- Amazon.co.jp ・本 (265ページ)
- / ISBN・EAN: 9784480067357
感想・レビュー・書評
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最初の章は、子ども二人が餓死するまでのお母さんの動きを追いかけたもので。もう、なんとも言えない怒りが込み上げるものでした。
が。
次章からのそのお母さんの生い立ちを追って行くにつれ、、、、
このお母さんの悲鳴が本から聞こえてくるんじゃないか、、、と、思うほどに、追い詰められていく声が聞こえてきました。
誰かホント、気がついてあげて!
助けてあげて!
手を差し伸べてあげて!!!
っていう。
子ども二人を餓死させたことはホントに痛ましく、、、自分の子どもを思うと信じられないと思うけれど、、、このお母さんの気持ちを考えると、、、このお母さんもとても救われなかったと、、、、もしかしたら、死んでたのはこのお母さん自身だったのかもしれない。とも思えた。
世にまだまだいるお母さん達の悲鳴。
少しでも多くのお母さんを救って、子どもたちが救われますように。。。詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
女性が、いったん母となったが最後、社会からはたくさんの規範が押し付けられる。その規範は、本人の心の中にも内面化されていて、逃れることが困難だ。この本に出てくる人には、生い立ちの影響で社会を全く信じられない状況もあって、最悪の結末となった。
けれど、読了して思うのは、ここまではいかない母と子の「ヒヤリ・ハッと」はたくさんあり得て、誰でも当事者や家族や友人、同僚などとして関わる可能性があるということだ。
「ヒヤリ・ハッと」で済まなくなってしまうと、途端に、母が女性労働者であることから、貧困の問題が立ち現れ、その貧困が社会的繋がりの希薄さとマッチポンプ状態で加速する。
これは、個人の資質や努力を超えた社会の問題で、少しずつ手を変え品を変えながら誰にも降りかかることなのだろう。運の悪さの組み合わせ、いかんによって。-
「運の悪さの組み合わせ、いかんによって。」
それを、どうやったら減らすコトが出来るか?
子どもが、悲しい目に遭うのを無しにしたい。。。子...「運の悪さの組み合わせ、いかんによって。」
それを、どうやったら減らすコトが出来るか?
子どもが、悲しい目に遭うのを無しにしたい。。。子どもを産み、守り、育てる二人が時間的・金銭的余裕を持てるような社会にしなきゃ、、、←自分一人ですら四苦八苦していますが。2014/04/03 -
そもそもの、社会のトラップの総数を減らすしかないんだなぁと思っています。女性が男性と同じに稼げるだけでぜんぜん違ってくるのだろうな。そもそもの、社会のトラップの総数を減らすしかないんだなぁと思っています。女性が男性と同じに稼げるだけでぜんぜん違ってくるのだろうな。2023/04/12
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世間を大きく騒がせた大阪で起きた幼児の置き去り事件。
起きてしまった結果は悲惨極まりなく、当事者である母親がその罪を償わなければならないことは自明の理だ。だが、母親を責めるだけではこの事件の本質は決して解決しない。
母子家庭、貧困、虐待、児童相談所、行政の関わり、人と人との関わり、親子関係、生育環境、あらゆる事が少しずつ噛み合わない方へ噛み合わない方へと転がっていってしまった。もしかしたらどこかで救えていたのではないかと、今から見ればそう思えるが、その時はそこになかなか辿りつけなかった事が、この事件をここまで悲惨なものにしてしまった。
懲役30年が確定したというが、果たしてそれは妥当な量刑なのか。
彼女だけの責任なのだろうか。
判決には、虐待の負の病理の検証が不足しているように思えてならない。
行政であれ、家族や友人であれ、適切な援助で救える命がある。でも、家族や親子というごくごく個人的な関係下での事案なだけに、援助が難しくなる側面が確かにある。
