サピエンス全史(上)文明の構造と人類の幸福

  • 河出書房新社
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  • Amazon.co.jp ・本 (300ページ)
  • / ISBN・EAN: 9784309226712

感想・レビュー・書評

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  • ベストセラーはがっかりすることも多い。
    だけれどもこの本は面白かった。
    年間ベスト候補にあがりそう。
    下巻はテンション落ちるけど、
    上巻の「目からうろこが落ちる感」ははんぱじゃない。
    で、その中から面白いなぁと思った話。
    それは我々ホモ・サピエンスが生き残れたのは
    陰口と噂話が好きだったから!という珍説。

    その昔我々ホモ・サピエンスには兄弟がいた。
    猿から進化した人類は少なくとも6種族確認されている。
    ネアンデルタール人であるとか
    デニソア人であるとか・・・。
    だけど、今生き残っている人類は
    我々ホモ・サピエンスしかいない。
    生存競争に勝ち残ったわけだ。

    では、なぜ勝ち残れたのか?
    その理由としてこの本で著者があげている理由が面白い。
    それが前述した通りサピエンスは
    「噂話」や「陰口」が大好きだったからという説。
    昔から我々はワイドショーとかスキャンダルみたいなものが
    大好きだったんですね、わかる気もしますが(笑)
    しかしそれが生き残りの決定打になったというのは初耳。

    で、噂話や陰口をするには当然「言語」がなければならない。
    だけど実は人類じゃなくとも鳥でも猿でも
    実は何かしらの言語を持っているんですね。
    具体的に言いますと「敵が来た!」という警告を
    仲間内で知らせ合う鳴き声ということになるのですが。
    それは単一ではなくて鳴き声の違いによって
    どんな危険が迫っているとか、または食い物があるぞ、
    とかいろんな鳴き声の違いがある。
    そうするとこれはもう言語ですね。

    ということはサピエンス以外も言語を使って
    結果的に我々のように進化できていてもおかしくはなかった。
    ところがそうはならなくてその言語自体を進化させて
    結果的に「地球を征服」したと勘違いできるくらいに
    なったのはホモ・サピエンスだけだった。

    鳥や猿たちの言語とサピエンスの言語には何らかの違いがあった。
    その違いの中でも際立って違うのが「何について話すか?」の違いだったんですね。
    猿や鳥たちは敵や食べ物つまり自分たちの集団の外部について話した。
    対してサピエンスは自分たちの集団の内部、
    つまり「あいつはこうだよな」とか「あいつとあいつは付き合ってるらしいぞ」
    みたいな「噂話」や「陰口」を話していたらしいんですね。

    で、その結果何が起こったのか?
    集団の規模を膨らますことができることになったんですね。
    といいますのは同じ生物が同じ場所で共存するというのは
    いろんな意味で物理的な限界があるわけです。
    食べ物の量もそうでしょうし、人が多ければ衝突の回数も増える。
    そのあたりのトラブルのもととなる「情報」を集団内で
    共有しあうのが「噂話」であり「陰口」なんですね。
    あいつは嘘つきだ!とかあいつは信用できる、
    みたいな情報が行き渡っている集団と全くない集団では
    先行きどうなるか想像はつきますよね。

    そしてサピエンスの集団は規模を拡大していくことが可能になった。
    その結果として他の種族との争いに勝つことが出来た。
    ということが「噂話」や「陰口」がサピエンス生き残りのひとつだったという話です。

    まぁこの話というのは著者のいう
    「認知革命」のとっかり部分でしかないのですが
    中々面白い話でもありますね。
    この話からどんどん展開していく理論も大変おもしろい。
    どう展開していくか気になる方は本書をどうぞ。
    上巻は特にオススメです!
    2017/09/09 05:52
    ☆続き(2)
    「認知革命」の続きもう少しいきましょうか。
    噂話や陰口というのも何かと言うと
    目の前にいないもの、つまり想像上または記憶上のものを
    語っているということですよね。
    これが実は他の動物では出来ないと思われるんですね。

    今、目の前に現れる天敵のことを
    「ライオンが現れたぞ!」ということを
    鳴き声的な言語で話しあうことが出来たとしても
    「昨日ライオンがこの場所にいたぞ!」
    という事は鳥や猿たちは言語化出来ないんですね。
    体感的に危険な場所を避けることは
    実際行っているかもしれない。
    しかしその程度の情報というのは
    その「個体」が死んでしまえば消えてしまう情報なんですね。

    ところが目に見えない記憶の中の情報を
    言語化出来るということは
    その「個体」が死んでしまっても
    口伝え的に情報として残るんですね。
    「あの谷には昔からライオンが現れやすい」
    という情報が次の世代に受け継がれていく。

    その不可視の情報の言語化というのは
    噂話や陰口で鍛えられたのかもしれません。
    そして次第に過去のものから
    未だ起こっていない未来を「言語」という
    道具を使って語りだすことが出来るようになった。
    つまり予想出来るようになる。

    そしてその予想とは当たりハズレというよりも
    段々と話者の主観から生まれる抽象的な予言めいてくる。
    例えばあるライオンを目撃したのに襲われなかった、
    それどころかその直後に新しい水場を発見したとか、
    といった、たぐいなラッキーな出来事に出会う。

    すると言語によってふたつの個別の出来事を
    結びつけて新たな(勝手な)解釈が生まれるんですね。
    それが例えば
    「あのライオンは我々の部族の守り神だ!
    なぜなら水飲み場まで導いてくれたからだ!」
    という言語を使った新たな抽象的な概念が生まれる。
    サピエンスはその時点で「虚構」を作る力をもった。
    その虚構のひとつに「宗教」というものがありますね。
    で、宗教が生まれると何が変わるか?

    例えばその宗教で祀られるライオンなりイワシの頭なりに
    報いると「いい事」がある、という期待が生まれる。
    そのいい事とは近い現世の利益かもしれないし
    遠い未来である死んだ後の幸せかもしれない。
    その功徳を感じさせるパターンは様々だけれど
    とにかくサピエンス以外の動物のように
    直近の自分の生命または自分の血統を守るためだけ
    「以外」の目的を「虚構」ではあるが
    サピエンスは手に入れた。
    すると何が起こるか?

