百年の孤独: Obras de Garci´a Ma´rquez1967 (Obra de Garc´ia M´arquez)
- 新潮社 (2006年12月20日発売)
- Amazon.co.jp ・本 (492ページ)
- / ISBN・EAN: 9784105090111
感想・レビュー・書評
-
詳細をみるコメント0件をすべて表示
-
正直に書こう。
全く理解できなかった。
なんのことやらさっぱりわからなかった。
人物名からして私にはなじみのない名前である。
文化や思想も全く違うのだろう。
それらのありとあらゆる要素が絡み合った結果、私はこの小説を全く理解できなかった。
しかし、グッとくる一文などは至る所に見受けられた。
この小説を何度も読み直し、グッとくるものや、ハッとさせられる表現をかき集めていけば、この小説が形を成して私の中に浮かび上がるのかもしれない。
そして、マコンドの世界観がありありとした実感をもって私の中に根を下ろすこともあるのかもしれないのだ。
現時点では私がこの小説についてどうこう言うことはできない。
全く理解できなかったのだから。
負け惜しみのようになってしまうが、1,2回読んだ程度で理解できる小説だとは最初から思っていない。
ただ、文学的評価などから考えてこの本は何度も読み直すに値する本なのだろう。
私自身、10回読み返すに値する本だけを読むようにしている。
この本を読むことは、最初は理解できない本でも繰り返し読めばわかるようになるのかどうかを確かめるいい機会であると考えている。
私にとってマコンドとは、知的実験場である。
私がマドンコを喰らい尽くしてやるのだ。 -
一年くらいかけてようやく読了。
登場人物の把握は途中から諦めて、文章を味わうことに専念しました。
-
3週間ほどかけて読んだ。どのエピソード、文章も無駄がなく、一文でも忘れると後々どんどん置いていかれる。よって理解できていないところがある。
あまりにも情報過多でスケールが大きく、感想をうまくまとめることができない。
「神話」に近い文章だった。妖しい香りを撒き散らし男を死に追いやるレメディオスの昇天、4年以上続く雨などの描写が好きだ。
男性たちは戦争に行き、女にだらしがなく、欲にまみれている。個性はあれど流れている血は同じである。
それに比べ女性がみな魅力的で、外から入ってきた者も含めてそれぞれ個性が輝いていて、強く美しい。
「孤独」というタイトルは何を意味しているのだろうか。生きている間は孤独な人生を送る者と、そうではない者がいる。しかし、死ぬときはみな孤独に返る。一人で生まれ、一人で死んでいく。
そして村は初めから孤立状態であり、よそ者が来て賑わっても最後にはまた誰もいなくなり、消えていく。そう考えるとこの賑やかな物語の中にも寂しさ、物悲しさを感じるのだ。
しかしこの物語をただの暗い悲しい物語とはとらえない。読み終わった後はなぜかあたたかな気持ちになる。これは何代にもわたるブエンディア家の人々の人生への讃歌だと思うからである。どの人物も愛おしい。そして、それは自分にも跳ね返ってくる。自分の人生はきっと美しい。どんなことがあっても。なぜかそう思えるのだ。 -
圧巻だった。
うまく感想が出てこない。物語る楽しみとか、物語に引き込まれる快感とか、そういうのが圧倒的というかなんというか。
これが1950年代の文学シーンを牽引した、と言われて、確かにそうだろうな、と納得せざるを得ない。それくらい、すごい。
いい本読んだ。これをもっと前に読んでいたら、と思うけれど、一方で、ある程度の読書歴があったからここまで吹っ飛ばされたのかもしれないので、それはそれで幸せな出会いだったと言える。
「小説って、こうだよね」という教科書的な読みばかりしていた自分にサヨナラ。
そんな本だった。
中身について。
一族の歴史、なんだけど、読後感が『古事記』のそれに近い。世俗の話には違いないんだけれど、系譜的には神話に入れてもいいような。
近代の目で前近代を描いたのが芥川。この小説はその逆。前近代の目を捨てずに、近代を描いている。だから、『遠野物語』にも近い肌合いを感じる。女との交わりが家畜の増殖につながる、なんていうあたりは、類感呪術のたぐい。
登場人物が前振りなしにボッと出てきて、いつの間にやらストーリーを牽引してたり、かとおもうと「えっ?このタイミングで?」って時に死んじゃうし。死んだかと思えば生きてる人と会話が成立してるし。
でも、破天荒なだけじゃなく強烈なメッセージ性ももってる。
愛じゃ人間は救われないんだ。
もちろん、孤独も救っちゃくれないよ。
じゃあ何のために生きるのかって?
何のためだかわからない。
けど、この世なんてしょせん蜃気楼だしね。
じゃ。
っていうメッセージなのかしら?
