- その姿の消し方 (新潮文庫)
- 堀江敏幸
- 新潮社 / 2018年7月28日発売
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良かった。文章を何度も、年月かけて味わうことの楽しみと豊かさを知ってる人に勧めたい。「じわじわ文章のいろんな意味がわかって自分の内面が変わっていく感じ」のゾクゾク感が言語化されてるって感じ…あと文章がめちゃ端正。
2021年1月24日
- 「コミュ障」の社会学
- 貴戸理恵
- 青土社 / 2018年4月24日発売
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20180922~
2018年9月22日
- 改訂新版 四季・奈津子 (集英社文庫)
- 五木寛之
- 集英社 / 2000年10月18日発売
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四姉妹の次女・奈津子の物語。自分自身のなかに奈津子とケイと布由子とを住まわせるような感覚で生きてみたい。(現実というより心構えとして)生活の方法もお金の得かたも感じ方も違う三人だけど通底するものは似ていて補完しあっているように思った。わたし一人のなかに取り込めたらいいと思う。
私自身に引き付けて色々考えられたので良い読書だった。現実的には、麻痺の関係で、奈津子やケイのように身一つで生きることは難しい。ただ色々試してみること、率直であること、期待しすぎないことの大切さを考えさせられた。
★★素直、率直であることと、自己演出すること・秘めることの両立。
次は『四季・布由子』を読もう。
『冬のひまわり』もそうだけど、五木寛之さんは何気ない人物の手の動きとか風景描写がとても良い。
以下エッセイ風?長文
『四季・奈津子』五木寛之 2(変化について)
・「きみが変わってゆく、その変わり方を一瞬のうちにスクリーンに再現してみるというのがぼくの考えだ。十年間うまくいけば、二十年、三十年、そしてもし、ぼくときみが生きていれば、五十年でも撮れるだろう。
(略)
〈時間〉というのが、そのタイトルだ。」
主人公の奈津子が出会うカメラマンの言葉。
以前は変わることを「気紛れ」というようなマイナスイメージで捉えていたけれども最近マイナスイメージではなくなってきた。わたしのような頑固な人間は、表現したい根底にあるものを、自分の気分や人の負の感情に振り回されて見失わないように慎重にしていれば充分だと思う。むしろ変わることは日々新しくなると考えるほうがいい。
確か2015年に、「自分の気持ちとも、人の気持ちとも、いつか変化によって別れてしまう。だからこそ、その時その時の自身の変化にずっと寄り添ってくれるのは音楽や文学だ」とメモした。
もう一度思い出して、人との縁は意志によって絶やさずに依存もせずに。激しさ、やりきれなさや嬉しさに寄り添うものを作りたいし享受したい。
一瞬を残す事が堆積して時間になり、とても個人的なことが普遍性を持って人の胸を射ぬく(高校生のころ見た対談番組で福山雅治が似たことを言っていた)、ということがずっと気になっている。
一瞬を作品として残すためには、(短い言葉を並べるのではなく、字数としても時間としても)膨大な量が必要という話を、別の人たちと別の場所でしたことが心に残っている。せっかくそんな話をしても、わたしは焦ってしまうけれど、求め続けていたらまた思い出させてくれる作品や人や思想と出会える(宗教哲学の先生の他力の捉え方はとても参考になった)。
奈津子と出会った詩人が、奈津子の妹に書いた手紙も良かった(文庫178ページ)。人に出会うことでもたらされるエネルギーは停滞している精神や身体を動かしてくれると思った(またわたしのエネルギーがなくなってしまっても鬱は波のようなものだと言い聞かせること)。わたしは停滞することや立ち止まることを必要以上におそれて結果的に長く立ち止まってしまうことがあるけれど、それすらも生きることの一部だと思ったほうが良いように思う。
人と人の会話も、人が作ったものから受けとることも、解釈は相手に委ねられているから、自分の思うような出会い方をしないこともある。それでも、違いを楽しむ余裕を持つこと。読み継がれる長編小説の醍醐味が、あらすじよりも普遍的な感情などを描いたディテールであるのと似ている。時代が変化しても残っていくものはディテール。
人と同じ荷を背負うことも、同じ景色を見ることも出来ないから、だからわたしは、私たちは作品を作る。
訓練さえ積めば、人の感情と自分の感情を一緒にせずに、客観的な優しさでそばにい...