    他の種では考えられない規模での
    集団を形成することが可能になった。
    自分のことしか考えられない個体の集まりでは
    大きな集団を形成することは不可能。
    対して、ある特定の「神」のために戦うという目的が
    あるとするなら原理的にはいくらでも大きな集団を形成できる。

    ネアンデルタール人はサピエンスに比べ
    体格も立派で知能も遜色なかった。
    一対一で戦えば大人と子供の戦い位の差で
    ネアンデルタール人が有利だった。

    ところが30人規模のネアンデルタール人に対して
    500人規模集まって攻めてくるサピエンスは
    負けるわけがなかった。
    その結果サピエンスの生き残りとなった。

    で、「認知革命」というのは
    目に見えない「虚構」を認知できるようになったこと。
    まぁ考えてみれば我々の頭の中って
    目に見えないことだらけが渦巻いてますよね。
    そんなことが出来るようになったのが
    何故かサピエンスだけだった。
    その理由として「陰口」や「噂話」が好きだった
    ということになるわけですが、
    では、なんでサピエンスだけが
    そんなに野次馬根性が芽生えたのか?
    どこかの宇宙人から
    「好奇心」とか「ゲス根性」みたいなウィルスを
    注入されたんですかんねぇ。というのは私の妄想(笑)
    2017/09/09 11:08

  • ホモ・サピエンス、つまりわれわれが生まれて、地球を支配する存在となるに至るまでの大きな歴史を著者の観点から分析・整理したものである。かなり壮大な試みでもあり、また面白い。

    著者によると、人類史において、三つの重要な革命があったという。その三つというのは次の通り。

    1. 七万年前の認知革命
    2. 一万二千年前の農業革命
    3. 五百年前の科学革命

    まずは「認知革命」について。これは人類を人類足らしめ、他の生物との基本的な違いをもたらした「革命」である。そのためには生物学的に大きな脳が必要なのだが、まずはなぜ大きな脳を持つようになったのか、というところから話は始まる。大きな脳はエネルギーを大量に消費するため、必ずしも生存や繁殖に有利とも言えないという事実がある。ヒトの脳が安静時に全消費エネルギーの25%を消費しているのに対して、ヒト以外の霊長類の脳は全体の消費エネルギーの8%しか必要としないらしい。さらに出産においても頭の大きさは不利になり、おかげで人類は子供が未発達な段階で出産するという代償を払うことになった。その代償を支払った上でも二百万年の間、その大きな脳は石器以外のものを残さなかったように見える。何が巨大な脳の成長を進化の過程の中でその代償を支払ってでも促したのかは明らかになっていない。

    「私たちは、大きな脳、道具の使用、優れた学習能力、複雑な社会構造を、大きな強みだと思い込んでいる。これらのおかげで人類が地上最強の動物になったことは自明に思える。だが、人類はまる二百万年にわたってこれらすべての恩恵に浴しながらも、その間ずっと弱く、取るに足らない生き物でしかなかった」

    生物は遺伝子の変異の自然選択によって進化するが、その進化の過程において、大きな脳の獲得にはある種の跳躍が必要であったということだ。著者は、それを可能にした理由を「言語」、つまり抽象的な事象=「虚構」について語ることができるコミュニケーションの能力に見る。これが著者の言う人類に生じた「認知革命」である。

    「激しい議論はなお尽きないが、最も有力な答えは、その議論を可能にしているものにほかならない。すなわち、ホモ・サピエンスが世界を征服できたのは、何よりも、その比類なき言語のおかげではないだろうか」

    少し想像してみればわかる通り、実際に生物の集団において「虚構」を流通させることは思いの他難しく、人類以外の生物で言語に近いものを使うことができるものがいたとしても、「虚構」を語ることができる種がいるとは思えない。

    「効力を持つような物語を語るのは楽ではない。難しいのは、物語を語ること自体ではなく、あらゆる人を納得させ、誰からも信じてもらうことだ。歴史の大半は、どうやって膨大な数の人を納得させ、神、あるいは国民、あるいは有限責任会社にまつわる特定の物語を彼らに信じてもらうかという問題を軸に展開してきた」

    多くの集団を結びつける「神話」を成立させる能力が私たちを万物の支配者に仕立て上げたのだ。当然、この「神話」には、宗教だけでなく、貨幣や国家、共産主義、資本主義なども含まれる。それがなければ、膨大な数をひとつに統合して力とすることは適わない。

    次に語られる革命が「農業革命」だ。この革命により人類は自らを維持するための食料エネルギーの観点で大幅にその数を増やすことが可能になった。

    元々人類は、狩猟採集を行う種であり、そのような種として進化圧に対応してきた。それは人類の生息地が寒冷地であるシベリアにまで拡がっていったことからもわかる。北方にはマンモスやトナカイなどの大型の動物が生息していたため、それらの動物を追って人類がその生息域を北へと広げていったことは合理的だといえる。

    「私たちの祖先が狩猟採集した何千もの種のうち、農耕や牧畜の候補として適したものはほんのわずかしかなかった。それらは特定の地域に生息しており、そこが農業革命の舞台となったのだ」ー いくつかの偶然もあり、複数の場所で農耕は始まった。具体的にどのような場所であったかは、ジャレット・ダイアモンドの名著『銃・病原菌・鉄』にも同様の論理が展開される。その論理は、なぜ特定の場所で文明が栄えたのかの理由にもなっている。

    著者は、結果として農業革命はわれわれに幸福をもたらしたわけではないという。逆に個々人を見れば、生物的特性とのアンマッチなどから来る多くの不幸をもたらしている。では、なぜ農業が広まったのかというと、それが人類の数を増やすこと、すなわちそのDNAのより多くの複製に役に立ったからだ。「小麦を栽培すれば、単位面積当たりの土地からはるかに多くの食物が得られ、そのおかげでホモ・サピエンスは指数関数的に数を増やせたのだ」ー つまり「以前より劣悪な条件下であってもより多くの人を生かしておく能力こそが農業革命の神髄」ということだ 。人類は幸福の最大化ではなく、これまでのすべての生物と同様、DNA複製の最大化によって、その生活様式含めて淘汰されてきたのだ。DNAの観点からは家畜化された牛・豚・羊・鶏は類まれな成功例と言える。そして、これらの例からもわかるように、種の繁栄とそこに含まれる個体の成功とは合致せず、常にDNAが優先されることがわかる。家畜が幸せでないであろうとの同じ意味で、農業革命に励む個人にとってはその革命は必ずしも幸せなことではなかった。著者は皮肉を込めて「私たちが小麦を栽培化したのではなく、小麦が私たちを家畜化したのだ」と書く。

    農耕は、当然ながら人類に定住を促した。それは狩猟民族として進化してきた人類に大きな影響を与えることになった。農耕の始まりによって、未来に対する不安が始まった。逆説的ではあるが、未来に対して何らかの手が打てたために未来を心配するようになったのだ。結果として、農耕は人類にとってストレスとなった。人類がその長い過程で数十人からなる集団で過ごす中で進化してきたのと比べて、農業革命とそれに続いた都市や王国がによる大規模な協力体制に対して、人類が生物進化的に適応するにはその期間が短かった。

    一方で、その種としての発展に遺伝子の進化を利用することがなくなったことが発展の速度をこれまでにないものとした。それを可能とした「協力のネットワーク」は、「想像上の秩序」であった。その成立のために人類は「神話」を必要とした。人類の生物学的限界を超えた発展は、「認知革命」により手に入れた「共同主観的秩序」によって成立したのである。

    「人類は、大規模な協力ネットワークを維持するのに必要な生物学的本能を欠いているのに、自らをどう組織してそのようなネットワークを形成したのか、だ。手短に答えれば、人類は想像上の秩序を生み出し、書記体形を考案することによって、となる。これら二つの発明が、私たちが生物学的に受け継いだものに空いていた穴を埋めたのだ」

