幸せになる勇気 自己啓発の源流「アドラー」の教えII
- ダイヤモンド社 (2016年2月26日発売)
- Amazon.co.jp ・本 (296ページ)
- / ISBN・EAN: 9784478066119
感想・レビュー・書評
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信頼は尊敬 能動的
先に信じる
語り続ける
仕事に身を捧げるだけでは幸福を得られない
他者に信頼を寄せて交友の関係に踏み出すこと
交友を結ぶ
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以前に図書館で借りたのに、忘れててまた借りてしまいました。
アドラー心理学をわかりやすく実例を挙げて、教師と哲人のやりとりとして書かれています。
2回も借りてしまうほど、タイトルが秀逸ですね。(笑) -
個性は相対的なものではなく、絶対的なものである
教師になりたい人に是非、読んでいただきたい本です
あーー、早く自立したいなぁ・・・ -
嫌われる勇気を読み終えて、なんと幸せになる勇気という続編があることが発覚。そういえば青い本の横に赤い同じような本あったっけか?となんとなく思いつつ、続きが気になるので、すぐに本書を読みはじめた。
続編だけあって、前作の嫌われる勇気を踏まえた上での、それらの考え方をさらに踏み込んで、具体的に考えていく、という感じで、アドラー心理学の考え方を、より具体的にイメージしやすくなった。
尊敬、自己受容、信頼、自立、愛
こういったことの本質を教えてくれる本だった。
前作に続き、本書を読み終えて、ベストセラーになるのも納得の、シンプルに生きるための本質が描かれているように思える内容だった。
7つの習慣と同じように、理解した後に、これを実践し続け、習得することはすごく難しいものだと感じた。だが、この習得しようと実践し続ける姿勢そのものが、相手にも伝わり、自分自身にとってもある種自己暗示にもなり、自信にもなり、いい結果に繋がるのではないかと思った。
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以下、学んだことのメモ
尊敬→人間の姿をありのままに見て、その人が唯一無二の存在であることを知ること。また、その人が、その人らしく成長発展していけるよう気遣うこと。
目の前の他者を変えようとも操作しようともしない。何かの条件をつけるのではなく、「ありのままのその人」を認める。
普通であることの勇気、平凡な自分を「その他大勢」としての自分を受け入れること。
「人と違うこと」に価値を置くのではなく、「わたしであること」に価値を置く。⇒それが本当の個性
自分の個性は、相対的なものではなく、絶対的なもの
自らの価値を他者に決めてもらおうとする態度、すなわち承認欲求は、ただの「依存」
自己中心的な人は、ありのままの自分を受け入れることができず、絶え間ない不安にさらされているからこそ、自分にしか関心が向かない。
自立とは、「自己中心性からの脱却」
自己中心性から抜け出し、「世界の中心」であることをやめなければならない。
分かりもしない将来のことなど考えず、存在するはずもない運命のことなど考えず、ただひたすら、目の前のパートナーと「今」をダンスすること
どこへいくのかなど考えることなく、互いの手を取り合い、今日という日の幸せを、今という瞬間だけを直視して、くるくると踊り続ける
愛とは"信念"の行為
愛する勇気があれば、相手を深く愛することができる
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前書嫌われる勇気に引き続き、本書は数年前に通読したものを再通読。
2014年から私自身歳を取ったのもあるのか、青年の語り口調が前書で悩める青年の1人として感情移入して読めたのが本書の青年はやけに攻撃的だと感じた。とはいえ、主に現実逃避癖のある私の今抱えている不安や課題が誇張してよく表現されているとも思う。
両書において課題の分離は特に重要。
また、過去は存在しない、今起きている現象に対し、未来の目的「これからどうするか」を決めるという考え方は日常生活においてとても身近であり、個人的に優先度が高く実践したい教えである。
前書は主に承認欲求の話が印象に残っているが、本書では共同体感覚に焦点が当てられている。
共同体感覚というのは、スティーブン・R・コヴィー『7つの習慣』の自立から相互依存に向かう、第4〜6の習慣、私たち(we)の幸せを創造することと通じる内容のように思える。
人はまず親に依存せざるを得ない状態(愛されるためのライフスタイル、承認欲求)から始まり、自立に向かい(自己中心性からの脱却)、他者への関心を寄せ(尊敬、愛の実践)私たちの幸せを築くことで大人になり、真の自立を果たす。
承認欲求が愛されるためのライフスタイルであるのに対し、愛とは見返りを求めないこと。
信頼、尊敬を寄せ、交友の関係を築き、他者から愛が返って来ないことに対しては課題を分離し、ただただ自分が先に愛すると選択、決断すること。
