- Amazon.co.jp ・本 (220ページ)
- / ISBN・EAN: 9784106105203
作品紹介・あらすじ
「悪いことをする→反省させる」は逆効果! 累犯者は「反省」がうまい。本当に反省させるなら「加害者の視点で考えさせる」方が効果的――。犯罪者のリアルな生態を踏まえて考えた超効果的な更生メソッド。
感想・レビュー・書評
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①加害者の犯罪心理「後悔」が先、「反省」はその後。
☆だからすぐ、「ごめんなさい」という加害者は疑ってかからなければならない。
②罰はできるだけ受けたくない。受けるとしても罰はできるだけ軽いものであってほしい。それは人間の本能なのです。
☆そうそう。そうなんだよね。
では、どうすればいいのか。
軽くすればいいわけじゃない。ではどうすれば・・。
③それでは、どうすればいいのでしょうか。方法は1つしかありません。反省させてはいけないのです。被害者に対して不満があるのであれば、まずはその不満を語らせるのです。不満を語る中で、なぜ殺害しなければならなかったのか、自分自身にどういった内面の問題があるのかが少しずつみえてきます。
一見、非常識なことをしていると受け止められるかもしれませんが、本音を語らないかぎり、受刑者は自分の内面と向き合うことはできません。
☆まず、本音を語らせる。これが実は難しいと思う。
第一、相手に心を開ける状態でないといけない。
④人は不満や怒りなどの否定的感情をもっていると、その感情をいつまでも引きずります。(中略)
心のなかにたまった否定的な感情は、それが解放されない限り、いつまでもその人の心のなかに残り続け、その人の心を苦しめるばかりか人生さえ生き辛いものにさせます。
☆まず、否定的感情をださせる。その手法が知りたい。
⑤反省文を書いた後、必ずといっていいほど生徒指導部の部長が生徒に告げる言葉です。それは、「これからはすべての先生が君に注目している。しっかりとした学校生活を送りなさい」という「励まし」の言葉です。この励ましが生徒の心に今後どれほどの負荷(ストレス)を与えることになるのか・・。
☆これ、思わず言っていまいそうな言葉。
では、なんと言えばいいのか。
⑥言い方は悪いですが、私たちは子どもの問題行動を歓迎しています。なぜなら問題行動とは、「自己表現」の一つだからです。和子の「しんどさ」が表面化したと捉えることができるのです。
☆その時の周りの対応が重要。
叱るとかえって悪くなるのは目に見えている。
問題行動が出たら、
そこから何を得たいのか
そこから何を回避したいのか
考えてみる。
冷静に~~
⑦親はなぜ子どもが問題行動をおこしたのかを考える機会を与えられたと考えるべきです。
☆子どもとしっかり向き合う。「ありのままの自分」を受け入れてやるには?
⑧問題行動が起きたとき、ひとまず叱ることは控え、本人が問題を起こすことに至った理由に耳を傾けることです。
☆理由。
⑨私は問題行動を「必要行動」と考えています。
☆せざるを得なかった、と考える。
「もし断っていたらどうなっていた?」
「一人になるのが怖かったんだね」
「なぜ喫煙する友達と付き合うようになったの」
「その時どんな気持ちだった?」
「よく話してくれたね」
このような問いかけで否定的な感情を口から出させる。
できるかなあ。
⑩人は自分のことを理解してくれる人を、常に求めています。
☆これは分かる。
⑪いじめ防止教育は「いじめたくなる心理」から始める。
☆いじめの加害者の文章を読ませて
「これを読んでどう思いますか」
「なぜこの子はいじめてしまうのだと思いますか」
「同じような気持ちになった人はいませんか」
などと聞き、本音を探っていく。
結局は自分も人の目を気にしている。「調子がよくて目立った存在でありたい」もっと言うと、「注目されたい=愛されたい」
☆愛されたい!
