増補版 誤植読本 (ちくま文庫)

著者 :
  • 筑摩書房
3.55
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感想 : 35
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  • / ISBN・EAN: 9784480430670

感想・レビュー・書評

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  • 今の世界の状況から目を背けたくなり真逆の小さな世界を題材にした本書を読む。面白おかしい話を期待したら意外に真面目で深い話が多かった。著者顔ぶれも私にはちょっと渋すぎかな。校正=単純な仕事との印象が変わり本の歴史まで考えさせられた。

    • ☆ベルガモット☆さん
      111108さん
      こんばんは。
      今の世界の状況、本当に痛ましいですね。
      本を読んでいるひととき、今ここを無事に過ごす時間をつないでいま...
      111108さん
      こんばんは。
      今の世界の状況、本当に痛ましいですね。
      本を読んでいるひととき、今ここを無事に過ごす時間をつないでいます。
      校正の仕事の印象が変わり本の歴史も知れるのは興味深いです。
      2022/03/06
    • 111108さん
      ベルガモットさん こんばんは。

      戦地の状況の痛ましさと何もできない虚しさとでニュースを見るのが辛い毎日ですね。

      ベルガモットさんの言葉「...
      ベルガモットさん こんばんは。

      戦地の状況の痛ましさと何もできない虚しさとでニュースを見るのが辛い毎日ですね。

      ベルガモットさんの言葉「本を読んでるひととき、今ここを無事に過ごす時間をつなぐ」を大切に心に留めて過ごそうと思います。

      これまで私は単純に作者の書いたものをそのまま読んでると考えていましたが、校正者や、昔なら活字を拾う職人などいろんな人達が体裁を整えてから読者に届けていたんだと改めて認識しました。校正者の個性が作品に強く反映される事もあったようで興味深かったです。
      2022/03/06
    • ☆ベルガモット☆さん
      111108さん

      お返事ありがとうございます。
      私の中の先の見えない世界の状況に対する不安を読書で何とか保っていたので、勢い余ってコ...
      111108さん

      お返事ありがとうございます。
      私の中の先の見えない世界の状況に対する不安を読書で何とか保っていたので、勢い余ってコメントしてしまいました。
      言葉足らずなところを補ってくれるようなお返事でほっとしています。

      本が出来上がるまでにいろんな人たちが体裁を整えて読者に届くという過程を知ることができるなんて、一層本を大事にしようと思いました。
      私がたどり着かない本のご紹介ありがたいです。
      2022/03/06
  • 誤植で一冊の本が出来るなんて、皆さんどれほど苦労されているのやら。
    様々なエッセイは全42篇。
    外山滋比古、中村真一郎、林真理子、宮尾登美子、泉麻人、河野多恵子、澁澤龍彦、大岡信、長田弘、林哲夫、森鴎外、内田百閒、串田孫一、井伏鱒二・・
    それはもう錚々たるメンバー。
    前半は誤植にまつわる笑い話が主流。後半は校正に関するものが多い。

    トップに登場する外山さんのエッセイは「校正畏るべし」。
    論語にある「後世畏るべし」が元になっている。
    「若いからと言って馬鹿にしてはいけない。どんな素晴らしい者がいるかもしれない」という意味の諺をもじったもの。
    どんなに丁寧に見たつもりでも誤植が残る。そんなところから言われ出したらしい。
    本書の中では何度かこのフレーズが繰り返される。
    それほど、誤植のない本など皆無と言っても良いらしい。

    しかし、誤植が生み出す可笑しさというのがあり何度も笑うことになった。
    「失敗は成功の基」が「失敗は成功の墓」。「ある事情」が「ある情事」。
    「蒲田」が「蒲団」になったり「尼僧」が「屁僧」になったり
    「王子」が「玉子」になったりするのはまだほのぼの系。
    明治32年5月、当時の読売新聞がロシア皇帝について書いた社説に「無能無知と称せられる露皇帝」と記載されていたらしい。
    筆者が「全能全知」と書いたのに、「全」の崩し字を「無」と読み間違い、そのまま印刷・配達されたという。あやうく国際問題になるところを、訂正号外で乗り切ったらしいが。
    誤植の金字塔ではないかと思うのが「アテネのインチキ」。
    これはインキ会社アテネが受けた被害(?)。

