- Amazon.co.jp ・本 (432ページ)
- / ISBN・EAN: 9784150309848
感想・レビュー・書評
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以前読んだ『ハーモニー』よりこちらを評価する。第一稿を10日で書き上げたそうだが、才気あふれる作品というのはそういうものかもしれないと納得した。
以上で発言を終わろうと一旦思っていた。が、チラシ裏程度のことでも、自分のための読書メモだと考えて、自分が思った通りのことを書いておくことにする。
この作品には大きな欠点がある。
最初の賞の受賞を逃したのは、この作品を真に偉大な作品にするには物足りないその欠点が原因ではないかと推測する。
まず・・・・最後まで物語を引っ張る原動力となるジョン・ポールが、あまりにも欧米の知識人「らしくない」こと。
欧米の知識人は自己について言及する能力が豊かだ。言い換えれば「物語形成能力がある」。
日本人よりはるかに抽象的な思索に富むし、自分の考えを語ることに慣れている。別の言い方をすれば言い訳がましい。それも立て板に水の名調子で語る。語る。紙面を埋め尽くすように語りまくる。ロシア文学の名作ならその本の三分の一くらいといっても大げさではない。
この本の主人公は無神論者だが、無神論者であるならあるで、自分がなぜ無神論者であるか、欧米のフィクションに登場する「インテリ」なら聞かれてもないのに長広舌を奮うだろう。主人公より知的なジョン・ポールなら尚更。
この作品はリアリティを無視してでも、物語を着地させるため、ジョン・ポールに数ページにわたって雄弁に語らせるべきだったのだ。
さらに言うなら主人公も、最後の母親のエピソード・・・・主人公に「回心」とも言うべき衝撃を与えたに違いないエピソードで、もう少し慎み深さを捨て去るべきだった。
終盤の主人公は、ある意味外国人が「理解できない」と困惑する日本人の典型を見ているよう。当然悪い意味でだ。
どうも白人の、それもエリートという設定にしては、最重要人物が二人とも「らしく」なさすぎる。読んでいる最中に耐え難いと感じるほど。(彼らの行動に説明がない)
この作品はプロットもアイデアも申し分なく素晴らしい。
けれど人間をその人のプロフィール「らしく」描けていない。
ほんのちょっとでもこの作品を強化するには、せめて主人公は日系アメリカ人でなくてはならなかったと思う。
が、それは些末事だ。
読者の関心は何よりジョン・ポールにあるのだから。
ジョン・ポールが語るべきことを語っていないこと。これがこの作品の見過ごせない重大な瑕疵である。
けれど逆にそのことによって、この本は違う重大な問題を照らし出してる。
死の淵に立っても自分を語る言葉を持たない日本人という問題を。
言葉が過ぎかもしれないが、今はそう思う。 -
SFと言えど、割と近しい未来の話なのではないかと思った。2010年に書かれてるのか、、、。
いやームズイっす。自分にはムズカッタ。
三行に要約できるほど簡単じゃないし、結論はこうだよねって解が出るような話でもない。てか、そんなことできたら戦争起きてないしな。
「どこかに監禁されて、身元も分からないようにされないと〜〜〜〜」の台詞の例えが「カスパーハウザーよろしく」なのがオシャレすぎて鼻水出た。
以下、感情と思考の殴り書き。
コイツは人を殺してるという事実があるのにそれは自己の意識かプログラムされた中での行為なのかで罪が変わると思ってるのか。思考と教養とでただただ自分を肯定しようとしてる自分を認めたくないだけではないか。と終始イライラした。
が、最後まで読むと、生死の境界線で生きてるからこそ殺害と死の実感がなかった、テクノロジーが発展しすぎて、そのテクノロジーを受け入れしすぎて、そして生体を学問的に知覚的に感覚的に理解しすぎて、生死が理解できてない子供だったのではないかと。家族の愛も実感できずに、感情の成熟度が子供のまま、頭脳と肉体とが大人になってしまった兵器だったのではないかと思った。
それがルツィアと出会うことで愛を実感し、一気に感情が成熟してしまったことで、兵器としてのクラヴィスが消え、人間になったのでは無いかと。
殺しに善悪はなく、自分の中の関心領域に明確な線引きをすることで、"守る為に殺戮する"を心から肯定できた人物が最愛を亡くしたジョンポールで、ルツィアとジョンポールを失ったことでクラヴィスは理解することができるようになってしまったのでは。
感情としての関心はルツィアにあったが、思考や行動としての疑問を解決してくれる人物はジョーンポールであると心では分かっていたのではないか。
感情も成熟し、思考も整理され、多くの犠牲のもと、自分を理解し受け入れることが出来たからそこ、虐殺器官を行使する行動に繋がった。罪を背負うという名の諦めと絶望が、クラヴィスの自己を受け止めた結果なのではないかと。ジョンポール然り。
諦めと絶望と期待と希望とは混在する。
