愛するということ 新訳版

制作 : Erich Fromm  鈴木 晶 
  • 紀伊國屋書店
4.11
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本棚登録 : 3307
レビュー : 341
  • Amazon.co.jp ・本 (216ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784314005586

作品紹介・あらすじ

人間砂漠といわれる現代にあり、こそが、われわれに最も貴重なオアシスだとして、その理論と実践の習得をすすめた本書は、フロムの代表作として、世界的ベストセラーの一つである。

感想・レビュー・書評

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  • 「愛」って何だろう?「無限」ってどういう事?
    2013年はそんな本からスタート。
    「愛される方法」や惚れさせるテクニックより、
    「どうしたら人を愛し続けられるか」の方が難しい。愛するって、信じるによく似ていて、好きって、悔しいに近いってぼんやり思う。

  • 「愛は人を好きだったら、運がよければ愛に出会えるものではなく、自分から生産するもの」、「誰かを愛して、誰かを愛せないなら、誰をも愛してない」

    現代社会、資本主義の構造が、愛ということを含む人々の精神状態の傾向を作っている解説は納得でした。
    愛の修練の箇所では、自分に集中することなど、ヴィパッサナーと同じことが書かれていたのには驚きました。やはりそれが愛を生む前提の土台なのか‥2500年前に既に人が知っていたこと‥
    改めて感動したと同時に、周りを見わたしても成熟した愛を生む喜びを感じられる幸福な人は少ないことに気づき、今の現実に気づかされました。

    ・たいていの人は愛を「愛する」ではなく「愛される」という問題として捉えている。
    ・能動的な感情を行使するときには、人は自由であり、自分の感情の主人であるが、受動的な感情を行使するときには、人は駆り立てられ、自分では気づいていない動機の僕である。
    ・愛は行動であり、自由でなければ実践できず、強制の結果としてはけっして実践されえない。
    ・愛は何よりも与えることであり、もらうことではない。
    ・貧困は人を卑屈にするが、それは貧困生活がつらいからではなく、与える喜びが奪われるからである。
    ・与えるということは、他人をも与える者にするということである。
    ・愛するためには、性格が生産的な段階に達していなけれならない。依存心、ナルシズム的な全能感、他人を利用しようとかため込む欲求を既に克服し、自分の人間的な力を信じ、自分の力に頼ろうという勇気を獲得している。これらの性質が欠けると、自分自身を与えるのが怖く、したがって愛する勇気もない。
    ・愛とは、愛する者の生命と成長を積極的に気にかけることである。
    ・自分が相手に関して抱いていたゆがんだイメージを克服し、相手を、そして自分自身を客観的に知る必要がある。
    ・愛は人間の実存にたいする答え。
    ・助けが必要だからといって、その人が無力で相手方に力があるというわけではない。
    ・自分の役に立たない者を愛するときにはじめて、愛は開花する。
    ・母性愛の真価が問われるのは、幼児にたいする愛においてではなく、成長をとげた子どもに対する愛においてである。
    ・ナルシズム傾向のつよい母親、支配的な母親、所有欲のつよい母親が、愛情深い母親でいられるのは、子どもが小さいうちだけである。
    ・人を愛することのできない女性は、子どもが小さいあいだだけは優しい母親になれるが、本当に愛情深い母親にはなれない。
    ・自分の全人生を相手の人生に賭けようという決断の行為であるべきだ。
    ・1人の人間を愛することは人間そのものを愛することでもある。自分の家族は愛するが他人にはめをむけなといったことを、ウィリアム・ジェイムズは分業と呼んだが、これは根本的に愛することができないことのしるしである。
    ・もしある人が生産的に愛することができるとしたら、その人はその人自身をも愛している。もし他人しか愛せないとしたその人はまったく愛することができないのである。
    ・利己的な人は自分を愛しすぎるのではな愛さなすぎるのである。自分自身を愛しすぎているかのように見えるが実際には真の自己を愛せず、ごまかそうとしているのである。