    著者は、人類が地球上に拡がるために大きな役割を果たした「共同主観的秩序」の例として三つの事例を挙げる。それは、経済面での「貨幣」、政治面での「帝国」、倫理面での「普遍的宗教」だ。人類はこの三つの秩序を発明し、利用し、組み合わせて、地球上でそのフットプリントを拡げることに成功した。

    「貨幣」はいつでもだれもがほしがるが、それは想像の中でしか価値を持っていない。それは、もっとも普遍的で強固な相互信頼の制度である。普遍的転換性と普遍的信頼性という二つの原理に基づいている。「宗教は特定のものを信じるように求めるが、貨幣は他の人々が特定のものを信じていることを信じるように求める」のである。

    「帝国」は、文化的なグローバル化を求める。著者は帝国の条件として、「文化的アイデンティティと独自の領土を持った、いくつもの民族を支配している」ことと「変更可能な境界と潜在的に無尽の欲を特徴とする」ことを挙げる。帝国は人類の多様性が激減した大きな要因だった。その定義において、現在の資本主義のグローバル化は、あらたな「帝国」の出現にほかならない。

    「宗教」は、超人間的な秩序の存在を主張する。宗教は信念であり、そのため、どこにいてもいつでも正しくなくてはならず、すべての人に広めなければならない。そのために、普遍的であり、かつ宣教を求めるものなのだ。人類が、狭い範囲に生活がとどまっていれば普遍宗教は必要なかった。著者は、自由主義、共産主義、資本主義、国民主義、ナチズム、これらはすべて宗教と呼んでもさしつかえない。宗教は対立の象徴として挙げられるが、その前に人類を統一するための重要な要素のひとつだったのだ。

    その後に来た、今のところは最後の革命が「科学革命」だ。科学は「無知の発見」から始まった。それまでは、正しさは常にどこかに存在していた。それを知っているとされている人や「神」に尋ねるだけでよかった。人類には知らないことがあるが、それは探究することで知ることができ、それを知ることにより多くのことを手に入れることができる。だから、探究しよう、という精神性が現れたのが科学革命の鍵であった。農耕でも、世界宗教でも、帝国でも、それまで世界の中心地となったことがなかった西ヨーロッパが近代において世界を席巻することができたのは、近代科学と近代資本主義のおかげであった。拡大再生産は資本主義の原理だが、それまでの過去の歴史上はかならずしもそうではなかった。過去の世界では世界はもっと定常的なものであった。資本主義・消費主義の価値体系は根本的にこれまでの価値体系とは違う。以前の倫理体系はそうではなかった。

    「科学研究は宗教やイデオロギーと提携した場合にのみ栄えることができる。... 科学と帝国と資本主義の間のフィードバック・ループは、過去500年にわたって歴史を動かす最大のエンジンだったと言ってよかろう」

    そのことが幸せにつながっているのかはわからないと著者は言う。そして、幸せの概念もこれらの革命によって規定されていると主張する。

    「ヨーロッパの帝国は、私たちの知っている今の世界を作り上げたのであり、そのなかには、私たちがそれらの諸帝国を評価するのに用いるイデオロギーも含まれているのだ」

    最後に著者は、人類は歴史を通して「幸せ」になっただろうか、そして将来はどうなるだろうと問う。人類は狩猟採集生活に適合するように進化した。それにも関わらず、農業や工業へと移行することとなった。それは生物進化の過程からすると不自然なものだった。大きな影響として、家族と地域コミュニティが崩壊し、国家と市場が台頭した。そして、世界における多様性がなくなった。「過去二世紀の物質面における劇的な状況改善は、家族やコミュニティの崩壊によって相殺されてしまった可能性が浮上する」

    「人類にとって過去数十年間は前代未聞の黄金期だったが、これが歴史の趨勢の抜本的転換を意味するのか、それとも一時的に流れが逆転して幸運に恵まれただけなのかを判断するのは時期尚早だ」

    「幸せ」という概念も将来にはさらに大きく変わる可能性があることを著者は強く示唆する。将来の大きな変化の可能性として「非死」長寿や若さが手に入れられるようになり、これまで貧富の差に関係なく平等であった死と老が、貧富の差によって手に入れられるかどうかが決まるようになったとき、さらなる不満が噴き出すのではないか。それは、どちらの立場の人にとっても幸せではないだろう。「非死」が手に入ると、少しでも危険を避けようとするだろうし、死はさらに大きな喪失になるだろう。さらには、「幸せ」を生化学的な状態の操作にしてしまうという可能性だ。安全な幸福薬のようなものが技術的には得られる可能性は十分にあるだろう。そして、政治的な異議や倫理的な異議があったとしても、可能なものは実現するのがこの世界の趨勢でもある。


    「これまでに分かっているところでは、純粋に科学的な視点から言えば、人生には全く何の意味もない。人類は、目的も持たずにやみくもに展開する進化の過程の所産だ。 … 人々が自分の人生に認める意義は、いかなるものもたんなる妄想にすぎない。中世の人々が人生に見出す人間至上主義や、国民主義的意義、資本主義的意義もまた妄想だ...」すべては妄想なのである。が、最後にこう言ってしまう必要はあるのだろうか。

    「文明の構造と人類の幸福」という副題が付いた本書の最後の文章はこうだ。

    「私たちが自分の欲望を操作できるようになる日は近いかもしれないので、ひょっとすると、私たちが直面している真の疑問は、「私たちは何になりたいのか?」ではなく、「私たちは何を望みたいのか?」かもしれない。この疑問に思わず頭を抱えない人は、おそらくまだ、それに十分考えていないのだろう」

    遺伝子編集技術、ナノテクノロジー、人工知能、といった技術を持った人類に四つ目の「革命」はやってくるのだろうか。人類の認識を変えてしまうほどの「革命」が起きないとは限らないし、起きない方に賭けることも難しい。すでに、それまでの認識をがらりと変えてしまうような三つの革命を経た上で人類の現在があるのだから。世界はどうやら統一の方向に向かって進んでいるようだが、経済も、倫理も、政治も、どのように統一されるのか、想像することは可能だが、その想像自体が現在の中にとらわれた発想でしかないようにも思う。そして、どうやら変化は加速しているらしい。

    あとがきに「自分が何を望んでいるのかもわからない、不満で無責任な神々ほど危険なものがあるだろうか?」と書く。非常に射程の大きな本であった。長いが読む価値がある本。



    ----
    Courier Japan記事「人類の繁栄とは“虚構”の上にあるのです」 『サピエンス全史』著者ユヴァル・ノア・ハラリ大型インタビュー
    http://courrier.jp/news/archives/63841/

    『サピエンス全史(下) 文明の構造と人類の幸福』のレビュー ~ 『サピエンス全史と柄谷行人』
    http://booklog.jp/users/sawataku/archives/1/4309226728

  • 虚構と神話によって想像上の秩序がうまれ、想像上の秩序により、多くの人間が効果的に協力するための方法であることが前章に引き続き書かれている第6章と想像上のヒエラルキーや差別、自然と不自然の概念とは何かということが書かれている第8章、このふたつは特に興味を持ち理解が深まった章。

    想像上の秩序と普遍的な秩序である貨幣、帝国、宗教。

    極端なまでの寛容性と適応性を備えた史上最強の征服者の物語!!!その特性を活かして人々を熱烈な信奉者に変えた。と最終章に入る前の最後に書かれている表現にわくわくした。

    各部の折りにもユニークな比喩表現があるのも読んでいて楽しめた。彼らは帝国の誘いを受け入れるのか…で下巻に続く!!!