2017年10月11日
- ([い]1-1)冬のひまわり (ポプラ文庫 い 1-1)
- 五木寛之
- ポプラ社 / 2008年12月5日発売
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三人の登場人物が過去を振り返りつつ現在を生きる話。 山科辺りが舞台で阿弥陀堂や鈴鹿サーキットが印象的に描かれている。臨場感ある記憶を絡めた風景描写を上手く書く作家さん。風景と言っても、季節感と建物が中心なのが新鮮…この人の持ち味のような気がした(中学生で『青春の門』読んだきり久々だから忘れてた)。何かを失ったら風景も一緒に辛い記憶になると思ってたけど、(神聖と言われる場所では特に)変わらない姿に救われることも、移り変わりに救われることもあるんだな、記憶が薄れていったりふと思い出したりの匙加減がリアル。雨降りの阿弥陀堂の描写が良かった。
中学生の頃に五木寛之さんの講演を聴いたのを思い出していた。
2017年10月11日
- 6才のボクが、大人になるまで。 [DVD]
- リチャード・リンクレイター
- NBCユニバーサル・エンターテイメントジャパン / -
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去年、観たいと思いつつまだ見ていない作品。見たいのでメモとして登録。
2017年8月30日
- フラニーとズーイ (新潮文庫)
- サリンジャー
- 新潮社 / 2014年2月28日発売
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身近な出来事や人に神様(人のあたたかみも)を見出だすことと、神様の用意した舞台の上で自己表現することは、本当に両立できるのだろうか。読み返して、フラニーがひかれている詩人リルケやエミリ・ディキンソンを、単なる「『フラニーとズーイ』の中に出てくる固有名詞」ではなく、読んでいきたい詩人として考えているわたしは、以前『フラニーとズーイ』を読んだときとは受け取りかたが変わっていた。
新訳をした村上春樹のエッセイより引用◆今日我々がこの『フラニーとズーイ』を読むとき、おそらく読者の大部分はそこにある宗教的言説を、実践的な導きの方法としてではなく、むしろひとつの歴史的引用として、一種の精神的メタファーとして処理しながら読み進むことになるのではないかと思う。◆
→キリスト教を、すべて素直に受け入れて、日々の導きとするのは、いまだに難しいけれども、キリスト教はわたしにとってずっと、「精神的なメタファー」ではあると思う。
2017.8.14
以前のメモより感想。
読み終わって何故か、「手仕事は手と心が直接繋がっている」という柳宗悦の言葉を思い出した。それから梨木香歩の『海うそ』や『からくりからくさ』なども。書かれ方(表面の形式)はそれぞれ違うので、どうして似てると感じたかもう少し考えたい。兄妹の会話中でズーイがフラニーに、実際的なこと(「実利的に役に立つこと」ではなく。例えばフラニーの好きな詩人を例にして)と、絶えず祈ることは両立出来るのでは、と言う箇所があります。そのあたりや、兄弟たちの母が毎日作ってくれるスープこそ祈りなのでは、というあたりで、私は手仕事と祈りを結びつける連想をしたのかもしれないです。
石を磨くのも、織物をするのも、「反復」で、時間もかかりますし、作業なのにそこに色々な思念が入る。それで、織物を題材にした、『からくりからくさ』を連想したのかもしれない。2014.6.18
2017年8月14日
- 北原白秋詩集 (ハルキ文庫 き 2-1)
- 北原白秋
- 角川春樹事務所 / 1999年4月1日発売
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『思い出』に印象に残る詩が多かった。「青いとんぼ」「みなし児」とか。
とんぼや窓や、山高帽やらビロードやら、いまも身近なもの、あるいは昔は身近だったものを題材にして、リズムよく読めるのがいい。それでいて黒や青や夕日の赤の使い方が、なんともいえない疎外感とか静かさがあるけど、あまりさみしい感じがしないのがいいなあと思う。
2017年8月1日