⑫「自分が愛されたいという気持ちをうまく表現するためにはどうしたらいいか考えてみよう」などと提案してもいいかもしれません。
☆こうやって聞いたら子どもはなんていうんだろう。
⑬「人は誰もが寂しさやストレスを持っている時、それを弱いものに向けてしまうことがある。だから、寂しさやストレスがあったら、ため込むのではなく、誰かに話を聴いてもらうこと(=頼ること)が必要です」と展開する。
☆ここが落としどころか。頼ることを教える。これは確かに自殺防止の第一歩になるだろう。誰に聞いてもらうかも大事。
⑭いい大人でいられる条件は、「子どもっぽさ」をうまく出せることと言っても過言ではありません。飲み会やカラオケで楽しくはしゃいだり、仲間とふざけ合ったりすることが「しんどさ」を発散させることになって、大人としての「いい仕事」ができるのです。
☆子どもっぽさとは何か。
⑮今回、問題を起こしたことは君がいい方向に向かうためのチャンスとしたい。今回、なぜこんなことが起きたのか、一緒に考えよう。
☆+日ごろから思っていたことを自由に話してくれないか、と一緒に考える姿勢をもつ。
⑯あらかじめいろいろな課題を用意しておきたいものです。
「これまで親からよく言われたこと」
「自分のストレスについて」
「今、悩んでいること(しんどいこと)」
「今回の行動を起こして、「得たもの」と「失ったもの」」
☆こういう言葉がいくつあるか。そして、パッと出せるかにつきると思う。ノートをみるわけにもいかないしね。やりとりを引きだすための言葉。いくつも用意しておく。
⑰人間関係をよくするために使いたい言葉。
「ありがとう」「うれしい」
☆「寂しい」「悲しい」で自分の気持ちを素直に表現。
⑱プチキレの勧め
自分の話を聴いてくれそうな人にちょっと自分の「しんどさ」をいうことです。(中略)重要なことは表現することです。
☆わーい♪これはできてるかな ( ´艸`)詳細をみるコメント0件をすべて表示 -
自分の臨床実感とは異なりますが、面白かったので星4つです。
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厳しくしつける。悪いことをしたら反省させる。反省していたら罰を軽くする。これ、全部ダメだという。
最初はビックリするけど、読んでいくうちに納得して考えが変わる。
まずタイトルになっている「反省」。小さい頃から大きくなるまで、とにかく反省しろ反省させろというシーンが多い。ところが、自発的に反省したのではなく、反省しろと言われて反省(したような作文や発言を)するとそれで許してもらえるという体験を重ねるうちに「反省したふり」ばかりがうまくなるし、自発的な本当の反省にたどり着くきっかけを失ってしまう。そうすると、「悪いことはしない」ではなく「悪いことをしてもばれない」ことが重要だと誤認する。
悪いことをしても「反省した振りさえすれば許してもらえる」のだと誤認する。結果的に、再発防止にはつながらない。
「反省しなさい」の多くはまず「被害者の立場気持ちを想像しなさい」から始まるが、これもよくないという。むしろ「加害者である自分の気持ちをどんどん掘り下げなさい」からはじめるべきだと。
これが、刑務所で犯罪者の更生プログラムに関わってきた著者の意見。
なるほど〜。自分にもたくさん思い当たることがある。
もう一つ面白かったのは、厳しいしつけに関わるところ。「人に迷惑を掛けない」「我慢する」「わがままを言わない」「いい子にしている」などのしつけは、すべて孤独孤立と同じ方向を向いているという。「気持ちを押し殺すこと、他人に頼らないこと」を目指すべき方向にすることが回り回って「もうダメだ、犯罪しかない」につながるし、刑務所を出たあとにうまく生きられず戻ってきてしまう原因にもなっているという。
そうではなく「他人に頼ること」「気持ちに素直になること」「迷惑をお互いと思うこと」こそ大事な子育てだという。
これは佐々木正美さんや内田樹さんの言葉にも通じるものがあるなぁ。
反省を強要すると自発的に本当に反省する機会を失う。
犯罪に対する厳罰化は、再発防止にはむしろ逆効果になる。
厳しいしつけと子供の虐待やいじめは表裏一体である。
奇妙なタイトルの奇妙なロジックの本かと思っていたら、人生の価値観が変わるようなおもしろビックリ本でした。 -
最近いろんな人が紹介しているのを目にするようになった。タイトルが刺激的で、「おや?」と思う人が増えたのだろうか。