    歴史的に有名なものでは聖書の「モーゼの十戒」部分。
    汝姦淫するなかれの「not」を落としてしまい、汝姦淫すべしとなっていたという話だ。
    もちろんすべて焼却するよう命じられたらしいが発見されただけでも6冊あり、現在は大英博物館に所蔵されているという。

    誤植によって違う味わいが増す例もある。
    つげ義春さんのシュールな漫画「ねじ式」の誤植はなかなかの衝撃。
    最初は「まさか こんな所に メメクラゲが いるとは 思わなかった」で始まる。
    この「メメクラゲ」が本当は「××クラゲ」だったらしい。
    不特定を意味する記号としての「××」を、「メメ」と拾ったのだ。
    これが冒頭の暗澹たる風景とマッチして「メメクラゲ」で定着したらしい。
    まさに校正恐るべし。darkavengersさん、ご存じでした?私は初めて知りましたよ。

    時代を超える名著であっても、もとは悪筆の作家さんだったという例もあるだろう。
    書き間違いもあれば文字の誤用もあるだろうし、あるいは内容そのものが間違っていたり。
    後書きに編集さんへの謝辞がよく載っているのは見えない部分へのねぎらいがあるのね。

    坪内稔典さんの、寺田寅彦の句の「粟」を「栗」と間違えた話。
    長田弘さんの、「苦い指」が「若い指」でも詩的な興味の方が勝って訂正しなかった話。
    どちらも、誤植を素直に認めて活かしてゆく姿勢が心地よい。
    発見したときは怒りや恥辱や後悔が渦巻くだろうが、必死にやってもすり抜ける文字というのはあるものだ。
    誤植発見率はどうしたら上げられるのだろうね。
    クスクス笑いながらも、校正の難しさを痛感させられた。
    味わい深い逸話もあり、皆さん文章が上手で読み物としてかなり面白い。
    ところで、巻末の執筆者紹介の中に一カ所脱字を発見してしまった!
    本書の立ち位置化からすると意図的な誤植かもしれない・笑 ここは沈黙しておこう。

    • 猫丸(nyancomaru)さん
      nejidonさん
      普通の人と言うか大抵の方々は、脳内補正で問題なく伝わる筈ですから、文字が違うくらいでガタガタ言うのは間違いだと思うのです...
      nejidonさん
      普通の人と言うか大抵の方々は、脳内補正で問題なく伝わる筈ですから、文字が違うくらいでガタガタ言うのは間違いだと思うのですヨ、、、
      2020/09/20
    • nejidonさん
      goya626さん。
      笑えるのは部外者だからでしょうね。
      この本は編集に携わる人や校正者には多大な勇気を与えていると思いますよ。
      ひと...
      goya626さん。
      笑えるのは部外者だからでしょうね。
      この本は編集に携わる人や校正者には多大な勇気を与えていると思いますよ。
      ひとは間違う生き物なのです。
      どれほど気を付けていてもね。
      2020/09/20
    • nejidonさん
      猫丸さん。
      まさに言われる通りです!!
      いちいち煩いこと言うなよって思います。
      鬼の首でもとったかのような騒ぎをするひと、いますからね...
      猫丸さん。
      まさに言われる通りです!!
      いちいち煩いこと言うなよって思います。
      鬼の首でもとったかのような騒ぎをするひと、いますからね。
      前後関係でほとんど分かる言葉ばかりですし。
      それでも批判するひとというのは、きっと全然理解力がないのでしょう。。
      2020/09/20
  • 誤植をめぐるあれこれ。
    みんな口をそろえて「誤植をなくすなんて無理!」と断言するようなのが可笑しかった。本当にそうなのかー、それはしんどいけど、みんながそう言うほどなのだと思うと、すこしばかり肩の力が抜ける。

