職業としての学問 (岩波文庫 白 209-5)

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  • Amazon.co.jp ・本 (92ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784003420959

感想・レビュー・書評

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  • 巨大ビジネスとしての米国の大学の勢いは止まるところを知らないようにみえる。たとえばハーバードやスタンフォードのMBAから白熱教室へのお見事な変身ぶり!深く巧妙に浸透した資本主義イデオロギーの権力は学問も政策も信仰さえも丸のみし、それとは知られないような美神の意匠でマネーの増殖に余念がない。

    「もし悪魔を片付けてやろうと思うならば、こんにち好んでなされるようにこれを避けてばかりはいられない、むしろ悪魔の能力と限界を知るために前もってまず悪魔のやり方を底まで見抜いておかなくてはならない」

    わたしはそれを街頭から始めよう。学問なのか?経験なのか? そんなことはどうでもいい。

  • 『職業としての政治』がよかったので読んでみたのだが、コチラは馴染めなかった。おそらく書物としての価値はあるのだろうけど、例示があまりにも宗教に偏りすぎていて、どうにも理解しづらい。内容も、いわんとしていることはなんとなくわかるのだけれど、ただ一概に正しいとはいえない気もする。たとえば、学問と政治を分離せよというが、もちろんそれは間違った主張であるとまではいえないけれど、ある事柄を教授するという時点で完全に中立ではないのであって、それは見方によっては政治的なのだから、もうちょっと具体的に述べてくれないと、たんなる空理空論に終わってしまう。『政治』のほうは当事者ではないから反論も思い浮かばなかっただけかもしれないけれど、本書の場合はどうにもただ理想論を語りすぎていて、具体性・現実性に欠けるという印象はある。ただ、また時間をおいて読んだら違う印象かもしれないし、心構えとしてはよいことが書いてあるので、読めたことじたいはよかったと思っている。

  • ウェーバーの生きた時代からもう100年くらい経ったけど大学制度はそんなに変わらないんだなあ、とか、学生が体験や指導者を欲してしまう傾向というのもそう変わらないんだなあ、とか。しかし、わたしが本書を読みながら最も切実に考えていたことはただひとつ。すなわち、学究に身を捧げるとは、その意味とは何なのかということ。なにか追求したい問題があり、その手段として最も適当なものが学問であった、というのが一般だと思いますが。学問を行うことによって何かの真理を得たり、生きる意味を求めたり出来る、と信望することと、それは一体どう違うのか。
    ウェーバーによれば、脱魔術化した近代にあって、学問は「この世界の『意味』というようなものの存在にたいする信仰を根本から除き去る」ものであり、トルストイを引用しながら学問とは「無意味な存在である、なぜならそれはわれわれにとってもっとも大切な問題、すなわちわれわれはなにをなすべきか、いかにわれわれは生きるべきか、にたいしてなにごとをも答えないからである」と言われます。わたしは自分の読解にそこまで自信がないのですが、わたしなりに解釈するならば、これは以下のことに帰結する。すなわち、あらゆる価値は中立的でありそれ自体として意味を持たないが、現代にあっては諸価値が乱立し、しかも私達は現実的に生活するうえでいったいどの価値を取るのか、という選択を必ず迫られる。この選択の際に、学問は寄与するのである、ウェーバーによれば、「これこれの実際上の立場は、これこれの究極の世界観上の根本態度——それは唯一のものでも、またさまざまの態度でもありうる——から内的整合性をもって、また自己欺瞞なしに、その本来の意味をたどって導き出されるのであって、けっして他のこれこれの根本態度からは導き出されない」のであるが、学問はその学ぶ者に対し「かれ自信の行為の究極の意味についてみずから責任を負うことを強いることができる、あるいはすくなくとも各人にそれができるようにしてやることができる」のである。ウェーバーは社会学という学問を説くにあたって客観性の獲得を強調していたが、彼のそのような事物に対する客観性及び相対主義を目指す姿勢が、このような意見に繋がっているんだと思います。矮小化することになってしまうかもしれませんが、わたしなりに受け止めると、その人がどのような価値を信望するに至るかの「選択」に際するものを学問は提供し得るということであり、学問それ自体を追い求めるというよりも、「選択」への寄与ということに焦点を絞って向き合った方がわたしにとっては誠実かもしれない。

  • 上田渉さんの本にて、学問を志す人ならば必ず読んでおかなければと紹介されていた。

  • 自分たちはさまざまな事に手を出して学ぼうとしているが、そんな事はいくら時間があっても無理だ。全部が中途半端になってしまうと教えられました。気に入ったのが、「学問とは自分より後の代がもっと賢くなれるようにするものだ」と言う部分です。

  • 去年の秋口に大学生協のレジ横に積んであった本。今になって部屋の本棚の中でふと目に止まって。。あっという間に読めた。多分またしばらくしてから読みそう。

    学問とは。教育とは。学びとは。
    学校、生徒、学生、教師。国内国外。
    色んな角度で色々考えられた…かも?

  • 難しい本。

    昔の偉い人が学問をどう捉えていたのかの一部を知れると思う。

  • 職業倫理本の体をした自己啓発本な気がした笑

    「いやしくも人間としての自覚のあるものにとって、熱なしになしうるすべては、無価値だからである。」

    「作業と情熱とが――そしてとくにこの両者が合体することによってーー思いつきをさそいだすのである。だが、思いつきはいわばその欲するときにあらわれる。それはわれわれの意のままにはならない。」

    「 とにかくそれは、人が机に向かって穿鑿や探究に余念ないようなときにではなく、むしろ人がそれを期待していないようなときに、突如としてあらわれるのである。とはいえ、こうした穿鑿や探究を怠っているときや、なにか熱中する問題をもっていないようなときにも、思いつきは出てこない。」

  • もっと早くに読めばよかった。それに尽きます。大学に入る前に読めばよかった。

    ただ大学でそこそこ勉強に励んで卒業し、社会人なるものも経験した今読むと、「あの先生もこんな思いで教壇に立たれていたのかな」とか「人生のどこかでアカデミアにはもう一度戻りたいけれども、その時にこんな覚悟を改めて持っておきたいな」などなど思うこと多々で、これも感慨深かったです。

  • 自分には難しかった。

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著者プロフィール

1864-1920年。西洋近代について考察したドイツの法学者・経済学者・社会学者。代表作は、本書に収められた講演(1919年公刊)のほか、『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』(1920年)など。

「2018年 『仕事としての学問 仕事としての政治』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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