世にも美しい日本語入門 (ちくまプリマー新書 27)

  • 筑摩書房
3.47
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  • Amazon.co.jp ・本 (137ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784480687272

作品紹介・あらすじ

七五調のリズムから高度なユーモアまで、古典と呼ばれる文学作品には、美しく豊かな日本語があふれている。若い頃から名文に親しむ事の大切さを、熱く語りあう。

感想・レビュー・書評

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  • 安野光雅さんと藤原正彦さんの「美しい日本語」についての対談集。
    かつての師弟関係であったという事実もさることながら、画家と数学者という接点の少なそうなお二人の基底として流れるものが酷似しているというのが奇跡的だ。
    読んでいて非常に興味深いのはその点。
    対話形式なので深い部分まではなかなか触れられないが、読み物として楽しい。
    日ごろから名文にふれることと、国語教育の大切さ。
    文語体や童謡・唱歌の美しさ。
    日本語の峻厳な世界を広め、伝えようという姿勢が貫かれていて気持ちよい。
    時折現れる南伸坊さんのほのぼのした挿絵がユーモラスで、心が和む。
    前書きが藤原正彦さんで、後書きは安野光雅さん。これだけでも贅沢というものだ。

    思わず笑ってしまったのは、第三章の「日本人特有のリズム」の中で、安野さんが語る「片想い百人一首」の話。
    私たちは五七五七七のリズムの中で生きてきて、百人一首で遊んだ覚えもある。
    すると、でたらめにつないでも不思議と意味のありそうなものになるのでは、と試験的に作ったのが「古池や 犬が西向きゃ水のおと われもて末に 蟹とたわむる」というもの。
    以下、似た歌が並んでいる。実は私も友人とこれで遊んだことがある。
    荒唐無稽なだけではつまらないので、色々くっつけては出来るだけ意味のありそうな歌にしていくという作業だ。
    「立ちつくす 青田に君のにじむまで 人しれずこそ 思ひそめしか」
    これは藤原さんの歌。元の歌が何と何か、分かります?

    安野さんの「大志の歌」という歌集が手元にあるのだが、深遠な哲学でもあるのかと懸命に読んできた。でも、三章の流れで「悪のりで作った」と分かり、ぐっと気が楽になった。そういうことは「早く言ってよ」だ・笑
    そんな楽しい安野さんの推薦図書は「即興詩人」なのだそうだ。

    ところで大きな疑問がひとつ。
    前書きに「美しい日本語にふれないと、美しく繊細な情緒が育たない」とあるが、その「情緒」はどこから来るのかを知りたい。
    同じものに同じくらいの頻度で触れていても、何も感じない人というのは存在する。
    いわば心のセンサーのようなものは、育てられるのかどうか、今はそれを考えている。

    • だいさん
      nejidonさん

      オヤジは説明へたでしょ ごめんなさい
      情緒という感覚 = 心のセンサーですが 気づいている者同士では お互い ...
      nejidonさん

      オヤジは説明へたでしょ ごめんなさい
      情緒という感覚 = 心のセンサーですが 気づいている者同士では お互い 難なく伝わるという意味です
      ただ 気付くのには 時間がかかるし きっかけが必要なのかなと思います
      例えば「ふるさと」って言ったらあのイメージが 伝わるでしょ
      nejidonさんは妙齢の人だと言っても
      言葉を知らなければ何のことかわからない
      2019/09/19
    • nejidonさん
      だいさん、こんにちは(^^♪
      再訪してくださり、ありがとうございます。
      だいさんは「オヤジ」ではありませんよ。「オジサマ」です!

      ...
      だいさん、こんにちは(^^♪
      再訪してくださり、ありがとうございます。
      だいさんは「オヤジ」ではありませんよ。「オジサマ」です!

