- Amazon.co.jp ・本 (296ページ)
- / ISBN・EAN: 9784309226729
感想・レビュー・書評
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面白かった。人間の進化から政治、経済、宗教と人類の歴史を、今まで聞いたことのない視点から考察していて、あっという間に読める!
早く上巻も読みたいー詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
【総評】
・人類史を独自の視点で解説することを通じて、価値観を揺さぶってくる良本
・時代は中世〜現代。上巻と比べて現在に近いので、理解しやすい部分がある。また、自ずと現代に直結している話が増えるため、示唆に富む部分も多い
・冒頭の宗教に関する部分は個人的には入ってこなかった。中盤以降面白くなっていく点が上巻と共通しており、私のようなライト寄りな読者の離脱を招いていそうで勿体無い
・科学革命について記した14〜16章がハイライト。「無知の知」から出発し、科学と帝国の共依存関係とそれが世界にもたらした影響、同様に科学と資本主義との関係までを描き切る、特に示唆に富むパート。圧巻。
・訳者あとがきが本文に負けず劣らず秀逸。上巻の内容も含めた内容がコンパクトかつ網羅性を持ってまとまっており、ここを読み返すだけで再読したのと同じ効果がありそう。良くも悪くも骨太な本だから助かる。
興味はあるが迷っている向きはまずこの下巻のあとがきを読んでみるのがよい。
【特に印象に残った点・疑問点】
・科学の萌芽はルネサンスと関係がありそうだが、著者がその点をどう捉えているのかが気になった
・絶対悪と見られがちな帝国主義のプラス面について理解できたのは歴史の見方を深めることに繋がった
・資本主義の本質(余剰利益の再投資)を個人の人生に当てはめるのは終わりにしたい
・家族や地域コミュニティの崩壊については完全に宮台真司氏の「底が抜けた社会」と同じことを言っていると思う
※タイムスパン(本書は中世〜近代寄り、宮台氏は近代〜現代)と、対立構造(本書は主に国家と個人の対立構造、宮台氏はテクノロジーの発展に原因を求めている)の描き方は異なる
・幸福論については生物学的なアプローチに偏り過ぎている印象を受けた
★★★自分的メモ★★★
歴史は正確な予想をするための手段ではない。歴史を研究するのは、未来を知るためではなく、視野を広げ、現在の私たちの状況は自然なものでも必然的なものでもなく、したがって私たちの前には想像しているよりずっと多くの可能性があることを理解するためなのだ。
科学研究は宗教やイデオロギーと提携した場合にのみ栄えることができる
→科学が乗っかった主要な要素は帝国と資本主義
【帝国】
科学は帝国主義を支えた。
→両者は相互依存の関係
ヨーロッパ人が世界を切り取れたのは科学技術の発展もあるが、未知の世界があるという「冒険心」と、そこを征服するという「厚かましさ」、無知の知からくる「科学的好奇心」が原動力
未来はよくなる⇄世界は緩やかに衰退している
外の世界の見当がつかない⇄自分たちの世界が全て
世界は未知で溢れている⇄セカイは理解できている
↑こうしたスタンスを形成するにあたり、ルネサンスの影響はないのか?あまり触れられていないが
帝国主義の影響はポジもネガも多すぎて、それぞれの立場で1冊の百科事典が書ける
直接的な人種差別は現在は憚られるが、文化にその由来を変えて生き残っている
【資本主義】
古代シュメールの時代から信用取引はあったが、「世界はもっと良くなる」という意識(拡大するパイという幻想)がなかったためあまり行われなかった。過去が良く、将来は今より悪くなるかせいぜい現状維持だと思っていた
資本主義は念仏のように「生産利益は生産増加のために再投資されなければならない」と唱える
(気づき)
この考え方が個人の人生まで浸透した結果、貯金が生き甲斐の人が増え、「DIE WITH ZERO」のような本が出る羽目になった
→資本主義なしで生きていくのは無理だが、個人の人生まで資本主義に毒されなくてもよいのでないか?余剰利益を再投資し、常に未来のことだけを考えて生きるのはやめにしたい
経済成長は永遠に続くという資本主義の信念は、この宇宙に関して私たちが持つほぼすべての知識と矛盾する
自由市場資本主義は、利益が公正な方法で得られることも、公正な方法で分配されることも保証できない。むしろ逆で、利益しか見えなくなる。
「資本主義は、強欲と合体した冷淡な無関心から膨大な数の人間を死に至らしめた」
