照葉樹林文化とは何か: 東アジアの森が生み出した文明 (中公新書 1921)

著者 :
  • 中央公論新社
3.48
  • (5)
  • (8)
  • (18)
  • (2)
  • (0)
本棚登録 : 128
感想 : 17
本ページはアフィリエイトプログラムによる収益を得ています
  • Amazon.co.jp ・本 (322ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784121019219

作品紹介・あらすじ

ヒマラヤから西日本に広がる照葉樹林帯。そこでは森によって育まれた共通の文化が生まれた。モチやナットウを食べ、カイコや漆を利用する。高床吊り壁の家に住み、山の中にあの世があると考える…。本書では、日本文化のルーツでもある照葉樹林文化の特徴を紹介するとともに、照葉樹林文化論の誕生とその展開を概説。さらに長江文明や稲作の起源との関連について最先端の研究者との座談会を付した、照葉樹林文化論の決定版。

感想・レビュー・書評

並び替え
表示形式
表示件数
絞り込み
  • 学生時代に学んだ照葉樹林文化について、今一度新しく捉え直すことができた。
    稲について、
    東の森の文化と西の草原の文化という視点についても、もう少し深めてみたい。

  • 植物学者の中尾佐助を中心に、文化人類学者の佐々木高明と、哲学や文明論の分野で仕事をおこなった上山春平を加えた三人の鼎談が収められています。

    本書は、「照葉樹林文化論」の提唱者である中尾が、みずからの考えに修正を加えたことを機に企画され、主に中尾の新しい主張が説明されるとともに、佐々木がそれを批判するという議論の展開が見られます。上山はおおむね司会の役割を担当しており、彼自身の意見は積極的には提示されていません。

    中尾は、かつて根栽植物栽培の段階から、雑穀栽培の段階への移行があったと考え、照葉樹林文化の農耕は根栽農耕からはじまったと主張していました。しかし、この考えに修正がおこなわれ、照葉樹林文化は焼畑による雑穀栽培からはじまり、その影響のもとで南の地域において根栽農耕がなされるようになり、その後北の地域では稲作が主流となっていったという考えが語られます。この中尾の修正に対して佐々木は、従来の中尾の意見に近い立場から、いくつかの疑問点を提出しています。

    おおむね植物栽培と農耕にかんする議論に終始していますが、最終章では歌垣や妻問いといったテーマについて、日本をはじめ照葉樹林文化圏の諸地域における文化的な共通性についての議論もおこなわれています。

  • 1960年代から筆者らが提唱してきた「照葉樹林文化」論の総説にして、老研究者が来し方を振り返った一冊。日本文化の起源論の一角という印象が強いが、長江文明なども絡めたAll東アジアの議論もされている。少ない手がかりから大きな議論を立てるというような昔風のところを感じた。

    西はブータン、アッサムからインドシナ北部、雲南、長江流域を経て東は西日本まで至る照葉樹林帯。まず、その地に共通して見られる作物と文化を列挙していくことからはじまる。山中の焼畑で雑穀・豆・イモを作り(稲作については後述)、モチ、ナレズシ、ナットウ、酒、茶の類を好む。高床でハンギング・ウォールの住居に住み、蚕を飼い、竹細工・漆器を作り、歌垣の習俗や山岳信仰を持つ、などなど。たしかに日本文化と共通点が多い。

    ついで、学説としての照葉樹林文化論の成立と展開を追う。この学説自体がわりと大雑把なもののようだし、淡々と思い出話的に時系列で語っていくこの部分はちょっと退屈。「未完の大仮説」と開き直られると「結局なにが言いたいの!」と突っ込みたくもなる。しかし一般的な関心の焦点は、稲作と日本文化の起源がどこか、になるみたいだ。

    イネはジャポニカとインディカでは野生種の祖先からして異なるそうで、別個に栽培化されたようだ。ジャポニカの起源は長江流域説が有力だが、いつごろ畦畔を備えた水田による米モノカルチャーの稲作文化が本格的に始まったかは諸説ある。著者らは、水稲とも陸稲ともつかない未分化種が他の雑穀とともに粗放的に栽培されていた時期が、相当長かっただろうとの立場。現代の焼畑を営む人々を観察すると、水田の整備には労力がかかるため、焼畑農業では共有地であったのが、水田になると私有地になりやすいようだ。最初は一部の人間がやるだけだが、水田所有がステータスになって真似をする人が増える。

