- Amazon.co.jp ・本 (580ページ)
- / ISBN・EAN: 9784102060018
作品紹介・あらすじ
モスクワ駅へ母を迎えに行った青年士官ヴロンスキーは、母と同じ車室に乗り合わせていたアンナ・カレーニナの美貌に心を奪われる。アンナも又、俗物官僚の典型である夫カレーニンとの愛のない日々の倦怠から、ヴロンスキーの若々しい情熱に強く惹かれ、二人は激しい恋におちてゆく。文豪トルストイが、そのモラル、宗教、哲学のすべてを注ぎ込んで完成した不朽の名作の第一部。
感想・レビュー・書評
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舞台を見たことがある。小説で読んでみたらびっくりするぐらいアンナにもヴロンスキーにも共感できなかった。ヴロンスキーは読めば読むほどこの人はおバカなのでは、と思ってしまう(笑)。
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いつかは、トルストイの「戦争と平和」を読みたいと憧れてはいるものの読み切る自信が無く、まずは本作で、初トルストイを体験してみようと手に取った。
「アンナ・カレーニナ」上巻
意外にも読みやすく、面白い。
わかりやすい訳文で、しかも展開が早い。
すでに波乱が巻き起こっている。
ご婦人方は美しく可憐に、夫達は醜く滑稽に描かれている。
そりゃ浮気するし、されるわな、って感じ。
この時代のロシアの上流階級の暮らしが垣間見れ、愛憎劇が繰り広げられそう。
ここまではとても私好みだ。
でもこれからが長い。中、下巻とまだまだ続く。
ゆっくり、自分のペースで読み進めて行こうと思う。 -
「モスクワ駅へ母を迎えに行った青年士官ヴロンスキーは、母と同じ車室に乗り合わせていたアンナ・カレーニナの美貌に心を奪われる。アンナも又、俗物官僚の典型である夫カレーニンとの愛のない日々の倦怠から、ヴロンスキーの若々しい情熱に強く惹かれ、二人は激しい恋におちてゆく。文豪トルストイが、そのモラル、宗教、哲学のすべてを注ぎ込んで完成した不朽の名作の第一部。」
・ロシア文学、1877年刊行。
・とても人間臭いストーリー性で、ロシアの貴族社会を舞台に、不倫の恋に落ちて破滅していくアンナという女性を描いている。
・「ヒロイン、アンナは世界文学でも有数の魅力的なヒロインでしょう。トルストイは論理的な人で、当初は善良な夫を裏切る嫌な女の話を構想していた。ーところが小説を書いているうちにアンナに命が宿り、作者の意に反して生き生きと動き出してしまった。性欲は悪と主張しながら子だくさんだったトルストイらしい自己矛盾があらわれている」(スラヴ文学者の沼野充義さん)
・物語はあんなの兄オブロンスキーの浮気騒動で始まる。冒頭の「幸せな家庭はどれもみな似ているが、不幸は家族それぞれに不幸である」という一文はあまりにも有名だ。
・村上春樹の短編『かえるくん、東京を救う』はのかえるくんは、主人公が『アンナ・カレーニナ』を読んでいないと言うと残念そうな顔をする。そんな場面を書きたくなるくらい、特別な読書体験を与えてくれる作品なのだ。
(『名著のツボ』石井千湖著 より) -
トルストイによるロシア文学における名著と呼ばれる作品。
内容はロシアの貴族階級を舞台に繰り広げられる愛憎の物語。
一人ひとりの個性が際立っていて、読んでいて面白い。
いわゆる恋愛強者側の視点だけでなく、恋愛に敗れたものの視点とその愛すべき人格も描いてよかった。
しかしながらちょっと長い。
上下巻ならまだ読めると思うが3巻となるとちょっと厳しい。 -
読みにくかった…
所々飛ばしながら読む。
だが確かに面白い、面白い。