      ところで、大変分かり易くなりました。
      まさに気付く「きっかけ」が大切ですね。
      言われてみれば私自身もそうでした。
      あの時のあの出来事が・・とか、あの人との
      出会いが・・とかね。
      センサーが著しくズレている人と仕事をする機会が増えてなかなか大変です。
      レビュー最後の数行には、そんな気持ちも込められています。
      2019/09/19
    • だいさん
      センサーが著しくズレている人

      御意(*^-^)
      いますね
      センサーが著しくズレている人

      御意(*^-^)
      いますね
      2019/09/21
  • 安野光雅と藤原正彦
    この2人の対談というだけで、
    読む価値があるような気がしてくる。

    個人的には安野光雅さんの絵も見れたら
    嬉しいなあと思っていたけど、
    そこは違った 笑

    藤原正彦さんの小学校の先生が安野光雅さん
    だったなんて、知らなかった。

    【引用】
    先生の人気は、類い稀なユーモアによるものだった。
    得意中の得意である二等兵物語に、
    生徒たちは皆、授業中ずっと笑い転げ、
    時々シュンとした。シュンとしたのは、
    先生の笑い話に抒情や悲哀が時折含まれて
    いたからだった。

    いい先生だったんだろうなあ。
    うーん。

    藤原さんは、大学で読書ゼミをやっているらしい。
    いいなあ。今更ながら、学生時代に
    こういうゼミに入っておきたかったと
    強く思う。
    遊んだ経験も本当にありがたいことだし、
    あの学生時代がなかったらカチコチの人間になっていた
    んだろうけど、
    人間の幅を広げるための時間も
    もっとほしかったなあ。
    いや、いまからでも遅くはないか。

    新渡戸稲造『武士道』
    内村鑑三『余は如何にして基督信徒となりし乎』
    『代表的日本人』
    岡倉天心『茶の本』
    鈴木大拙『日本的霊性』
    山川菊栄『武家の女性』
    『きけ わだつみのこえ』
    宮本常一『忘れられた日本人』
    無着成恭『山び学校』
    福沢諭吉『学問のすすめ』『福翁自伝』
    少しずつ読んでいきたい。

    【引用】
    国語教育の目的は、いかにして「自ら本に手を伸ばす子」を育てるか、がすべてだと思っています。
    小学校で習う漢字を、学年別配当表などで制限しているのは、ほんとに信じられないことです。
    しかも画数の多いものは高学年という非科学的基準だkら、「目、耳、口」は1年で教えるのに「鼻」は3年です。「夕」は1年で「朝」は2年、という具合です。だから、2年生の教科書に「近じょ」「かん字」「人ぶつ」など、ぶざまなまぜ書きが登場するんです。どしどしルビを打ち、読ませてよいと思います。

    少々引用が長くなりましたが、ここは激しく同意。
    頭を悪くしようとしているのかしらと思ってしまうほど。難しい漢字も読み先行でいいのだ。
    書くのは後で教えたっていい。
    読めたらどんなに自己肯定感も上がると思うなあ。
    あと、もっと国語の時間を増やすことね。
    独断だが、英語はいらない。

    【引用】
    ある調査によると、英語とかフランス語とかスペイン語は、千語覚えていれば80%分かる。ところが日本語の場合、同じ80%分かるために五千語知らないとわからないらしい。(中略)なぜ、言語量が多いのかというと、車に関してだけで、「空車」「駐車」「停車」「対向車」とか、いろいろあります。これに対応する英単語はない。

    造語。これは日本語の強みだ。
    明治時代にたくさんの造語をつくった福沢諭吉さんたちは本当に天才だし、今の日本を作ってくれたんだなあと思う。
    もちろんいろいろな見方があるだろうが。
    日本語を大切にしなければならない。
    その為に読書。
    古典といわれる文章も読む。
    簡単にすることでバカになる。

    【引用】
    英米露などは、武力で日本を植民地化しようと思えばできたかもしれない。でも、江戸の町で本の立ち読みをしている庶民がいるのを見て、「この国はとても植民地にはできない」と思ったという話があります。当時の江戸識字率は50%と言われ、最先進国の首都ロンドンの20%に比べても圧倒的でした。文化の高さは防衛力にもなるということですね。