  • 高村光太郎先生はなかなか原稿を渡さないが、組み上がったゲラには誤植以外には赤を入れなかった。どうしても変更修正したい場合はその旨の手紙をつけて渡したという…(DTPに携わる者にとっては、なんと素晴らしい先生だ!)など、活字の事など若干古い内容もあるけれど様々な年齢や立場の書き手が誤植に対して色々書いていて面白かった。同じ言葉でも漢字にしたり、時にはひらいたり不統一なのを指摘された事への苛立ち、校正ミスの開き直りなど、ある意味言い訳みたいな文章が多くて笑ってしまう。

  • 誤植についての悲喜こもごも、いや、「喜」はあんまりないか。かなり以前の文章も載っていて、興味深く読んだ。誤植のつらさも味わいも、一文字一文字活字を拾っていた頃のものが「本物」なのだなあと思うことしきり。

    うーん、そうか!と思ったのが、中井久夫氏が「源氏物語」についてふれたくだり。
    「もし、いわれるように、源氏物語が、紫式部が書くそばから、人が原稿を持ち去って、待ちかねたように写本がつくられ、それがそのまま流布していたとすれば、彼女こそ、校正なしの希有な作家にちがいない」 
    確かに。かりに印刷術があって校正刷をしていたら、あれほどわかりにくく長大なものにはならなかったかもしれないが、今の優雅さもないかもしれない、とあり、これまたそうであろうなあと思った。

  • 新品の本が手元に届く。装丁も美しい。パーフェクトな製品が届いた嬉しさに、ぱらりとページをめくる。ふむふむ、本文のレイアウトも綺麗だなあ…と思って読み進めると、本文になんだか「?」な部分を見つけてしまって、ほんのちょっとの間、手が止まる。「誤植だな、これは」と少しだけ残念な気持ちになりながらも、一般人の読み手の私はざくざく読み進んでいくのだが、これがこの本に直接かかわった人だったらどうなのか。そのあたりのあれこれを集めたエッセイ集。

    どのエッセイからも、誤植によって「やっちまった」という著者の思いや、校閲(推敲的なものを含めた、外部からの直し)と校正(刷り上がった文章と、自分の原稿が合っているかのチェック)に助けられた思い出、はたまた校閲者の持つ「直しぐせ」への苦言など、誤植をめぐるため息と薄笑いと軽い怨嗟が軽やかに立ちのぼる。だからといって、「誤植は絶対あってはならない!」という修正原理主義のような考えをお持ちのかたは誰もいなくて、「まあ、あれだけの字数をチェックするんだし、人間のすることだから、間違いはあるよねえ」という、あきらめにも似た寛容さが貫かれていることに、ある種のゆるやかさというか、大人の懐の深さを感じる。

    個人的に面白かったのは、市島春城の『校正難』。漢文の訓点の打ち間違いという誤植が、かなり前からあったということを初めて知った。仏教用語など、固有名詞の知識不足で、とんでもないところに返り点を打ってしまっていて、まったく読めないものがあるらしい。ちょっと前まで、Tシャツなどにかなり残念な英語っぽいフレーズがあふれていたのと同じようなものかもしれない。モーゼの十戒の「汝、姦淫するなかれ」の英訳版での誤植と、バルザックの校正のすさまじさは校正界では人口に膾炙したネタらしく、複数の人のエッセイに登場していた。

    それにしても、原稿入稿はデータで指定されることがほとんどで、出版のために活字を置くことがなくなった昨今では、厳密な意味での「誤植」は絶滅していて、「ワープロソフトの変換間違い」にあたる「誤植」がほとんどなのだろう。それでも、「誤植」という単語が残り、ごくごく普通に使われているところに、本を作り始めたころからの、誤植と人間の長い長いつき合いを感じることができるような気がする。

    本の世界に造詣の深い、ある読書友達のかたが気づいていらっしゃった、この本にふさわしいおまけも楽しんだ。うん、これはそうだよね。出版社さんは次の版で対応するのかな。