最後は衝撃で好き。 -
はじめてのロシア文学。他の本に目移りしながらも、1年かけてやっと読了した。幸いにも、登場人物の関係図を作成しながら読んでいたので、大体のあらすじは忘れないまま読み進めることができた。(今後、ロシア文学とか、登場人物多い&行き詰まりそうな本を読む時は関係図は必ず作るようにしたい)
ロシア、貴族、19世紀など、自分がふれる日常の世界とはかけ離れた世界で繰り広げられる人の営みは興味深かった。読み進めるうちに本書の世界観に慣れた後は、繊細かつ鋭い登場人物たちの考察や心理描写に集中できるようになった。
読了直後の新鮮な感想をまとめると
・文学を読む初心者として、時代や立場が違くても変わらない、人と人との関わりの中で生まれる感情に共感できたという喜びがあった
・登場人物たちのとても繊細でいて、賢くて、鋭い考察や心理描写が面白かった
・のめり込めるほどの読書体力はついていないが、ぜひ下巻まで読破したい。
・他の方の感想に書かれているような、深い読み方や感想の言語化できるように語彙力を高めつつ、自分の人間力を高めていきたい -
3.73/2062
内容(「BOOK」データベースより)
『モスクワ駅へ母を迎えに行った青年士官ヴロンスキーは、母と同じ車室に乗り合わせていたアンナ・カレーニナの美貌に心を奪われる。アンナも又、俗物官僚の典型である夫カレーニンとの愛のない日々の倦怠から、ヴロンスキーの若々しい情熱に強く惹かれ、二人は激しい恋におちてゆく。文豪トルストイが、そのモラル、宗教、哲学のすべてを注ぎ込んで完成した不朽の名作の第一部。』
冒頭
『幸福な家庭はすべて互いに似かよったものであり、不幸な家庭はどこもその不幸のおもむきが異なっているものである。
オブロンスキー家ではなにもかも混乱してしまっていた。妻は、夫がかつてわが家にいた家庭教師のフランス婦人と関係していたことを知って、もうとても一つ屋根の下で暮すことはできないと宣言したのだ。』
原書名:『Анна Каренина』(英語版『Anna Karenina』)
著者:レフ・トルストイ (Leo Tolstoy)
訳者:木村 浩
出版社 : 新潮社
文庫 : 580ページ(上巻) 上中下巻
メモ:
・松岡正剛の千夜千冊 580夜
・世界文学ベスト100冊(Norwegian Book Clubs)
・死ぬまでに読むべき小説1000冊(The Guardian)「Guardian's 1000 novels everyone must read」
メモ:
「とくに文章に凝るトルストイはこのロマンの書きだしには非常な苦心を払い、実に十七回も書きなおしたといわれている。全般的にいっても十二回にわたる改作の末、五年の歳月をかけてようやく完成することができたのであり、芸術的完成度という点からみても、文句なく、トルストイの最高傑作となった。(下巻「解説」より)」 -
トルストイの普遍的で詳細な描写が凄くて面白かった。
とにかく全部書いてあるので長いけれど、状況や心理など理解しやすい。 -
11/14
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100年以上前のロシア人なのに、なぜここまで100年後の日本人の胸に響く心理描写を描きまくれるのか?と疑問に感じずにいられない当たりが、やはり流石のトルストイ。こうした表現を見る度に、文豪たちの慧眼に驚くべきか、たった100年では人間の本質は変わらないものだと納得すべきか迷う。
