日本の歴史 本当は何がすごいのか

著者 :
  • 扶桑社
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  • Amazon.co.jp ・本 (271ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784594066512

感想・レビュー・書評

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  • 戦後の日本史授業の内容を頭から疑わない人には目からウロコが落ちるか全否定してしまう戦前ならある程度は常識(作者の美術者としての主観が入るし、戦前でも西洋バンザイな風潮もあるので全部ではない)だった歴史の入門編、なので比較的サクサク読めます

  • この本を読んで歴史を学べば、試験勉強としてでなく、教養として身につくと思います。

    素直に本の内容を受け取ると、日本は世界に負けない文化と伝統を持っている。ただ、海外では幕末以降しか知らない人も多い。ヨーロッパとの発信の差を感じます。


    特に勉強になったのは神仏習合。世界では、紛争の種となる問題を、日本人の特性、神道の寛容性を取り入れて、仏教との融合を果たした聖徳太子。今、日本に必要なリーダーです。

  • 井沢元彦氏の逆説シリーズを読んでから、一人の著者が、全ての歴史を解説している「通史」を読むのが私の一つの楽しみになっています。この本の著者である田中氏の本は、私は初めて出会いました。

    井沢氏同様に、日本の「通史」を書かれていますが、その視点が、彼の研究課題であった「美術品」であることが特徴です。美術品が語ってくる日本の伝統と文化の魅力を通して、日本の何が素晴らしいかについて、各時代毎に解説されています。

    以下は気になったポイントです。

    ・創業200年以上の老舗企業だけを集めた経済団体には、日本の加盟企業の多さが目立つ、創業百年以上という会社が、一万五千社以上もあるのは世界中でも日本のみ(p5)

    ・全国で神社の数は約8万、お寺も約8万あり、コンビニエンスストア(5万件)よりも多い(p6)

    ・神社と寺が共存しているのは、共同体でお祭りをするのが神社、個人でお参りするのが寺、祖先や自然を共同で祭るのが神社、個人の悩みを聞き、葬式をするのが寺というのが原則(p7)

    ・神々が男女の交わりからではなく、一人の神様から生まれているのが不思議、男神の伊邪那岐から次々と神が生まれ、最後に左目から天照大神、右目から月読命(つくよみのみこと)、鼻から須佐之男命が生まれ、この三柱の神が日本神話の物語の主人公となる(p22)

    ・神武天皇は、瀬戸内海を経て紀伊国に上陸、激戦を経て、紀元前660年に橿原神宮で即位した、山の人が中央に進出した(p27)

    ・日本の古名は、大和、この「やまと」の語源の意味は、「山の人」であろう(p27)

    ・青森県の三内丸山遺跡は、約5500から4000年前に五百人以上の人々が一緒に住んでいたと思われる大規模な集落の遺跡(p41)

    ・縄文時代は、東の方に人口が多かったが、日本全体に祖先たちは住んでいた。そのころの自然条件では東のほうが暮らしやすかったからだろう(p43)

    ・世界の4大文明は、非常に厳しい条件(寒冷化、砂漠化等)が前提になっている、過酷な条件を克服しようとして文明を発達させた(p45)

    ・放射性炭素の年代測定によって、縄文土器は紀元前1万年以上(それまでは2500年が定説)ということが判明して新たな定説になっている(p48)

    ・神武天皇は127歳、崇神天皇は120歳で崩御したことになっていて、初めの頃の天皇(16代の仁徳天皇まで)長寿になっている、そのころは1年を2歳と数えたという学者もいる(p61)

    ・日本人の食生活(魚中心のタンパク質摂取)は、天武天皇(白鳳時代)の頃に始まる、日本書紀には「牛、馬、犬、さる、鶏の肉を食べてはならない」と書いてあり、これが食生活における国家の方針であった、伊勢神宮の式年遷宮もこの時代から(p91)

    ・大宝律令の「律」は「してはいけない=刑法」で、「令」は「しなくてはならない=行政法」である、律は唐のものに似ているが、令は日本社会にあわせたもの(p95)

    ・遣隋使、遣唐使の時代には、日本からも多い数の「遣日使」が来ている、彼らは日本の文化を摂取するためにもきていた(p99)

    ・万葉集が外国の書物(中国の詩経、ギリシア詞華集等)と比べて凄いのは、詩型の多様性・語彙の豊かさ、題材の豊富さ、歌を詠んだ人の多様性(貴族から、地方の人、農民、男女別なし)である(p118)

    ・本地垂迹説とは、神の本地(本体)が仏であり、仏が人間を救うためにこの世に現れたのが神道の神であるという考え方(p129)

    ・平氏は、大仏をはじめとして、奈良を焼き討ちしたことが人々の反感を買った(p148)

    ・武士は貴族政治の中から発生したもの、もともとは「清和源氏」等と、天皇家や摂関家出身の人々であった、日本の文化はすべて連続性の上につらなっていて、西洋のような断絶はない(p163)

    ・天皇の権威があって初めて政治が安定するのが日本という国のあり方、律令時代以降、一貫して変わらなかった(p166)

    ・1494年、トルデシリャス条約(スペインとポルトガルが世界を二分する)により、日本はポルトガル側に繰り込まれていたので、ポルトガル人が最初に日本に来た(p180)

    ・豊臣秀吉による朝鮮への2回の出兵は、スペインの侵略に対抗することがその大本の動機としてあった(p183)

