- Amazon.co.jp ・本 (192ページ)
- / ISBN・EAN: 9784062749114
作品紹介・あらすじ
さようなら、3フリッパーのスペースシップ。さようなら、ジェイズ・バー。双子の姉妹との"僕"の日々。女の温もりに沈む"鼠"の渇き。やがて来る一つの季節の終り-デビュー作『風の歌を聴け』で爽やかに80年代の文学を拓いた旗手が、ほろ苦い青春を描く三部作のうち、大いなる予感に満ちた第二弾。
感想・レビュー・書評
-
《見知らぬ土地の話を聞くのが病的に好きだった》
『風の歌を聴け』に引き続き、またもや冒頭の一文でぐっと掴まれてしまった。村上春樹の小説の主人公のクールでニヒルな外見とは裏腹の人間的で熱い一面に「いい人じやん」となってしまう。
“僕”の元カノの出身地は「駅のプラットフォームの端から端まで犬が散歩している」くらい田舎だったが、文化人達が山の中腹に思い思いの家を建て、ある種のコロニーを形成していた。が高度経済成長期にブルドーザーで開発され都心の周りの住宅街となった。“僕”と“鼠”の出身地(おそらく神戸)は、昔は漁村だったが都市開発に伴い、漁師たちは、追いやられ、その名残で無人灯台が残る。
そんな故郷を愛していながら、そこにとどまることが出来ない若者たち。
この小説では“人”に対してだけでなく、消えゆく“物”に対する惜別も描かれている。配電盤、ピンボールなど。
時代の流れによって、押しつぶされたり、押し流されたりして、変わっていったり、なくなっていくものや土地への愛着を滲ませながら、同じように、少年から大人になる過程で自分の中で、押しつぶしたり、埋め立ててしまったものへの愛着から、逃れられない。だけど、その愛着を断ち切らねばならないことを知る、主人公たち。「どんな進歩もどんな変化も結局は崩壊の過程に過ぎない」と悟りながら。とても早熟だ。
けれど、最後の「何もかもが繰り返される」という一文で、やっぱり若いなと思う。私なんかはこの頃(自分の歴史のなかでは)「もうこれで最後だよ」と思うことが度々あるから。
-
鼠3部作の2作目。
1973年の9月~11月の物語。
僕と鼠2人の視点からなる。
僕視点は脈略がなくなんかファンタジーな感じ。
鼠視点は若者特有な恋、無力感が描かれている。
どこにたどり着くのだろうか。 -
村上春樹再読。
僕が村上春樹を好きになったのは『世界の果て』以降。本作と『風の歌を聞け』は苦手だった。本作は鼠が暗すぎて気が滅入るのだ。今回思い立って再読。
ネット上でも本でも、たくさん研究されているストーリーに関してはあまり言うことが無いのだが、後の作品を読んでるからこそ解る設定ってのもあってなかなかに手強い。きっと初読の時には何も読み取れてなかったに違いない。
今回分かったこと
鼠は相変わらず暗い(そりゃそうだ)
村上春樹の魅力の一つである“語り口“は、意外とまだ完成していない。
案内役の女の子(今回は双子)は相変わらず魅力的。 -
何度読んでも、『スペースシップ』を見つけ出すまでの過程に、なぜここまでわくわくさせられるのかが、まったく分からない。分からないけれど、必ずそうなる。
-
ピンボールのスペースシャトルは突然亡くなった直子さんを彷彿とさせる。
僕も鼠も何かにけじめをつけ新しい世界に向かう。
孤独と哀愁が漂う。
古い配電盤のお葬式は何の比喩なのだろう。 -
悔しいな、あちこち探したけれど見つからず改訂版を購入(文字が大きく読みやい)。
本書は青春3部作の2作品目。
東京の僕と、神戸(?)の友人の鼠が一緒の場面はない。ジェイズ・バーの中国人マスター:ジェイも前作と同じ登場人物。
双子の208・209、僕の亡くなった恋人、直子のエピソード…突然なくなったピンボール台『スペースシップ』と直子がダブる。
喪失感と、青春時代の終わりの予感が漂う。
1969〜1973年11月、僕は大学を卒業し、翻訳の仕事で生活をしている。
-
途中でピンボールをビリヤードと勘違いしていた事に気づいた。。自分にびっくり。YouTubeで確認したら、本当にお洒落で色々な台があってはまりそう。やっとしっくりきた。
季節や情景の描写が素敵で、音読して何度も味わってみる。ボイスメモ取る。
配電盤、砂場、貯水池、ゴルフコース、セーターの綻び、そしてピンボール。脈絡のないバラバラなカード。これは井戸?ここから謎解きのように行ったり来たり読み返す事になる。面白い。
印象的なのは25歳の鼠が「さあ考えろ」と自らに言いきかせるところ。最後は別れが立て続けで感傷的な気分になった。さあ、次は冒険だ! -
うーん、もう一度読み返してみようと思うけど、メッセージが見えない…登場人物だったり、モノだったりが、なんの暗喩になっているのか、それともいないのか。
しかし、それでもよくわからないながらに鮮やかなイメージが頭の中に浮かび上がるのは文章のおかげ。
やはり文体と雰囲気で読む感じなのかなぁ。それだと、片岡義男と変わらないが… -
人間が出てこない。
人間が書かれているはずなのに、人間がいない気がする。稀薄。
特に女性はいない、軽い、特徴的な双子だって、人間じゃない。
男女の関係を自然なもののように扱おうとしているけれど、とても薄っぺらく、そもそも人間じゃない。
人間がいないのに、人間の心を語っているようで違和感。 -
多かれ少なかれ、誰もが自分のシステムに従って生き始めていた。それが僕のと違いすぎると腹が立つし、似すぎていると悲しくなる。それだけのことだ。
24年間、すぐに忘れてしまえるほど短い年月じゃない。まるで探し物の最中に、何を探していたのかを忘れてしまったような気分だった。いったい何を探していたのだろう?
人はどんなことからでも努力さえすれば何かを学べる。どんなに月並みで平凡なことからでも必ず何かを学べる。
村上さんの小説は日常を通常とは異なる角度・視点でみておられることが多いと思っています。なので通常の認識で読み始めると...
村上さんの小説は日常を通常とは異なる角度・視点でみておられることが多いと思っています。なので通常の認識で読み始めると「えっ」となってしまうことが多い。
でも、Macomi55さんのご感想は「ごもっとも!」です。