個人的には自分の恋のライバルと初めて出会った男性の心境を描いた「この世にはそれがどんな事でも幸運な競争者にぶつかる度に、すぐ相手の持っている全ての長所に面を背け、ただその悪いところばかり見ようとする人がある」「ところがその反対に、その幸運者の中に、勝利の元となった特権を発見することを何よりも望んで、激しい心の痛みを覚えながらも、ただ相手の良いところばかりを捜す人間もいるである」という、2種類の人間について説いた描写に思わず納得してしまった。
他にも自分の浮気で妻をブチ切れさせた夫が、妹の仲介もあって何とか和解し、妻にジョークを飛ばせるような関係に戻った直後に登場した「満ち足りて、ウキウキしていた」「もっとも、それは許されたために自分の罪を忘れた、というそぶりを見せぬ程度であったけれど」という表現も、非常に細かい心の機微を捉えていると思わず感動してしまった。
現代がSNSで恋愛や日常の「あるある」投稿が大きなバズりを見せる時代ということを考えると、トルストイがツイッターを始めたらとんでもないインフルエンサーになる気がする。 -
社交界の華であり誰からも好かれ、非の打ちどころのない、青年士官ヴロンスキーは、シチェルバツキー家の三女、キチイの気を引き、花婿候補と見られていたのに、ペテルブルグの名士カレーニン夫人(アンナ・カレーニナ)を一目見た途端、その美貌に心を奪われた。
キチイは彼女に求婚してきた、リョーヴィンという地方の貴族に本心は惹かれていたのだが、ヴロンスキーに愛されていると思って(それにその相手は彼女の母親の価値観に合っている)、リョーヴィンの求婚を断ったのに、結局、ヴロンスキーに裏切られ、恥しさで病気になってしまった。
リョーヴィンも恋敵に負け、もう、自分には結婚の望みは無いという失意のまま、田舎に帰るが、田舎の彼の広大な土地の自然は、彼に元気を与える。植物の芽吹く音が聞こえるくらい、ロシアの森の春は活き活きしているらしい。リョーヴィンはいい男なんですよ。大人の私達には分かるんですよ。大地主として、真面目に農地経営の計画を立て、論文も書き、自分の森の木の数も把握し、どれ位の価値があるか知っている。同じ貴族でも、モスクワやペテルブルグで、コネで適当にいい役職につき、見栄と名誉を重んじ、社交界の付き合いで借金まみれになっている人達とは違うんですよ。
病気になったキチイは湯治先で出逢った、ワーレンカという清楚で無欲で義母に尽くす娘に心惹かれ、あんなふうになりたいと願う。
リョーヴィンとキチイには幸せになって欲しいものだ。
一方のヴロンスキーとアンナ・カレーニナ。二人の不倫関係はヴロンスキーの言葉を借りれば「月並みな社交界の情事ではなく、あの人は俺にとって命よりも大切なものだ。あの連中(二人を責める人々)は幸福とは何かということなんかてんで分かっちゃいないんだ。僕達にはこの恋がなきゃ、幸福も無ければ、不幸もない」というほど本気。アンナにとれば、名士で人々に尊敬され、その名誉のためだけに、アンナに対しての態度まで欺瞞で固めた俗物官僚の夫との生活を守るよりも、ヴロンスキーとの不倫のほうが自分に対して嘘のない、ある意味倫理的なことかもしれない。しかし、ただ一つ気になるのは、息子のこと。一方ヴロンスキーは、アンナが息子のことで、心を痛めていることは理解出来ない。また、自分がアンナに走ったせいで、キチイを傷つけたことにも気づいていない。これ程、周りを傷付けていることに気づかない人というのは、こうまで、自分の気持ちに真っ直ぐになれるものなんだなあ。
アンナはヴロンスキーの子供を身籠ってしまい、そのことをヴロンスキーに打ち明けるとヴロンスキーはカレーニンに正直に話した上で、駆け落ちしようという。多分カレーニンは自分の名誉が傷つくのが何より嫌なので離婚などさせてくれないだろう。それに、息子はどうなるだろう。
アンナ、キチイ、リョーヴィンそれぞれの運命はどうなるのか?
