短歌の友人

著者 :
  • 河出書房新社
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  • Amazon.co.jp ・本 (266ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784309018416

作品紹介・あらすじ

ニューウェイヴ短歌をリードする歌人が短歌を読みながら短歌について考える。短歌の面白さを通じて世界の面白さに突き当たる、著者初の歌論集。酸欠世界のオデッセイ。

感想・レビュー・書評

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  • 『自己、他者、コミュニケーション、性別、リアリティ、共同体、時代・・目の前の短歌の「面白さ」を味わっているうちに、自然にそんなことを考える場所に運ばれてゆく』

    穂村弘さんって、時々エッセイ等でふざけたりもしているけれど、実際は生きるということに、とても真摯な方なんだと思わせる、この歌論集は、まるで穂村さんが短歌というフィルターを通して、世の中のありのままの姿を見ているようで、時に、そんな世の中だとしても、自己の魂の有り様を必死に訴えている、そんな点に生きることを見出せるのが、短歌の魅力の一つだとも思えてきます。

    その中でも、いくつか印象的だったものを挙げていきます。


    まずは、「第1章 現代短歌の冒険」の「反復迷宮」で、ここでの繰り返しの語感の面白さと、その裏に潜む狂気性に惹かれたのですが、そこに穂村さんの解説の、『遊び心というよりは、もっと切迫した気分。いずれも出口を求めているように感じられる』に、なるほど、だから「反復迷宮」かと腑に落ちました。

    電話口でおっ、て言って前みたいにおっ、て言って言って言ってよ 東直子

    ティーが通じない私はただティーが飲みたいのですティーがワン・ティーが 平山絢子

    なんどもやりなおしなんどもこじれどこからがどれだけなにをどうやって? 今橋愛


    また、同じ章の「凶暴な祈り」では、最近私が気になっている、早坂類さんの歌集『ヘヴンリー・ブルー』の解説が読めますが、「反復迷宮」以上のリフレインの嵐に、凶暴な祈りのような印象と書かれた穂村さんだが、私にはそれだけの思いの深い純粋さが胸に突き刺さる思いがいたしました。辛いけど、これ読んじゃうなぁ。

    黒色の落書きは叫ぶ わたしを消してわたしを消してわたしを消して 早坂類

    生まれては死んでゆけ ばか 生まれては死に 死んでゆけ ばか 同

    なにもないすることがなにもない何もないです 前略かしこ 同


    次は、「第6章 短歌と〈私〉」で、そこで私が意外に思ったことは、『歌というのは基本的にひとつのものがかたちを変えているだけ』で、これまで、いくつもの奇抜な歌を見たときには、こんなやり方もあるんだなと感じていたのが、実は根っこは同じだったということであり、そのひとつのものとは、『生のかけがえのなさ』で、ああ、穂村さんならば、そう思うよなあと、『シンジケート』を過去に読んだ私には、とても感慨深いものがありました。

    吉原の太鼓聞こえて更くる夜にひとり俳句を分類すわれは 正岡子規

    かの人も現実(うつつ)に在りて暑き空気押し分けてくる葉書一枚 花山多佳子


    また、同じ章の、穂村さん自身の歌のエピソードで印象的だったのが、『歌には全く誤魔化しようがなく〈私〉が現れるということを改めて知らされた』で、例えば、「百済」というお題を出されたときの、穂村さんの歌、

    素はだかで靴散乱の玄関をあけて百済の太陽に遭う

    に対して、水原紫苑さんの、「百済」は「インカ」と入れ替えても全く問題なく一首が成立してしまいますよねとのご意見に、穂村さんの中でも、それらは全く同じようなものでしかなかったということを認識しており、思わず歌を作るのも怖くなりそうな話だと思いましたが、でもいいことだと思うと、穂村さんは結んでおり、怖いけれど、歌にはその人自身が入っているということは、考えようによっては凄いことだなと感じましたし、それを見ることの出来る歌人の方々もやはり凄いのだなと。