困難を抱えた人をどうやったら救い出せるか、助けを求める余裕すらない、細い細い隙間へ落ち込んでしまった親子をどうしたら見つけ出せるか。
今この瞬間にも、ギリギリのところで持ち堪えている親子がいるかもしれない。
どうやったら彼らを救えるのか。
できうる限りの手立てを尽くし、なんとか助け出してほしい。
もう二度、こんな辛い事件は起きてほしくない。
「助けを必要とする人たちが孤立し、自分に向き合えず、助けを求められなくなることがネグレクトの本質だ」-
こんにちは。
おっしゃる通りだと思います。
この事件にしても先日のベビーシッターの事件にしても母親ばかりが責められることに違和感を感...こんにちは。
おっしゃる通りだと思います。
この事件にしても先日のベビーシッターの事件にしても母親ばかりが責められることに違和感を感じます。
父親の養育権放棄に関してはメディアもスルーですよね・・・。
誰もが速やかに行政へ頼る知識と能力を持っているわけではない。いかに周囲がサポートして行くかがこれからの課題ですよね。
2014/04/03 -
vilureefさん、コメントありがとうございます。
この問題は、結びつく結果が悲惨なものになりがちなのに、制度や慣習、思惑など、絡む問題...vilureefさん、コメントありがとうございます。
この問題は、結びつく結果が悲惨なものになりがちなのに、制度や慣習、思惑など、絡む問題が複雑すぎて一朝一夕には解決できそうにないところが厄介ですね…。
辛いニュースを聞かなくなる日は来るのでしょうか。2014/04/03
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なぜこのような事件が起きたのか
疑問でした。
そして背景を知ることで、答えが見つかるのではと思いました。
こどもは社会が守るべきだと強く思いました。
sosに敏感になること
心配しすぎることは余計なお世話ではないと言うことです。
余計なお世話をする人がいたら
救えた命だったかもしれない。
余計なお世話を焼く人でありたい。 -
山田詠美さんの「つみびと」を読んで、実際どういうことだったのかとこの本を手に取りました。
置き去りにしたことは信じられないこと。
でも子供たちの父親の無責任さ、義父母の冷たさ、被告人の実父の勘違いな教育?に驚きました。実の子であり可愛い孫なら被告人のことは抜きで保護するんじゃないかと思いました。
空回りな家族。
想像力に欠け、慈しみのない人たちとしか思えなかった。
そういう大人たちの犠牲になったということなんだろうな。 -
読みやすく分かりやすい。
ノンフィクション
おしゃれとは、自分をよく見せようとするのではなくて、自分の隠したいことに被せるためのもの。
書き手の口調が良い。
読んで、我が子を死なせてしまった母親はもちろん刑に服すべきだが、背景に奥の奥の物語があり、悲劇が重なって起きたのだと思った。
でも子どもは二度と戻ってこない。本当に苦しく悲しい事件。
教育に携わる職の資格なもつ私は、こうした親御さんもいることは知っておいた方が良いと思った。自分にできることはないか、この様なことにならぬよう親を助けられる社会の仕組みを作ることができないだろうか、虐待をする心理を撲滅させることが命を救うのではないだろうか、など浅はかな素人の私は実直に思いました -
やりきれない。
彼女の弱さは自分にもある弱さだと身につまされる。
親をあてにはできないと子どもの頃に刷り込まれると、周囲に助けを求める方法がわからなくなる。
亡くなった幼い子ども達が可哀想なのは勿論だが、彼女自身もネグレクトの被害者なのに、彼女の父親にその意識は薄く感じた。
虐待の連鎖の発端は、親自身自覚せずに始まる。
だが、一度堕ちてしまうとそこから抜け出すこと(抜けさせること)がいかに困難であることか。
彼女が自分自身の価値を見いだせるようになることを望む。 -
「虐待」と聞くと親を責めたくなるし、私も本作を読むまではそうでした。
しかし、本作を読むと親の周りの環境が、こういった残酷な事件に繋がることもあると考えさせられました。
もちろん「虐待」(今回の場合はネグレクト)はいけないものだと私は考えます。
ただ、親ばかりが悪いのでは無い。では他の悪はなんなのか?