    典型的な照葉樹林文化は今では雲南など高地中心に見られるので、照葉樹林文化=山の民の文化、との印象を持ちやすいが、当初においては長江流域など平地でも焼畑多種栽培の文化があったが、漢民族におされて山地に退いたとの見方ができる。このへんは何ともハッキリしないが。日本文化も、北方のナラ林文化、照葉樹林文化、稲作文化、支配層の文化が重層的に合わさっていると説明される。

    最後に後輩の学者さんたちとの対談。結構やりあっている(部分的にかみ合っていないところもあるけれど)。野生種は多年草であったイネが、寒冷化のショック、人間による選別などの要因で、毎年実をつけるようになっていっただろうという仮説が興味深い。サトイモみたいに根で株分かれする植物ではこうした動きが起こらない、種子で増える植物ならではだと。あと、トウモロコシも東アジアきて急にモチ種ができたという話も。モチモチを好むのは照葉樹林帯の人だけなんだと(華北、インドの人だともうダメ)。

    しかし、照葉樹林とは、お日様の良くあたる林のことだと思っていました。葉が厚手で光沢があるから、そう名づけられたとは知らなかった。学校でも広葉樹林・針葉樹林の別くらいしか習わなかったような気がする。

    あと、本書ではスポットが当たっていないがトウモロコシ、サツマイモの展開が目を引く。新世界から持ち込まれて(歴史的には)僅かな時間のうちに、アジア中の辺鄙な山間部の焼畑へ広がっている。有用な作物の伝播スピードの速さに感心する。ここまでの速度でないにしろ、有用な作物・文化は古代にもそれなりの速度で伝播していたかもしれないと思うと、そのルーツを追うのは容易でなかろうと察せられる。

    著者らがフィールドワークした地方は、テーマは少し違うが<a href="http://mediamarker.net/u/bookkeeper/?asin=4121018788" target="_blank">この本</a>の著者がフィールドワークした地方と重なる。たしか時代に10年〜20年くらい差があったので、「古事記の起源」では古い文化が急速に失われつつあるために、研究に残された時間がないことを懸念していたと思う。こっちの研究にも当てはまるかもしれない。

  • 【簡易目次】
    はじめに [i-vii]
    目次 [viii-x]

    第一部 照葉樹林文化とは――目で見る照葉樹林文化 001
    1章 照葉樹林帯とその生業 003
    (1) 焼畑と森の幸の利用 003
    (2) 稲作の起源とその展開 018

    2章 照葉樹林帯の食文化 033
    (1) モチ種の開発とその利用 033
    (2) 発酵食品のさまざま 044

    3章 さまざまな文化の共通性 064
    (1) 照葉樹林帯を特色づける技術と文化 064
    (2) 習俗と信仰の世界 079
    (3) 照葉樹林文化のセンター 092

    第二部 照葉樹林文化論の成立・展開と日本文化の形成 099
    4章 照葉樹林文化論の成立――その背後にあるもの 100
    (1) 照葉樹林文化論を生み出したもの 100
    (2) 照葉樹林文化論の提唱と日本文化起源論への接近 110

    5章 照葉樹林文化論の展開 116
    (1) 照葉樹林文化論の枠組の形成 116
    (2) 照葉樹林文化論の充実――フィールド・ワークと成果の蓄積 122
    (3) その後の照葉樹林文化論 136

    6章 照葉樹林文化と稲作文化 144
    (1) 照葉樹林文化と稲作文化の関係の再検討 144
    (2) 『稲作文化』で論じたこと 151
    (3) 稲作文化の独自性はどこにあるか 158

    7章 日本文化の形成と照葉樹林文化 162

    第三部 討論 照葉樹林文化と稲作文化をめぐって 199
      照葉樹林文化論と稲作文化――問題提起に代えて 200
      イネを生み出した前提条件はなにか 207
      栽培稲の誕生 222
      長江中流域か下流域か 230
      照葉樹林文化と稲作文化の位置付け 247
      長江文明の稲作の実態 258
      照葉樹林文化論の検証 286

