英語化は愚民化 日本の国力が地に落ちる (集英社新書)

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  • Amazon.co.jp ・本 (256ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784087207958

感想・レビュー・書評

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  • 英語の重要性は肯定しつつも猫も杓子も皆英語という最近の風潮に警鐘を鳴らした本。本の主張のように外国語を学ぶのは少なからず負担がありそんなことにエネルギーを割くのは社会的損失なので、きっちり日本語を国語として学ぶべきであり、そのためには外国語を日本語に訳す翻訳というプロセスが重要であることが主張されていた。私も著者の意見に賛成である。外国とやり取りのない仕事で十分事足りる仕事をしている限り、英語の習得には前向きになれない。でも仕事のため生きるために英語が必要な局面がくれば必死に勉強すればいいだけの話である。

  • やや感情論に流されている感もあるが、著者の主張は納得できることも多い。

    一冊選ぶなら「英語の害毒」のほうがおすすめ。

  • 筆者の主張はよく理解した。日本がここまで発展してきた理由、日本人が英語を苦手とする理由、英語化が進むことで考えられうる事態、確かに、って思う。

    でも、誰かは英語を勉強しなくちゃいけない。英語を使える日本人がゼロでは困る。

    英語教育と日本文化への意識の荒廃は結びつかない。

    愚民化は言い過ぎ。面白い本だけど少々極端。

  • 今政府や財界が進めている社内や大学での英語化は口ではグローバル化を唱えてはいても、実際は世界史の流れに逆行するものであり、国民を一部のエリートと愚民に分割させるものだと言う。というのは、西洋ではかつてラテン語が支配者の言語であり、知識や文化はごく一部のエリートのものであった。ところが、宗教改革によって現地の言葉に聖書が訳され、現地の言葉によって多くの豊かなものが生み出されていった。これはグローバル化と逆の現象である。そこには翻訳があり、幕末から明治にかけて日本人が多くの近代語を生み出したことは、国民を二極に分けずにすみ、それゆえ日本が強くなっていったのだと言う。なによりも、創造性の源泉は、ノーベル賞を取った益川さんのように母語での思考が基礎になっている。第二言語である英語がいくらうまくなっても、そこから豊かな創造性を生み出すことは困難だ。ましてや、英語がうまくなればなるほど、英語母語話者の思考に近づき、日本人らしさが失われていく。著者は言語学者ではなく、政治学者で、それゆえ、より広い観点からグローバル化や英語使用に問題を提起している。ぼくは同僚の中国語の先生から薦められ読んだが、英語習得に励む学生にもぜひ読んでほしい本だ。

  • 「あとがき」にも書かれているけれど、タイトルがキツすぎて、中身をうまく表現できていないのがとても残念な良書。

    まるで反アメリカ思想のナショナリストが書いた本のようだが、内容は言語が政治・文化にどのような影響を与えるかについて論じた真面目な本。

    タイトルにある「英語化」とは「日本の公用語が英語になる事態」を示す。
    現時点ではそこまでいっていないが、英語を公用語とする企業の出現、スーパーグローバル大学という政策、小学校から英語教育などがすでに生じており、日本国内でありながら「英語を公用語として日本語を禁止する英語特区構想」などが実際に検討されていることなどが取り上げられている。
    「英語化」とはそういった傾向を表していて、これについて大きな誤解は生じないだろう。

    一方、「愚民化」とは何か。
    この言葉がわかりにくい。素直に読むと「英語を使うやつはバカだ」という意味になってしまう。

    「愚民化」について本書の主旨をまとめれば、「英語化が進めば、英語を使えない日本人は政治的・文化的・社会的に没落する」ということを指す。

    どういうことか。
    著者はこれをヨーロッパが中世から近代へと変化していった過程を用いて論じている。
    中世ヨーロッパの公用語はラテン語であり、一部の特権階級しか用いることができなかった。
    ラテン語を学ぶ余裕のない一般庶民は、政治・文化・学問からも切り離された。
    この状況を打破した=近代化の要因となったのが、宗教改革であり、聖書の各国語への翻訳であったという。
    翻訳により、生活の言葉で政治や文化を語れるようになったことが「特権階級を廃し、誰でも平等な社会」の基礎を作ったと著者は考える。
    実際にフランス語で書かれたデカルトの『方法序説』以降、徐々に各国語で書かれた書物が生まれてきたという。

    著者はさらに、明治の日本にもこれを当てはめる。
    明治維新の際にも英語公用語化は検討されていたが、外国人の諫言もあり実行されることはなかった。夏目漱石や福沢諭吉も、英語公用語化には反対したという。
    そのおかげで日本語は翻訳により、誰でも政治や文化や学問を語れる豊かな言語となった。

    そういった歴史を無視してグローバル化を根拠にした「英語化」を進める人々が、言語を「単なるビジネスツール」とみなしている点を著者は批判している。

    英語公用語化のいきつく先は、英語を使いこなせるエリート層とそうでない層との断絶であり、エリート層は英語を話せない日本人よりも英語が通じる商売相手との連帯感を重視する。その結果、「国家内の連帯感」は失われ、「国内の豊かな人から貧しい人へ所得を再分配する」という国家福祉のような制度は理念的にも実質的にも崩壊を迎えると警鐘を鳴らす。