    だから、学び続けなければいけないのだ。
    侵略されないために、
    文化を守る
    学び続ける
    賢い民族であり続ける

  • 藤原さんのエッセイ、日本語に対する考え方が好きで、文藝春秋の巻頭や、エッセイ集は読んでいます。今回は恩師との対談形式でまた別の楽しみ方が出来ました。語彙力が思考の深さ、広さを支えているのだと、日本語の特別な特性、可能性を改めて認識させていただきました。もっと古典に触れ未熟なジジイから大人のジジイになれればと思っております。

  • 藤原さんの国語教育重視の考え方に賛同しているワタシ。今回は久しぶりにその流れの一冊を。
    藤原さんの小学校の恩師(!)である安野さんとの対談形式で進むこの本のいいところは、「今の若いもんは…」的な嘆き調になっていないこと。だから、読んでいて反発を覚えるどころか、やっぱり日本人としては日本語を誇り、日本語、しかも文語を読まなきゃ、という気にさせてくれる。
    内田樹さんも指摘している通り、母語のほかに英語をマスターしないと職につけないなどという状況もなく、日本語さえ使えれば何とかなってしまう。この環境に感謝しつつ、文語にも目を向けることにしよう。

  • 藤原センセイの小学生時代の恩師が、安野光雅先生だそうで。
    正彦君は相変わらず奔放に、いつも通りの持論を展開し、安野先生がやわらかく包んでくれたという感じの会話が続く。

    いろんな本を読みたくなる。

  • 藤原正彦の小学校の時の先生が、安野光雄だったとは、つい一月前に知ったばかりでした。
    まえがきを藤原正彦が、あとがきを安野光雄が書いているだけでも贅沢だ。
    二人について興味がない人が読んでも、面白くないかもしれない。
    絵と数学というそれぞれの専門家の二人が、絵本、小説などの作者として日本語について語っているのは貴重だ。読書、教育、歌、日本語がかかわるさまざまな視点の話題が満載。
    挿絵は南伸坊で、すこしほっとする感じです。

  • 2023/7/4

    ・七五調は出しても全て素数

    ・言葉の美しさはその言語によって書かれた書物がどれだけあるか

  • 安野光雅(1926~2020年)氏は、島根県津和野町生まれ、山口師範学校(現・山口大学教育学部)卒の画家・絵本作家。芸術選奨新人賞、講談社出版文化賞、小学館絵画賞、(英)ケイト・グリーナウェイ賞特別賞、(米)最も美しい50冊の本賞、(チェコスロバキア)BIBゴールデンアップル賞、(伊)ボローニャ国際児童図書展グラフィック大賞、国際アンデルセン賞、菊池寛賞等、内外の数多くの児童書・美術の賞を受賞。紫綬褒章、勲四等旭日小綬章受章。文化功労者。
    藤原正彦(1943年~)氏は、満州国新京(現・中国吉林省長春市)生まれ、東大理学部数学科卒、東大大学院理学系研究科修士課程修了、ミシガン大学研究員、コロラド大学助教授、お茶の水女子大学理学部数学科教授等を経て、同大学名誉教授。新田次郎とベストセラー『流れる星は生きている』の著者・藤原てい夫妻の次男。米国留学記『若き数学者のアメリカ』(1977年)で日本エッセイスト・クラブ賞受賞。「情緒」、「国語」、「愛国心(パトリオティズム)」、「武士道」等の大切さを説いた『国家の品格』(2005年)は200万部を超えるベストセラーとなり、その後も様々な講演活動、雑誌連載・本の執筆等を行っている。
    本書は、安野氏と、安野氏が小学校の図画工作の教師だった時に生徒だった藤原氏が、日本語の美しさについて、数々の文学作品や唱歌・童謡等を引用しつつ語り合ったもので、2006年に出版された。
    目次は以下の通り。まえがき(藤原正彦)、第一章:読書ゼミのこと、第二章:国語教育の見直しを!、第三章:日本人特有のリズム、第四章:日本語は豊かな言語、第五章:小学唱歌と童謡のこと、第六章:文語体の力、第七章:ユーモアと空想、あとがき(安野光雅)
    本書の大前提となっている「美しい日本語の大切さ」については、藤原氏は、同時期に出版した『国家の品格』はじめ様々なところで説いているが、本書のまえがきにも次のように書いている。「美しい日本語に触れないと、美しく繊細な情緒が育たない。恋愛さえままならない。文学に一切触れず、「好き」と「大好き」くらいの語彙しかない人間は、ケダモノの恋しかできそうにない。・・・様々な語彙を手に入れはじめて恋愛のひだも深くなるのである。・・・祖国に対する誇りや自信も身につかない。祖国がいかに経済的繁栄を続けても、いかに強力な軍隊を持っても、深い誇りとか自信はそこから生まれはしない。世界もそんな国や国民には、嫉妬や恐れを抱いても決して尊敬はしない。深い誇りや自信は、祖国の生んだ文化や伝統、すなわち普遍的価値から生まれる。」
    私は、これまで藤原氏の多数の本を読み、その主張には大いに共感しているので、本書についても頷きながら読み進めたが、最近短歌を詠み始めたこともあり、特に、日本人特有の「五七」のリズム、文語体の力と美しさ(尤も、私が詠むのは俵万智の『サラダ記念日』のような口語短歌だが)についてのやり取り、及び、「ユーモアと独創性」とは非常に近いもので、その真髄は二つの離れたものを結びつけるという「意外性」にあるというくだりは、興味深く読んだ。
    安野氏と藤原氏という、かつての教師と生徒、かつ、共に専門外ながら日本語(文学)に強い思いを抱く二人ならではの、日本語愛に溢れた対談本と言えるだろう。(作家や日本語の専門家同士の対談であったら、(良いか悪いかはともかく)随分違ったものになっていたに違いない)
    (2022年10月了)