    あとがき(2007年10月16日 佐々木高明) [310-314]
    主な参考文献 [315-322]


    【目次】
    はじめに [i-vii]
      いま、なぜ照葉樹林文化か
      照葉樹林文化論をめぐるいくつかの誤解
      本書の構成
    目次 [viii-x]

    第一部 照葉樹林文化とは――目で見る照葉樹林文化 001

    1章 照葉樹林帯とその生業 003
    (1) 焼畑と森の幸の利用 003
      照葉樹林帯と文化の共通性
      森の幸の利用――水さらしの技術
    コラム:半栽培植物とその利用
      焼畑農耕を営む――照葉樹林文化の基礎的生業形態
      焼畑で栽培される作物――《雑穀・根栽型》の焼畑
      日本の焼畑の文化史的系譜
    (2) 稲作の起源とその展開 018
      東アジアの稲作の起源とその展開――最近の研究から
    コラム:アジアの栽培稲の分類――インディカとジャポニカとその細区分
      初期稲作の条件――原初的天水田[てんすいでん]と火耕水耨[すいどう]
      水田稲作農耕の成立
      照葉樹林帯における文化の発展段階――その検討
    コラム:雲南青銅器文化とドンソン文化の拡がり――照葉樹林文化の東南アジアへの展開 

    2章 照葉樹林帯の食文化 033
    (1) モチ種の開発とその利用 033
      モチ種を好む文化
      チマキとオコワ――モチゴメ文化圏のなかで
      堅臼・堅杵と横臼・横杵――搗きモチのさまざま
      ミャオ族のモチ搗き

    (2) 発酵食品のさまざま 044
      ナレズシとその拡がり
    コラム:ミャオ族のナレズシ
      古代の中国や日本にもナレズシがあった
      ダイズの発酵食品――ナットウのことなど
      麹酒[こうじざけ]・粒酒――照葉樹林帯の酒
      お茶のいろいろ――発酵噛み茶と食べる茶
      さまざまな喫茶法とその展開
      日本の食文化のふるさと

    3章 さまざまな文化の共通性 064
    (1) 照葉樹林帯を特色づける技術と文化 064
      ハンギング・ウォールと高床住居
      もうひとつの絹の文化――桑を食べないカイコと絹
      アッサムとブータンの絹文化
      漆(うるし)の文化と木地屋[きじや]
      竹細工と竹の文化の拡がり

    (2) 習俗と信仰の世界 079
      歌垣の習俗
      照葉樹林帯の歌垣
      即興で歌を唄い返す文化
      山の神(森の精霊)への信仰
    コラム:銀鏡神社の霜月祭――狩り祭りの伝統を色濃く伝える
      山上他界と「原郷としての山」の信仰
      「天の羽衣」の伝説――昔話の一致

    (3) 照葉樹林文化のセンター 092
      照葉樹林文化のまとまり
      照葉樹林文化のセンター ――東亜半月弧の再検討
      照葉樹林文化のセンターと稲作の起源


    第二部 照葉樹林文化論の成立・展開と日本文化の形成 099

    4章 照葉樹林文化論の成立――その背後にあるもの 100
    (1) 照葉樹林文化論を生み出したもの 100
      それはヒマラヤのフィールド・ワークから始まった
      農耕文化起源論からの照射
      今西研究会での討論――京都学派の伝統の中で
      文明の生態史観と照葉樹林文化論

    (2) 照葉樹林文化論の提唱と日本文化起源論への接近 110
      照葉樹林文化論の提唱
      日本文化形成論へのアプローチ ――『照葉樹林文化』の刊行
      『稲作以前』――仮説とその検証

    5章 照葉樹林文化論の展開 116
    (1) 照葉樹林文化論の枠組の形成 116
      『続・照葉樹林文化』での討論
      いくつかの問題点――発展段階の改訂と文化センターの設定
      さまざまな文化的特色の確認

    (2) 照葉樹林文化論の充実――フィールド・ワークと成果の蓄積 122
      中国西南部やアッサム・ブータンでのフィールド・ワーク
      照葉樹林文化の構造を考える――『照葉樹林文化の道』で考えたこと
      民博中国西南部少数民族調査団のこと
      歌垣と歌唱文化、モチ性食品、その他
      野性稲と古い栽培稲――起源論への接近