運命の人は存在しない。運命の人が居るとすれば、ただこの人が運命の人だと信じて決めるだけのこと。
愛の実践は決して楽なものではない。
愛に関する内容については、エーリッヒ・フロム『愛するということ』とも通じるものがあるようにも思う。
…個人的に今の私の恋愛は幸せになりたいからではなく、あの人から愛されたい、楽になりたいから始まった恋愛であるが。
もう以前ほど愛されたいと求めていない今、あの人と幸せを築けるのだろうか。あるいは、幸せを築かず楽だけを追求するのか、自立を目指すのか。
ただ1つ言えるのは、これからできるのは、自分が自立した上で(超重要)、あの人の関心に関心を寄せたり、2人の幸せを築くこと、それが出来ないなら別れる、ただそれだけであろう。
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2020.7.6
ラクマ1,099円にて売却済 -
勇気二部作を読了しました。
もともと、シンプルな状態が好きだったので、内容についてはすとんと落ちて読み終えることができました。
「劇薬」と言うほどの衝撃があったわけではありませんが、課題の分離や目的論というのは、世俗的ですが、イライラの回避や冷静な生き方に有用だと思いました。
じっさい、日常生活で意識することによって、今までよりも穏やかに過ごせるようになったと感じます。
もう何回か読んで、しっかり自分の中に落とし込みたいところです。 -
「嫌われる勇気」の3年後のおはなし。青年は教師となり、アドラー心理学の実践を試みます。が、教育現場の圧倒的な現実を前にして、青年はアドラーを捨てる決意をする。そしてなぐりかかる勢いで哲人の書斎を訪れ、もういちど議論をします。
アドラー心理学では、教育に関して「叱るのもダメ、褒めるのもダメ」とされています。子どもが悪いことをしたとき、たいていはそれが悪いことだと知らなかったことが原因だと考えられます。だから叱るのではなく、これはいけないことだよ、と教えればいい。ただし、悪いことだと知っていて確信犯的にやる場合もありますよね。でもこの場合でも叱ってはいけない。その子にとって叱られるのは思うツボなのです。
なぜ思うツボなのか。その理解を進めるため、まずはアドラー心理学における、問題行動の5つのステップを説明したいと思います。
第1ステップは「賞賛の要求」です。ほめてもいたい、共同体のなかで特権的な地位を得たいという理由から、勉強やスポーツを頑張る。一見いいことのようにも思われますが、褒められたいから頑張るというのは、褒められなくなったらやめちゃう、ということですね。それじゃあ動機が不健全。本人が勉強やスポーツを頑張ることに意味を見出しているのが大事です。
第2ステップは「注意喚起」です勉強やスポーツでみんなが目立てるわけではありません。そういう子はどう考えるかというと、褒めてもらえなくていいから、とにかく目立ってやろうとするわけです。授業中に騒いでみたり、いたずらしたりすることによって周囲の関心を引く。まあ、第2ステップまでなら、問題にはならないのですが、この先に進むとたいへんなので、この段階でどう止めるか。
第3ステップは、「権力争い」です。これは反抗して自らの権力を示す行為で、典型的なワルイやつでしょうか。
第4ステップは「復讐」です。自分を認めてくれなかった人に復讐を始めます。
最後のステップは「無能の証明」です。頑張ることも目立つことも反抗することも諦めて、ひたすら自分が何もできないことをアピールする。はじめから「できるはずがない」と諦めた方が楽なんですね。でもこれによって、親や教師は心配したり自分を責めたりするので関心を集めることはできます。
ここまでみていくと、褒めることは第1ステップ「賞賛の要求」を助長させる行為であり、叱ることは、第2ステップ「注意喚起」を助長させる行為である、ということがわかります。叱るのは、生徒たちと言葉でコミュニケーションをとることを煩わしく感じて、手っ取り早く屈服させようとする行為(=暴力)であるとも言っています。教育者はカウンセラーであれ。褒めたり叱ったりではなく、一人の人間を尊敬して寄り添い、勇気付けて自立を促す。これがアドラー流です。
さて、これが実際の教育現場で通用するのか。このレビューを書く前に、現役教師の友達とも話したけれど、「褒める」というツールはやはり有力ではないか、というのがぼくの考えです。褒められたいから勉強するというのは確かに動機としては不純で、勉強そのものに興味や(例えば将来設計のためという)意味を見出してもらうのがベストではあります。でも、小学生にそれを求めるのは酷ではないか?まずは褒められることを動機に勉強し、そのなかでだんだんとそれ自体に興味を持つという順番じゃダメなのか。そんな最初から興味持てないですよ。その方が現実的だと思うんですよね、自分の過去を振り返ってみても。だからアドラー流の教育論は、おもしろいんですけれども、実践的ではないなという感想をどうしても抱いてしまいました。 -
アドラー、さらっと読んだだけではなかなか難しい。信頼も愛も見返りを期待せず、純粋な思いでって、それが難しい。いつかできるようになるのかな。