不倫小説だが、細かい所まで、描写が重厚。トルストイがそのモラル、宗教、哲学の全てを注ぎ込んで、完成した不朽の名作の第一部でした。
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あります、あります。家に二種類CDありました。一つはゲルギエフ指揮、キーロフオペラでした。あまり長いのが苦手なので、私は聴いたことないですが...あります、あります。家に二種類CDありました。一つはゲルギエフ指揮、キーロフオペラでした。あまり長いのが苦手なので、私は聴いたことないですが。プロコフィエフ、色々オペラ作っているようです。2021/06/23
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2021/06/24
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2021/06/24
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読書会課題本。表面的には「不倫」をテーマにしていると言える。しかしそれに留まらないものを上巻の時点で感じる。またキリスト教的要素が、特に本書後半の「第二編」で色濃く出ていて、それをどう受け止めるかで、読後感が大きく変わるだろうと思う。
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まだ上巻しか読めてないけど面白い。
ロシア文学、「罪と罰」しか読んだことがなく、あの重苦しくて隅から隅まで詰めてくる空気感が恐ろしく、避けていた時間が悔やまれる。あれはロシア文学の特性じゃなくて、ドフトエフスキーの特性だったのか。知ってたらもっと早くに読めたのに。
登場人物それぞれに起こる出来事や心の移り変わりが楽しく、ロシア貴族たちのすれっからした会話の感じも面白い。でも一番好きなのはリヨーヴィンが自分の村へ帰った後の春のシーン。土と空気とそこに芽吹き始める生命力。そしてそのうららかなぬかるみで活動し始める人たちに息づく明るさが甘すくことなく表現されていて、100年以上前に誰か(ってトルストイだけど)が書いた言葉をこんな風に読めることに、名作の凄みとありがたみを改めて感じる。
読み始めるときは長いしちょっと嫌やな、と思ってたけど、今はまだまだ先があることが嬉しくなっている。中をまた読み進めるのが楽しみ! -
2021/03/22 読み終わった
ロシア文学を読まないとと思って。まずはこれ。
重厚なのは間違いない!大河ドラマを見ているような感覚だった。長いけど、長いことに意味がある方の物語だと思う。
アンナもヴロンスキーも、いけすかないやつだな!特にアンナは、最後まで自分勝手だと思った。本当の主人公はリョーヴィンなんだろうな。
この版は1965年くらいの出版なんだけど、翻訳が古めで少し読みづらかった。Kittyをキティでなくキチイと訳すのは現代風じゃないよね。光文社古典新訳文庫でもアンナカレーニナ出てるから、今から読むならそっちの方が良さそうかも。 -
かなり長い間積んでいた本です。
『世界は文学でできている』には『戦争と平和』がお薦めされていましたが、手元にあったこちらを読むことにしました。
この物語はオブロンスキー家の主のオブロンスキー34歳が七人の子持ちでありながら家庭教師の女性と浮気をします。一つ年下の妻のドリイの末妹のキチイはコンスタンチン・リョーヴィンに求婚されますが、ヴロンスキーに恋しているためにそれを拒絶してしまいます。
オブロンスキーの実妹のカレーニン夫人(アンナ)はオブロンスキー家を訪ねてきますが、列車の中で知り合った婦人の息子であるヴロンスキーと一目で恋に落ちます。
アンナはオブロンスキー家に滞在しキチイと親交を深めますが、キチイの気持ちに気づきます。
ヴロンスキーの求愛にキチイの気持ちを知り、アンナは身を引こうとしますが、二人は当然のようになさぬ仲になってしまいます。
リョーヴィンはうちひしがれ、作家の兄を訪ねます。キチイも結核にかかり、田舎へ行って療養します。
アンナとヴロンスキーの仲を知ったカレーニンはアンナを問い詰め、アンナは真実を告白してしまいます。
カレーニンは社会的体面を保とうとします。
そしてアンナはヴロンスキーの子どもを妊娠してしまいます。
キチイは療養先でワーレンカという友人ができて気持ちが明るくなり、ロシアの我が家へ帰ってきます。
作家の池澤夏樹さんが他の本で「この小説が正にメロドラマだ」とおっしゃっていますが、「メロドラマ大いに結構」と思いました。アンナは本当に美しく、ヴロンスキーは凄いイケメンです。アンナとヴロンスキーの二人の場面が、カレーニンは愛のない結婚をアンナとした悪役なのでハラハラしてしまいます。
アンナとヴロンスキーの出会いの場面は本当に素敵でうっとりしてしまいました。
二人の会話も現代のドラマより格調高い会話で本当にうっとりとしてしまいます。
P376より
<あの連中は幸福とはなにかということなんか、てんでわかっちゃいないのだ。あの連中には、ぼくたちはこの恋がなくちゃ、幸福もなければ、不幸もない、いや、生活そのものがないってことが、わからないんだからなあ>
P391より
「あたしはね、飢えた人がお腹いっぱい食べさせてもらったみたいなものね。そりゃ、その人は寒いかもしれませんよ。服もぼろぼろに破れているかもしれませんし、恥ずかしいかもわかりません。でも、その人は不幸ではありませんわ。あたしが不幸ですって?いいえ、ねえ、これこそあたしの幸福ですわ」
中巻に続く -
感想は下巻にまとめて
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面白く読み進めていって、最後くらいで、
あれ!この後の展開知ってるぞ?再読だった!