産業革命は熱を動きに変換したことで、エネルギーの変換ができるという発想を与えたことが重要。人間はエネルギーに囲まれて暮らしており、利用可能なエネルギーはテクノロジーの発展もあり増える一方
資本主義と消費主義の価値体系は表裏一体であり、二つの戒律が合わさったもの。富める者の至高の戒律は「投資せよ!」であり、それ以外の人々の至高の戒律は「買え!」だ。
【幸福論】
最大の社会変革は家族と地域コミュニティの崩壊およびそれに取って代わる国家と市場の台頭
→あぁもうコレは完全に宮台真司の言っている社会の空洞化(底が抜けた社会)だ。
もっと昔の中世から語っているところや、スマホに連なる近現代のテクノロジーがもたらす安心・便利でなく国家権力との戦いで描いている点は違うが、同じことを言っている。
消費行動によって定義される、消費者部族という存在
有意義な人生は、困難のただ中にあってさえも極めて満足のいくものであるのに対して、無意味な人生は、どれだけ最適な環境に囲まれていても厳しい試練に他ならない
仏教によれば、苦しみの根源は束の間の快感を空しく追い続けること -
【文明は人類を幸せにしたのか】
上巻は人類が起こした3つの革命のうち、①認知革命、②農業革命が中心でした。
下巻は③科学革命を中心に解説されています。
私の新しい発見だったのは、宗教の多神教は本来は「異端者」や「異教徒」を迫害することはめったにないこと、私たちの思考はヨーロッパの考え方がベースになっていること、ヨーロッパが世界の覇者になった理由などなど。
「幸せ」を生物学的なアプローチでみているのも面白かったです。
生物学的には幸せを感じるのはホルモンのセロトニンやドーパミン、オキシトシンが関係しているそう。そのため、歴史にはあまり重要性がなく、フランス革命は政治的、社会的、イデオロギー的、経済的に激変を起こしたが、フランス人の幸福に及ぼした影響は小さかった、となるようです。
フランス革命の意義とは…?フランス革命だけでなく、その他の歴史的大事件にも言えることです。
こんなこと考えもしませんでした。
文明は人類を幸せにしたのかは、もっと先の未来に分かるのかもしれません。
また、上下巻ともに日本の記述もあったのも興味深かったのですが、著者が日本語訳版を出版するにあたり記述を追加してくれたそうです。 -
2022年の現在読むと、だいぶ既知の内容が多かったが、人類過去から現在までユニークな観点から体系的に理解でき、視野が広まった。
個人的に、著者の仏教についての解説が非常にわかりやすく有益だった。
“一生喜びの感情を追求するというのは、何十年も浜辺に立ち、「良い」波を腕に抱きかかえて崩れないようにしつつ、「悪い」波を押し返して近づけまいと奮闘するのに等しい。来る日も来る日も、人は浜辺に立ち、狂ったようにこの不毛な行いを繰り返す。だがついに、砂の上に腰を下ろし、波が好きなように寄せては返すのに任せる。何と静穏なことだろう!”
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【宗教】
宗教とは、超人間的な秩序の信奉に基づく人間の規範や価値観の体系のことをいう。(神の在不在は問わない)
その意味では、資本主義や共産主義も宗教である。
歴史は自然で必然的ではなく、どの瞬間においても、違う未来への分岐点に立たされている。何故われわれは歴史を研究するのか?それは、未来を知るためではなく、視野を広げ、現在の私たちの状況は自然なものでも必然的なものでもなく、想像しているよりもずっと多くの可能性があることを理解するためなのだ。
【科学】
過去500年間に、人間は科学研究に投資することで自らの能力を高められると知り、科学革命が始まった。新しい力が資源を生み、その資源を投入し研究し、その研究が新しい力を生み、テクノロジーの成長が生まれた。
近代科学が革命的だったのは、無知を認めたことだ。宗教の教義のように神が全てを知っていることで終わろうとせず、無知を認め、科学が私たちに新しい力を与えうると確信した。従来の知識のどれよりもダイナミックで探究的になった。
今までは科学と産業と軍事のテクノロジーは結びついていなかった。科学革命以前は、人類の文化のほとんどは進歩と言うものを信じていなかった。戦争や飢饉に終止符を打つのは、科学ではなく神だと信じられていた。
科学研究は宗教やイデオロギーと提携した場合にのみ栄えることができる。イデオロギーは研究の費用を正当化することと引き換えに、科学研究の優先順位を決める。
何故科学革命がヨーロッパで起こったのか?中国やペルシアではなかったのか?→西洋の技術を取り入れるだけでは進化できず、社会と政治、司法組織、資本主義的価値観という社会構造が根付いていなかったから。