こういったことを考えさせられるものになっています。 -
2010年に起きた、シングルマザーの育児放棄による餓死事件のルポ。
本のカバーそでに書かれた紹介文を引用する。
《二〇一〇年夏、三歳の女児と一歳九カ月の男児の死体が、大阪市内のマンションで発見された。子どもたちは猛暑の中、服を脱ぎ、重なるようにして死んでいた。母親は、風俗店のマットヘルス嬢。子どもを放置して男と遊び回り、その様子をSNSで紹介していた…。なぜ幼い二人は命を落とさなければならなかったのか。それは母親一人の罪なのか。事件の経緯を追いかけ、母親の人生をたどることから、幼児虐待のメカニズムを分析する。現代の奈落に落ちた母子の悲劇をとおして、女性の貧困を問う渾身のルポルタージュ。》
いまも記憶に新しいこの凄惨な事件で、マスメディアはこぞって母親を非難した。
一度マンションに戻って2児の死を確認したあと、その日の夜にも男友達と会ってセックスをした、などということまで公判で明らかになり、世間の非難をさらに増幅させた。
私も当時の報道を見て憤りを覚えた1人だが、裁判で母親が一貫して殺意を否認し、「いいママになりたかった」「いまも子どもたちを愛している」と証言していることを知り、怒りよりも当惑の念を覚えた。「愛情のかけらもない鬼母」というイメージと、その証言はあまりにかけ離れていたからだ。
女性ルポライターの手になる本書は、轟々たる非難を浴びた母親の側に立ち、彼女の心に分け入ることで、事件の謎を解きほぐしていくものだ。
『ルポ 虐待』というタイトルは、むろん事件の犯人である母親の子どもへの虐待を指すが、それだけではない。彼女が幼・少女期に受けた虐待も意味するダブルミーニングなのだ。
彼女(本書の中では「芽衣さん」という仮名になっている)は、幼いころに実母からネグレクトされ、父親と再婚した継母にもネグレクトされる。さらには少女時代に、つるんでいた暴走族仲間から輪姦される被害にも遭っている。
父親は著名なラグビー指導者だが、シングルファザーとなってからも仕事に夢中で、「芽衣さん」をかえりみない。父からも、半ばネグレクトに近い扱いを受けていたのだ。
「芽衣さん」は人格崩壊寸前の過酷な日々を生きてきた「サバイバー」であり、そのせいで解離性障害に陥っていたと、弁護側の依頼で心理鑑定をした精神科医は言う。ただし、その鑑定は裁判でしりぞけられ、殺意を認定したもう一人の医師の鑑定が採用される(そのため、懲役30年の判決が下った)。
著者は、解離性障害と鑑定した医師の意見に与して、本書を書いている。
「芽衣さん」が犯した罪と、にもかかわらず一貫して殺意を否定している謎は、彼女が解離性障害であると考えれば、すんなりと解ける。
著者は公判の傍聴を重ね、当事者や周辺の人々にも丹念に取材をしている(「芽衣さん」当人には一度だけ面会取材をするが、その後は彼女から面会を拒否される)。
そして、ルポの中で「鬼母」のイメージを突き崩し、虐待がもたらした精神病理や周囲の人々の冷たさ、そしてシングルマザーとなってからの貧困に追いつめられていった悲しき母の姿を、鮮やかに浮かび上がらせる。
物書きの大切な役割の一つは、世間一般の見方に対するオルタナティブを提示することだ。もっぱら「鬼母」として語られる「芽衣さん」のもう一つの顔を明らかにしていく本書は、その役割を見事に果たすものである。
もっとも、著者はあまりにも母親に感情移入しすぎではないかという気もする。ノンフィクションの枠を踏み越え、彼女の心の奥まで勝手に斟酌している部分も散見するし……。
そうした瑕疵はあるものの、力作ルポであることは間違いない。悲しい事件だから読み進めるのもしんどい本だが、それでも最後まで読まずにはいられない吸引力をもっている。