    (3) その後の照葉樹林文化論 136
      比較文化論への視角
      『照葉樹林文化と日本』の刊行
      新しい仮説の提出――チューラ(焼米)と油茶、木地屋とビルマウルシ 
      新学説はつづく――二つの絹文化とリュウキュウアイと和紙

    6章 照葉樹林文化と稲作文化 144
    (1) 照葉樹林文化と稲作文化の関係の再検討 144
      東アジアの農耕文化の源流をかんがえる
      東アジアの照葉樹林文化と稲作文化
      照葉樹林帯の文化の発展段階をめぐって
      照葉樹林文化と稲作文化を異なる文化として考える

    (2) 『稲作文化』で論じたこと 151
      東アジアの稲作とインドの稲作
      原初的なイネの栽培形態
      原初的稲作から水田稲作農耕へ

    (3) 稲作文化の独自性はどこにあるか 158
      稲作文化と雑穀文化――物質文化は継承されている
      稲作文化の独自性

    7章 日本文化の形成と照葉樹林文化 162
    (1) 二つの日本文化起源論――岡正雄と柳田国男 162
      岡正雄の日本文化形成論――五つの種族文化複合
      日本文化=稲作文化論――柳田国男の主張

    (2) いくつかの日本文化形成論と照葉樹林文化 168
      南方的な文化的特色の確認――民族学の調査・研究から
      畑作を基軸とした文化の発見――民俗学からのアプローチ
      日本民族文化の源流の比較研究
    コラム:ナラ林文化とその特色
      日本の基層文化の形成と四つの画期

    (3) 照葉樹林文化の伝来と定着 181
      鳥浜貝塚での発見
      栽培植物の発見はつづく
      稲作以前の農耕の復元――焼畑農耕の研究
      原初的天水田の検証――水田と畑作の間
      非稲作の村で水田が拓かれるとき
      縄文文化と弥生文化との出会い
    コラム:稲作文化の伝来と受容
      稲作文化の展開と照葉樹林文化
      基層に定着した照葉樹林文化


    第三部 討論 照葉樹林文化と稲作文化をめぐって 199

    照葉樹林文化論と稲作文化――問題提起に代えて 200
      照葉樹林文化をめぐる問題
      稲作文化をどう位置づけるか
      東亜半月弧をどう捉えるか
      検討すべき重要な課題
      稲作の起源――アッサム・雲南から長江中・下流域へ

    イネを生み出した前提条件はなにか 207
      議論する稲作の範囲
      稲作を生み出したもの
      東シナ海平原とヒトの生活
    コラム:農耕以前の野生植物の雑穀的な利用
      イネの栽培化過程についての問題
      根栽と半栽培

    栽培稲の誕生 222
      野生イネのオリザ・ルフィポゴンは多年生
      種子繁殖イネの誕生
      イネは株分けで進化したか

    長江中流域か下流域か 230
      最古の栽培稲の年代は
      イネの起源地はどんな環境だったか
      気候変動とイネの起源
      日本列島における気候変動と稲作の誕生
      マージナル(周辺)地帯の重要性
      稲作の起源をめぐる二つの説

    照葉樹林文化と稲作文化の位置付け 247
      東アジアでの雑穀の伝播
      水田稲作以前の稲作
      稲作文化とは
      稲作文化はいつからか

    長江文明の稲作の実態 258
      初期の水田
      城頭山遺跡の水田
      見渡すかぎりの水田はなかった
      「火耕水耨」型の稲作
      混播とモノカルチャー
      焼畑の生産性
      稲作文化はいつ成立したか
      長江文明におけるイネの重要性

    照葉樹林文化論の検証 286
      平野から山地か、山地から平野か
      東亜半月弧を検証する
      火耕水耨型の焼畑水田
      長江文明のその後
      長江文明にモチはあったか
      モチ種の起源

    あとがき(2007年10月16日 佐々木高明) [310-314]
    主な参考文献 [315-322]