と気づいた。
ドストエフスキーみたいに、飲んだくれで自分の娘に買春させて大泣きするような、品性のない下劣なキャラクターが出てこなくて寂しい。 -
「恋愛はテロ」。いつだったか、ある本にそんな台詞があった。恋は盲目ともいうけれど、宗教と恋愛ほど思考停止を招くものはこの世にないのではないか。
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アンナとヴロンスキー、リョーヴィンとキティ。共に対照的な二組が物語を際立たせる。アンナは情熱的に不倫を受け入れてしまい。刹那的な恋に走り、リョーヴィンは農業を経営しながら、宗教観の何たるかを考え、人生の根源にたどり着く。
トルストイの宗教観・人生・道徳を盛り込んだとてつもない大作。読んで終わって欲しいと思いながらも、その先の展開、考え方を学びとおした。
神の教えに従い、しかし人生は流れる如くの連続。その連続の日常こそが愛しいのだと考えさせられた。 -
さすが、名作。
他の人から見れば羨むような美しい存在でも、いとも簡単に、切り立つ崖の先にいるかのように暗く、深遠な醜さに満ちた世界に落ちていくもんやと。
ちょっとした生活の綻びからやで。
こんなにも・・・
良心とか、ほんとに生きるとか、正しいとか、正義とか、そうあるべきだと思われているもんなんか、あんの?と、それがさらに劇的でも何でもなく日常の端っこをちょっとつまんで引き上げるだけでこんなに出てくるでと、ほんで現代でもありえるねんでと、テレビドラマの比ではない。 -
青年期、中年期に、そして今回の老年期にと3回目の再読です。
このような世界文学をけっこう再読しておりますが、読む時期のパターンがだいたいこのようになっております。
新型コロナウイルス肺炎の自粛が長引く中、再読し遺したものはないか?と頭をよぎるのも精神的影響でしょうか。
この有名な不倫小説『アンナ・カレーニナ』を選びました(笑)深いわけはありません。むしろヒロインアンナの運命より、副主人公リョーヴィンの堅苦しいほどの真面目な人生観が、若年の頃より印象深く残っているので、もう一度しっかり読んでみたいと思ったのでした。
さて、上巻は美しい魅力的なアンナ・カレーニナが兄オブロンスキーの浮気が原因の夫婦喧嘩を仲裁するためモスクワにやって来て、舞踏会で出会った美青年士官ヴロンスキーと不倫愛に至ってしまうところから始まります。
オブロンスキーの友人リョーヴィンは、オブロンスキーの妻ドリーの妹キチイに結婚を申し込んであっけなく振られます。なぜか?キチイはヴロンスキーが好きだからです。けれどもヴロンスキーはアンナに心奪われていてキチイは目じゃありません。リョーヴィンもキチイも失意のどん底。やがてアンナも好きではない夫カレーニンに、浮気がばれて困りはてるどん底が。
などとあらすじを言うとなんだかハーレクイン出版物のようですね。でも、トルストイさんの筆にかかると世界文学の名作になるのですよ。ま、わたしは登場人物の一人ひとりに寄り添ったるるたる描写が、人間のこころ、気持ちの動きを奥深く見せてくれる、そこに魅力を感じるのです。 -
文学
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2017.11.05 『文学入門』
2017.12.27 世界の文学作品を読む(2018年に向けて) -
「幸福な家庭はすべて互いに似かよったものであり、不幸な家庭はどこもその不幸のおもむきが異なっているものである」という世界文学史上、最も知られた警句の一つで始まる重厚な本作こそ、時間のある休暇にはふさわしいと思いセレクト。
夫婦の不貞という現代にも通用するテーマであるにも関わらず、その心理描写は一瞬たりともだれず、紋切り型の描写は一切使われない点に古典の重みを感じる。引き続き中巻へ。 -
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2017年では97冊目 -