とにかく心にドカンと入ってくる。
なんだろう、この圧倒的なパワー?ジャングル的とでも言うのかな。
上手くまとまらないけど、そもそも、まとめられないように物語られている作品だから仕方ない、ということにする。
とりあえず、今日、2人の本好きさんに貸してみたので、後で感想を聞いてみたいと思う。
存分に吹っ飛ばされてくれてるといいな。 -
再読。
あらすじに収束できないような取りとめのない複雑な物語をガルシアマルケスは書きたかったのではないだろうか。そして、もしその全体を俯瞰することができたとしたら物語は少なからず色を失ってしまう、というようなことを。
百年の孤独はどこまでも開かれていて、拡散し続けるような取りとめのない物語になっているが、作中に登場する羊皮紙にはその物語を一望できる俯瞰図のようなものが書かれている(らしい)。
決して読み解き様のないそれを読み解いた瞬間、まるで物語から奥行きが失われるかのように文字通りマコンドは塵と化してしまった。そんな皮肉っぽいユーモアのあるオチとしても読めるのではないかと思った。
勿論こういった理屈で百年の孤独という物語を解った気になってしまうのは少し勿体ないし、仮にどのような理屈が付いたところでバラバラになってしまわないだけの強度のある物語であるということは保証されているように思う。 -
2014.7記。
ノーベル賞作家のガルシア・マルケスが亡くなった。私自身は、筒井康隆氏が書評で繰り返し絶賛していたのが入門のきっかけだった。
初めて読んだのがいきなり代表作の「百年の孤独」で、その冒頭の一文。これほどに大いなる予感を秘めた文章には滅多に出会うことはできないのではなかろうか?
「長い歳月が流れて銃殺隊の前に立つはめになったとき、恐らくアウレリャノ・ブエンディア大佐は、父親のお供をして初めて氷というものを見た、あの遠い日の午後を思い出したにちがいない。」(新訳版、新潮社)
架空の街、マコンドには広大なラテン・アメリカ大陸を旅する行商人が訪れ、割れた瓶やらなんやらのがらくたを売ったり、誰も見たことのなかった「磁石」を持ち込んで仰天させたり、売り物の空飛ぶじゅうたんで飛び回ったりする。ブエンディア家の庭には祖父の亡霊がうろついている。物語の中で、亡霊や飛行術は「ファンタジーの道具」ではなく、当然の現実の一部として描かれている。
ラテン・アメリカ文学、とくにマルケスの代名詞のように使われる「マジック・リアリズム」。科学で迷信を打倒してきたと思っている欧米人には鮮烈だったのかもしれないが、我々日本人にとっては、源氏物語とか雨月物語とかでなじみのある世界観ですよね・・・-
淳水堂さん、
川端康成が守備範囲外なんですよねこれが、、、(深い理由なし、巡り合わせ)。
頂いたコメントを読んで、手に取ろうという気になりま...淳水堂さん、
川端康成が守備範囲外なんですよねこれが、、、(深い理由なし、巡り合わせ)。
頂いたコメントを読んで、手に取ろうという気になりました、ありがとうございます!2022/07/14 -
naosunayaさん
川端康成は「片腕」という短編がまさしく妖しい幻想文学だと思いました。これは素晴らしい。
「眠れる美女」は...naosunayaさん
川端康成は「片腕」という短編がまさしく妖しい幻想文学だと思いました。これは素晴らしい。
「眠れる美女」は中編です。
ガルシア=マルケスの「眠れる美女の飛行」は、短編集「十二の遍歴の物語」に入っています。
でも「我が悲しき娼婦…」もこれも、川端康成の「眠れる美女」の背徳感とは別物で、妙に健全でした 笑2022/07/14 -
川端康成も、「幻想」という言葉で表現されるような類の小説なんですね、そこからかい!という感じですが。
個人的には、「神話的」と表現される何も...川端康成も、「幻想」という言葉で表現されるような類の小説なんですね、そこからかい!という感じですが。
個人的には、「神話的」と表現される何ものかに惹かれて本を選ぶことが多いです。ともあれ淳水堂さんリコメンドから川端入門します、ありがとうございます!2022/07/14
-
-
ガルシア=マルケスがその想像力と語る力を大盤振る舞いする滑稽で哀しい物語。細部がとにかく鮮やかで突拍子もなくて圧倒される。何度も休憩を入れて読んだ。
登場人物みんなが何かに夢中になって苦しい思いをして、でもたいていは努力の甲斐も穏やかな安らぎも訪れない。あたりを見回すとか人に相談するとかする機能が付いていない。愛と孤独と情熱がこんな風に共存できるものなのか。
ブエンディア一族はみんなが違う方向を向いていてそれぞれに孤独だったけれど、だからといって彼らの百年が空しいとも思われない。目指すものがあってそれに懸命になれたのだったら、それだけでもう十分だという気がした。外野ののんきな感想かもしれないけれど。