    再読した時にまた新しい発見ができるのを期待している。

  • 「ジェノサイド」を読んで、
    読むなら今しかない!と積読から手に取りました。
    2016年購入した当時の私は、読み切れないと思ったのか、上巻だけしかありませんでした。笑

    どのレビューを読んでも絶賛、絶賛なのですが。
    そして、前職の社長もこの本を良かったと言っていた(前職場は毎年、感動した本とかみんなの前で発表する文化でした。苦笑)ので、気になっていたのです。

    ホモサピエンスがどのように広がり増えていったのか。
    ネアンデルタール人を滅ぼせたのか。
    認知革命、農業革命、科学革命。
    貨幣、帝国、宗教。

    なるほど、と思うことも多いのですが、
    前半は心が折れかけました。苦笑

    人類が誕生して、広がる最中、
    たくさんの動植物たちを絶滅に追い込んだと。
    理解はするし、受け入れもするんですが、
    著者(訳者?)の語り口がとても厭世的というか、嫌味というか、ネガティブというか。苦笑
    読んでいて「この人、人間が嫌いなのかな?」と思うことが多々。
    そして最後は、あくまで解釈だから本当のことはわからないけどね、みたいに終わる。

    いや、確かにそうだし!!わかっとるけど!!
    何千年も前のことを化石とか残ってるものとかで推測してっていうのはわかるけど!!

    「ジェノサイド」読んだ直後だったので、
    私も人間不信、人間嫌いになりかけていて、
    まじで地球上で邪魔なの人間じゃん、となりました。
    この本の前半を読んで、さらに。苦笑
    宗教、帝国あたりは…頷けることも多いです。

    全ては読解力含め、私の至らなさです。苦笑
    絶賛とあったけど、まあまあ著者の個性が強い気がして、
    途中落ち込みました。苦笑

    ここまで読んだら下巻も読むしかない(辛い)と思い、読み始めてます。
    相性なのか、この本だけなのか、私の頭がポンコツなのか。
    下巻を読み切ったら、改めてほかの方のレビューを読んでみようと思います。(読むの時間かかりそう。泣)

  • 本はだいぶ前に買ってもなかなか読もうという気にならず、メディアで概要は聞いている。しかし読み始めたら一気だった。素直に面白かった。

  • 名を成す人はもれなく読書家でもあるという。
    そんな著名人の推しが多いのは、このサピエンス全史。

    猿から人類に分かれた=種として誕生した時点でもう、現代の世界が今のようになることは決まってしまっていたんだと感じさせる。個人的には人間はいずれ絶滅するんじゃないかと思っているが、その分岐点は
    サピエンスがサピエンスとしてスタートした認知革命であったと(私は感じた)は何とも皮肉。

    「人類とは何か」が見える気がして、歴史ジャンルでありながら、ビジネスのヒントにもなりそうな内容だった。

  • 久しぶりに、ワクワクしながら読んだ。

    この本を原典にした書が出回っているため、聞いた事あるなと思う箇所もあったが、それでも新たに学ぶ事が多い。自らのルーツを探りながら、ホモサピエンスとして自覚を強めるなんていう体験は、この読書でなければ、中々味わえない。

    とりわけ印象的だったのが認知革命について。サピエンスとネアンデルタール人他霊長類を決定的に区分したのは、この認知の共有化。サピエンスは、普遍的原理、想像上の秩序を共有する事で、大人数での狩りや争いに有利となった。この想像上の秩序、共通主観が、所謂、神話、貨幣、領土、法律、宗教。会社組織などもそうだ。実在しないが、集団で主観を共有する事で成立するもの。農業革命、産業革命よりも前に起こった奇跡。死肉にもありつけず、脆弱な石器で骨髄を啜る弱小なサピエンスが、集団で獲物を追い込む事を覚えた。

    狩猟社会においても神話的建造物が作られていた。これは、農耕社会より先の出来事。農業は、本来特定の作物だけでは栄養の偏りもあり、不合理。しかし、この神話的建造物ゆえ、居住をある程度固定した所から、農業が始まったという。

    認知は時代により変わるから、女や子供をただの所有物とした文化や時代もあれば、家畜や奴隷への態度も惨い。しかし、今の我々も、この認知に逆らえないから、教育を重んじ、ルールを作りながら秩序を保っているし、頭の良い人が、ある程度社会を統制できるようなヒエラルキーを自然と成立させている。確かに、思い当たる。論理や理屈を飛躍させながら、あるいは共感なくして他者を動かすのは至難。サピエンス、つまり自らの原点に触れた気がした。

  • 再読。

    1度目も衝撃的だったけど、
    再読はさらに深くじっくり読めたので、
    日常生活の中でも何かにつけてこの本を引き合いに出して考えることが多くなった。

    筆者ユヴァル・ノア・ハラリは、
    人類誕生から今日現在まで3つの分岐点を
    認知革命、農業革命、科学革命と名づける。
    まず上巻ではこのうちの2つ、
    主に認知革命と農業革命について
    詳しく語られていく。

    まず認知革命で人類は「虚構」を信じ、
    その「虚構」を他人と共有することによって
    見知らぬ大勢の他人といろんな協力をできるようになった。
    これ、当たり前のことなんだけどよくよく考えてみるとめっちゃ凄い。

    「虚構」と一括りに言われると、
    神話とか宗教的なことかな?ふーん…って思ってたんだけど、
    今現在当たり前のように流通する貨幣、市場経済、モノの善悪、多様性を素晴らしいとする価値観、
    果ては人権なんかまで、
    ああ、確かに身の回りにあるほとんどのものは
    「虚構」で回っているんだな、
    ということに気づかされる。

    他の動物に比べ腕力などに劣る人類が、
    生存戦略として持っているもののかなり大きな部分で「社会性」というのがあるけど、
    この「社会性」を根本で支えるのが他者と虚構を共有できる能力なんだよな。

    この辺を読んでいるだけでなんか賢くなった気分になるし、いろいろ感想や新たな気づきがどんどん浮かんでくる。(そしてこうやって感想を書いておく頃にはどんどん忘れている)

    その熱も冷めないままに農業革命の部に突入すれば、有史以来、人類が選んできた種としての選択は果たして正しいのか?と
    足下のゆらぐ記述にぶちあたる。
    そして種としての成功と合わせて個としての幸せについて、いろいろ深く考えさせられるのだ。
    …いやマジで小麦すげぇな。
    また、振り返って人類も認知革命を経ているという以外に実はそう他と変わらない1種の動物であるという事実がとても重たい。