    ここからは、本書を読んだことで、興味を持った歌人について(書いてあることは殆ど穂村さんの解説です)。

    高野公彦さんは、平凡さから非凡さまでの連続性が特徴らしく、平凡さを恐れない心が結果的にその平凡さを突き抜けて非凡な歌を生んでいるとのこと。

    現し世の命いとしもゆつくりと桃を回して桃の皮むく 高野公彦

    小池光さんの歌集『静物』は、我々は三つの時間を同時に生きていて(〈近代〉以降と〈戦後〉と〈今〉)、そして〈近代〉以前の時間からは、大きく切断されているとのことだが、私には、今の時代に於ける心の持ちようの辛さを表しているようにも感じられました。

    「ヒューマニズム」を無二の理想にかかげつつ五十余年の果てに「むかつく」 小池光

    山削るがごとく平たくなりてゆく昭和七十三年日本人のかほ 同

    徘徊老人を人工衛星に監視しゆくを「進歩」といふ 同

    短歌や俳句などの韻文が、小説のような散文に比べて難しいと思われがちなのは、書かれた情報に圧縮がかかっているからという、穂村さんの簡潔な説明に納得し、その解凍がしやすいのは、万人に共感されやすい『想い』をのせた、俵万智さんだというのも納得でしたが、そんな彼女の歌にも突き抜けた人間味溢れる怖さというか、私には切実さと鏡合わせになっているように感じられて、より印象的でした。

    焼き肉とグラタンが好きという少女よ私はあなたのお父さんが好き 俵万智

    最後は、小島ゆかりさんで、この世に身体をもって在る「われ」の不安定さ、わからなさ、不思議さの底を潜り続けることで、独自の作品世界を生み出したとのことで、私が最も読みたいと思った歌人です。

    かたつむりの殻右巻きに右巻にわたしはねむくなるゐなくなる 小島ゆかり

    掃除機をかけつつわれは背後なる冬青空へ吸はれんとせり 同

    ぎいと開く裏木戸なくて内外のどこからわたしであるかわからぬ 同


    そして、性懲りもなく、私の歌を・・

    決めつける合目的的誤植だだって知らなかった知らなかったもの

    • 5552さん
      たださん、おはようございます。

      みなさんも「合目的的」お調べになったんですね。
      私も、何度も読み返してしまいました。
      「ごうもくて...
      たださん、おはようございます。

      みなさんも「合目的的」お調べになったんですね。
      私も、何度も読み返してしまいました。
      「ごうもくてきてき」、音が面白いですよね。
      何かのオノマトペみたいで、気持ちいいです。
      早坂さんの歌はやはり胸に迫ります。
      穂村さんの言葉「歌には全く誤魔化しようもなく〜」は、同じようなことが先日読んだ短歌入門書の新刊にも書かれていました。
      ある歌手の方が短歌を書いて、穂村さんに見てもらうという企画対談を読んだのですが、歌手の方が「まるで占い(精神分析だったかな?)をされているよう」というようなことをおっしゃられていたのが印象的でした。
      2023/05/18
    • 111108さん
      たださん、お返事ありがとうございます♪
      ☆ベルガモット☆さん、5552さんこんにちは!

      「合目的的」でしたね‼︎間違って覚えてました。
      た...
      たださん、お返事ありがとうございます♪
      ☆ベルガモット☆さん、5552さんこんにちは!

      「合目的的」でしたね‼︎間違って覚えてました。
      たださんの「知らなかった」のリフレイン、私の心にも起こりました。オノマトペとしても面白いですね。でも日常生活では使いこなせない気がします。
      2023/05/18
    • たださん
      皆さん、こんにちは。

      ☆ベルガモット☆さん、コメントありがとうございます(^^)

      私、歌を作りたくなる時って、いつも穂村さんの著書(しか...
      皆さん、こんにちは。

      ☆ベルガモット☆さん、コメントありがとうございます(^^)