帝国主義と近代科学が結びついたのは、科学者も征服者も、「外の世界を見て、世界を征服する」という願望を持っていたから。古代の征服者に比べて、帝国主義の征服者は、「富と権力」ではなく「知識」を外に求めたのだ。
【経済】
現在の資本主義が拡大するのは、「信用」というマジックによってである。100万ドルを銀行が実業家に融資するのは、将来実業家が儲かって返済してくれるという「信用」があってこそのものだ。中世では、社会が進歩するという考えが根付いていなかったため、信用が限られておらず、経済は停滞したままだった。
科学革命が起こり、進歩という考え方が登場してから、人々は「世界全体のパイを奪い合うのではなく、拡大することができる」と気づき、成長が始まった。
「生産利益は生産増加のために再投資されなければならない」というアダム・スミスの当たり前の考えは、世界に革命をもたらした。
その後世界に広がった資本主義は、絶対無敵の完璧理論とは到底程遠く、特に植民地の人々が残酷な運命をたどった。
【産業】
産業革命は、エネルギー変換における革命だった。私たちは数十年ごとに新しいエネルギー源を発見する。
産業革命以降、人間のエネルギー市場はほぼ完全に植物に依存していたが、エネルギーの利用と変換の方法を学ぶことで、より性能のいいポンプを開発すればいいことだけに気づいた。
今日では、あまりに多くのひとが資本主義・消費種皮の理想を体現している。
【地域社会】
中世では、個人というものは存在せず、地域社会に属する人間にすぎなかった。近代社会はその地域社会の家族やコミュニティから人々を解放するために、「個人になるのだ」と訴えた。また、この2世紀の間に、親密なコミュニティは衰退し、その感情的空白は想像上のコミュニティに委ねられることになった。例えば、国民と消費者というコミュニティだ。
近代社会の唯一の特徴は、変化し続けるということだ。私たちのほとんどは、社会秩序は柔軟だと思っているかもしれないが、近代以前は伝統的秩序を進化をさせず、堅持するに留まった。
今日では戦争は、利益と代償が釣り合っていない。富の大部分は人的資源やノウハウであるため、侵略する旨味がないからだ。一方平和からは利益が得られ、その利益が更に戦争を抑止するという正のフィードバック・ループが存在する。
【幸福】
幸福は客観的な条件:富、健康、コミュニティさえも、それほど左右されない。むしろ、客観的条件と主観的な期待との相関関係にある。
また、幸福は生化学的な作用にすぎない(セロトニンがどれだけ分泌するか)という意見もある。人間はどんな幸福や不幸が起ころうともセロトニンを一定に保つ仕組みが備わっている。
宝くじで億万長者になろうとも、粗末な家を一軒立て終わったとしても、両者のセロトニン濃度が「X」という数値で一致していれば、両者の幸福は同じだ。
幸福において大切なことは、自分の真の姿を見抜けるかどうかなのかもしれない。
未来のテクノロジーの真の可能性は、乗り物や武器だけではなく、感情や欲望も含めて、ホモ・サピエンスそのものを変えることなのだ。
歴史の次の物語には、テクノロジーや組織の変化だけではなく、人間の意識とアイデンティティの根本的な変化も含まれるという考え方だ。
科学が進もうとしている方向に影響を与えることが大切だ。私たちが直面している真の疑問は、「我々は何を望みたいのか?」なのかもしれない。 -
人類の歴史を、認知革命・農業革命・科学革命という3つのパラダイムシフトで語る。
終盤の勢いが物凄い。ディストピアモノを過去のものにするSFであり、沢山の要素を緻密に重ね上げたミステリのようでもある。サピエンス(現生人類の意)「全史」というのは嘘ではなく、人類の終焉(滅亡ではない)までしっかりと積み上げられている、すごい本。まるで歴史を一度バラバラにほぐし、新たな視点から組み直したかのような読み心地だった。
まず、認知革命。現実に物理的に存在しないもの「虚構」を想像することができたことで、集団の数の制約や記憶の制約から解き放たれたという解釈が面白い。
次に、農業革命。農業により狩猟採集の時代に比べ人の動きは制約され、階級化も進み、人は農業に縛られることになったとのこと。かえって不幸になったのかもね、という解釈。
そして科学革命。「自分たちは全てを知っているわけではない」という視点は、科学の発展は自分たちに新しい力を与えるという発想……進歩の発想に繋がり、帝国・資本主義と結びつき、世界の一体化を推し進めた。
ここまで書いてきて、作者はこれらの歴史に対し、「では、私たちは以前より幸せになっただろうか?」という問いを投げかける。便利なものが増えて色々と楽ができるようになっても、その分やることが増えて結局忙しい、というのは、誰もが肌で感じている矛盾だろう。