    第3部、人類の統一では帝国についての記述があるんだけど、ウクライナ危機の今読み返すと、なんとも表現できない不気味さを感じてしまった。

    一読目では全然感想が纏まらなくて、
    とりあえず再読して備忘録にするつもりが、
    読み進めるうちにどんどん思考が拡散されてやっぱり上手く纏められないや。

    いやぁ、なんにせよ一言に尽きる。
    この本、凄いわ。
    とりあえず下巻も再読するぞ。


  • 面白かった!一気読み。
    『21Lessones』を先に読んでいたけれど、読み易さと面白さは、圧倒的にこちらが上。漫画も出てるし買ったけど、高校生くらいなら活字版で十分楽しめる。
    誰だっけなぁ、日本の歴史研究者は大きい絵を描かない、とかいう指摘をちょっと前に読んだ。ハラリさんの視点は、まさにその大きな絵。巨視的に万象を捉え、かつ、建設的な視点を持っている。教養のある方と話していていつも感じる、現実的かつ前向きな姿勢を本書からも感じた。
    下巻をまだ読んで無いので全体の総括は後にして、とりあえず、上巻で最も印象に残った点だけ。
    ①帝国の支配が最も安定的ということ
    読んでて『吉里吉里国』を思い出した。「日本」という帝国から、「東北」という被征服民が独立を勝ち取ろうとするあのフィクションは滑稽で哀れで、そして、そこの出身である私には何だか切実なものに思えた。あれがリアルだったとしたら、私はハラリさんのように引きで見られるだろうか?イスラエルに生まれ育って、文化の亀裂と対立に身を晒しながら、自分を中立のポジションに置いて考え抜こうとするハラリさんの知的体力に、ただ、ただ、敬服する。そして、そこで立ち止まってはいけないのだというメッセージも感じる。ハラリさん、すごい、面白い、で止まってしまったら、彼の労作を受け止めたことにはならない。決して。
    ②文化の継承にまつわる厄介な問題について
    ウポポイに感じる、というか、まとわりつく、拭いようのない胡散臭さ。「保護してあげますよ」「尊重してあげますよ」という欺瞞。昔、台湾の先住民族の人々に行ったのと同じことをまた繰り返しているだけではないのかと、私はモヤモヤしている。でも、ハラリさんは「過去を善人と悪人に分けてもどうにもならないのを認めるのが第一歩」と指摘する。問題意識を持ったつもりで、問題を単純化していたのは自分だったと気づく。
    文化的にも、遺伝的にも、私はアイヌや蝦夷の影響下にある。中央政権については、言うに及ばない。私自身の中にある、征服民と被征服民、両方の折り合いがつかない。古典を読めば、厭わしいけど慕わしくもある。清水寺の観音様はありがたいけど、阿弖流為の首塚を拝まずにはいられない。どちらについたところで、何かを取り落す。でも、ハラリさんは「問題の複雑さを理解する」ことも、また、問題に向き合う第一歩と指摘している。
    宙ぶらりん。
    それに耐えること。
    まだまだ私自身の知的体力を鍛えていく余地はある。

  • 宮崎哲弥さんがラジオでこの本は面白いと言っていたので、手に取ってみましたが、ハードカバーだし、内容堅そうだし、無理だな・・と敬遠してました。
    あるとき、Audibleでこの本があることを知り、聴くならいけるかも?と思って試してみることに。これが大当りでした。ただ、どんどん内容が入ってくる代わりに、メモったり出来ないので、どんどん内容が抜けていく・・
    ざっくりいうと、人類史を振り返りながら、人はどこから来てどこへ行くのかを語っているような内容かと。何が事実で何か想像の産物なのかの常識というか価値観について、今一度考えさせられるような内容だったかなとも思います。

  • いままでの歴史とは異なった視点でいろいろと見ることができて、大変勉強になった。特に、単純にどういうことがあった、というだけでなくて、生物学的な進歩や化学的な進歩なども含まれていたりだった。

    人間の歴史は暗くて凄惨なところも多いし明るいところもあるし、いま人間が理解している歴史がまだまだ史実とはかけ離れている可能性についても認識できたりで良かった。

    あと、著者がオックスフォード出身だからなのか、大英帝国には明るい側面を多く書いていて、フランス帝国には暗い側面を多く書いていたりするところも、やっぱり歴史というのは主観に依存するんだな、と思ったりする。

    あと、男性が女性に対してなぜ優越しているか、ということを説明しようとしている既存の説については「こういう例外があるから成り立たない」としているが、他の結構多くの場所で「多少の例があるが、こうである」というように例外の扱いが一定ではないので、そのあたりも気になるところである。

  • 興味の中心は最後の新人類の話だろうけど、それ以外の部分がダメダメだった。自説に都合のいい話を挙げるばかりで、最新の研究を紹介するわけでもなく、新鮮味がない。

  • 課題図書で読んだけど、一章目から鳥肌が立つほど面白かった!

    私たちの行動は、なにを目的にしてるんだろう。何がゴールだろう?と問いかけていたけど、誰も正解はわからない。それに今考えても、きっと贅沢を経験してしまった私たちはもう狩猟採集社会の暮らしには戻れないだろう。

    けれど、今の私たちの行動ひとつひとつが他の種を滅ぼしていること、地球を破壊していること、そして自分たちの首をしめることに繋がっていることを知っておくことが、今後人間として生きる上で大事だと感じた。

  • 人類史の教科書とも言える本

    自分のルーツを知る意味でもこれ以上知的好奇心を沸かせる本はないと思う

    個人的には大学の授業の必須科目にしてもいいのでは?といった具合の内容

    結構難しいので、2周しました。
    思考、考察力を鍛えるにもナイスな一冊


  •  全史。社会史や経済史と言ったジャンルではなく、ホモ・サピエンスに限ったカテゴリーでもない。

     サピエンスの全史。それは教科書には乗っていなかった、わたしたちの歴史だった。

     そも〝歴史〟は〝人間社会が経てきた変遷・発展の経過。また、その記録。〟とある。〝人間〟は〝ひと。人類。〟とある。

     人はホモサピエンスだけじゃなかった。そんなことすら知らなかった。200万年も繁栄した人類もあった。絶滅の末、最後に残った人類がホモ・サピエンスだった。もう驚愕である。

     そんな〝唯一生き残った人類種〟の仕組みは、脳がとりわけ発達してるわけでも、肉体的に優れているわけでもないというのだから、私は、自分について全く知らなかったわけだ。

     私たちの最大の特徴である〝虚構〟に基づいた〝共同主観による連帯〟。言葉にされると背筋が凍るような思いになる。

     厳密に言えば会社は存在しない。実態すらない。だけど問題なく私たちは空想の産物である会社に勤め、同じく空想の信用である貨幣を使い生計を立て、ご飯を食べている。

     仮想通貨を思い浮かべる人もいるかもしれない。

     けど、そもそも通貨そのものが仮想概念だ。

     そんな私たちの世界は恵まれているのか?幸福なのか?