    ★愛の修練、前提条件
    ・1人で何もせずいられること
    ・集中力(いまここで現在を生きること)
    ・目的を達成できないのではないかと思うが、何事にも潮時があるので、忍耐力をもつ
    ・自分自身に対して「どうしてそう思うんだろう?」と敏感に気づく
    ・自分は○○できるから、あの人だってできるはずだというナルシズムの克服
    ・子どものことを従順だとか、親としてうれしいとか、親の自慢だと感じ、子どもが実際に感じていることに気づかないなど客観性を失わない。
    ・人間や物事をありのままに見て、その客観的なイメージを自分の欲望と恐怖によってつくりあげたイメージと客観的に区別する能力
    ・客観的に考える能力、それが理性。理性の基盤となる感情面の姿勢が謙虚さである。
    ・権威への服従に基づいた信仰のことではなく、自分自身の思考や感情の経験に基づいた確信という「信じること」。
    ・自分の愛は信頼に値するものであり他人のなかに愛を生むことができる、と信じることである。
    ・他人を信じることのもう一つの意味は、他人の可能性を信じることである。
    ・教育とは、子どもがその可能性を実現していくのを助けることである。真逆の洗脳は、大人が正しいと思うことをこに吹き込み、正しくないと思われることを根絶すれば、子どもは正しく成長するだろうという思い込みに基づいている。
    ・他人を信じることを突き詰めて行けば、人類を信じることになる。人間には可能性があるので、適当な条件さえあたえられれば‥。
    ・権力を信じることは信念とは正反対。現在すでにある力を信じることは、まだ実現されてない可能性の発達を信じないことであり、現在目に見えるものだけにもとづいて未来を予想することだ。しか人間の可能性と人間の成長を見落としている。
    ・信念を持つには、苦痛や失望をも受け入れる覚悟の勇気がいる。安全と安定こそが人生の第一条件だという人は信念を持つことはできない。他人と距離をおき、自分の所有物にしがみつくことによって安全をはかろうという人は愛する、愛される勇気がない。
    ・ある他人にたいしてある評価をくだし、たとえそれがみんなの意見とちがっていても、また、なにか不意の出来事によってその評価が否定されそうになっても、その評価を守り通すには、信念と勇気が必要だ。あるいは、みんなに受け入れられなくても、自分の確信に固執するには、やはり信念と勇気が必要だ。また、困難に直面したり、壁にぶちあたったり、悲しい目にあったりして自分に課された試練として受け止め、それを克服すればもっと強くなれる、と考えるには、やはり信念と勇気が必要である。
    ・自分がどんなところで信頼を失うか、どんなときにずるく立ち回るかを調べ、それをどんな口実によって正当化しているか詳しく調べる。そうすれ信念にそむくごとに自分が弱くなっていき、弱くなったためにまた信念にそむくといった悪循環に気づく。
    ・人は意識のうえでは愛されないことを恐れているが本当は、無意識のなかで、愛することを恐れているのである。
    ・愛するということは、なんの保証もないのに行動を起こすことであり、こちらが愛せばきっと相手の心にも愛が生まれるだろうという希望に、全面的に自分をゆだねることである。
    ・愛以外の面で能動的・生産的でなければ、愛においても能動的・生産的になれない。

  • 名著であると思う。今まで読んだ本の中でも
    最高ランクに値するくらいのいい本だと思います。
    少し、難解な部分もありますが、久しぶりにひとつの
    本を繰り返して何度か同じ部分を読み理解し進めて
    いけば理解できる、というかそういうふうに読みた
    くなる本だと思います。
    愛は技術であり、能力である。よってそれを得るには
    習練が必要であり、論理が必要である。
    愛することの基盤は、内的能動、つまり自分の力を
    生産的に用いることである。愛は能動である。
    そのほかすばらしい文書。言葉がたくさんある。
    何度も読んでみたい本です。
    周りの方々へ、これを機に、今から私が愛について
    滔々と論じはじめても温かくみまもってください。