私は以前から、被害者側の心情だけがクローズアップされる報道に違和感を持っていた。確かに被害者側の心情は考慮されるべきだが、第三者までが被害者サイドに立ったような発言をするのは、どうなんだろうと思っていたのだ。特に、犯人が逮捕されたときなどに「まだ反省の言葉はない」とか、「反省の色が見えない」などという非難の言葉がすぐに出てくる風潮には疑問を持っていた。
人はそんなにすぐに反省なんかしないものだ。それは自分を振り返ってみてみれば一目瞭然のことだと思うのだが、なぜか他人にはすぐさま反省を要求してしまうのだ。
そもそも「反省」とは他人が強制してさせるものではない。自分の中から自然と沸き上がってくる感情でないと意味が無いのだ。そしてそのためには、まず自分の感情と正面から向き合う必要がある。
いじめ問題でもそうだが、「いじめは悪いことです。反省しなさい」と要求することがどれだけ無意味なことか、真剣に考えなくてはいけない。
いじめの加害者は、自分の行為を正当化しているか、あるいはいじめの自覚を持っていないのが普通なのだから。
被害者に対して謝罪の言葉を述べるとか、「反省文」なるものをどれだけ書かされようとも、それで真の反省に至ることはないと思う。
人は誰だって、自分のことを理解してもらいたいと思っている。それはいじめの加害者だろうと、犯罪者だろうと同じである。しかし、その気持ちの探求をおざなりにしたまま、上っ面の謝罪や反省文を強制されているうちは、いじめも犯罪も減らないだろうと思う。
しかし、たいていは、上っ面の謝罪や反省をまず要求する。そうせずにはいられなくなるのだ。そして、偽りの謝罪や反省を手に入れて「こんなものは本物じゃない」とさらに糾弾する。
本当の謝罪や反省や後悔を得たいなら、遠回りなようでも加害者の心情をクリアにするところから始めなくてはならない。
今まで漠然と思っていたことが実証とともに言語化されていて、我が意を得たりの1冊であった。 -
刑務所での受刑者公正を担当している著者。
反省を強要するのは無意味で、なぜ事件を起こしたか、被害者への謝罪ではなく、本音を語らせることに意味がある。
被害者へはそもそも怨恨があったから、殺したり傷つけたりするわけで、その本音を吐き出させ、
元をたどってどういう生い立ち、成長過程、親への恨み、そして自身へと向かわせる。
反省は単に刑務所を早く出たいから、反省してるふりをするだけ。
男性の受刑者はたいてい「強くないといけない」「人を頼れない」「自分を受け入れてもらえない」という固定概念を強度に押し付けられて生きてきた。
人に頼れないと、また犯罪を犯すことになる。弱い自分を認めないと強がりで悪い連中に漬け込まれる、そういうことを断ち切るためには、反省文を書かせることは逆効果。
弱い自分、子どもの部分は誰しもが持っていて、それを外に出せる人は周りが助けてくれる、というところが心に残った。
自分の子どもたちに接するときにも、心がけたい。 -
自分の気持ちを見つめ直す前に反省文を書かせても、うわべだけの文章さえあれば他人は納得すると考えて真の反省には至らないというのが趣旨。被害者の気持ちよりまず自分の気持ち、迷惑をかけられて困った過去を振り返ること、そのためにしっかり話を聞く支援者が必要とのこと。経験者が語るのは説得力があるが、自分に落とし込んで行動にしていくのはかなり難しそう。まず家庭内で「ありのままの自分」でいることから始めよう。
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子供が何か問題行動を起こした時、それを叱って反省させるのではなく、その行動に至ってしまった内面的な気持ちに気がつけないとダメだと思った。
「しっかりした子」ではなく、「人との繋がりを大切にできる子」を育てたい。
親としてはやはり傾聴、受容、共感を大切に子供と向き合っていきたい。 -
一見すると過激なタイトルだけど、なぜ?と感じた人ほど読む価値はある。刑務所での更生支援にも関わる著者が、タイトルの理由をとても丁寧に説明している。犯罪心理学のみならず、教育・しつけへの向き合い方にも役立つので幅広い方に読んでほしい。
「実は、『ありがとう』や『うれしい』という言葉が言えない人は、素直に他者に甘えられない人なのです。素直に他者に甘えられないということは、その人がそれまでの人生で他者に甘えられた経験に乏しいからです」という言葉。甘え(られ)ること、感謝することの大切さがしみる。