     私は大きな誤解をしていたが、認知革命に次ぐ農業革命は、人類にとって最適解であって、個人にとっては地獄の始まりだった。

     家畜は疫病を流行らせ、天災や飢饉による貯蓄の必然性が未来への不安を強め、持つものと持たざるもののヒエラルキーを生み、労働と搾取に裏付けられた飽くなき発展が始まった。

     小麦はそれまでマイナーな植物だったのに、今では最も繁栄している。家畜もそうだ。

     経済の正体はDNAの複製意欲に思える。

     科学革命は資本主義と結びついて、統一のビジョンを持つ〝帝国〟によって拡大と連携を繰り返していく。

     まるで、ウイルスが急激な増殖によって人体を蝕んで行くかの如く、人類種そのものが、飽くなき感染と拡大を繰り返している。

     人類の理不尽に対する著者の見解は見ものだ。女性、黒人とへの差別には、穢れの意識が強く働いているという。

     病気や死などの生理的な現象と結びついた、差別神話は感覚や潜在意識まで刻まれてしまってる。社会の至る所に差別のメタメッセージを読み取ることができるかもしれない。

     権力者は神話を用い、自身の保身を確保してきた。よくよく考えみれば、誰か特定の人間が得するようになっているのが世の仕組みだ。

     常識や道徳にまで落とし込まれ、教育という皮を被った、この構造を支えるための洗脳行為によって、信者が疑問を持った人間を潰しにかかる。普通は、とか、当たり前、を用いて。

     こうした差別、ヒエラルキー、搾取が、持つものによって想像上の秩序となって平和とよばらる状態が維持される。

     これを著者は脱出不可能の牢獄と表現する。

     ここまでマクロな目線で見ると、甘い汁を啜っているグループも搾取され貧困や差別に喘ぐグループもこの、広大な人類種の繁栄の一部分にしか思えなくなってくる。

     そもそも自分の意思で行動しているのか?

     DNAの意識に突き動かされているだけだとしたら?

     と本書からは壮大で複数の視点を獲得できる。

     自分という生き物の正体が少しずつ明らかになってくる感覚が、ページをめくるたびに仄かに差す。

     〝自分〟は自分だと考えている主体ではない、共同主体と、生理的欲求に基づいて生きている。これが上巻のエッセンスと言える。

     わたしたちは、思っているより、自分自身のことをまだ知らない。それが分かる一冊。
     

  •  人類史に触れるために読んでみたが、人類の進化について様々な可能性を読者に想像させる一冊だった。
     
     虚構がなぜ生み出されたのか。それにより、詳細な目的を共有した集団意識生まれた。
     また、男女間の格差ひとつとってみても、世界のどの場所でも同じように起こっているが、その理由については明らかになっていない。

     本書は、決して断定することなく、あらゆる角度から疑問点について追及している。革命ごとのつながりが明らかにるので、より興味を引き付けられる。
     また、つながりを明らかにすることは、歴史だけでなく現代の私たちにも十分通じるところがあると思う。

  • 最初の入りからかなり興味をそそられ、すごく楽しめ、サクサク読み進められた。
    ホモサピエンスがなぜ生き残り、狩猟採取時代から、農耕時代をへての進化の過程を認知革命、農業革命、科学革命の3つの革命の観点で考察。
    認知革命で、協力できたから、サピエンスだけがホモ属で唯一進化できた点や、狩猟採取民が海をもわたり各地に広がっていったのも、すごいロマンがある。

    さらに、進化の逆はないという事実も印象に残った。農耕で大変な思いをしながらも、一旦手放した狩猟採取生活に戻る事はできない。

    もちろん長い悠久の時間の中での話だが、自分の人生への示唆や、サスティナブルな社会を目指す現代での示唆がある気がして、読み進める最中は、非常によい時間だった。

    下巻もめちゃくちゃ楽しみ〜。

  • 『感想』
    〇中身は当然ながら難しい。根拠のある現在は真実と考えられている部分は少なく、創造と思われる部分が多いこともある。

    〇他の方のレビューを見ると、本後半の方が評判が高そうだが、私は前半の農業革命が起こる辺りまでが興味を引いた。

    〇女性が赤ん坊を一人では何もできない状態で生むようになったのは、生存率を下げることになっても環境適応力を上げることになったというのはなるほどと思った。でもこれってそれを意図したわけではなく結果的にそうせざるを得なかったんだよね。

    〇ネアンデルタール人とホモ・サピエンスはもう違う種だったのか。違うけれど似ているということは、両者共存は難しいな。片方が片方を滅ぼすのは想像できる。これも確実とは言えないけれど。

    〇農業革命は生存率を上げる代わりに格差を生んだのは割と言われていることだけど、大部分の下の層にとっては負担が増えたのは本当だろうか。好みの問題じゃなく食料としていた大型動物の数が減っていたのならどうしようもなかったろうし、未来の食糧確保が不確実なのは嫌でしょ。結果的にその後寿命を延ばしていくことになるのだし。

    〇農業革命は最初に起こったところから伝播したのではなく、繋がりがなく所々で独立して発生したということはおもしろい。農業革命を起こせるだけの能力がサピエンスにはあったということだ。

    『フレーズ』
    ・女性はさらに代償が大きかった。直立歩行するには腰回りを細める必要があったので、産道が狭まった――よりによって、赤ん坊の頭がしだいに大きくなっているときに。女性は出産にあたって命の危険にさらされる羽目になった。赤ん坊の脳と頭がまだ比較的小さく柔軟な、早い段階で出産した女性のほうが、無事に生き長らえてさらに子供を産む確率が高かった。その結果、自然選択によって早期の出産が優遇された。(略)子育ては、家族や周囲の人の手助けをたえず必要とした。(略)進化は強い社会的絆を結べる者を優遇した。そのうえ、人間は未熟な状態で生まれてくるので、他のどんな動物にも望めないほど、教育し、社会に順応させることができる。(p.22)

    ・ホモ属は食物連鎖の中ほどに位置を占め、ごく最近までそこにしっかりと収まっていた。(略)四〇万年前になってようやく、人類のいく靴化の種が日常的に大きな獲物を狩り始め、ホモ・サピエンスの台頭に伴い、過去一〇万年間に初めて、人類は食物連鎖の頂点へと飛躍したのだった。(p.24)

    ・一対一で喧嘩をしたら、ネアンデルタール人はおそらくサピエンスを打ち負かしただろう。だが、何百人という規模の争いになったら、ネアンデルタール人にはまったく勝ち目がなかったはずだ。彼らはライオンの居場所についての情報は共有できたが、部族の精霊についての物語を語ったり、改訂したりすることは、おそらくできなかった。彼らは虚構を創作する能力を持たなかったので、大人数が効果的に協力できず、急速に変化していく問題に社会的行動を適応させることもできなかった。(p.52)

    ・人類は農業革命によって、手に入る食糧の総量をたしかに増やすことはできたが、食料の増加は、より良い食生活や、より長い余暇には結びつかなかった。むしろ、人口爆発と飽食のエリート層の誕生につながった。平均的な農耕民は、平均的な狩猟採取民よりも苦労して働いたのに、見返りに得られる食べ物は劣っていた。(p.107)