- ウィリアム・モリスの遺したもの――デザイン・社会主義・手しごと・文学
- 川端康雄
- 岩波書店 / 2016年12月16日発売
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とっても気になる 去年から→『ウィリアム・モリスの遺したもの デザイン・社会主義・手しごと・文学』川端康雄(岩波書店)一見別々な活動に通底する思想と仕事の流儀を追い、さらに柳宗悦・宮沢賢治ら影響を受けた日本の芸術家・思想家たちの軌跡をたどる。
2017年8月19日
- すぐやる! 「行動力」を高める“科学的な"方法
- 菅原洋平
- 文響社 / 2016年7月27日発売
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自分に適用出来そうなところだけ軽く拾い読み。
脳疲労をとる話、睡眠のはなし、視覚にはいるものを少なくする話、触覚の大切さ、SNSとの付き合いかた
↑特に共感した。調子が良くないときには参考にする。
脳の仕組みによる説明と、作業療法士さんの言葉が、私には合っていた。
2017年1月18日
主人公の周囲で起こることは派手ではない。でも調理師の卵の彼はいつも心を動かし、手を動かして、音や自然から多くのものを受け取る、良いものだけではなく。心を熱くさせながら一歩進み、下がり、また進む。また下がる。異なったタイプの周囲の人たちの仕事に、いちいち感激し落ち込み反発して、それぞれの仕事ぶりを少しずつ咀嚼していく。熱さというのは、こういう静かさの中から、継続の中から生まれてくるのだ。
そういう感想を持つ一方、私は、彼が音の世界にどうにか分け入るのを森に例える箇所(いくつかある)で、熱く心が拓けて、今だったらなんだって出来るような感じを持った。自分の周りの世界から導きを感じ、受け入れられていると感じることを、音と自然の描写でこんなふうに書けるのだ。すごい。
双子との交流が書かれた箇所は、「他人の気持ちがわからない」という前提からスタートして、それでも生きていくのだということを思い出させてくれた。
この本に書かれている様々なことが、ちょうど今の私にフィットした。もしかしたら一ヶ月後、数ヶ月後、一年後には、こんな風に感激して読むことはないかもしれない(展開に対して都合が良いとか思うのかも)。わからない。わからないけれど、どうしても読みたくて図書館の予約件数の多さにじれったくなって、昨日古本屋に行ったのは間違いではなかったと今は思う。
2017年1月19日
- 火星年代記 (ハヤカワ文庫SF)
- レイ・ブラッドベリ
- 早川書房 / 2010年7月10日発売
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夫にとって理解しにくい地球のことが夫人の夢として出てくるのに、彼らの日常描写こそ読者には不思議で、二重になってると指摘されて、なるほど~。その反面、構造のことでなるほどと思うと、綺麗だと思った水晶の描写がそうでもなく思えてちょっとかなしかった。別の作品でも、少し不思議で美しい描写って色々あるしなあ、と気づいた。(「イラ」)
12/24
水晶の柱と夫人の夢の描写がとても綺麗だった。12/21
2016年12月25日
- ギルバート・グレイプ [DVD]
- ラッセ・ハルストレム
- 角川書店 / -
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兄弟愛や家族愛の話とも違う気がするし、カマキリの例えから、ギルバートの母親をはじめとする女性が男性の可能性や自由をなくして町に縛り付けている話というのも言い過ぎな気がした。ギルバートに夕陽の話やカマキリの話をするベッキーはその容貌も服装も好みだったのだけど、言っていることを改めて考えると、自由になりたい男性の心の声を代弁するキャラクターとして動かされているように感じてしまった。ただ、夕陽の話は良かった。境遇や年齢や心の持ちようで見える景色は変わるし、その景色も、人間の語彙で足りるものではないということ。