また、最終章ではホモ・サピエンスという生物自体が次なる高みに上り詰めんとする様子までが描かれており、この終盤の説得力を増すためにここまでの長い物語があったのではないかと思わせるほどに説得力がある。まるで、方々に散らばっていた世界が資本を中心に据えたバベルの塔を築き上げ、ついに自身が神になろうとしているかのよう。
以下、自分用の覚書。
12章:普遍的秩序をつくるもの 宗教
宗教とは、「超人間的な秩序の信奉に基づく、人間の規範と価値観の制度」と定義できる。この定義によると、自由主義とか共産主義とか、そういったものも宗教として扱うことができる。
この章では、ホモ・サピエンスが独特で申請な性質を持っている「人間至上主義」を宗教と考え、「自由主義的」「社会主義的」「進化論的」人間至上主義について解説する。「自由主義的」人間至上主義にはキリスト教の影響を多分に受けているが、生命科学の研究の進歩によりその考えの屋台骨を失いつつある。一方、進化論的人間至上主義はナチスにより信奉され、戦後否定されたが、生物学的研究の進歩は、この考えを後押しする結果にならないとも限らない。
14章:無知という力
近代科学は、従来の伝統的な知識と比べ、「私たちがすべてを知っているわけではない」という前提がある。従来は、世界について重要な事柄は全部知られているという主張だった。知らないことはもっと賢い人(聖職者)に尋ねればよく、聖職者がわざわざ教えないことは、知ってもしょうがないってことになった。
バベルの塔に代表されるような、人間の限界を超えようとする営みは無駄だよ的な話や、死を必然と捉え死後の世界について考える話は廃れ、進歩主義、究極的には不死の夢を見るまでに至った。
ただ、近代科学により宗教という枠組みが揺らぎ、社会のまとまりを保てなくなるかというとそうでもない。科学の研究性を正当化し、資金を獲得するには、結局イデオロギーや宗教の信念に依らなければならない。人間の活動を超えた優れた倫理観あるいは精神的次元で行われる営みなどではなく、第3部で語られた人類統一の3要素である経済・政治・宗教に従属せざるを得ない。
化学は自らの優先順位を設定できず、自ら発見した物事を如何とするかも決定する力を有しない。(人間が月に行けたのは、アメリカとソ連がケンカしていたからだ、みたいな感じだろうか)
研究を通じて新しい力を獲得することができると信じるに至った経緯とは。近代科学の性質。
15・16章は科学とヨーロッパの諸帝国と資本主義経済との同盟関係の形成について。
15章:近代科学を推し進めたもの 帝国
世界の権力の中心がアジアからヨーロッパに移ったのは、18世紀になってからであり、これには知らないものを探求するという(14章参照。)近代科学の発想が、親和・司法組織・社会政治的構造から育まれたからだ。古代の地図が空白なくびっちり埋められていたのとは対照的に、大航海時代にアメリカ大陸を描いた地図に、その西岸側が白紙だったように、過去の伝統よりも現在の監察結果を重視し、征服欲を強めた。
また、帝国は被支配民の効果的統治のため、その被支配民の言語や文化を知る必要があると考え、科学を必要とした。
さらに、科学的に進んでいる帝国が諸民族に「進歩」の恩恵を与えているというイデオロギーも、搾取の大義名分となった。こうして振るわれた絶大な権力は、被支配者を大きく変えてしまい、もはや善悪で語ることは難しい。
生物学・人類学の分野では、ヨーロッパ人がどの人種よりも優れているという理論も構築され、アーリア人種論に繋がった。現代では人種の生物学的相違はとるに足らないものだと考えられているが、新たに「文化主義」とでも呼べるような考えが台頭している。これによれば、人間集団間の相違は人種ではなく文化間の歴史的相違にあると考えられ、移民排斥等の論拠としても使われている。
16章:近代科学を推し進めたもの 資本主義
14章にあるように、近代科学によりもたらされた「進歩」という考えは、自分の利益を増やしたい問い願う人間の利己的な衝動が全体の豊かさの基本になるというアダム・スミスの主張に繋がった。
従来は富は世界でゼロサム的なものであり、将来が現在より良くなるという発想がなかった。よって、富を蓄えるという行為はすなわち周囲からの搾取であり、罪悪とさえされた。
しかし、進歩、すなわち将来がよくなるという明るい予想は「信用」を生み出し、投資→生産→生産→投資というサイクルが成立した。
こうして資本主義が生まれたが、アヘン戦争に代表されるように戦争を引き起こす可能性や、資本主義者による独占やカルテルにより、利益やその分配は公正なものになるとは限らない。
