英語化は愚民化 日本の国力が地に落ちる (集英社新書)

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  • Amazon.co.jp ・本 (256ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784087207958

感想・レビュー・書評

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  • 英語化するというのは日本にどの様な変化をもたらすのか、専門分野を日本語で勉強できることがどれほど幸せなことなのか、日本語文化の意義を改めて問い直す「英語が苦手な東工大生」が理論武装するための必読の書。
    (選定年度:2018~)

  • 令和元年11月二十日です。

    なんで勝手に表紙をね。。。

  •  英語を学ぶことは大切です。相手と対等に議論ができるのならばどんどん学ぶべきであると思います。

     ただし、今この国において日本語ですら議論を戦えない輩が溢れかえっています。論破は議論ではありませんただのいじめです。

     いかに母国語が大切かというのは世界が証明してる訳であり何故今さら日本は母国語を捨てるような教育をするのか理解に苦しみます。

     クール・ジャパンなどちゃんちゃらおかしいという事がなぜ理解できないのだろう。日本を世界に発信したいのなら日本語で正々堂々とやるべきであり、この名のもとに公用語を英語とする英語特区が組み込まれているとなると何とも寂しい。

     やらなければならない時はいずれ来る、だけど今ではないそう子供たちに教育ができる社会になってもらいたい。

  • 英語を否定するのではなく、日本語をもっと大事にしようという内容。

  • 教育を英語化すると知識層と庶民の格差が拡大し、文化的長所も失われるという主張はわかるが、あとはその繰り返しがひたすら続く。
    経済的影響を論じるあたりから怪しくなって、グローバル化否定、自由主義経済否定とトンデモ本の様相を呈す。
    日本語力を高めることは大事だが、やはりグローバルに活躍するには英語力を身に着けるしかなく、その潮流を止めることはできないだろう。日本の英語教育が機能していないことを論じその対策を考えてほしかった。

  • 英語はビジネスエリートを中心に大事であることを前提にするとして、別の次元で日本語が日本民族のベースであることをわかりやすく説明している。発展途上国ではない、明治から作り上げて来た日本の民族性を大切にすることの大事さを理解できる。

  • ぜひ読んでください!としかいえない気がします。
    『このままではインド版アントニ・ガウディは永遠に生まれない。専門教育が英語でしか提供されない環境では、他人のコピーしか作り出せない』
    『他方、英語を公用語の一つに加え、日本よりも英語が堪能な人々が数多くいるフィリピンなどのアジア諸国、あるいはケニアなどのアフリカ諸国は、さほどの経済力を備えていない』
    『英語化が日本人の愚民化を招くと半ばわかっていながら、エリートたちは、日本の社会の英語化に躍起になっている。本書の批判は、英語が得意な人々へのものではなく、国民の知的成長の機会を奪い、国力を低下させようとする人々に向けたものである。』

    そして、もっと日本語に接してやさしくなりたいとも思いました。
    『海外の日本語研究者や日本語教師、あるいは日本語学習者の間では以前から、「日本語を学ぶと、性格が穏和になる」「人との接し方が柔らかくなる」ということが指摘されていたそうだ。』

  • 自分は幸いにも語学学習が苦ではなく、英語、フランス語、ロシア語、タイ語、朝鮮語の学習はほとんど趣味の領域である。だからこそ日本語にとりわけ強い拘りがある。小学校からの英語教育には断じて反対である。そんな時間があるのなら日本語の小説や詩でも自由に読ませた方がよっぽど有益だ。その意味で著者の主張には全面的に賛成である。
    ただ自説の正当性を主張したいがために、極論を前提とした反論が目立つのが残念である。政府や経済界はバイリンガルの育成を目指しているのであって、日本人が日本語を話さない環境整備を志向しているのではない(と信じたい)。そう言う極端な前提が無自覚に置かれていると、せっかくの正論が途端に怪しげになってしまうから注意が必要である。
    また、問題の本質も見誤っているように思える。近年英語教育への要請がとりわけ高まってきたのは、一部エリートの陰謀だけではなく、英語圏から流入する、或いは英語圏に日本から発信する情報量が、翻訳と土着化のキャパシティを超え始めているからである。
    今後日本が採るべき政策は、ネイティブと同じレベルで外国語能力を発揮できる翻訳専門人材と、日本語しか理解できないけれども各界で世界的な業績を残せる専門家を分けて育成する事である。中途半端に英語が出来る人材を量産しても国力の増進には全く寄与しない。残念ながら外国語の習得能力には個人差が大きいのである。そこは棲み分けが必要だ。

  • いわゆる地域語を超越した普遍語(ラテン語)の蔓延は社会の中世化、二極分化の加速という観点は首肯できるし、現代の英語をラテン語に準える点も同様。しかし、表音・表意文字の混在した日本語の読み書きの語としての長所は書かれない。機能面の長所を挙げないとただのイデオロギー論に堕しかねない。また旧軍じゃあるまいし、情報獲得ツールとしての英語の価値は無視できないはず。加え、大学教授が英語講義をできない問題、留学生の低レベル化を等閑視するのは自己保身のそしりを免れまい(気持ちは判るが、正面切って言うのはどうなんだろう)。

  • 「翻訳」と「土着化」を繰り返し日本らしさを失わない方向で国家戦略を作っていく。英語化は一部のエリートのみが利益を享受する愚策であると感じた。

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著者プロフィール

九州大学大学院比較社会文化研究院・教授。慶應義塾大学・博士(法学)。リベラリズムの政治理論が専門。学校教育との関わりでは、人権教育や有権者教育などの公民教育に関心がある。ビジネス上の考慮を教育的考慮よりも優先する近年の風潮に懸念を抱いている。その観点から現在の英語偏重の教育改革に疑問を呈した著書『英語化は愚民化』(集英社新書、2015 年)は話題となり、教育関係者向けに講演することも多い。

「2022年 『学校と子ども、保護者をめぐる 多文化・多様性理解ハンドブック 第3版』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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