「『しっかりした親』は、『ありのままの自分』ではいけないというメッセージをたくさん持っている親なのです」 183ページより引用。これは実感する。素直な感情を受け入れてくれないと、親にも自分にも嘘をつくようになっていく。本音も言えず、愛されるためにいい子を演じたり、大人びようとしたり。
「正論を言えば、親が勝って子どもが負けるという構図に必ずなります。結果として残るのは、親子関係の悪化です。正論は、相手の心を閉ざす『言葉の凶器』と考えてもいいでしょう」 187ページより。自分も本当に気をつけたい。正論こそ本音にフタをする呪い。本音を話すことが問題解決の第一歩。
本音は隠してこそ!だとか、弱さを見せるのは恥ずかしい!だとか、それこそが問題解決を先送りにして爆発させる張本人。ネガティブだと思ってきたその感情・愚痴こそ、貴重な情報だと思うと見方が変わってきた。 -
http://t-tanaka.blogspot.jp/2014/04/blog-post_6.html
もうね、これは教育現場にいて、諸手を上げて大賛成!と叫びたくなる内容でした。著者の岡本さんは、殺人等の重大犯罪を起こした受刑者が収容されている刑務所で受刑者に個人面接をしたり構成のためのプログラムをつくって授業をしたりしている方。その方が、ご自身の研究と経験から、こんな書出しで本書をスタートするわけです。
悪いことをした人を反省させると犯罪者になります。
そんなバカなことがあるか。悪いことをしたら反省させるのが当たり前じゃないか、と思われるでしょう。それは、疑う余地もない世間の「一般常識」なのですから。
しかし繰り返しますが、悪いことをした人を反省させると、その人はやがて犯罪者になります。自分自身が悪いことをして反省しても、同じ結果です。つまり犯罪者になります。
きっと、僕も北星余市で教員をしていなかったら、「当たり前じゃないか」といっていた人間だったと思います。が、15年間、北星余市で自分も含め多くの先生たちが子供たちを向き合っている様子、そして子供たちの変化を振り返った時、そして自分自身の人生を振り返った時、「おっしゃるとおりです」とうなづくどころか、岡本さんの尻馬に乗って「そうそう、うちでもね!」と語りたくなるくらいのことが沢山書かれています。
野田さんが「絶対読んだ方がいい」といってたのも、きっと、同じ気持ちなんだと思います。
この本は、非行少年や犯罪者にだけ当てはまることではなくて、我々、全ての人間に当てはまることです。犯罪や非行とは無縁に生きている方も他人ごとではなく、自分の身に置き換えて読んでみることを本当にお勧めします。特に、子育て中の親御さん、学校の先生たちには、ぜひ読んでほしいです。そして、苦しむ人が一人でも少なくなってくれることを願います。
しつこいですが「うちは子育ては順調だから大丈夫」とか思っている人も、ぜひ読んでほしいです。
不登校の子供や非行少年をかかえる親御さんたちの経験談を聞くと、「信じられなかった。なぜ、うちの子が!」という思いを抱く方が非常に多い。子育ては順調だと思っていたし、自分は適切な子育てをして来ていると思っている矢先の出来事なわけです。不登校や非行を自分の子供が経験することは、どの親御さんも望んでいたことではなく、ある日、あるとき、突然舞い降りてくる。それは日々の積み重ねだったりします。
この本に書かれている、岡本さんが否定的に語っていることを繰り返しているうちに、またはあるポイントでしてしまったが故に、子供たちがそういう行動をとることになってしまったんだな…と思わされるケースは、やまほどあります。
不登校や非行を起こす子供たちを観ていると、本当に様々な要因が絡んでいることがわかります。だから、この「反省させること」が全ての原因でないとは思います。けれど、この本に書かれている視点にたって人(=子供)と接することで、僕は大きな違いがあると思いました。
北星余市に入学したての1年生は「自分を変えたい」「やりなおしたい」そういう気持ちを持って入学してきます。しかし、それまで十数年間培って来た考え方やそれに伴った行動、つまり生き方が変わっているわけではないので、当然、抱えている問題性が発露され、それが問題行動となって表出してきます。それは、長くて2年生の終わりまで続くことがあります。ちなみに、3年生くらいになってくると、つい1年前2年前まで問題をおこし反抗していた子供が、問題を起こした1年生をみて「あいつ、あかんわ」と教師と同じ目線にたって後輩に語ってくれるようになる子も多くいます。