  • 心理、というよりは哲学?
    何となくあまやかなものを想像して読むならそれは裏切られますね。
    結構厳しいことが書かれていると思います。

    以前から読みたい、と思っていたところへ新装版。そしてNHKで解説番組を放映してくれましたね。
    これを観ておいてとても良かった。でなければもっと理解は難しかったと思います。
    しかしそれでも難しかった…。確かに読む年代や人生経験、心理状況によって受け止め方や理解の深度など変わるのでしょうね。

    やはりエンタメ寄りな思考の私は「愛は技術である」ことをフロムさんはどのように実践したのか、実生活に活かしたのか活かせなかったのか、の方に興味がでてしまいます(笑)

  • いつか読もうと思っていた本。

    愛することは与えること。
    一人を通してすべての人を、世界を自分自身を愛すること。
    そのためには技術を磨くこと。
    規律、忍耐、集中、信念。

    それは自分自身を人間的に高めていくこと。

    力強い言葉がたくさん詰まっています。
    帯の谷川俊太郎さんの言うように、年を重ねて読むとまた感じ方が変わるでしょうか。

    その時まで大切に書棚にしまっておきます。

  • 最近読んだ本では孤独を絶賛していましたが、この本は人を愛することこそが幸福であるとして、人との能動的な交流を推奨していました。人を愛するというのは対象の問題、つまり愛すべき人が現れたら自然と愛せるというものではなく、愛する能力を身につけるからこそ愛せるのだ。という面白い考えを示してくれました。
    ......はい、納得です。スポーツや仕事等色んな技術を磨いても愛する技術に目を向けている人ってほとんどいないですよね。それはいわゆる「モテテク」なんかではなく、自分の内面と向き合い、長い時間をかけて生み出し、成長させる技術です。人を愛するため、そして幸せになるため、その技術を獲得する努力をする必要があると感じました。
    (先ほど人との関わりを推奨すると書きましたが、孤独を否定しているわけではなくて、むしろ愛に必要な忍耐力や集中力を得るためにはその孤独というものが大変重要なものであると述べられています)

  • 心の奥底から愛を求めているくせにすべての物が愛よりも重要だと考えている。

     「愛は随分昔にどこかに置いてきた」そんなことをボンヤリと頭に浮かべながら、静まり返ったカフェの中でこの1冊を僕は手に取って読み始めた。ハッとさせられるような文章、深く共感するような文章に引きこまれて僕は魅了された。最初は読むのが恥ずかしいと思ったタイトルだったが、すぐにこの本に夢中になった。夢中になりすぎて、気がつけば渋谷に向かう通勤電車の中でさえ読み始めた。周りにいたサラリーマンやOLがこっちをみて、“愛するということ”というタイトルを見てクスクスと笑った。でもそんな周囲の目線はもはやどうでもよかった。僕は内容に全神経を尖らせ、集中した。
     「愛は何よりも与えることであり、もらうことではない」、この言葉が本書で一番自分の胸に突き刺さった。上手く表現できているかわからないが、“僕”という人生の過去を振り返ってみると、恋人との恋愛において、今までずっとGive(与えること)ではなくTake(貰うこと)ばかり考えて接してきた(ように思う)。そしてそのような僕の横柄で傲慢な態度は、いつも上手く行かずに失敗ばかりしてきた。例えば、遠距離恋愛をした彼女。大学2年生の半ばから3年生の始めまで付き合った同志社大学に通う彼女は特にそうだった。遠距離恋愛だったので2人で会って過ごす時間は少ない。夜行バスにのって僕が大阪の梅田に行き、彼女が神奈川まで来る、みたいな恋愛の仕方だった。詳細は省くがこの恋愛は破綻した。僕が与えられなかった、いや、正確に言うと与え続けられなかったからだと思っている。もうひとつは、「愛とは、愛する者の生命の成長を積極的に気にかけることである」という本書に書いてあることが、2人の距離が離れていたために実現できなかったからだ。直接顔を合わせられるのは多くても月に1回程度。普段の近況報告はメールかスカイプ。
     また、彼女は同志社大学で有名な学生団体の代表をやっていたり、僕の方も何かと忙しかったりして、お互いに連絡する機会が徐々に少なくなっていた。普段の別のことが忙しくて顔も合わせなければ、当然お互いに対関心が薄れていく。お互いが強い関心を持ち続けられないと“愛”という目に見えない“何か”は続かないという当然の事を、僕はこの本を読んだ時に思い出した。
     「愛という技術を習得することが自分にとって最大の関心ごとにならなければならない」ということに対してもとても納得した。「成功、名誉、富、権力、これらの目標を達成する術を学ぶために殆どのエネルギーが費やされ、愛の技術を学ぶエネルギーが残っていない」と本書にあったが、全くその通りだと思う。僕は、自分のスキルアップのためならとてもエネルギーを注ぐ(例えば、英語に関しては毎日25分のフィリピン人とのオンライン英会話に月に5,000円払う)。しかし、「他のどんなことよりも恋愛にNo.1プライオリティを置いているか?」と問われれば、間違いなく「No!」と答えるだろう。僕も含めて、恋人がいない人は、“恋人欲しいな”と心の底では思っている。だが一方で、実際に心のどこかで、「まあ、恋人がいなくても別に困らないからな」と思っている人が多い気がする。
     自分自身に対する関心を超越して、相手の立場になって初めてその人をみることができたときに愛は成立しうるんだと思う。“愛”とは、“愛する者の生命の成長を積極的に気にかけることである”、こんな考え方をもって次に愛する人と一緒に時間を共有したい、そんなサラサラと砂が落ちるような感情を抱いた一冊だった。次に愛する人、いや恋する人に出会うのがちょっぴりと楽しみになる素晴らしい一冊に出会うことができて、課題図書で指定してくださった井下先生に感謝。

