- Amazon.co.jp ・本 (232ページ)
- / ISBN・EAN: 9784087466065
作品紹介・あらすじ
エスカレートする遊びの中で、少年と少女が禁じられた快楽に目覚めていく「少年」、女に馬鹿にされ、はずかしめられることに愉悦を感じる男を描く「幇間」、関東大震災時の横浜を舞台に、三人の男が一人のロシア人女に群がり、弄ばれ堕ちていく「一と房の髪」など、時代を超えてなお色鮮やかな、谷崎文学の真髄であるマゾヒズム小説の名作6篇。この世界を知ってしまったら、元の自分には戻れない。
感想・レビュー・書評
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非常に抽象的なのだが、あぁ……谷崎潤一郎さま……と言う感じ。
谷崎潤一郎自身が、美しくて悪い女にめちゃくちゃにされたいんだろうなと、ひしひしと感じた。
ねっとりとした、様々なマゾヒズムの世界…ただ単に願望を垂れ流すとか、そういう感じではなく、それを文学へと昇華させているのだから、やっぱり文豪って凄いなぁと感じた。
1発目から、かなりマニアックで背徳的なのだが…私のお気に入りは魔術師と一と房の髪。これよかった。
他にも谷崎潤一郎フェティシズム小説集とやらがあるが…そちらもとてもマニアックでよかった。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
マゾヒストに執って―或いはサディストに於いても―、相手は道具でしか無く、自分の内で描いたシナリオに愉悦、美を求めている。それが叶わないのなら、その相手は不要となる。
"マゾヒストは精神的の要素を含まない"と云う谷崎の価値観には、大いに賛同せざるを得ない。それを履き違える者が、此の世に多過ぎる事も。
マゾヒズムもサディズムも、表裏一体であり、何れも各々の価値観を識らなければ、其処に官能的美学は産まれない。それがSMと称されるものの本質であると、以前から私も感じていた。
此の一冊は短編集で構成されているが、中でも「魔術師」と「少年」は私の中では途轍も無く官能美を備えている様に思う。「一と房の髪」は、「痴人の愛」の簡易ver.の様で、それならば「痴人の愛」を読み耽る方が幾らか愉しめる様に思う。
虐待等の過去から生じるマゾヒズム(或いはサディズム)の性質は、無感動にその行為に悦びを感じ、そして僅かな切欠と共に反転する事もある。
それがSとMが或る種同義である事を物語っている。
谷崎の作品は、登場人物の中で格別に美しいものより、それを"利用"した者の動きが綿密に描かれている。其処が、他作品よりも秀逸な点だろう。
一見、利用されているかの様に思わせる男女関係だが、マゾヒスト達はその"美"を「(谷崎の言葉通り)利己主義」な主人公の脚本の為に利用しているに過ぎない。
それを如何に捉え、エロティシズムを感じ取る事が出来るかが、読者の感性に懸かっている。 -
サービスのS、身勝手のM。なるほどね。今まで深く考えたことはなかったけど、そういうことか。
幇間はわかってしまった… -
この気持ちを理解する事がある意味子供と大人の境界線の一つなのかもしれない。
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初めて谷崎を読んだ。タイトル通りのマゾヒズム短編集。『少年』が一番気に入った。彼等の性的倒錯を恰も自分が享受しているかの如く官能的に愉しめた。一見すると醜い行為も谷崎の文章も相まって美しく思われる。彼の他の作品も読みたい。
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2作目までは読んだのだけど、文体や表現を味わう以前にマゾヒズムという嗜好?思想?に共感を持てず、、、断念。フェティシズム小説集なら読めるかな。
一旦距離を置いて、また手を付ける日が来るでしょうか。 -
比較的初期の短篇を6篇集めたもの。他の文庫なら、タイトルは普通に「少年・幇間」などとするところを、あえて『谷崎潤一郎マゾヒズム小説集』と銘打った。これで新たな読者を開拓しようとの目論見だろうが、『フェティシズム小説集』とともにまずは成功か。ただし、これだと例えば篇中の「少年」等をマゾヒズムの枠組みに固定してしまうことで、他の要素から遠ざけてしまうという欠点も併せ持つ。「少年」、「幇間」、「魔術師」などは耽美、幻惑、哀しみに満ちており、谷崎の筆法は冴えに冴えている。それぞれの短篇は長編に優に匹敵する密度だ。
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買うのためらうタイトルに偽りなし