      私、歌を作りたくなる時って、いつも穂村さんの著書(しかも専門的な)を読んだ後でして、おそらく穂村さんの短歌に懸ける思いに共鳴するかのように、私も何か作りたくなるのだと思います。『リフレインが動揺を表現するのに効いていますね』、嬉しいお言葉をありがとうございます(*^_^*)

      5552さん、コメントありがとうございます(^^)

      確かに「合目的的」という言葉自体に興味がいきますよね。どうやら、「合」と「目的」と「的」で分かれるらしく、日本語の奥深さを感じました。
      それから、早坂類さんの歌について、私も同感です。特に、「生まれては死んでゆけ~」の、「死んでゆけ」の後にある、『ばか』には、とても心揺さぶられるものがありました。

      111108さん、お返事ありがとうございます(^^)

      そうでしたか。共感して下さり嬉しいです。確かに日常生活で言ったら、「はあ?」ってなりそうな気もしますし、実際口にしてみると言い辛いのもある事に加えて、私的にツボなのか、何故か吹き出してしまいそうになり・・特に『てきてき』の部分がだめですね(^^;)
      2023/05/18
  • 知人にすすめられて。
    ちょうど百人一首を覚えてて短歌に興味を持ち始めたところだったので、五七五七七のなんたるかが学べて楽しく読めました。穂村弘さんもずっとお名前はよく見かける方だったので。

    短歌の言葉に求められるのは、何度でも繰り返し可能な世界ではない。
    我々が現に呼吸しているこの世界の感触が、生々しく再現されている、ことが大切。

    我々の言葉が<リアル>であるための第一義的な条件としては、「生き延びる」ことを忘れて「生きる」という絶対的な矛盾を引き受けることが要求されるはずである。

    「ダシャン」と「ガシャン」の間にあるものは、発音や字面の上では微差にすぎない。だが、その中に詩的には大きな質の違いがあって、多くの読者はそれを自然に感知することができる。
    →生命の一回生、ただ一度きりの人生の中で、ある日、ある時、団地の扉が閉まる。その事態のかけがえのなさを「ダシャン」は「ガシャン」よりも深く捉えて表現している。

    俵万智さんの短歌→平凡さの「ありがたさ」が詠われている。そこに「普通の人達」が爆発的に共感したわけだが、彼らが皆このような歌を書けるわけではない。ハートの庶民性濃度が通常の十倍(推定)なければ、このような歌をかたちにすることはできない。普通さにまみれながら、同時にそこを突き抜ける過剰さが必要なのだ。

    俵万智さんの短歌ってすごい!と、なんだか今更ながら改めてハッとした。歌集でちゃんとまとめて読んでみよう。

  • 穂村さんはエッセイばかり読んでいたので、初短歌の本。
    小説などの散文を圧縮した詩や俳句、短歌は、解凍方法がわからず敬遠されがちである。穂村さんの文章が好きだから敷居の高い短歌におずおず一歩足を踏み入れた、記念すべき作品である。

    ぞろりと並ぶ短歌は、最初あまり読む気がしなかったが、ひとつひとつ穂村さんの解説があるとなるほどなるほどとわりとスッキリ読めた。随所に現れる穂村節は健在。やっぱりおもしろい。自前の解凍力を身につけるために、経験を積みたい。

    「普通の人達」とはちょっと違う頭を持った詩人とは違い、歌人の頭は庶民、ハートは超庶民、だそうだ。たしかに、圧縮はされているが、小難しいものばかりではない。多くの作品は、日常のリアルが詰まっている。こんなものが、歌になるのか。

    短歌は、ことばが圧縮されているからこそ、助詞ひとつ、言い回しひとつがとても大切になる。今話題のブログの書き方…云々よりも、短歌の解凍と圧縮した韻文の勉強をする方が、よっぽど自分らしい表現へ近づくのではないか。そう思い、今度短歌の会に参加してみることにした。リアリティの持った歌を、私も作ってみたい。ぐふふ。

    ——————————————————
    歌に関してはひとりひとりが自分の進める方向に<踏み込む>ことしかできないというのが私の実感である。そして自らの<踏み込み>の意味は、どのような作者にとっても自分ひとりでは把握しきれないものなのではないか。