映像が美しい。島国の景色とはまた違った雄大さというか、ちょっとそっけないくらいの山とか空とかが良かったな。木々の撮り方も影がうまく使われてて良かった。ギルバートもアーニーもベッキーも台詞にならない表情が魅力的だったのだけど、それは俳優の力量にプラスして撮り方の巧さもあると思う。ラッセ・ハルストルムという監督は『やかまし村の子どもたち』も映画化しているようなのでそちらも見てみたい。三作全部を原作としているなら、末っ子の女の子が焚き火を見る場面はきっと入っている気がするけど、どうなんだろう。
2016年11月22日
- 文学ムック たべるのがおそい vol.1
- 穂村弘
- 書肆侃侃房 / 2016年4月15日発売
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藤野香織さんの「静かな夜」が良い。見えないもの―死者とか気配とか地獄とか―を扱っていて、タイトル通り、話者の息づかいが聞こえそうな感じに、近く静かに進むのがいい。前半は女性、後半は(女性のパートナーである)男性の一人称。
この良さは、短編だからこそ、という気もする。長編はどういう作風なのか少し気になった。
ほかの収録作品もぼちぼち読みたい。
2016年11月12日
- パパが宇宙をみせてくれた
- ウルフ・スタルク
- -
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身近な道具や自然から宇宙に思いを馳せることができるのだというのを、「パパ」と「ぼく」の交流から描いているのは良かった。そして、宇宙と自分という広い範囲から自分のあたたかな家に帰っていくのも良い。ただ少し、日常に寄せすぎているというか、星座の話のあたりなどは身近な例からもっと突っ込んで描いてもいいんじゃないかなと思った。まあ科学絵本ではないのでさじ加減が難しいと思う。
2016年10月7日
「〈いまは〉と〈まだ〉はテーブルを降りて、どうしていいかわからず床にとどまっていた。(略)〈いまはまだ一度も〉、とハリネズミは思った。踊っている言葉たちが突然、輝かしく見えた。そのまま踊り続けて、とハリネズミは思った」物語の最初の方で、人が訪ねてくるのを待ってるハリネズミのことを、こんな風に描写する。ひとりでいるときに頭の中で言葉が止まらなくなる経験はあるし、その経験の描写としても、言葉の使い方としても印象に残った。自分しかいないより、自分の言葉と自分しかいないという描写のほうが、ひとりを表現できる気がした。
2016年11月5日
- リップヴァンウィンクルの花嫁
- 岩井俊二
- 文藝春秋 / 2015年12月4日発売
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冒頭部分で、男女が一線を越える境目がわからないと、七海の性格を説明している。この心の声を一番初めに持ってきたのは、性格の説明に留まらず『リップヴァンウィンクルの花嫁』が、いろんなこと-狂気と正気、同性と異性など-の『一線を越える』のがキーワードだということでは?
一章が始まる前にに浜田廣介『泣いた赤鬼』の一節が引用されている。赤鬼が書いた貼り紙。赤鬼は鬼と人間の『一線を越え』、融合できると思っていたが結果として友人を失ったと私は解釈している。だから『リップヴァンウィンクルの花嫁』で、赤鬼の貼り紙が冒頭にあるのは、一線を越えることが出来たと描くにしろそうでないにしろ、象徴的なのでは。また、全部読み終えたら考えたい。20160907
20151125登録
2016年9月7日
- 神様のボート (新潮文庫)
- 江國香織
- 新潮社 / 2002年6月28日発売
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江國香織の「正しい」という単語の使い方が好きだ。『神様のボート』の場合、別れた夫のお酒の飲み方について「正しい」という単語を使っている。それは、誰かにとってあるべきものがあるべきようにあるべきときにそこにある正しさ、という感じだ。イデオロギーとか何かの主張とか、一般的基準はそこになくて、「私」「私たち」にとって必要なものについて、正しい、というのが興味深かった。その正しいは、『神様のボート』で安心でもあり狂気にもなっていくのだろう。