0,100ではなく、全てが混ざり合って存在する。
社会に生きる上で、今まで個が重要だと思っていたけど、個は国や組織の中の数字の一部で、自分もそうであるが故に、戦争や虐殺のなかの悲痛な声は社会的には無意味であり、自分が個人単位で動こうとも何も変わらないのであれば、虐殺器官を行使されても、今までの自分たちの行いだから仕方ないよね。って感じ?自由の犠牲は自分のたちでけつ拭かなきゃ。
何度も何度もでてくる「まるで○○のようである。」と有名な作品や一般的な事象に例える思考は、殺戮の世界で生きる自分とピザ食ってコーラ飲んで平凡に生きている人々と何ら変わりないものだと、言い聞かせているみたいだった。
どんな正義があろうとも、どんな事情があろうとも、殺しをした時点で罪は発生し、殺しに関わった時点で罪はあり、重さなんて関係せず、皆に等しくあるのではないかと。
殺しの正当性は、この世にどんな理由があろうとも無いと思う自分の考えは、世間知らずで、苦悩知らずで、馬鹿な人間の甘い考えですか。
許しなんてこの世になく、あるのは「地獄は頭、脳みそのなかにある」アレックスの言葉が、最後には何となくしっくりきた。
そうなのかもしれない。
とゆーか、殺しをしなければならない、戦争に参加せざる得ない、個人の力では動かせない環境下での自分の意思での殺し、どうしようもない世界で生きてる人たちの罪を和らぐために、その逆の世界で生きてる人たちが無関心という殺しに加担している罪を背負うことで相殺できないものかと、願う。
まるで自分は戦争のこと考えてます、この世界のこと考えてます、皆罪背負って逆ハッピー願いますとか、つらつらと書いてるがそんな自分もピザ食ってコーラ飲んで映画見てるんだから、悪魔だよな。
無関心も殺しも正義もぜーんぶあくまだ。
最後のクラヴィスは地獄と悪魔を受け入れ、自由を手に入れた姿だと思った。
※Audible -
圧倒されるスケールとその深淵。
難解な文章の中に、考えさせられるものが存在してる様に思う。
この今の時期に読めたことを素晴らしいと感じる。 -
内面描写も人物も良く描けている。
ただ、テロや紛争、虐殺を起こすのはどんな背景があろうと結局のところ個人のエゴに過ぎないと自分は考えている。
この物語は、壮大なスケールで描かれる主人公達の「言い訳」なのではないだろうか。 -
レビューが非常に高かったので、この本を手に取った。表現力や描写は、非常に素晴らしかった。ただ、専門用語が多くあまり感情移入出来ず、読了するまでに相当な時間がかかった。理解出来たかは、わからない。多分、半分も理解出来ていないと思う。この作品を短期間で書いた作者の素晴らしい能力だと思う。この作品をすぐに理解できる読者も作者同様、能力者だと思う。
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現代の先進国間の戦争はサイバー空間で行われるという。それはサイバー攻撃だけでなく、SNSにフェイクニュースを拡散して国民を分断することなども含まれる(詳しくはこの本棚の #0404.FakeNews/EchoChember/陰謀論/Propaganda )。
それらは社会学、心理学のアプローチをテクノロジーでレバレッジさせる領域で各国のAIが仕掛ける新たな戦争のかたちとなっている。そしてその影響は民主主義国家で顕著に現れだしていると言って良い。つまりジョン・ポールは人でなく、アルゴリズムであり、すでに不気味にその触手を指数関数的に拡大させている。
「核の抑止力」についても僕は懐疑的だ。北朝鮮のような小さな国が持つと、政権がヤブレカブレになった時、使用も拡散も止められなくなる可能性がある。9.11のような飛行機ハイジャックもその突入先を原子力発電所にすれば核兵器に変貌する。本書で「サラエボでの核爆弾が破裂した日に世界は変わった。核兵器が使える武器に変わった」というが、その引き金は常に指かけられている。
ーーここからは伊藤計劃さんの文体についての感想。
文体から感情の熱量を感じ取れなかった。戦場の、特に殺人描写がリアルだがまるで麻酔を施されているように痛みがない。ミリタリー系ゲームを眺めているようだ。僕は痛みの共感を伴わせないこの手の暴力コンテンツが嫌いだ。作者に対して嫌悪感すら抱く。
しかし伊藤計劃さんが執筆当時、がん手術を何度も受けて片足の機能を失い、肺の一部を切除し、なおもがん転移に侵され余命に向き合っていたという事実を読後に知って、この「感情のなさ」を共感することができた。
僕も大腸がんで一部切除して現在も抗癌剤治療を受けている。長い入院生活と連続体験する麻酔と手術は感情を激しく削る。感情的になるといろいろシンドイので、自分の身体に起きていることの詳細な理解にエネルギーを費やした方が心の平和を保ちやすいと知るからだ。伊藤計劃さんがわずか10日で本作品を書いたらしいが、その間、この文体のようにリアルな描写を客観的になぞることで心のバランスを保とうとしたのはとても理解できる。