    だからこそ作歌を通じて明らかになる未知の<私>が、読みによって他者の<私>を潜るという双方向のコミュニケーションが意味を持つのだろう。

    表現に人間が直結して、それに関わる者同士の存在の対峙になるような詩型の特性をうっとうしいものと感じることもあるが、それによって結果的に未知の<私>が照らし出されるのは、こわいがやはりいいことだと思う。

  • ニューウェイブ歌人・穂村弘による短歌論や歌人論。歌人としてだけでなく、評論家としても優れていることがわかる。特に言葉に関する感覚が鋭いのはさすがだ。中で引用されている若い歌人たちの歌にも興味を持った。なぜ彼らは、ああも切実で孤独なのか。一方で若者に人気のアニソンの前向きさを思うとき、若い人たちの気持ちをどう理解すればいいのだろうと考えてしまう。

  • 短歌論は難しい。
    秀歌と言われる歌でも、私にはどこが良いのかわからない。
    いろんな人の歌が見れるからいいかなと思ったけど、同じ歌が何度も出てくる。

  • 穂村さんの短歌はほとんどなく、短歌についての評論のような本。こういうのも出してるのだなぁ。自分で詠むだけじゃなく、たくさん読んできた、というのにおぉと思う。そうなんだなぁ。最初の歌集をすごく否定された時も、悲しいし悔しいし怒りもあったけど、自分を理解してもらえた、とも思ったというのにも、おぉと思う。歌にはそんなにも自分が出るものか。何か自分も短歌を作りたくなった。最初は難しかったけど、だんだんそう思えて読みやすくなった。俵万智もまた読んでみようかな。

  • 塚本邦雄の短歌→どこかオモチャのようである
    斎藤茂吉の短歌→まったくオモチャのようでない
    こういった印象の違いについて言及されている。
    「作品の説得力とは、それ自体が独立して存在することはあり得ず、常に読者に対する説得力ということでしかないはずだ。」
    とあるように、それらの印象はまさに我々がものを読み考える<原理>、基盤がどうあるかに依存してるのだと思う。読み手としてもっと先に行くことを考えなければ、書き手として先に行くこともたぶんできないだろう、と思った。<近代>的な生のかけがえのなさの原理を塗り替えていくような表現は、どこかで生まれてるんだと思う、きっと。それだけ、生というのは普遍的なものであるともまた言えるけれども。

  • 言葉をいくつか並べるだけのことがここまで奥深くなる、それが驚き。

  • 図書館。つくってみたいなあ、短歌。

  • ほむほむによる短歌論のパートがむずかしいというか、
    わたしはまったく短歌にあかるくないのでいまいちぴんとこなかった
    (もちろん例を引きながら論じてくれてはいるんだけど)。
    しかしほむほむの登場が短歌界にどのような衝撃をもたらしたか、
    そしてなぜ衝撃であったのかが、
    専門誌に掲載された穂村弘論に如実に表れていた点が興味深い。
    彼の短歌をただの一首も引くことなく評されていた点が興味深い。
    それほどまでにこの人は、
    なんだかよくわかんないけどすごいんだろうと思う。

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著者プロフィール

穂村 弘(ほむら・ひろし):1962年北海道生まれ。歌人。1990年に歌集『シンジケート』でデビュー。短歌にとどまることなく、エッセイや評論、絵本、翻訳など広く活躍中。著書に『手紙魔まみ、夏の引越し(ウサギ連れ)』、『ラインマーカーズ』、『世界音痴』『もうおうちへかえりましょう』『絶叫委員会』『にょっ記』『野良猫を尊敬した日』『短歌のガチャポン』など多数。2008年、短歌評論集『短歌の友人』で伊藤整文学賞、2017年、エッセイ集『鳥肌が』で講談社エッセイ賞、2018年、歌集『水中翼船炎上中』で若山牧水賞を受賞。

「2023年 『彗星交叉点』 で使われていた紹介文から引用しています。」

穂村弘の作品

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