    つまり「英語化」は「中世化」であり、暗黒の時代に逆行するという政治・文化の歴史観を論じたのが本書だ。

    著者は別に反米思想化でもグローバル化や英語学習を否定しているわけでもない。
    「グローバル化=英語化(アメリカ化)」という短絡的な思想を批判し、「多様な文化」が保持され、「相互に学び合う」ことが望ましい世界であることを主張している。

    本書について弱点があるとすれば、ITについて一切触れていないことだろう。
    ITと英語は密接な関係にあるので、英語が使えないデメリットは、その他の言語を使えないデメリットよりも大きいとは言えると思う。

  • 文科省がSGU(スーパーグローバル大学)を支援する制度を始めたらしい。ネットで検索すると一流と言われる大学や、そうでなくても国際化に力を入れている大学などが今後10年にわたり数十億円規模の補助金を受けて、グローバルな人材を輩出するためのカリキュラムを組む。

    へえ〜、いい制度なんじゃないの? 学生の皆さん頑張ってね〜、と思っていたけど、どうも問題があるようだ。


    そもそもが内需の拡大が期待できない日本の閉塞状況を打開するために、その活路を海外に求めるところから始まっているので、グローバルビジネスに必要な人材を育成するというのが主眼になっている。しかし、そんな政策はいろんな国で取っているから、世界と競争になる。そんな競争に勝つための人材を財界は欲している。即戦力と言うやつだ。そう考えたときに日本人にとってネックとなるのは英語力。だから英語力をつけて世界と互角に戦いましょう!というのが狙いのようだ。


    そのためには英語に慣れることが第一。英語での交渉力をつけるには大学の講義もすべて英語でしてしまいましょう。そうすれば手っ取り早く語学力も交渉力もつくよね、と政府は言いたいらしい。しかも英語での講義が増えれば増えるほど良い大学との評価になるので、大学の全講義の50%くらいは国際化のために英語化(オールイングリッシュ)しましょうと言っている。


    そんな狙いに著者は、待ったをかける。そんなことをしたら日本語を母国語としている日本人の良さが消されてしまうよ、だって言葉って文化の根幹じゃないか!と主張する。
    なぜ成熟した母国語を持ちながら、これからその高度な活用によって様々な学問を吸収しなければいけない学生時代に、わざわざ英語の習得に限った勉強をしなければいけないのだ!と怒っている。
    しかもどんなに頑張っても英語を母国語とする英米豪なんかにかなうわけないじゃん!なんで相手の土俵で相撲とるのさ!と戦略のまずさを指摘している。(自分なりの噛み砕いた表現なので、著者がこんな言葉を使っているわけではありません)


    なんか大人げない、と思う人もいるかもしれないが、本書を読めば納得しきり。例えば…と書きだすと途方もない分量になりそうなので書かないけど、確かに英語だけ出来る英語バカが増えるかもしれないと思う。(とか言う自分は英語すらできないただのバカ)



    ちゃんと断っておくと、著者は語学の習得に関して否を唱えているわけではない。母国語をないがしろにしてまでやろうとしているこのSGU支援制度を見直せと言っているに過ぎない。


    とりあえず講義のずべてを英語化(オールイングリッシュ)にするとかはやめといたほうがいいと思う。

  • 英語偏重教育の問題点を指摘してあり興味深く読むことができた。ただ個人としては、英語力をつけなくてはいけないということを強く思い、英語の勉強へのモチベーションが高まった。

  • 新自由主義

    日本の貿易依存度

    英語の普及活動 英米の国家戦略

    言語権

  • お客様からの薦めで読了。グローバル化、英語化は是非もなく時代の流れと漠然と受け止めていた自分にとって、気づきを与えてくれる良書だった。言語教育と民主主義との関係性等々、とても示唆に富んだ内容に満足。

  • 英語化は愚民化 施光恒

    母国語を捨て、外国語による近代化をはかった国で成功したものなどほとんどない。学問を英語で教えることにより、英語に時間をふんだんに割ける少数の特権階級だけが文化を独占することになってしまい、一般大衆と大きな格差と断絶が生じてしまうだろう。

    モルレーは教育とは全世代までの伝統の蓄積にたって行われるべきものであり、まったく新しい基礎の上で成り立つものではない。

    教育政策で変えていいものと悪いものがあるが、教育で用いる言語はもっとも変えてはならぬものと述べている。

    近代化のプロセスで不可欠だったのが翻訳である。普遍と目された多様な外来の知を翻訳という作業を通じて各社会の既存の言語や文化のなかに適切に位置付ける。つまり、土着化さる。この翻訳と土着化は、言語的翻訳だけではなく、外来事物を解釈し、自分たちになじみやすいように、変容させ、それぞれの言語や文化のなかに適切に 位置付けられる。

    日本人が英語が下手なのは。日本が近代化に成功し、英語を用いなくても生きていけるからである。

    日本が目指すべき世界秩序は、それぞれの母語で豊かな人生を送る事ができることだ。

    創造性は母語で思考する事によって磨かれる。

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著者プロフィール

九州大学大学院比較社会文化研究院・教授。慶應義塾大学・博士(法学)。リベラリズムの政治理論が専門。学校教育との関わりでは、人権教育や有権者教育などの公民教育に関心がある。ビジネス上の考慮を教育的考慮よりも優先する近年の風潮に懸念を抱いている。その観点から現在の英語偏重の教育改革に疑問を呈した著書『英語化は愚民化』(集英社新書、2015 年)は話題となり、教育関係者向けに講演することも多い。

「2022年 『学校と子ども、保護者をめぐる 多文化・多様性理解ハンドブック 第3版』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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