  • 横山先生おすすめ

  • 宮崎駿氏が照葉樹林文化論に傾倒してたと知り
    読んでみたのだけど、難しかったなぁ。

    おそらく内容の6割くらいしか頭に入ってない
    稲作についての記述が多いからそこは退屈。
    もう少し、信仰や精神性の特徴を多く知りたかった。

    モチとかねばねばした食品が好きなルーツはここから。
    そういう文化のくくりがあるということが面白い。

  • 長い間、気になりながら読めなかったテーマです。照葉樹林文化については名前を見たことがある程度で、きちんと本を読んだことがありませんでした。古い本が多かったので、リサイクル市なんかで見つけたら、パッと手にとって読んでみたかもしれないのですが、手に入れられませんでした。そして今回、久々に新刊が刊行されたということで、早速買って読んでみました。おもしろい。モチとかコンニャクとかナットウとか、日本人である私はふつうに食べてきましたが、これらの食品が、当り前ですが、世界中で食べられているわけではなく、中国でも限られた地域しか食べられていないということ。おもしろい。でも考えてみれば、日本の中だって丸いモチがあったり、四角いモチがあったり。お雑煮はおすましだったり、白みそだったり、地域によってずいぶん違うわけです。たぬきうどんの中身とか、関西と関東の味付けとか、違いはたくさん見つかります。文化による差異を見つけるというのは本当に興味深いものだと思います。同時に、共通点を見つけ出すことで、そのルーツを探るというのは、とっても興味深いテーマだと思います。もちろん、一つには定まらないのでしょうが、日本の文化はいったいどこから来たのでしょうか・・・

  • 照葉樹林文化論の基本。

  • 照葉樹林文化は、雑穀・根菜型の焼畑農業やモチ種作物の利用などの多岐にわたる共通の文化によって特徴づけられるもの。稲作の起源地は長江中下流域であることがわかってきたが、もともと照葉樹林文化との関係は決定的なものではなかった。

    長江下流域では、河姆渡文化期から馬家浜文化期まで(BC4600〜3800年)は、狩猟採集の比重が大きかったが、?沢文化期から良渚文化期(BC3300〜2200年)に稲作経済が確立し、巨大な基壇群をもつ大建築群や大型の墳丘墓が出現し、数多くの玉器類に象徴される初期国家が誕生した。

    日本では、縄文時代の人口の大半が東日本のナラ林帯に分布し、東北アジアの沿岸・定着漁労民文化と酷似している。縄文時代の前期から中期頃に照葉樹林文化が流入し、大きな文化の発展があった。紀元前一千年紀の初期から中期に、長江流域や淮河流域などから、水田耕作が朝鮮半島南部や北九州に伝播した。

  • 本書の照葉樹林文化からは離れているかもしれませんが、
    中国南部の南寧を訪れたことがあります。

    北京の漢民族と南寧の人たちとの距離よりも、
    日本人と南寧の人たちの距離の方が、短いと感じました。

    直感は学術的ではありませんが、学術の理解に直感は必要だと思われます。

    南からの文化が、日本の文化の何割を占めるというような定量的な結論が出せるかどうかはわかりませんが、少なくない比率だという感触を持っています。

    そういう感触を持って読むと、楽しく読むことが出来ます。

    百聞は一見にしかずとか、現地、現物といいます。
    本書を読まれた方は、どこか現地に行かれることをお勧めします。

    観光、視察などの枠を気にすることなく、
    現地をくまなくみるのがよいかもしれません。

    私は南寧では、ある案件の会合を5日間したほかは、
    民族博物館を訪問しました。

全17件中 1 - 10件を表示

著者プロフィール

出席者
佐々木高明(前・国立民族学博物館館長/財団法人アイヌ文化振興・研究推進機構理事長)
野村義一(北海道ウタリ協会前理事長)
榎森 進(東北学院大学教授)
加藤一夫(静岡精華短期大学教授)
常本照樹(北海道大学教授)
大塚和義(国立民族学博物館教授)
尾本惠市(国際日本文化研究センター教授)
吉崎昌一(静修女子大学教授)

「1997年 『アイヌ語が国会に響く』 で使われていた紹介文から引用しています。」

佐々木高明の作品

この本を読んでいる人は、こんな本も本棚に登録しています。

有効な左矢印 無効な左矢印
三島由紀夫
ジェームス W....
有効な右矢印 無効な右矢印
  • 話題の本に出会えて、蔵書管理を手軽にできる!ブクログのアプリ AppStoreからダウンロード GooglePlayで手に入れよう
ツイートする
×