また、奴隷貿易もこの市場の原理により生み出されたものであり、人種差別的イデオロギーが存在しないにも関わらず(現代の価値に照らせば)非人道的な行為が罷り通る恐れもある。
そして何よりも、信用が価値を生み出し続けるシステムには、その経済のパイが大きくなり続けるという大前提がある。これに必要な原材料及びエネルギーは、今後どうなってゆくのかを、17章で語る。
17章:資本主義の加速、供給過多の時代
前章で指摘された、資本主義の屋台骨を支える「原材料」と「エネルギー」だが、資本の注ぎ込まれた研究により科学技術は進歩し、新たなエネルギーが発明され続けた。原材料も同様である。
産業革命で得られた安価で豊富なエネルギー・原材料は、生産性を爆発的に増加させ、まず農業の生産性が向上し、農業に従事していた人間の多くが第二次第三次産業に移り、多種多様な品物を生み出した。
供給はついに需要を追い越し、「消費主義」とでも呼べるような、倹約をよしとしない価値観が生み出された。しかし、利益は浪費せず再投資しなければ資本主義は成り立たない。ここで生まれたのがエリート層と大衆の分業である。エリート層は無駄遣いをせずしっかり資産や投資を管理する。大衆は射幸心を煽られるままに必要もない商品を買って満足した気持ちになる。大衆が欲望のまま好き放題にすることがシステムを回すという点は、従来の宗教が難しい倫理体系を求めるのに比して、革新的な宗教といえる。その先に楽園があるという前提に立てばの話だが。
18章:国家・市場経済によるコミュニティの変化と世界平和の可能性
近代以前まで一貫して集団をまとめていた「家族とコミュニティ」は、国家に取って代わられた。教師や医師等を抱える余剰のなかった農耕経済から、近代化による余剰の増幅により、国家や市場は強大化し、警察・裁判所等の積極的介入を行った。もちろん、昔ながらのコミュニティを望む声もあったが、個人主義の台頭は、この声をも小さくしたと言える。
家族等による親密なコミュニティ喪失の穴を埋めるのは、17章の消費主義、国民主義という想像上のコミュニティ。さらには消費主義は国民という枠組みさえも過去のものにしつつある。
戦争はハイリスクローリターンなものになり(パックス・アトミカ)、核の脅威→平和主義→交易活発化→平和希求というスパイラルが形成される。
ただし、これは先の大戦から何十年も経った今だからこそ言える考えであり、その大戦を生み出したのも近代である。天国に進むか地獄に進むかは、分からない。
19章:幸福を軸に歴史を考える
ここまで歴史を辿ってきて、ではこれらの歴史人類を幸福にしたのかという問いを投げかける。歴史学は、認知革命農業革命科学革命が人間の幸福に及ぼす影響について問うたりはしてこなかった(らしい)。
人の幸福は、主観的厚生(自分がどう感じるか。自己欺瞞や生化学的なものを含め)に決まるとする考え方がある。これは個人を重んじる自由主義と親和性が高い。
一方で、歴史上大半の宗教やイデオロギーは、客観的な尺度があるのではないかと主張してきた。とりわけ仏教ではこの色が濃く、内なる感情は束の間の心の揺らぎに過ぎず、これを絶えず求め続けることが苦しみの根源であり、内なる感情の追求をやめることを教え諭した。
幸福という視点を欠いた歴史理解は、甚だ不十分なものだといえるのではないか。
20章:生物学的革命によるホモ・サピエンスの終焉
認知・農業・科学革命の次は、「生物学的革命」が起こるかもしれない。遺伝子操作による生き物の操作や、AIの進歩による非有機的な存在の出現等は、もう遠い未来の話ではない。自らの体や思考にまでメスを加えることで、ホモ・サピエンスは全く別の存在になるのかもしれない。現実の問題に立脚したSFはごまんとあるが、思考にメスを加えたら、そうしたSFは全て過去のものになってしまうのだろうか。
こうした技術には倫理的側面から批判が加えられるが、例えば人命の為だなどという人間至上主義に基づいた動機付けをされたら、止める術はなくなってしまう。
私たちにできることは、そうした化学が進もうとしている方向に影響を与えることだ。「私たちは何にならいたいのか?」ではなく、「私たちは何を望みたいのか?」が、私たちが直面する真の疑問なのかもしれない。 -
『サピエンス全史』と柄谷行人
(柄谷行人を読んだことがない人にはわからない話ですみません。上下通したレビューは上巻の方に書きました)
この本を読んで改めて柄谷行人という哲学者の射程がどこにあるのかがわかったような気がする。人類の歴史を描いた『サピエンス全史』と柄谷行人の『世界史の構造』が扱うテーマがかなり重複しているのだ。