    ・仙台藩が派遣した支倉常長等の遣欧使は、帰途においてマニラで、スペインがオランダに敗れる戦いを目にした、これがオランダと通商を行うことを幕府が決めた一因とも言える(p189)

    ・江戸時代において、将軍や大名は大土地所有者ではない、領内から徴税して行政にあたる立場、土地の所有者は、町民や農民で、その土地を自由に売買できた、土地を持たない小作人は収穫の2分の1を取得する権利があり、小作人をやめることもできた(p205)

    ・農民は副業可能でそこからは徴税されなかったので、農民が収める年貢率は全収入の1割から3割程度、その年貢は公共施設の基盤整備に使われた(p206)

    ・明治維新にいたるまでに、幕府は45隻の洋式艦船を保有し、その4分の1程度は国産であった(p214)

    ・日本の道徳的な意味での民主主義は、飛鳥時代の「17条憲法」に遡る、法律的・制度的には戦後だが(p230)

    ・日露戦争に勝利して締結されたポーツマス条約により、遼東半島の租借権、南満州の鉄道権益、南樺太の領有を認めさせた(p239)

    ・マレー沖海戦後に、シンガポールにおいて英軍は正式に日本に降伏した、英国海軍が初めてアジアで敗れた、これはアジアからアメリカ以外の西洋諸国を駆逐する大事件(p250)

    ・世界には、前世紀の高い文化を示すもの、神殿や劇場、闘技場、水道などおおくあるが、全て遺跡(廃墟)である、その文化は途絶えてしまっていて、今は生きていないが、日本は異なる。仁徳天皇陵は今も拝めるし、1300年前の伊勢神宮は20年毎に今も遷宮される(p266)

    2012年10月28日作成

  • この本は、明治以降だけの本にしても良かったかもしれない。

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    「宮崎正弘の国際ニュース・早読み」 
       平成24(2012)年9月1日(土曜日)弐
            通巻第3741号 
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    (書評特集号)

    日本史の疑問は、すべてこの一冊で氷解する、やさしい入門扁
      目から鱗が落ちる連続、日本の良さが何重にも感得できて自信が湧く本

      ♪
    田中英道『日本の歴史 本当は何が凄いのか』(育鵬社)
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     仁徳天皇陵はピラミッドや秦の始皇帝陵よりも大きい。
     桁違いに大きな御陵は、世界一の国力をしめして余りある。そうだ、あの時代の日本は世界一の文明国家でもあった証明なのである。
    東大寺の大仏開眼は、当時の万博だった。遣隋使・遣唐使より遣日使のほうが多かった上、かれらの大半は日本にそのまま居着いた等々、田中史学で目から幾つもの鱗を落としてきたが、本書はその集大成的入門教科書風な作り方がされている。
     日本はなにしろ凄いのである。
     その素晴らしさを戦後の日本人はGHQの史観に染められ、自ら蓋をしてきたのだ。
     人類史初の恋愛小説『源氏物語』、独自の美術を誇る日本を、本物の知識人は早くから評価した。欧米人がジャポニズムを発見し、写楽に驚嘆し、わびさび、もののあはれ等に感動した。
     トインビーもストロースもハンチントンも、日本は独自の文明と評価した。日本の歴史学界もマスコミも、その解釈を遠のけ、日本は「シナ文明の亜流」と自己規定してきた。
     田中氏は言う。
     モンゴルは当時の世界史を換えた。中央アジアから欧州にかけて、モンゴル軍は「連戦戦勝で、その力を恐れられていたのに、それを東方の日本が打ち破ったことは、たとえ暴風雨が味方をしたとはいえ、(中略)日本がこの機会に世界史の中に堂々と登場した」のであり、「その戦力はすでに世界有数のものであったことが実証された」という見方を展開される。
    NHKの大河ドラマ『北条時宗』では、世界秩序に刃向かう執権を井の中の蛙のように見る副主人公の台詞が挿入されていた。旅先で偶然みていた評者(宮崎)は唖然とした。
     そのノリで秀吉の朝鮮半島進出が「侵略」と解釈されるようになった。この解釈もおそらくは戦後のGHQと日教組と朝日新聞の仕業ではないか?
     真相をいえば、秀吉の朝鮮進出はイスパニアの野望をくじく「予防的先制攻撃」(プリエンプティブ)だったが、戦後の歴史家は「シンリャク」一点張りの魔何不思議な解釈をひろげて、その無知をいまも晒している。
     田中英道・東北大名誉教授は、次のようにまとめる。
     「秀吉が海外進出を試みたことを、無謀な侵略行動であったという説があります。しかしそれは、この時代の日本を西洋からの侵略の危機から回避させるものであったという見方も出来るのです。すでにフィリピンは1521年にマゼランの来航以来、スペインの支配下に入り、フェリペ二世の名を取った植民地国として占領されているという情報は、日本にも入っていました。秀吉は、このフィリピンや台湾に対して服属を求める手紙を出していたのです。日本が立ち上がらなければ、東洋の隣国はすべて(キリスト武装軍団に)占領されてしまうと考えたからです」
        △△△

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著者プロフィール

昭和17(1942)年東京生まれ。東京大学文学部仏文科、美術史学科卒。ストラスブール大学に留学しドクトラ(博士号)取得。文学博士。東北大学名誉教授。フランス、イタリア美術史研究の第一人者として活躍する一方、日本美術の世界的価値に着目し、精力的な研究を展開している。また日本独自の文化・歴史の重要性を提唱し、日本国史学会の代表を務める

「2024年 『日本国史学第20号』 で使われていた紹介文から引用しています。」

田中英道の作品

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