  • 愛という抽象的概念を理論立てて定義する試み。
    困難が伴うであろう作業だが著者は見事これに成功している。

    愛とは与えること。
    そして与えるためには、自らを拠り所にして生産的に生きることが必要。そその前提には「自らの思考・経験に基づいた信念」がある。

    孤立の不安・恐怖から逃れるのが人類の願望であり、それゆえ人は愛を他者に求める。しかし、本当の愛を手に入れるのは自分の存在に信念を宿らせる人間のみである。したがって愛することは修練が必要になる。そしてその修練はいついかなる時でも規律・集中を実践することであると著者は説いている。
    愛は決してメロドラマのように運命的に恋に落ちることを指すのではない。
    自分の全存在を賭して他者の可能性に飛び込む、非常に能動的で勇気の必要な行為であるのだろう。

    最後に愛の実現に影響を及ぼす今日の資本主義社会の問題点を著者は提起していた。これはいまだ現在の我々の課題に通じる。

    資本主義の限界点が愛という視点から見事に指摘されており、感銘を受けた。

  • 「愛は技術である」という挑戦的なテーゼを築城したと言われる一冊で、技術といっても安易なハウツー本ではなく、「どうあるべきか=how to be」を説く内容。

    ただ正直疑問符を感じる点も多い。端的に言えば、これは「キリスト教世界を前提に書かれた本」であり、それは聖書からの引用を多用した不安定な論展開に見られるような顕在的な部分だけでなく、母性と父性を明確に切り分ける描写や、同性愛を認めていないことであったり、著者自身古典的な宗教観やそれに紐づくジェンダー観に引っ張られすぎではと思わずにいられなかった。。

    また、社会と個人的愛の関係について論じた後半部分は正直たるかった…「いや、そうだよね。で?」って内容に終始しており、その中でどう生きるべきかを指し示すような内容もなし。

    結局言ってることは、愛されることを待つんじゃなくて、「愛されるよりも〜愛したいまじで〜」っていう気持ちが愛だよねっていう、Kinki Kids的恋愛論で、それ以上でも以下でもない本だなと思いました。

  • 名著とは思いません。色々突っ込みどころ満載で、イライラしたり吐き気を催したり「許さんぞ!」とキレたくなったりというのが私は読んでいて割とあった本でした。

    もっといい本があるような気がします。
    より正確に言うならば、この本を日本語で読むよりも、もっと日本の現状にフィットした「愛するということ」について語られた本を読んだ方がいいように思います。
    というかそもそも、日本で「愛」がどう捉えられているかを考え直すことの方が一番大事であって、こういう本は「へぇー、フロムさんとこの国の文化ではそう考えるのねー」程度に留めておけばいいように思えてなりません。