  • 2021.08.22 読了
    この本を読み、日本語の美しさを改めて見つめ直してみたいということと、また日本語の表現の豊かを認識し、大切にしたいと思った。
    ただ闇雲に昔の古典を暗唱することに、その時は価値や意味が見い出せなくとも、何年もの時間を経て深く感じられるものがあるという点は、分からなくもないと思った。
    そして、この本に出て来る歌や文学を殆ど知らず、自分の教養の無さを感じた。
    本書は自分の読む時期によっても捉え方が変わる気がする。また暫くして読み直してみたいと思う。

  • 数学者と画家が日本語について語り合うちょっとめずらしい趣向の対談。

    この本のいいところは、「日本語」本によくある「若者のあの言葉づかいがだめだ」「最近のこういう言い回しに腹が立つ」といったうっぷん晴らしではなく、失われつつある文語体や童謡などをなつかしみつつ、本を読むこと、日頃から名文に触れることの楽しさ大切さをどうにかして多くの人に知らせたいという気持ちがあふれた対談である点で、この本を読み終えたときには、音楽の時間に習った唱歌を思い出したり、落語でも聞きに行ってみたくなったり、対談で話題に上った本を手に取ってみたくなるはずです。

    わたしとしては、セットで読みたい一冊として、同じ筑摩書房刊の
    安野光雅「青春の文語体」(文語文のアンソロジー)
    をぜひおすすめしたいと思います。

    (ブクログ開始前の蔵書登録&レビュー転記)

  • 子供は「鳩」→「鳥」→「九」の順に漢字を覚える、というお話がおもしろい!

    学校では画数が少ない方から覚えることになってるけど、画数関係なく、具体→抽象の方が覚えやすい。

    抽象の代表格「愛」って漢字は小学4年生くらいで習う。その歳で器としてのその漢字を知り、その器に意味をどんどんためていく、って考えたらなんかロマンチックな気がしました

  •  ○○の品格、というようなタイトルの本があとからあとから出てくるのには少し閉口しています。でも、日本らしい文化を大切にする必要があるな、と思う今日この頃。

     そこで読んでみたのが、この本。

     本当のことをいうと、親父の車の中にあったので読んでみたわけです。

     数学者と画家、絵本作家が日本語について語っているというのも面白い設定です。お二人は教師と教え子の関係だそうで、それもちょっと意外でした。

     それにしても、二人が当たり前のように話している作家やその作品を、私は全然読んだことがないことに愕然となりました。この人たちと同じ年齢になっても、絶対読んでないだろうなあ。妙に自身あり。