  • 珍しい、校正や誤植くくりのアンソロジー。

    まことに、校正恐るべし。
    完璧に校正したと思っても、本当に信じられないような誤植が起こるものである。それも古今東西に共通したことなのね、と思うと、可笑しいような安堵するような。

    しかし、「魚鈍」と書いてあっても「魯鈍」と解してくれる、「魯介」を「魚介」と読んでくれる…なんていうのは、古の教養ある読者だけであろう。今の読者はきっと躓く。

    永井龍男の庄野潤三についての文章が滅法よかった。

    • 猫丸(nyancomaru)さん
      「完璧に校正したと思っても」
      昔は、完壁とよく間違われてましたねぇ、パソコンの普及で、こう言う間違いは、殆どなくなったようですが(読めなく...
      「完璧に校正したと思っても」
      昔は、完壁とよく間違われてましたねぇ、パソコンの普及で、こう言う間違いは、殆どなくなったようですが(読めなくて、IMEパッドで手書き検索し、間違うコトくらいかな)。。。
      2014/06/20
  • 誤植が何故発生するのか、発生したらどうするのか、発生した人はどう感じるのかがいくつもの立場で語られる。
    もちろん、誤植は無いほうが書き手の意図を正しく伝え、残すために必要だけれども、個人的には誤植は好きだ。人の手を通っている感覚がする。いくつもの障害(校正)をのりこえ、存在する力強さがそこに存在する。息を潜め、隠れていたその誤植はある日、何人もの有識者によってその存在を日の元にさらされる通快感たるや想像を超える。もちろん、これによって迷惑や不利益を受ける人たちもいるのだけれど、誤植があると見つけた自分とその生き残った誤植に万歳をあげたいくらいだ。
    世紀の誤植はたくさんあるけれど、ジョジョの奇妙な冒険の「何をするだぁ~」は誤植の中の誤植であり、とうとう擦りなおされたけれど、作者も認める「あれはあれでよかったんじゃないの」の典型例だ。
    誤植を否定するなかれ、誤植を認め、人が万能ではないことを改めて確かめることは、つまり人間らしさの発露でもあると思うのだ。

    • だいさん
      私も誤植は面白いと思います。

      >人の手を通っている感覚がする。

      受け手にも予想外の感覚が宿る。とも思います。
      私も誤植は面白いと思います。

      >人の手を通っている感覚がする。

      受け手にも予想外の感覚が宿る。とも思います。
      2013/07/14
    • libraさん
      そうですね、作家が予期しない誤植で、予想外の解釈が生まれることもありますね。そんなこともこちらの本に記載されていますよ(笑)夏目漱石全集とか...
      そうですね、作家が予期しない誤植で、予想外の解釈が生まれることもありますね。そんなこともこちらの本に記載されていますよ(笑)夏目漱石全集とか馬鹿馬鹿しくて抱腹絶倒でしたw
      2013/07/16
  • 昔原稿は手書きだった。悪筆で発生する誤植。機械的に直し発生する表現の貧困。誤植棚から表現のぼた餅。誤植はいいとも悪いともいえない。ただ手書きからPCになっても、校閲者(読者含む)には今後もお世話になります。

  • みんな間違えるんだなって安心する。
    昔の印刷所には勤めたくない。。たった一字の直しで残りも変えるってエグい。

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著者プロフィール

高橋輝次(たかはし・てるつぐ)
編集者、文筆家。1946 年三重県伊勢市に生まれ、神戸で育つ。大阪外国語大 学英語科卒業後、一年間協和銀行勤務。1969年に創元社に入社するも、1992 年には病気のために退社し、フリーの編集者となる。古本についての編著を なす。主な著書に『古本往来』(みずのわ出版)、『古本が古本を呼ぶ』(青弓社)、 『ぼくの創元社覚え書』(亀鳴屋)など。近刊に『雑誌渉猟日録 関西ふるほん 探検』(皓星社)、アンソロジーに『増補版 誤植読本』(ちくま文庫)、『タイトル読本』(左右社)などがある。

「2020年 『古本愛好家の読書日録』 で使われていた紹介文から引用しています。」

高橋輝次の作品

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