- Amazon.co.jp ・本 (224ページ)
- / ISBN・EAN: 9784062880947
感想・レビュー・書評
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P42 アイヒマン実験 ユダヤ人を収容所に送る ミルグラムが実験した 内容間違えたら電気流す
P144 自由と承認の葛藤 フロイト詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
タイトル買いしてそのまま積んでありました。久々に手にとってパラパラと読んでみました。
「んー。よくかんがえまちたねぇ。むずかしいお本も読んでねぇ。ここまでまとめたんですねぇ。はーい、よくできましたー」とでも承認しておこうか。
内容うっすー。
一応、著者曰く本を書いた目的は、
「本書はこうした現代の承認不安について考察し、いかにすればこの苦悩から逃れられるのか、一定の処方箋を提示することを目的としている。だがその前に、まず人はなぜ認められたいのか、承認への欲望を本質的に考えることからはじめよう。その際、私は哲学者フッサールの創始した「現象学」という考え方から、この問題の本質に迫りたいと思う。」(p.37)
とのことらしいんです。らしいんですけれども、私が読んだ限りこの本における分析のどこが現象学なのかさっぱり分かりませんでした。加えて、どの辺が問題の本質に迫っているかも分かりませんでした。もっと言えば、「承認への欲望を本質的に考える」こと自体が、この本で取り上げるところの承認不安の解決に何の意味があったのかも、分かりません。
辛うじて、やたら色んな心理学者や思想家の「承認」関連のテクストを引用しては著者なりに繋いで書いているということだけ分かりました。
ただ、言っていることがビックリするほど月並だったので、「そういう引用が無かったら伝えられなかったことなのかい?」と首をひねりながらの読書体験だったことをここに申し上げておきます。
「たとえば、道端に倒れて苦しんでいる人を助けることは、誰に聞いてもほぼ例外なく、価値ある行為だと認めるはずだ。」(p.205)
「「空虚な承認ゲーム」に陥っていても、道徳的行為によって一般的承認を得る可能性は常に開かれている。少なくとも、「一般的他者の視点」からその存在を確信することができるのだ。」(p.207)
「たとえば身近な他者を超えて、「誰でもそう思うはずだ」「みんながそう感じるだろう」という確信を持つことは、大抵の人が経験しているだろう。それは(中略)すでに「一般的他者」が意識されている。それは私たちが心の発達過程において、自然と身につけてきたものだ。後は、この「みんな」という言葉で示された「一般的他者」に価値観の異なる人々を含めより自覚的に考えるようにすれば、きっと道は開けてくる。」(p.213)
えー、伝わりますでしょうか? この言葉共のどうしようもない月並感。
言い回しは小難しそうですが、要は
「いいことしたらほめられるよね。それってつまり承認なんだよ!」
「親とか友だちとかに大事にされてる感なくても、「みんなにとっていいこと」をしてればきっとさみしさもまぎれるよ!」
「みんなが当たり前に大事と思うことを自分もすればいいのさ。それが承認への近道だよ!」
ってことでしょう。あほか。そんな程度で「承認欲求が満たされてハッピー!」になっとるなら、そもそもここまで悩んだりせんわい!!!
って、この文章読んだらみんな誰だって当たり前のように思うんじゃないですかね。
フッサールだコジェーヴだアレントだと色々息巻いておきながら、最後の最後でこういうイノセントな素朴さ剥き出しの提案をかましてくるあたりも含めて、情報バラエティー番組に出てくる専門家面したコメンテーターのおっさんの域を出ていない。道端に倒れて苦しんでいる人が必ずしも自分の助けを求めているとは限らないし、助けようと思ってした行為が相手を更に酷く苦しめるかもしれないということの想像力がこの著者にあったら、まだ良かったのですが。
「一般的他者の視点」という言葉がキーワードなんでしょうけれど、そういう視点を持てなかったり希薄だったりすることが現代の「認められたいけど現状誰からも認められていると感じない」不安の原因だとは私はあまり思いません。むしろ、「誰もが認めるであろういいことをする」程度では全然満たされないのが承認欲求の厄介なところのはずです。
「誰もが自分を特別な存在だと認めてほしい」。承認欲求の正体であり行き着く先はここだと思うのです。その意味では、この本で言う「親和的承認」の方が承認不安を考える上では重大でしょうけれど、その点についての深い分析はこの本からは読み取れませんでした。
いや、もっとシンプルに考えましょう。承認欲求を満たす一番分かりやすい方法は、社会的に成功することです。哲学や心理学に頼る必要なんかない。承認不安も「どういうのが社会的成功なのか分からない(モデルがなく曖昧)」で大体説明がつくと思いませんか? 私は読み終わってから色々考えた挙句結局そういうことなんじゃねって気がしてますけど。 -
社会
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「いじめ自殺」という言葉が登場したのはは1979年だという(PDF:子どもの自殺の実態)。いつの時代もいじめはあったわけだが、その質が変わったと感じたのは鹿川君訴訟(中野富士見中学いじめ自殺事件、1986年)が報じられた時だった。近所の高校生に尋ねたところ、「自分の周囲ではそれほどでもないが、別の学校に通っている友達のクラスでは生卵をぶつけられたり、学校内のプールに落とされたり、ゴルフクラブで殴られている生徒がいる」という話であった。
http://sessendo.blogspot.jp/2017/08/blog-post_58.html -
現象学の観点を織り交ぜながらなのできちんと読み込もうとすると私には難しい。でも、現代特有の心の病の構造や、いいね!(承認)を過剰に欲しがる現代人の心理が端的にわかる。生きづらさを解消するためのヒントになるし、心を病んでしまった人が深く自分を見つめなおす手ほどきもしてくれる良書だと思う。
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承認欲求について,すごくわかりやすくまとめられている.
承認欲求には3種類ある.
・親和的承認:愛と信頼の関係にある他者からの承認
・集団的承認:集団的役割関係にある他者からの承認
・一般的承認:社会的関係にある他者一般からの承認
現代は,旧時代の社会共通の価値観が揺らぎ,多様な価値観が認められるようになった.
しかしそれ故,承認欲求を満たすことが困難になり,複雑化してしまった.そして多くの若者が,空虚な承認ゲームに陥ることとなってしまった.
自由になったがために,承認欲求が満たされなくなってしまった社会.どちらが幸せなのか.
しかし,一度手に入れた自由は手放せない.私達は,この自由な社会で,承認欲求を満たす手段を見つけるしかないのだ. -
承認欲求を
親和的承認と
集団的承認と
一般的承認の
3つに分けて論じてくださっているのが分かりやすい。 -
貸し出し状況等、詳細情報の確認は下記URLへ
http://libsrv02.iamas.ac.jp/jhkweb_JPN/service/open_search_ex.asp?ISBN=9784062880947 -
タイトルに惹かれて読んでしまった。
どうしても仕事の場面で「認められたい!」と思うことがあるので、その理由が分かれば、と。
色々気になるキーワードがでて来て、あぁ、だからそうなのか、と。
こういう風に理解したらいいのか、と少し気が楽になった。
集団の中で、自分の立ち位置を見失いかけている人には読んでもらいたい、お薦めの本。