     とりあえず、新渡戸稲造の『武士道』は買ってみました(笑)。

     シャボン玉は、野口雨情さんが、長女をわずか七日で亡くしたときに作った歌だそうです。なるほど。

  • 課題図書一冊目。

    サラサラと読めてしまうが、二人の話のディープな所にはちょっと立ち入りにくい感じ。
    特に古典〜明治期の名作を紹介したり、漢文の良さを語っている所は、ちくまプリマーを読むくらいの学生さんには伝わるのだろうか。
    全体としては、難易度が高め。

    でも、読書や日本語に触れる上での味わい方はしっかりと抑えられているようにも思う。
    難しくても読みこなす内に質が上がるとか。
    分からなくても暗唱していると、ある時にふと結びつくものがあるとか。
    生きていく中での読む意味合いを、二人の掛け合いの中から拾いあげることができた。

    もう一つ。
    個人的にジーンとしたのが童謡のパート。
    歌詞から、ああ、習ったなぁという気持ちが湧いてきて、メロディーに乗せると涙が出そうになった。
    私の祖母も歌が好きで、「椰子の実」という歌が学生時代歌った記憶に残っているそうだ。
    いつか、祖母が亡くなったとき、私が歌えるようにと密かに音源を入れている。
    そういう、歌詞とメロディーと思い出の不思議な結びつきが立ち現れて、グッときた。

    さて、どう調理するか。楽しみ。

  • 画家と数学者が日本語について語った本。

    対談なのであっという間に読めてしまいます、でも、読み終えるのがもったいないんです。
    短い言葉の中に、日本語への誇りとか憧れとか抒情とか…そういうものがいっぱいに詰まっていて、読みながら、熱いものが喉元に込み上げてくるのを何度感じたことか…

    この中で紹介されている本をぜひ読もう、読みたいと思いました。

  • いつも小説ばかり読んでいるので、新書を手にとってみました。
    日本語って綺麗だなあと漠然と思っていたけれど、改めて日本語の奥の深さや、自分の浅学さを感じることができた気がします。

    「文字を簡略化するたびに、世代間に一種の段差ができます。世代くらいならまだいいのですが、古典との間に開きができます。」

    日本は、日本語で書かれた書物が古くから多く残っている国です。私たちが日本語を正しく身につけられていないことで、その歴史や文化との間に壁が出来るのは、悲しいことだと思いました。
    昔から紡がれてきた文学を、言葉を、美しいと思えるように、美しい日本語を学び続けたいなと感じました。

    日本語が愛しくなる本です。対談形式で、読みやすかった。

  • 画家と数学者のおふたりが昭和20年代に師弟関係だったとは。
    人と人との出会い、巡り合わせの不思議を感じる。
    読みやすい対話形式で素数の話、文学の話、ユーモアについてなど大事なことを楽しく読める。

  • 古来より受け継がれてきた「和歌」「漢詩」や小学校で歌う「童謡」の豊かな表現とリズムのなかに、美しい日本語は脈々と鼓動していると本書から感じた。

    文語体は読みにくい、古臭いと敬遠がちだけれど、日本語の美しさを知りたいのなら自ら挑まなければいけない。

  • 日本語に対する愛着が痛いほど伝わってくる対談。根っからの文系人間を自認しているけど、この両者から見たらひよっこもええとこやな~、って反省させられることしきり。