1997年と2001年で、週間予定を確認するのが、母から娘に代わる。印象に残る象徴的なシーンだと思うけれど、今はまだ言葉にならない。
**たまたまこの時期に雑誌「考える人」の谷川俊太郎特集のインタビューから、佐野洋子のエッセイを読んだ。そこの解説(河合隼雄)で、体感的な正しさを基準に書かれているので小気味良い、と書かれていてなんだかシンクロした。
**シンクロと言えば葉子は『ベティ・ブルー 37.2』のベティに少し似ているかも。ベティが動(激しい)の執着なら葉子は静の執着?
私はあまり人に対してこういう執着をしないように(する可能性があるので)かなり意識しているが、物語として読む分には面白かった。
2016年8月19日
男か女か、親子ほど年が離れているかそうでないか、認知症かそうでないか等ではなくて、もっと根本的に、喪失感というものを肌で知るか知らないかという点で二人は繋がっていたのだと思う。
実は後半よりも茶畑で子どものように遊ぶ二人、西瓜を食べる二人の方が印象的だったりする。
そういう時間はいつか喪われてしまうからこそ輝いているという事を体験で知った人のはしゃぎかたなのかなと感じた。「こうしやなあかんてことないから」というのはそこにもある。
光、森、水、火のメタファーは少し難しい。もしかしたらメタファーなんて考えずに映画の自然の中に入り込んだ方がいいのかもしれないし…。
「ゆく川の流れは絶えずして元の水に流れ、もとの水に、なれ」(多分)という老人の噛みしめるような言葉と、焚き火の時に介護士の女性が老人を暖めてあげる場面は対なのかな。水も火も何かを喪う原因になりうるけれど、洗い流して清めたり暖めたり出来る。
♪「元の水になれ」というのは死が個別のものではなくて生死の大きな流れのなかに戻っていくという事かもしれない。
2016年8月9日
- 水の繭 (角川文庫)
- 大島真寿美
- KADOKAWA / 2005年12月21日発売
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喪失を淡々と書く所 湿り気のなさが良い。喪失感をテーマにしている作品は多いけれど(10代あるいは20代の登場人物が出て来るもの)、中途半端にファンタジックな設定だと私は入り込みづらいし(江國香織さんとか湯本香樹実さん系?)、現実のエグい部分を書いて喪失を表現するのも安易な気がしている。大島真寿美さんの作品はファンタジーと現実のバランスがいい。メインの少女2人の繋がりや2人と周囲のつながりはあるけど意図的に「社会」を書いていないのか?