    散々なことを言いましたが、結局、
    「英語圏じゃないかつキリスト教徒じゃない自分が読んでどこまで分かる話だろうか、これ?」
    というのがこの本を読んでの正直な感想です。

    そのくらいゴリッゴリの欧米人向け、キリスト教徒向けです。だって、p.77の兄弟愛の話とかもろキリスト教の「隣人愛」の話ですよ。その意味での“brother”ですからね。「お兄ちゃんやお姉ちゃんを敬いましょうね。弟や妹には優しくしましょう大事にしましょうね」なんてことは書いてない訳です。「私のいう兄弟愛とは、あらゆる他人にたいする」(p.77)愛だと、しかもすぐ後に「「汝のごとく汝の隣人を愛せ」という聖書の句が言っているのは、この種の愛のことである」(同頁)とバッチリ書いてありますでしょうが。

    そういうイライラがある。この本には。
    まず、
    ①宗教の違いからくる実感のかけ離れ具合
    ですね。これはさっき言いました。加えて、
    ②訳語というか翻訳の問題
    もあると思います。鈴木晶さんが非常に努力して翻訳なさったということは勿論認めます。ただ、初っ端の第1章のタイトル「愛は技術か」からもうイライラします。「「技術」てアンタ……“art”でしょ?! “technique”でも“technology”でもないわけじゃないですか?!(怒)」とツッコミたい欲がムクムク湧いてしまいます。もっといい訳語ないんかと。難しいところなのは分かりますけれどね。
    ただやっぱり一番抵抗感を覚えるのは、
    ③ジェンダー観が堅苦しい、古い
    これに尽きます。まず、人と人が愛するとはどういうことなのかについて書いた本で「同性愛という逸脱は、この両極の合一の達成の失敗である。だから同性愛者は、解消されない孤立の苦しみを味わう」(p.58)とホモフォビアをかましたことを私は絶対に許しません。他の議論も、異性愛中心主義のキリスト教道徳から一歩も出ることのない典型的な愛に関する議論に終始しています。母性愛だ父性愛だ、母性原理だ父性原理だと書き立てる感じも好きになれません。

    何というか、要するに言ってることは結局、
    「愛のあるセックスが大事やで! 愛があったら一つになれるしな!」
    とか、
    「自分を愛せる人にならな、どうして人のこと愛せんの?」
    とか、
    「ワガママはあかん! 何でも欲しがりはダメ! 与えてこそ愛や!」
    とか、
    「人を愛せるようになるにはな、まず規則正しい生活をすることや! あと、しょーもない事にかまけんと、集中して自分を見つめることが大事やねん! 今を生きる事に全力集中するんやで! ほんでな、あと大事なのは人の話はちゃんと聞くこと! ええか! お前のことやで!!!……」
    とかいう話を、なるべく下世話な言葉を使わずに語っているんだなフロムさんは……程度のことしか、この本から汲み取ることは難しいんじゃないか我々日本人にとっては。そう思えてならないのです。

    本当はもっと難しい“art”について書いてある本のはずなんだけど。それこそ、人間にとっての永遠の課題と言ってもいいような。

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著者プロフィール

エーリッヒ・フロム (Erich From)
1900年ドイツ・フランクフルト生まれ。フロイト理論にマルクスやヴェーバーを接合して精神分析に社会的視点をもたらし、いわゆる「新フロイト派」の代表的存在とされた。また、真に人間的な生活を可能にする社会的条件を終生にわたって追求したヒューマニストとしても有名である。しだいに、禅や東洋思想へも関心を深めた。
著書に、『愛するということ』『悪について』『生きるということ』『フロイトを超えて』『希望の革命』『反抗と自由』『人生と愛』『破壊』(以上、紀伊國屋書店)ほか多数。1980年歿。

「2016年 『ワイマールからヒトラーへ〈新装版〉』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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