  • 所々、難しかったが(もっと賢くなりたい…)とても面白かった。
    どうしてホモ・サピエンスが台頭したのか、様々なヒエラルキーについてなど興味深かった。
    続けて下巻も読みたい。

  • だいぶ前に話題になっていて、読みたいと思っていた人類史についての本。図書館で予約しようと思ってもかなりの予約数でなかなか回ってこなかったけど、なんとか安く手に入れられたので、ようやく読めた(ブクログ登録数もすごい数だ)。
    現在は、人類全員、「ホモ・サピエンス」だそうだけど、昔はいろいろな人類種があったということがよく分かった。「ネアンデルタール人」はよく聞くけど、他には「ホモ・エレクトス」というのは200万年近く生きたそうで、現在のところ最も長い生存年数だそう(ホモ・サピエンスはだいたい20年前に誕生したらしい)。他の種族が絶滅した理由は、はっきりとは分かってないそうだけど、ホモ・サピエンスによって滅ぼされたのだろうなとは思う。
    ちなみに、1対1だとホモ・サピエンスより、ネアンデルタール人のほうが強いそうだけど、ホモ・サピエンスのほうが知能が高いため、ネアンデルタール人は滅んだのだとか(同じことは、後の大型の絶滅動物にもいえるそう)。
    後は、知能が高まったことにより噂話を流すことができ、それが大規模な集団を動かすことができるようになったのだとか。噂話の発展形が、神話とかになるようだけど、確かに、そういうものが動かす力ってすごよなと思う。
    直立歩行することになった代償で、女性の産道が狭まったため、まだ未熟なまま子どもを産むことになったという話で、ちょっと悲しい気持ちになった。他の哺乳類の動物見たら、産まれてすぐに歩行ができたりするけど、人間の赤ちゃんなんかまったく動けないしね。新生児の時の姪を見た時は、ほとんど臓器の塊だと思った。
    ちょっと驚いたのが、虚構の話を作るのは人間だけだけど、嘘をつくのは人間だけじゃないらしいということ。猿の中には、「気をつけろ! ライオンだ!」という意味の鳴き声を発するものがいるらしいのだけど、ライオンがいないのにその泣き声を発して仲間を遠ざけ、バナナを独り占めするなんてことがあるのだとか。
    後、古代の狩猟採集民は、小さな集団で動き回るから感染症の被害が少なかったらしい。しかも案外健康的で、子どもの時に死ななければ、60歳ぐらいまでは生きたのだとか。確かに、狩猟採集民って体鍛えられてそうだしなぁ。動き回ることも多かっただろうし、健康体だったのかもしれない。
    たいして、産業革命が起きた後の農耕民は、ヘルニアにはなるし、食材も偏ってるし、感染症の被害も多かったらしい。産業革命って人類にとって、一概にいいことばかりじゃなかったんだなと分かった。小麦にとってはかなり生息範囲が広がったので、むしろ小麦によって人類は働かされていたと考えもできるのだとか。その考えは面白い。
    よくよく考えたら、IT革命で仕事が効率化されて楽になったかというとそうでもないしね。革命には犠牲がつきものということなのかもしれない。
    性差別だとか人種差別だとかの、人類の差別的意識については、今後も解決しない問題なのだろうなと思う。能力が同じだったら差別する必要なんてないだろうに。少なくとも、自分が生きているうちは解決しないだろうと思う。
    ちょっと気になったのが、3万5000年前に、海峡を渡って日本に人類が到達したと書かれていたこと。前に、昔は氷河期で日本と中国は陸で繋がっていたから行けたと聞いたような気がするのだけど、違ったっけ…。シベリアとアラスカは当時、陸続きだったから歩いて行けた、とは書かれてあるのだけど。

  • 面白かった!
    歴史、生物、文化人類学が好きな私得な一冊。
    まだもう一冊(下巻)あると思うと嬉しい。

    とても読みやすい。
    作者か訳者かどちらのおかげかわからないけれどgood job。
    歴史とか生物嫌いでもイケると思う。

    認知革命。神話や概念の共有。
    サピエンスは生物の一種に過ぎなかったのに、ある時急速に人間になった。

    農耕革命。定住、未来を手に入れた。
    安定した生活になったのかと思いきや、土地や天候に縛られてそれほど安定しなかったというのが目から鱗。
    生物的にも農耕向きじゃない。でも発展が早すぎて進化が追いつかない。
    ああ、こんな革命なかったら良かったのに。

    私たちという概念。ヒエラルキー。人種。
    なんなのよこれ。ほんときっかけが知りたい。

    古代文明。貨幣、帝国主義。
    世界は一つ、地球人となる。

    脳の変化やターニングポイントが大変気になるが、遺跡や骨が残っていても当時の考え方や認知しているものは何も残っていない。絵と工芸が貴重なかけらだね。

    次の1000年も気になるな〜。
    すぐに憂鬱にならず未来を夢見なければだ。
    作中でも言われていたが、人類史と個人の苦しみは別物なんだけれども。

  • ヒトとして生きる我々がどの様に他の種に影響を及ぼしながら現在に至るのか。同種間でどの様な愚かな行為を重ねてきたのか。しかし画一的に愚かであるという視点ではなく、極めて客観的な著者の観察に基づいて著述されている。
    倫理や道徳を超えた、或いはそれ以前の、ストイックにホモサピエンスの歩みを考察している作品。

  • 上下逆から読んだけど、凄く面白かった。
    上巻より下巻の方が内容も厚みがあったな。
    並行して絶滅危惧種関連の本を読んだのだが、リンクする部分もあり面白かった。

  • 人類の歴史を想像が促進したという、驚きの発想。歴史的名著。

  • 名だたる方々が絶賛し推薦コメントを寄せているのに読了して深く納得。難解に語ろうと思えばいくらでももったいつけられそうなことを、ズバリズバズバ、バッサバッサと一刀両断の明快さでスピード感を持ちながら上下巻中だるみすることなく全史(終盤は将来のことも)を語り尽くす名著でした。枝葉末節に囚われず本質を突きながらも道端の小さい草花や石ころを切り捨てているわけでもなく、過小評価も過大評価もしないで全て視野に入っている感じがしてとても好感が持てました。島国ニッポンのことにもちょこちょこ言及があり、意外でしたが、訳者あとがきを読むと日本語訳刊行にあたって日本について加筆してくださったのだそうです、なるほどね。ジャレド・ダイアモンドを読んだときもうわーっと思いましたが、彼の人の著作は大変興味深いのと同じ程度に、大変睡魔に襲われるものだったのですが、サピエンスは眠くなる事もなく快適に読み進められました(日本語に訳した方との相性もあるかもしれません、日本語訳が素晴らしかったです)。『ホモ・デウス』も『21 Lessons』も読まなければ。

  • 人間は急速な発達による食物連鎖の頂点に立ったが、その代償として、あまりに早く進化したため生態系に順応しそこなった。さながらそれは弱小国の独裁者のようであり、なおさら残忍で危険な存在となっている。

