地方長官。
     ハイドリヒ暗殺計画を阻止したことで目をかけられ、SD内での地位を確立する。

    「アレックス・ロッツェ」
     ドイツ人芸術家。個展を開くためサンフランシスコを訪れる。

    「ウインダム=マトスン」
     WMコーポレーションの社長。フランクの雇い主。

    「エド・マッカーシー」
     ウインダム=マストンが経営する工場の現場監督で、フランクの友人。
     フランクとともにエドフランク宝飾工房を起業する。

    「レイ・キャルヴィン」
     サンフランシスコで一・二を争う卸売業者。
     ウインダム=マストンが製造する模造品を取扱い、チルダンと取引をしている。

    「ホーソーン・アベンゼン」
     『イナゴ身重く横たわる』の作者。
     通称「高い城の男」。
     第二次世界大戦ではアメリカ海兵隊の軍曹としてイギリス戦線に従軍した。
     現在はロッキー山脈連邦のシャイアンにある山奥の要塞(通称「高い城」)で暮らしている。

    「キャロライン・アベンゼン」
     ホーソーンの妻。灰色の目をした赤茶色の髪のアイルランド系女性。

  • わかったようなわかんないような
    不思議な読後感なのですが
    読んでいるときは妙におもしろい。
    久しぶりに読んだけど
    そういえばディックって私にとっては
    そういう作家だったっけ。

    日本とドイツが第二次大戦に勝った
    架空の世界が舞台なのですが
    日本人の田上が主要な役どころで
    これが今読んでも「あ、なんか日本人」
    思考回路とか、ちょっとした行動とか。
    すごいな、ディック御大(笑)

    敗戦国となったアメリカで
    新しい製品作りに取り組むフリンクや
    少しずつプライドを取り戻していく
    田上御用達の骨董品店長チルダンの姿が
    現実日本の戦後復興期に踏ん張った
    人々の写し身のように思えた。

全201件中 21 - 30件を表示

フィリップ・K・ディックの作品

この本を読んでいる人は、こんな本も本棚に登録しています。

有効な左矢印 無効な左矢印
フランツ・カフカ
グレッグ・イーガ...
フィリップ・K・...
有効な右矢印 無効な右矢印
  • 話題の本に出会えて、蔵書管理を手軽にできる!ブクログのアプリ AppStoreからダウンロード GooglePlayで手に入れよう
ツイートする
×