- Amazon.co.jp ・本 (192ページ)
- / ISBN・EAN: 9784043943869
感想・レビュー・書評
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西村賢太の作品は、『苦役列車』に続いて2作目だが、本当に面白い。貫多の酷さは『苦役列車』を上回っている。せっかく雇ってくれた酒屋の店主を裏切るわ、好意的に接してくれた家主の老夫婦をナメて家賃を滞納し、挙げ句催促されると逆恨みして、孫娘を犯すと呪詛の言葉を吐くわと、きりがない。本当にどうしようもないやつで、下品極まりない表現ばかりだがそれが最高に笑える。やっぱり西村賢太の小説は面白い。
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getdowntoさんそうですね、本当にどうしようもない奴ですが、作家としての魅力は不思議に強いですよね。そうですね、本当にどうしようもない奴ですが、作家としての魅力は不思議に強いですよね。2022/01/22
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主人公が「私」である時と「北町貫太」である時の違いは何だろう?
性欲が強くて、器が本当に小さく、すぐにキレる人の物語。「自分のことを棚にあげる」主人公が、「自分のことを棚に上げる他人」を口汚く罵るシーンに期待してしまう。 -
話題の作家で、しかも薄いということで、読んでみた。
こんな人間には近づきたくない、近づかれたくもない。豊崎由美の前のめりの解説がすべてを語っています。 -
ここら辺が一番面白い。
アパートの老家主とのひと悶着のやりとりは飽きさせないものがある。
後は刑務所前の施設の話が興味深く、体験したものがわかる世界が広がっている。 -
私のブログ
http://blog.livedoor.jp/funky_intelligence/archives/1993998.html
から転載しています。
西村賢太作品の時系列はこちらをご覧ください。
http://blog.livedoor.jp/funky_intelligence/archives/1998219.html
タイトルを見てすぐに分かった。著者の西村賢太(主人公の貫多)があちこちで不義理を働き、再訪することができないのでは、と。
当たりだった。あまりに振り切った不義理に拍手をしたくなるほど。が、こちらも短編4つで構成されており、そのうち2つは他作品にて読了済みなので、半分の2つだけがお初。読了済みのものも面白いので再読したけど。
「貧窶の沼」
「けがれなき酒のへど」にて読了済み。
http://blog.livedoor.jp/funky_intelligence/archives/1993795.html
「春は青いバスに乗って」
公務執行妨害で逮捕された西村賢太の一人称小説。警察署での取り調べ、留置場での他者との交流などの体験談が生々しい。
「潰走」
貫多を主人公としての三人称小説。16歳の頃、雑司が谷は鬼子母神のアパートに引っ越してきたはいいが、家賃を滞納しまくり家主である老夫婦とバトル。好好爺が厳しい爺さんキャラに変貌する様子が面白すぎる。
そして貫多の毒付きがまた凄い。よくもまぁこんな言葉が出てくるもんだ。
「この乞食(ほいと)ジジイに白癬(しらくも)ババアはよ、そんなに12000円が大事だと言うんなら、貴様ら12000円の為に余生を台無しにされてみるか」
まぁ、これは実際に発した訳でなく、独り言なのだが。
「腋臭風呂」
「けがれなき酒のへど」にて読了済み。
http://blog.livedoor.jp/funky_intelligence/archives/1993795.html -
収められた4つの短編はいずれも、作者自身がまだ10代であったころの出来事を素材としたもの(と思われる)。
中卒で社会に出た西村の、10代後半の孤独な日々が描かれる。ただし、4編中3編は主人公の名が「北町貫多」となっている。つげ義春作品に出てくる「津部義男」みたいなものか。
まだ藤澤清造と出会う前なので、いつもの西村作品では物語の縦糸となる「清造キ印」ぶりが、本書にはまったく登場しない。
10代後半の日々を描いているという意味では「青春小説」でもあるわけだが、そこは西村のこと、「青春小説」という言葉からイメージされる輝かしさやイノセンスは、ここには微塵もない。