  • 安野光雅(画家)と藤原正彦(数学者)による“世にも美しい日本語”に関する対談。

    プリマー新書なので、簡単で読みやすい。

    なんと、藤原正彦の小学校時代の図画工作の先生が安野光雅。(武蔵野市立第四小学校)そして、この本の編集者筑摩書房の松田哲夫も同様に安野の教え子。

    P10美しい日本語に触れないと、美しく繊細な情緒が育たない。恋愛さえもままならない。

    P11祖国に対する誇りや自信も身につかない。祖国がいかに経済的繁栄を続けても、いかに強力な軍隊を持っても、深い誇りとか自信はそこから生まれはしない。世界もそんな国や国民には、嫉妬や恐れを抱いても決して尊敬はしない。深い誇りや自信は、祖国の生んだ文化や伝統、すなわち普遍的価値から生まれる。文化には学問、芸術、そhして文学などが含まれる。

    P13数学でも抽象的なことを考えるときは、いつでも言葉とイメージとの間を行ったり来たり往復運動、振り子運動をするわけです。言葉は考える基地ですから。言葉に戻ってはまたイメージに行ってという、振り子運動を何度もする。そして、学問の進歩は、新しい語彙の獲得と言えるでしょう。(F)

    P28「本を読む」ということは、まず運動神経なんだな、とつくづく思いました。小学生のような柔軟な時代に、目の運動神経で文字を早く、いっぺんにパっと読めるように慣れていくということが大事ですね。(A)

    P35石井勲先生という、去年87歳で亡くなられた先生がいます。~漢字についていろいろなことを発見なさいました。
    例えば、「鳩」という字がありますよね。「鳩」という字と、「鳥」という字と「九」という字。こどもの前に三つ並べると、最初に読めるようになるのは「鳩」、その次は「鳥」で「九」が最後になるという。子どもにとって字画数は関係ない。具体的なものはアッという間に読めるようになってしまうという。(F)

    P70英米露などは、武力で日本を植民地化しようと思えばできたかもしれない。でも、江戸の町で本の立ち読みをしている庶民がいるのを見て、「この国はとても植民地にはできない」と思ったという話があります。当時の江戸の識字率は50%と言われ、最先進国の首都ロンドンの20%に比べても、圧倒的でした。文化の高さは防衛力にもなるということですね。(F)


    P71フィールズ賞受賞の小平先生はかつて「日本語はあいまいだから、数学を創るには有利だ」という趣旨のことをおっしゃいました。あまりぎちぎちしていない文だけ、想像がふくらむ、ということです。~~~~~~~たとえば「パクパク食べて、ガンガン飲む」とかね。こういうのは他の国にないんですよ。「すーっと来て、さーっと消える」とかないんです。にほんはこういうのがやたらありますよね。あいまいをいやがらない民族性だから、次から次へと言語を豊かにしてきました。

    P79私は基本的にどんな改革であろうと、伝統を傷つけるような改革は、まず待てと思うことにしています。どんな改革でも「まず待て」です。私はそれが、日本やヨーロッパのような歴史ある国々の、正しい態度と思うのです。アメリカのような新しい国は、なにをしても、それが間違っていれば「いけね」と言ってやり直せばいい。しかし、日本やヨーロッパやアジアの古い国々では、いったん伝統を壊すと、意外なところに失うものが現れるのです。(F)

    P80それで私なりに考えて、その国の言葉が美しいと言えるのは、その国の言葉で書かれた書物がどれほどあるかということなのではないか、いやそれにつきると思い至りました。(A)

    P100
    絵と音楽は違うものなので、歌詞の内容を絵解きしても始まらないし、もともとできない相談だと思った方がいいんです。(A)

    P104
    それで充分なんですよ。そもそもリズムに触れるだけでも価値がありますから。藤村とか白秋のすばらしいものは。感受性は変わり続けますから、いつかよく分かるようになる。~~~読む人間の年齢により、受け取り方が違う。読みとり方は人それぞれでよいのだから、若い時は若い感受性で読めばよい。だから、不快意味まで読み取れなくとも、読ませるのがいいと思います。(A)

    P107たとえ事実を書いても小説という以上は舞台のうえです。芝居はそのまま、舞台そのものです。うそなのに涙が出てくる。どうも、表現というものは、舞台の上に乗せる仕事といえそうですね。
    テレビの中も舞台です。だからテレビの中の嘘はこわいです。ドラマとコマーシャルとニュースが近藤してくるから。(A)