『世界史の構造』では、特徴的な四つの交換方式の重点の推移によって世界史の変遷を説明しようとしたという印象が強く、それはひとつの分析として素晴らしいのだが、やや無理筋であると感じるところも多かった。しかしながら、それまでの柄谷行人の関心を持ったテーマを『サピエンス全史』とともに振り返ると、彼が「人類の歴史」- つまりわれわれがなぜ今このような形としてここにあるのか、ということをずっと問いとして持っていて、答えとなるべきものをずっと提示しようとしてきたのだということがわかるような気がする。そのことを、「サピエンス全史 文明の構造と人類の幸せ」というタイトルの本とのテーマの合致を見て初めて気づくことになった。そして、その合致は偶然ではなく、彼の関心領域から導き出される必然でもあると感じた。
『マルクスその可能性の中心』などにおける「貨幣」への注目。『NAM21』の活動では地域通貨の実践にまで踏み込もうとした。『探究I』におけるコミュニケーションへの注目。『探究II』における「世界宗教」への注目。『帝国の構造』などの近年の「帝国」への注目。『世界史の構造』では「農業革命」にも注目している。カントの永遠平和の考え方も、『サピエンス全史』に出てきた資本主義のグローバル化における世界平和に関する考え方も実は似ていたりもする。
もう少しじっくりと柄谷行人の仕事について、『サピエンス全史』に沿った形で整理するようなことをしてみたい。それほど、読んでいて柄谷行人のことを思い出すことが多かった。それが、きっと柄谷行人という思想家をより深く理解することにつながる予感がする。
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『サピエンス全史(上)文明の構造と人類の幸福』
http://booklog.jp/users/sawataku/archives/1/430922671X -
知的興奮度絵抜群の読み応え。
下巻では上巻の認知革命、農業革命に続き、
科学革命と帝国主義・資本主義の融合が説かれ、
果たして人類は幸福になったにか?が問われる。
現代社会は全人類の基本的な平等性を認めたことを誇りにしているが、これまでで最も不平等な社会を生み出そう
している。超ホモ・サピエンスの時代はすぐそこまで来ているのかもしれない。
私たちは何になりたいか?ではなく、何を望みたいか?を考えることで科学の進歩に影響を与えることができる。
不満で無責任な神々ほど危険な存在ない。
仏教の無我、瞑想は不満そのものをいしきしないところにある。この言葉に可能性を感じる。 -
おもしろかった〜〜!!激動の時代の中に生きる今、読めてよかった。宇宙の歴史や人類史全体から見ると激動なのかはわからないけれど。笑
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我々の生きる世界は集団妄想の中。認知革命により、組織や国家の力を活用する事になったサピエンスは、エネルギーを使いこなし、科学革命を起こす。成長を前提とした資本主義の後押しもあり、対立を乗り越えながらも経済合理的な判断により、次々とイノベーションは進む。下巻は、一気に近代の話に入り、科学と哲学の領域へ。
永遠の命。不死ではなく、非死。これは物理的な事故のような死は避けられないが、老衰や病気に対しては臓器を入れ替える事で生きながらえる事を可能とするという意味。この研究プロジェクトは、不死を求めた古代シュメールの神話ギルガメッシュにちなんで、ギルガメッシュプロジェクトというらしい。もはや手が届かない話ではなくなってくる。
仮に非死、アモータルが叶うとして。その恩恵を得られるのは、富裕層のみ。サピエンスは分断されるのではないか。幸福感は、経済の発展に比例せずある程度、衣食住が保障された所で頭打ちになるらしい。中世よりも、近代が幸福ということはない。寧ろ、外の世界が見え、その比較によって自らの不幸を嘆く機会は、現代の方が多い。サピエンスは共通主観によって纏まるが、経済格差によって分断する恐れがある。
科学を制御するのも倫理やモラル、宗教観などの認知、共通主観。サピエンスは、神話のもとに地球上の覇者になり得たが、神話は認識によって多様性を生むために分断を促し、経済格差、科学や宗教、歴史認識など世界中でまだ折り合いのつかぬ問題を抱えている。さて、どう生きるべきか。 -
「資本主義の地獄」
農業革命後に起こった科学革命は帝国主義と切っても切れない関係にあった。即ち、ヨーロッパ人は探険して征服したいという野心を持ち、アメリカ大陸、南米大陸の原住民を奴隷とし、植民地化していった。