『アンナ・カレーニナ』はトルストイの作品であり、言うまでもないがロシア文学の代表作の一つである。文学好きなら読んだことはないにしろ、名前は知っているであろう。トルストイの『戦争と平和』程は長くないが、それでもかなりの量があり、読み終えるだけでも一苦労である。
この作品を私は二週間近くかけて読み終えた。そして、読み終わった際の感想として自分の心を覗いてみると、中々に複雑な気持ちをこの作品に対して抱いていることに気づく。すなわち手放して賞賛しようという気持ちはないし、駄作として唾棄しようというわけでもない。私はこの作品に 対して賞賛の気持ちを持っているのか、否定の気持ちを持っているのか、中々自分でも判断しづらいものがある。
『アンナ・カレーニナ』という題名である以上、やはり主人公は夫人アンナである、と考えてもいいだろう。彼女は恋愛のない結婚生活に嫌気がさし、不倫へと走り、やがて駆け落ちをしたり、離婚を申請したりする。ここを沿っていけば、一つの不倫物語としてこの作品を読み取ることができ、そういう一側面を持っていることは間違いのない事実である。
しかしながらこの作品を読み終えた者は、この作品が単なる不倫物語ではないことは、当然ながら気づくはずである。もう一人の人物レーヴィンが登場して、彼もまた結婚をおくることになる。そして単にそれ だけでなく、彼を通してロシアの農業問題、政治問題についてや、道徳問題についても多々言及され、それにより物語は単なる不倫物語として片付けていいものではなくなってしまう。この作品をアンナの不倫物語として取り扱う場合、これらの要素は別に読み飛ばしても差し支えがない。しかし、どうもそういうわけにはいかなさそうだ。この作品を正しく評価するにあたってはこういった要素も鑑みないといけないのではないだろうか。
なんでもこの作品は当時の社会情勢を細部に至るまで書きつくそうという意図を持って書かれたらしい。それが作者の自発的な意志なのか、それとも社会の要請なのかはわからないが、やはりどうしても無視できそうなものでは間違いない。
しかし作者の真意が何であれ、また学問的にはどのようにこの作品がとらえられていようが、私はこの作品内における農業問題、政治問題、道徳論については、退屈を覚えたことを素直に告白しなければならない。まあ当然といえば当然なのかもしれない。この文学が成立した時代や場所と私が生まれ育った環境は違うのだから。それ故私はこの作品内の作者の描こうとした情勢・思想的なものについて殆ど記憶に残っていない。私がこの作品を読んで印象に残っているのは、結局アンナの不倫とそれを取り巻く人間関係である。アンナの不倫が最終的ににどのような結末を迎えるのか、という社会的な興味ではなく個人的な興味を持って、結局この作品を追っていた。情勢・思想は一応一通 り読んだが、私が仮にこの作品を再読する場合、おそらく読み飛ばすだろう。
ではこの作品が不倫物語としてはどうなのか、と聞かれたら、面白いとは答える。しかしながら述べたようにそれはあくまで物語の一側面である故、どうしても不倫物語として消化不良が目立つ。結局夫との関係子供との関係もはっきりとしたエンディングを迎えなかったし、アンナ亡きあとのウロンスキィに関する描写もどこかあっけない。どうにも読み終わって私はやきもきさせられた気持ちを抱くことを申し上げねばならない。それにこの作品は長い。壮大であるが、それ故読むのに骨が折れる。その長さを読み終えたことによって相応の報酬があったか、と聞かれれば、私は否定はしないものの、かといって肯定しようという気にも中々なれない。結局のところ私はこの作品の感想を聞かれたら、賞賛も非難の声も挙げず、沈黙を強いられることにになるだろう。 -
アンナ、ヴロンスキー、リョーヴィン、キチイ、それぞれの感情がほとばしる。
面白い。
アンナとヴロンスキーの恋が決定的となる舞踏会での二人のダンス、それに気づいてしまうキチイ、その場面がいやに艶めいていてそそられました。 -
2017/03/13-03/29