ローマ人の物語 (7) ― 勝者の混迷(下) (新潮文庫)

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  • Amazon.co.jp ・本 (224ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784101181578

感想・レビュー・書評

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  • ポエニ戦役終了から地中海一体の平定に至る巻。イタリア内部の反乱(スパルタクスの反乱)や、オリエント諸国との衝突を経て、ローマが抱えていた諸問題を徐々に帝国主義に近くすることで解消していく。このあとからカエサルが出てきますが、どのような活躍をするのか興味がわきます。

  • 前とこの2巻は筆者とあまり感覚が共有できていない感じがします。というのも、共和制の崩壊についてアラートを筆者は挙げているのですが、共和制、といわれても自分は、それが何?、としか思えないのでちょっと認識がずれているんだと思います。
    その本に流れる底流を無視すれば、ポンペイウスの活躍なんかは非常に心躍るものですし、マリウスとスッラの粛清なんかも結構空恐ろしいものを感じるように書かれており、面白く読めました。
    スッラの将だった、ルクルスの手柄がとてつもないですね。12万5千vs1万5千で、たった5人の死者で1万5千側が勝つんですから。負けたほうは、死者10万以上って…、この時代の戦闘っていったいどうなっていたんでしょうか…。こんなに鮮やかな勝ち方を何度もしても、敵総大将の首をとれずに攻めあぐねて解任になりました。
    その後、来たポンペイウスがおいしいところをさらっていき、ものすごい栄誉を手にしたところでこの巻はおしまいおしまい。

  • 読書日:2012年6月14日-15日
    title in Italiana:DE BELLIS CIVILIBUS. -RES GESTAE POPULI ROMANI-
    Sullaの突然の辞任と国葬が印象に残りました。
    あれだけ元老院を第一に想い改革を行ったのに
    死後10年も経たずに全て無に帰した事に驚きました。

    彼に心酔していたLucullusは常勝将軍でありながら
    最後には辞めさせられて哀れに感じましたが、
    引退後は悠々自適生活を謳歌し特に食に対する想いと拘りが胸に残りました。
    今現在も欧州に於いて「ルクルス式」という言葉が残っている事は
    凄いとしか言いようがありません。

    又、この巻で初めて他国人からの手紙でRomaに対する想いを知れました。
    7冊目まで抱いていたRomaの印象が良かっただけに、
    この様な視点もある事が思い至らず
    Mithridates6世が切々と綴った信書に惹き込まれました。

  • 下巻に入ると、物語は俄然面白くなる。マリウスとスッラの葛藤、同盟者戦役をきっかけにローマに侵攻しようとするポントス王ミトリダテス、スパルタクスの乱、セルトリウス戦役、スッラの独裁、ポンペイウスの小アジア制圧が著者の史観で記述されてゆく。ローマ史ではポンペイウスの影に隠れてしまったが、ルクルスのエピソードが愉快。また映画「スパルタクス」の中で、スパルタクスに同情を惜しまない元老院の長老議員の名前がグラックスとなっていると紹介されている。「現代の欧米人が、虐げられた人々に同情的なローマ人を描きたいと思えば、グラックスという名に行きつくしかなかった」と指摘されているのはなるほどと思う。

  • やや中だるみ感。タイトルどおり、「混迷」感が伝わったので、そういう意味では成功だったと思うが、時代の流れに勢いがなくて読みにくかった。もちろん、戦争ばかりされても困るので仕方ない。

  • マリウスからスッラへ。
    市民の権限の拡大から元老院支配の強化への揺り戻し。
    スッラが軍事的、行政的な才能を発揮して元老院支配のローマを立て直した。著者はスッラには時代の先を見通す才能が足りなかったと。結局スッラの改革は、スッラの死後、スッラ派一門らの手によって瓦解させられる。それは後に続くルクスルそしてポンペイウスだ。
    内政の揺らぎを収めることは、膨張するローマの覇権にふさわしい統治機構を作り直すことに等しい。
    揺らいでは進み、進んでは戻り、戻っては揺らぎの繰り返しが勝者の混迷。その揺らぎに付け入るオリエントにを軍事的決定打を与え、ついに我らが内海(マーレインテルヌム)と呼ぶ地中海世界の確立へ突き進む。

  • スッラは独裁官になり自分の思いを実現するが, すぐに元に戻ってしまった

  • 同盟者戦役中のポントス王ミトリダテスの小アジア進出から、ポンペイウスによるユーフラテス以西平定まで。前半は、マリウスとスッラがミトリダテス戦役への出兵を奪いあったことに端を発する。以下、政争におけるマリウスの勝利、スッラとその私兵による首都占領と虐殺、スッラによる選挙法改正の是正、スッラによるミトリダテス戦役出兵、スッラの留守に行われたキンナによるマリウスの名誉回復、首都に帰還したマリウスのスッラ派虐殺、マリウスの死、キンナの台頭、スッラのアテネ占領・ミトリダテスとの講和・オリエント平定、そして、ローマへの帰還、自ら独裁官に就任したあとの改革などである。スッラは市民権問題には手をつけなかったが、小麦法の全廃、植民地建設、元老院の定員倍増(600人)、陪審員の元老院独占、年功序列のキャリア導入、軍隊のシビリアン・コントロール、地方改革、護民官の弱体化などを行った。つまり、元老院の力を大きくし社会保障を削った保守改革である。市民派と元老院派に分かれて揺れていたローマはとりあえず、元老院体制を維持して安定したかにみえた。後半は、スッラに才能を認められたポンペイウスの活躍である。安定したかにみえたスッラ体制だが、元老院の人材枯渇は深刻で、結局、スッラの弾圧をのがれたセルトリウスに対して、まだ若いポンペイウスを起用せざるをえなくなり、年功序例のシステムは崩れた。また、スパルタクスの反乱、クラッススによる鎮圧、その後のクラッスス・ポンペイウス体制によるスッラ体制の浸食(陪審員への平民・騎士階級参加、小麦法の復活)、ポンペイウスによる海賊討伐、ミトリダテス征討、ユーフラテス以西の平定などによって、元老院の影響力は低下し、実力が支配する。このころ、キケロやカエサルもローマ史に登場する。キケロは属州シチリアが総督を訴えた事件でシチリアの弁護にたった。カエサルはスッラの粛正リストから、からくも逃れた。また、七年もの間、小アジアでミトリダテス相手に10倍の軍隊に勝ち続けたルクルスも興味深い人物である。能力はあったが優秀すぎて兵士とのコミュニケーションがとれなかったために、功をポンペイウスに譲ることになった。引退後は美食を行い、豪奢な屋敷をたてた。ルビコン川以南に軍隊を伴ってはならないと定めたのはスッラだ。また、ユダヤを属州にしたのはポンペイウスである。歴史上重要なことが起こっている。とにかくいえることは、優秀なシステムも実力を備えた人間がいなければ機能しないということである。しつこく蜂起するミトリダテスのローマ帝国主義批判も一部聞くべき内容はある。キケロの「平和のための必要経費」という視点も現代に通じるものである。

  • ポンペイウスってすごい人だったのですね。そしてついに地中海がローマの内海と化した。

  • ローマの政治家は命懸け。迷走してもしっかり前に進む。

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