これを正当化するため科学が用いられた。生物学者、人類学者らは「ヨーロッパ人は他のどの人種よりも優れているため彼らを支配する権利を持っている。」という科学的根拠を示した。更には、この帝国主義が自由市場資本主義のもとで奴隷貿易を生み出す。奴隷貿易企業は証券取引所に上場して資金を得て、船の購入、水夫の雇用、アフリカで奴隷を買うなどしてアメリカ大陸に行く、そこでプランテーション所有者に奴隷を売買、砂糖やコーヒー等を仕入れ、自国の市場で売るという構図だ。
注目すべきは、このシステムは国家によって管理されたものではなく、自由市場が運営、出資していたもので、キリスト教同士による争いやナチズムのように恨みによるものでなく、奴隷をモノとして扱うという無関心が原動力となっていることである。
現代においても、世界で様々な災害が起こっても資本家は自らの財産を増やすため、市場の推移を予測して株を売り抜けることや需要の高まりそうな分野への投機に余念がない。
そこには人類を救おうという観点はなく、相変わらず他者への無関心が見受けられる。 -
・歴史を研究するのは未来を知るためではなく、視野を広げ、現在の私たちの状況は自然なものでも必然的なものでもない、そして、私たちの目の前には想像しているよりもずっと多くの可能性があることを理解するため
→本書最後の方に出てくる何になりたいのか、何を望むのかにつながる?
・「この者たちの言うことは一言も信じてはいけません。あなた方の土地を盗むためにやってきたのです。」
→普通に面白かった。人間も害虫のように新しい土地に降り立ち食い荒らしていくみたい。
・「信用」によって将来のお金で現在を築くことができるようになった。→現在の経済の根幹をなすシステムだと思った。
・近代は殺戮、戦争の時代?平和の時代?その答えは答える時期によって異なる。→答えを求めがちだが答えは確かに捉え方によって変わる
・幸せを感じ方はその人本来の物事に対する感じ方で決まってる→確かに楽しそうな人は何をやってても楽しそうだし、例え楽しくないことがあったとしてもその下り幅はそこまで大きくない気がする
・歴史書は各人の幸せや苦しみにどのような影響を与えたのかについては何一つ言及していない。私たちはこの欠落を埋める努力を始めるべき→歴史は人の行いを淡々と述べる報告書であって日記ではない感じ?
こういうタイプな本は得てして読みにくい(理解しにくい)ものが多いけどこれは上下ともに読みやすかった。
私は何になりたいのだろうか、、、
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やっと読みました。文庫になるまで待とうかとも思っていたけど著者の執筆スピードが速くて気になること多すぎて我慢しきれませんでした。
タイトルの通り人類の歩んできた歴史全体を俯瞰してそこにはどんな大きな流れがあるのかを掴み、その流れから見たときに現在の私たちの状況はどう捉えられるのかを語る本。評判通りの面白さでした。
これまでにも歴史の流れを概観することを試みる本やジャレド・ダイアモンドなど文化人類学の本も読んできましたが、この『サピエンス全史』が特に面白かった点をいくつか。
①「虚構こそ」という観点
歴史で大きな役割を果たしてきた様々な概念や出来事の共通の背景として「虚構」という「存在しないものを共通で想像する力」として纏め上げた観点が素晴らしい。
認知革命により文化が生まれ、文化により見知らぬ人とも協力できる大規模な社会が生まれ得た、と。
そして数々の虚構の中でも「貨幣」「帝国」「宗教」の発明が大きかったというのも理解しやすい。
特に科学至上主義や自由主義等の近現代のイデオロギーも一種の宗教である、という解釈はその通りだと思う。明確なものとしては存在しない共通の価値観で私たちは繋がろうとしているし、反目しあっている。
②分からないことはあるという潔さ
また、歴史全体の流れを明快に解説しながらも現在の文化人類学ではまだ分からないこともある、と潔く宣言している点があるのも良い。
たとえば本書の鍵となる虚構を成立させる背景となった「認知革命」がなぜ起こったのかについては遺伝子の突然変異である、と簡単に触れられるのみで、それ以上に説明しようがないとしているし、
より面白かったのは、多くの社会で男性優位の社会構成や差別が行われてきたことに明確ないかなる理由も見つけられないし、主張されているいくつもの理由も不確かであると指摘している点。
③「幸福」に向き合う勇気
下巻の一章を割いて「文明は人間を幸福にしたのか」という問いに向き合っている点も素晴らしい。著者本人も指摘しているけれど歴史それ自体は良し悪しのあるものではなくてだからこそこれまで歴史学はそこに触れてこなかったし、触れにくかったけど、それでも幸福という個々人の内面に向き合う努力を歴史的観点からもし直すべきではないか、という指摘は至言でしょう。