入学した子供たちが問題を起こしたとき、どう捉え、どう対処していくかで、子供たちのその後が変わります。
「自分を変えたいと言って、自分の意志で入学してきたのに、問題を起こすとは何事だ!」というのが一般的な捉え方だと思います。けれど、上記の通り、生き方が変わるわけではないので、同じパターンになることは当然と言えば当然なわけです。このときに、そんな責め方をしたって意味がない。
とかく「反省しなさい」と詰め寄りたくなる我々です。我々大人が使う「反省」という言葉のさすところは、「悪いと思いなさい」「悪いと思ったら謝りなさい」ということですが、だいたい高校生にもなったら自分が悪いと思っていることはしないものです。高校生にもなったら…というか、小さい子供だってそう。悪いと思っていないからするわけです。世間的には「悪いこと」とされていることを承知の上で。
そんな人間に「悪いと思いなさい、そして謝りなさい」と言うことの意味ですよね。その場をやり過ごすため、取り繕うようにやるでしょう。当然ですよ。我々、大人だってそうです。この本に、その手の事例がたくさん書かれているわけですが、スピード違反で捕まったときだって、仕事で失敗した原因が自分のせいじゃないときに上司に「すみません」と謝るときだって「悪いと思っていないことを表面的に謝る」ことはあちこちである。けど、それは決して根本的な解決にはならないし、そうならないために(怒られないため、捕まらないため)どううまくすり抜けるかを考えるだけにしかならない場合が多い。
この本を読んで、改善の余地があるなぁ、、、と思いつつも、それでも北星余市でのやり方で生徒たちが変化し、成長するのは、「なぜ?」と本人に問うこと、そして子供とその問題に一緒になって考えることがあるからなのだなと感じたわけです。
もちろん、うまくいかないケースもあります。同じ質の問題を繰り返す場合がある。
この繰り返しには、つい、それまでの価値観や考え方につい頼ってしまってやってしまい、「なんで、俺はこうなんだ?」「ああ、またやっちまった…」という自戒する場合のものと、上辺だけの反省でやりすごしたものとで分かれるし、そのときの生徒の反応はまったく違います。
前者の場合、子供たちは往々にして変わるし、大きく成長していくのですが、後者はそうはいかない。裏で「あっかんべー」をしているわけです。そういうときふと冷静になって、問題を起こした生徒と指導する教師とその関係性の間に横たわっているやりとりを観たときに、「正解探し」が始まっている場合がある。子供は必死にどういう応えを教師に返せば、「許される」のかを考えているだけのことがあるわけです。「あのとき、あんなに指導したのに!」と思わされますが、「正解探し」は「許される道探し」でしかなくて、その事柄の本質に向き合っていないので当然と言えば当然の結果といえます。本当に必要なことは、正解を探すことではなく、自分の内面を探すことなんだと、改めて考えさせられた本でした。
この手段が全てというわけではないですが、「反省しなさい」と迫ることだけの悪い影響と、そうじゃないやり方の一つの有効な(しかも、かなりの)手段として。 -
まえがきからとても興味をひかれ、気がつくと一気に読み切ってしまいました。
第一章は筆者が交通事故を起こしたときのエピソードから始まります。私も経験があるのでそのときの気持ちを思い出し、そうそうと頷きながら読んでしまいました。
「なんてことをしてしまったんだ」「自分はこのあとどうなるのだろう」、という自己保身の気持ちがまず先にきて、落ち着いてからようやく、「申し訳なかった」という謝罪や反省の気持ちが生まれるということ。
これは誰しも心当たりのある感情の推移であると思います。筆者は、問題が起こったあといきなり謝罪や反省を促していくことによって、『本当の』つまり『自分のためではなく相手のことを思った』反省や後悔が促されないと言います。それがタイトルへとつながっていきます。
では、どのように対応していけばよいか。
その問いに対する筆者の答えがこの本に書かれています。
とても分かりやすく書かれており、子どもに対してどのように接していくかの指針になると思います。