《私はそんな自分がつくづく惨めったらしくなってきて、自分で自分を蹴殺してしまいたい狂おしい衝動にもかられてくる(「腋臭風呂」)》
――本書に通奏低音として流れているのは、この一節に象徴される自虐、そして煮えたぎるようなルサンチマンである。
日本文学の青春小説の系譜から似たものを探すとすれば、中上健次初期の傑作「十九歳の地図」であろうか。「地図」の語がタイトルに冠されているのは、西村が「十九歳の地図」を意識していたがゆえかもしれない。
舞台となるのはいずれも、アパートの家賃踏み倒しやら、バイト先での暴力沙汰やらの苦い思い出の地。ゆえに、タイトルが『二度はゆけぬ町の地図』であるわけだ(じつにいいタイトルだ。西村はタイトルづけのセンスがよい)。
どこまでが私小説で、どこからが虚構なのかわからないが、自虐を芸にまで高めた作風はいまやすっかり安定の域に達している。
とくによかったのは、「春は青いバスに乗って」という短編。バイト先の居酒屋で暴力沙汰を起こし、通報を受けて止めに入った警官まで殴ってしまったことから、警察の留置場に入れられた日々を描いたもの。いわば、西村版『刑務所の中』である。
この短編では、いつもの“ミゼラブルなユーモア”は抑制され、かわりにしんみりとしたペーソスが随所にちりばめられている。
これまで読んだ西村作品のうち、私は「けがれなき酒のへど」(『暗渠の宿』所収)がいちばん好きだが、この「春は青いバスに乗って」はその次くらいによかった。 -
苦役列車からはまっている貫多。どうしようもない人柄が読んでいて心地いい。
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おもろい。笑った。
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かなり笑った。北町貫太シリーズ。「春は青いバスに乗って」はちょっと読んで内容が見えてきた頃に大笑いしてしまった。徹底してみじめでからっとしてるのがいいなぁ。よくある普通の仕事ができなかったり馴染めないから小説書きましたみたいななまっちょろい似非社会不適応者の書いたものほどはなについた下らないもんはないからな。
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面白い。
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これは面白い! どんな良作家にも駄作はあるものだが、どうやらこの西村賢太という人は、常に星を四つ以上あげたくなる作品を書くようだ。そんな作家は貴重だ(もちろんこれは僕の主観による評価に過ぎないから、人によってはチョット齧るだけで嫌悪感が湧いて投げ出す人もいるだろうが)。
いつもの通り文章は一文一文がかなり長くて、その中に自らの欠点、失言、愚行を惜しみなく詰め込んでいる。そして独特の表現技法も健在だが、この短編集ではそれらは僕がこれまで読んだ2冊よりも俄然輝いているように思えた。つまりそのレトリックで後半の二篇はかなり笑かしてもらったのだ。引用している部分がその一つである。
文字通り『二度と行けなくなった場所』についての回想をベースに各作品は作られている。まあ客観的に言えば「後味が悪い」作品が多いわけだが、この後味の悪さも彼の術策の一つであり、彼の小説に慣れないうちの読後感は言葉で表すと「……何だかヘンな作品だった」となるところだが、一作また一作と読んでいくにつれ、段々と「……これも味なものだなぁ」と思うようになってくる。
特に最後の『腋臭風呂』が短いながらも良い。実際に起こったにしては少々出来過ぎている感もある偶然(だが作者の事だからこれもそうなんだろう)をうまく笑える味付けにしてある。この作品では前三篇にみられる主人公の無頼性のようなものはなく、他人の非常識さで笑わせてもらえる。
二篇目の『春は青いバスに乗って』はいわゆる『拘置所モノ』。拘置所、刑務所、監獄と言った題材は純文学での常連であり、それを描いた作品には神がかった名作も多い。それらと比較するのは酷なので辞めておくが(その割にそれらよりこの短編集の方に高評価をあげていたりするが)、これを読むと少なくとも「このような赤裸々な告白を題材にして、なおその小説としての価値が認められるとは、この国は何と寛容なんだろう!」と思うことだろう。
ただ、表紙がちょっと残念。中身はしっかり文学してる(と思う)のに、これではまるで某の小説もどきではないか。
※2012年1月追記:現在では表紙は変更されました。なかなかいいと思います。