逆にすっきりしなかった点もいくつか。
⑴農業革命はなぜ起こったのか
「植物の実を探すのにうんざりして、カボチャを栽培することにした」
などと簡単に触れられるのみなのですが、農業革命以降、それ以前よりも苦労して働いていたのに食べ物は少なかったことが指摘され、農業革命は必ずしも人類にとって嬉しくなかったとまで指摘しておいて、だとしたらなおさらそうせざるを得なかった理由が知りたい。人口爆発とエリート層の誕生により後戻りは不可能だったという指摘はその通りかと思うけど、スタート時点での必然性もあったのではないかと思う。氷河期が終わった環境の変化(植生や動物生の変化)、定住(がむしろ先?)、戦争(定住と人口増により領地拡大志向が生まれた?)などでしょうか。
(2)貨幣の登場
貨幣論においては一部で否定されていたように思う、物々交換の限界により貨幣が生まれた説で説明がなされています。この点、最新の学説はどうなっているのか別途知りたいところです。
ということですっきりしない点もあるけれど、全体の流れは非常に明快で魅力的。最後の今後のサピエンスの変化の可能性など現在地点の捉え方もワクワクするところで、早く次の『ホモデウス』を読まねばと思います。
以下は引用メモ。歴史を学ぶべき理由についての著者の考えに私も大賛成です。
「たいていの社会政治的ヒエラルキーは、論理的基盤や生物学的基盤を欠いており、偶然の出来事を神話で支えて永続させたものに他ならない。歴史を学ぶ重要な理由の一つもそこにある。(現代社会に残る差別的な)現象を理解するには、想像力が生み出した虚構を、残忍で非常に現実味のある社会構造に変換した出来事や事情、力関係を学ぶしかないのだ(上183)」
「生物学的に決まっているものと、生物学的な神話を使って人々がたんに正当化しようとしているだけのものとを、私たちはどうすれば区別できるだろうか?「生物学的作用は可能にし、文化は禁じる」というのが、有用な経験則だ。生物学的作用は非常に広範な可能性のスペクトルを喜んで許容する。人々に一部の可能性を実現させることを強い、別の可能性を禁じるのは文化だ。生物学的作用は女性が子供を産むことを可能にする。一部の文化は女性がこの可能性を実現することを強いる。生物学的作用は男性どうしがセックスを楽しむことを可能にする。一部の文化は男性がこの可能性を実現することを禁じる(上186)」
「それでは私たちはなぜ歴史を勉強するのか?物理学や経済学とは違い、歴史は正確な予想をするための手段ではない。歴史を研究するのは、未来を知るためではなく、視野を広げ、現在の私たちの状況は自然なものでも必然的なものでもなく、したがって私たちの前には、想像しているよりもずっと多くの可能性があることを理解するためなのだ。たとえば、ヨーロッパ人がどのようにアフリカを支配するに至ったかを研究すれば、人種的なヒエラルキーは自然なものでも必然的なものでもなく、世の中は違う形で構成しうると、気づくことができる(下48)」
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複雑な難題を、分かりやすく、そして興味深く、説明してもらい、ありがたい。これまでの歴史や今の世界をこのように見ることができるのか、という視点以上の大きなものが伝わってきた。その一方で、もちろんこんな多様な学問的見地から1冊の本を通して理解しようとすると限界があるし、何か分かったつもりになっているのかもしれないけれど。世界、人類についての探求の入り口になる。
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◯科学革命の発端は、人類は自らにとって最も重要な疑問の数々の答えを知らないという重大な発見だった。(59p)
◯もし脳が集合的なメモリーバンクに直接アクセスできたら、人間の記憶や意識やアイデンティティに何が起こるのだろう?(254p)
◯その時点では、私、あなた、男性、女性、愛、憎しみといった、私たちの世界に意義を与えているもののいっさいが、意味を持たなくなる。(259p)
★幸福についての考察にたっぷり1章を割いている。人類のこれまでの歴史の意義を考えるためには、幸福の解釈が必要になるわけだ。
★私たちが獲得した物質的豊かさは、他の動物たちの犠牲の上に成り立っている。 -
やっと現代寄りの話に。資本経済や大量生産、効率化について書かれている。本著で長ったるく解説しているが言いたいのは豊かになったけど幸せか?と話し。今一度幸せとは何かについて考えていく時代なのだと感じた、