    P114ユーモアと冗談は紙一重で、相手を見て言わないと失敗することがあります。ユーモアトナンセンスは似ているようで違います。~~~悪口とユーモアは、反対の姿をとっていますが、悪口は自分と相手の間の距離を測るものさしみたいなところがあって、友達ならかなりのことを言っても許される。(A)

    P118ユーモアと独創性というのは非常に近いですよね。(F)

    P121弟に向かって一生懸命嘘をつく。~~~かなり大きくなってから、「お前、どう思ってた?」と弟に聞いたら「あの時くらい心豊かだったことはない」と言っていました。
    その時の私は、弟に話して聞かせたかった。嘘をつきたかったということだけではないんです。弟から反射してくる彼のリアリティを、自分のものにしたかった。そうして嘘の世界に入っていきます。僕もいっしょになって本当のように体験することができます。おとぎ話というのはそういうものですね。お話というのは結局、子どもに話し手聞かせているようで、実は自分が楽しんでいるんじゃないかな、という気がします。(A)

    P124そう言われてみると、恋はそもそも実体のない、はかない嘘みたいなものからはじまるのかもしれませんね。「嘘から出たまこと」ですね。嘘の種を一粒まくと、事実が実ってくる。私もそのあたりの手筈がわかっていたら、もっともっと豊かな人生が送られたかもしれないのにね。
    助けてくれ」と言うと、そこへ追い込まれる。黙ってちゃだめなんですね。「愛してる!」と言えばいい。言うだけで種が蒔かれる。


    広瀬中佐の歌
    https://www.youtube.com/watch?v=RlWMfRydU28

    美しき天然
    https://www.youtube.com/watch?v=ozsvybhrb8E

    唱歌・童謡
    月の砂漠
    みかんの花咲く丘
    鐘の鳴る丘

    あわて床屋
    からたちの花
    砂山
    里の秋
    初恋
    日本橋から
    春の小川
    赤い鳥傑作集
    赤トンボ
    シャボン玉
    われは海の子
    冬景色
    村の鍛冶屋

    唄の絵本~日本の唱歌より
    片想い百人一首
    大志の歌
    絵本歌の旅
    幼児は漢字で天才になる
    厄除け詩集
    戦没農民の兵士の手紙
    こがね丸
    海潮音
    日本書紀
    余は如何にして基督信徒になりし乎
    代表的日本人
    茶の本
    東洋の思想
    平家物語
    方丈記
    特命全権大使 米欧回覧実記
    漢文を学ぶ
    古今和歌集
    ニーベルンゲンの歌
    新古今和歌集
    家庭の算数・数学百科
    日本的霊性
    枕草子
    神曲
    カンタベリー物語
    二十四の瞳
    万葉集
    武士道
    きけ わだつみのこえ
    学問のすすめ
    福翁自伝
    デカメロン
    ハックルベリー・フィンの冒険
    銀河鉄道の夜
    忘れられた日本人
    山びこ学校
    全訳源氏物語
    即興詩人
    独逸日記・小倉日記
    即興詩人のイタリア
    新唐詩選
    徒然草
    戦艦大和ノ最期
    武家の女性

    読書は単に知識の材料を提供するだけである。それを自分のものにするのは思索の力である。

    Reading furnishes the mind only with materials of knowledge; it is thinking that makes what we read ours.

    ジョン・ロック(英国の哲学者 / 1632~1704)

  • 12.13.2014 読了
    師弟の対談。

    日本語教育を考えさせられる。

    とにかく鴎外と四書五経の勉強をせざるを得ない感じになる笑

    12.13.2014 読了

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著者プロフィール

安野光雅(あんの みつまさ):1926年島根県津和野生まれ。画家・絵本作家として、国際アンデルセン賞、ケイト・グリーナウェイ賞、紫綬褒章など多数受賞し、世界的に高い評価を得ている。主な著作に『ふしぎなえ』『ABCの本』『繪本平家物語』『繪本三國志』『片想い百人一首』などがある。2020年、逝去。

「2023年 『文庫手帳2024』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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