今まで全く知らなかった作家さんだけど、少し追いかけてみようと思う。
2016年7月8日
- イントゥ・ザ・ワイルド [DVD]
- ショーン・ペン
- Happinet(SB)(D) / -
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幸福を誰かと分かち合うという、何度も描かれてきたテーマを描くのにこのノンフィクションを使う必要があったのか疑問が残る。音楽は美しいし映像も丁寧に撮られていて美しい。が、私は「今の環境と極端に違う場所に行ったら何か変わるかも」「旅は人生を変える」的な考えに対し否定的なのだろう。
(他のレビューにあった、主人公が余りにも贅沢とか(無垢だけれど)周りから与えられるものに気づいてなくて傲慢ということもあるが、それ以上に…)
親しい人とや一人で行く旅行は好きだし、環境を変えて考え方や視点が変わることは良いことだと思うのだけど、ただひたすら放浪して遠くへ行けば何かは分からないけど得られるかもしれないというのに共感出来ない。私は、身近なところから非日常なものを自分で感じたいと思っているのかも。
旅を題材にした作品は、結末はほぼ、戻るべき場所を見つけて帰ってくるか帰れないで留まるかどちらかになる。帰れない時というのは、帰るときより、物語としてしっくりくる理由付けがないと作品としては弱くなってしまうように感じた。
(『きっとここが帰る場所』と比べてしまった)
エミール・ハーシュの演技は良かった。
2016年6月29日
- 炎の蜃気楼シリーズ(35) 耀変黙示録 6 ―乱火の章― (コバルト文庫)
- 桑原水菜
- 集英社 / 2002年7月26日発売
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許すこと、時が流れること、長い時の流れが自然界の動きと連動していることが、この巻では特に印象に残った。世代が移っていく。(自分たちを流した水が、育む水でもあるということ。「穏やかで豊かな幸を運ぶ川だ。故郷の川だ。どんな思いで兼光が熊野川を見つめているか、カオルには分かる気がした。自分を育てた故郷の川だ。」)……そうか、「換生」する限り世代の記憶は一人の中で蓄積されて、人から人へ繋がることがないのか ううむ。
耀変~シリーズは、縦糸が信長と闇戦国、横糸がヒルコ流しで進んでいると思う。信長を心の父として育ったカオルが事実を知って、二つの物語は繋がっていくのかなと感じた。信長は意志・思いの強さを突き詰めていて揺れずに進んでいくが (考えも行動も突飛なスケール)、カオルは流されることが決められ生まれてきた者として、「何故自分は生まれてきたのか、何故家族は殺されなければいけなかったのか」と揺れながら生き続けている。
2016年5月21日
- 炎の蜃気楼シリーズ(32) 耀変黙示録 3 ―八咫の章― (コバルト文庫)
- 桑原水菜
- 集英社 / 2001年4月27日発売
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憑依と換生に対する現代人の思いが印象的な巻。これまでは説明出来ない現象に人々がどう反応し、理解可能な範疇に収めようとするかという観点だったけれど、隆也の登場で、もっと具体性を帯びる。隣にいた大切な家族や友人を奪われた人の前で、死者と生者の共栄を語れるのか、生きた証を残すとはどういう事かなど(51頁あたり)。そういう哲学?を、読みやすく具体的ながら詩的な言葉で書く作者がすごいと思う。設定がSF的だからこそそういう所がしっかりしていなければここまで読み進めていなかった。
2016年5月14日
- 炎の蜃気楼シリーズ(31) 耀変黙示録 2 ―布都の章― (コバルト文庫)
- 桑原水菜
- 集英社 / 2000年11月1日発売
- Amazon.co.jp / 本
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「手話のひとつも習ってないなんて。400年も生きてきたのにな」みたいなことを、耳が聞こえない礼に零す景虎様。憐れみなどではなく、温かい。初期の直江に言わせれば「甘い」のだろうけれど景虎様のこういう所好きだ。(この巻の直江が聞いたらどう思うのだろう。それが書かれていないのが良い)。更に言えば桑原さんの描く心の交流の場面が好き。
「自分たちと同じでないってだけで、祭り上げたり排除したり。腕が三本あったって、心は自分たちと同じだっていう想像力のない連中が、むやみに恐れたりしなければ、彼らの怨念も生まれなかった。」
「他人は別の生き物だとみなすエゴが、《闇戦国》を生んだのかも知れない。」
この景虎様の考えだけで終わらないのがいい。赤鯨衆おもしろいなあ。生きるとは思いの強さ/肉体がなくて生きていると言えるのか/景虎のいう死者が生き人と共存する場は理想主義的。思いの強さのまえで、平等などというものが有り得るのか…など。
↑こういう事を盛り込みながら、かつ読みやすいエンターテイメントになってる。作者の筆の力だなと思う。
四国から熊野へ、そして京都を巻き込み進む話。上賀茂神社、下鴨神社、北野天満宮、平安神宮…黄金の雨。
八坂神社には雨は降らなかった。続きが気になる。
身近な場所が出てきて面白い。
2016年4月27日