    昔は、我々ホモサピエンス以外にも人類種(ネアンデルタール人、デニソワ人)がおり、交配を行っていた。それらが消えたのは、サピエンスが滅ぼしたから、という一説がある。

    何故ホモサピエンスが覇権を取ったのか?→7万~3万年前にかけ、新しい思考と意思疎通の方法、「認知革命」が起こったから。それは、口頭言語の獲得であり、特に「まったく存在しないものについて、情報を伝達できる能力」であった。この能力によって、大勢がビジョンと神話を思い描き、協力できることに繋がり、集団の規模が大きくなる。
    この太古から続く呪いと神話は、実は現代社会にも根付いている。国家、法律、法人など、物質的に存在しないものに力を与え、人々に信じさせ協力させている。

    また、太古の人類の行動パターンが何万年も不変だったのに対し、サピエンスは社会構造や経済活動など、多くの行動を10,20年のうちに一変させることができた。これはサピエンスが虚構と物語を信じ、自らの行動を柔軟に変えられるからだ。
    しかしながら、彼らがどのような神を信じ、どのような物語を語っていたかは、分かりえない。

    実は、古代の狩猟採取民は現代と比べて栄養バランスが良く、短い労働時間で、感染症も少なかった。
    また、社会は地域によって分断されていたため、その場所ごとに多種多様な生活が存在していた。

    サピエンスが海を渡りオーストラリアに入り、またシベリアから徒歩でアラスカに渡りアメリカ大陸に入っていった。この移住の一波は、その大陸に住む大型動物を狩りつくして行った。

    【農耕革命】
    一万年ほど前に、狩猟採集社会から農耕社会への大転換が起こる。しかし、農業による食料の増加は、よりよい食生活には繋がらず、ほとんどの農耕民は、必死に働いたのに、人口爆発とエリート層の独占に阻まれ、ひもじい暮らしをしていた。人が農作物(小麦)に家畜化されたのだ。
    小麦は一人ひとりに恩恵をもたらさなかった。むしろ狩猟採集社会より貧しくなった。しかし、ホモ・サピエンスという種全体の増加に貢献した。
    小麦という安定供給できる食料が手に入る→子供が増える→さらに小麦を取らなければならない→労働力のために子供がいる→子供一人当たりの栄養が少なくなる、といった、負のスパイラルにより、貧困の中で人類の数は増えていった。
    より楽な生活を求める人類の探究は、望んでいない形で世界を変え、我々を「それ無しでは」生きていけなくしている。これは今日の科学技術でも同じ。

    法律、国家、平等という「想像上の秩序」は、客観的に正しいわけではないが、それを信じることで大多数の人々が効果的に協力し、よりよい社会を作り出し、人は発展してきた。大切なことは、社会の大部分の人が、それに何の疑問持たずに信奉することである。

    アリやハチは自分の役割をDNA上にコード化されているが、人間社会の複雑な体系についてはコード化できない。そのため、社会が発展するにつれ、税金や石高など、膨大な量の数理情報を処理しなければならなくなった。その助けをしたのが「文字」だ。
    最初は会計に必要なだけの不完全な書記体系(口語でできないものを補うのみ)から、全ての情報を表すための完全な書記体系が現れた。やがて、アラビア数字が生まれる。

    神話による社会は、想像上の社会政治的ヒエラルキーを生む。しかしたいていのヒエラルキーは論理的に破綻しており、偶然の出来事を神話で支えて永続させたものにすぎないが、時が流れるうちに、社会制度の中に固定化され、ますます悪化することが多い。

    同性愛にまつわる議論のように、生物学的に決まっているものと、文化を使って正当化するものをどう区別すればよいか?
    →「生物学的作用は可能にし、文化は禁じる」
    生物学的作用は男性同士の恋愛を可能にするが、一部の文化はこの可能性を禁じる。

    歴史は統一に向かって進み続ける。
    今まで局地的だった秩序を、地球上全てに通ずる普遍的な秩序として登場したのが、貨幣、帝国、宗教であった。

    【貨幣】
    貨幣は私たちが共有する創造の中でしか価値を持っていない。自分たちの集合的創造の産物を、みんなが相互信頼してこそ貨幣は成り立つ。
    価値に裏打ちされた貨幣が全世界に広まることで、全世界が単一の政治・経済圏になる基礎が固まった。

    【帝国】
    帝国とは、それぞれが異なる文化的アイデンティティと独自の領土を持った、いくつかの別個の民族を支配していること。また。変更可能な教会と無尽の欲があること。帝国は各地の小さな文化を飲み込んで大きくなっていき、共通の文化を域内に広めた。ほとんどの帝国の支配階級は、それが被支配者の幸福のためになると、「本気で」思っていた。また、支配階級が倒れた後も、もといた人たちの文化は甦ることなく、支配した側の文化をそのまま取り入れ発展させ続けた。

  • 2020.5.5
    虚構と神話によって繁栄してきたホモサピエンス。当たり前と思っている価値観が揺さぶられる読書体験だった。
    男女、ヒエラルキー、貨幣も全て先人が都合よく作った虚構と神話によるもの。グローバル帝国の話(世界は統一化されていく)などなるほどと思わされる。虚構と神話は時によって形を変えている。昨今のコロナ騒動で、今まであった虚構がまた新しいものになっていくように、これからの世界の行方を思考するにあたって、有用な一冊。
    ただし、洋書を読み慣れていないため、相変わらず文体や比喩表現の不自然さが読みづらく、読了まで時間かかった。

  • 途中まで読んで放置していたものを年末に一気に。海外ドラマ三昧だった脳みそに眠っていた知的好奇心を掘り起こしてもらった気分。下馬評どおりの面白さなので下巻も早く読みたい。

  • ●まず「種」に分類する。繁殖力のある子孫を残す者同士が同じ種に属すると言われる。次に共通の祖先から進化した様々な種はみんな「属」と言う上位の分類になる。その属が集まると「科」になる猫科、犬科など。
    ●人間は直立歩行の対象に、腰痛と肩こりに苦しむことになった。女性は、腰回りを細める必要があったので、産道が狭まった。それによって赤ん坊の頭が小さい時に出産した方が良くなったので、他の動物と違い、未熟な状態で生まれることとなった。
    ●なぜ石器時代に人が骨髄をすすっていたのか?。まずライオンが動物を倒し貪り食う。次にハイエナが残りを漁る。その間人間は邪魔はできない。親類は食物連鎖の中程に位置を占め、ごく最近までそこに収まっていたのだ。ようやく最近になって、人類は食物連鎖の頂点へと飛躍したのであった。

  • 評判通り面白い内容で、読む価値があったと思えた。

    特に印象に残ったポイントを抜粋。
    ・祖先は自然と調和して暮らしていたという主張は間違い
    ・農耕により小麦がヒトを家畜化した
    ・贅沢品が必需品になるのは歴史の鉄則のひとつ
    ・「自然」か「不自然」かは生物学ではなく文化が決める
    ・サピエンスは「私たち」と「彼ら」を本能的に分ける

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著者プロフィール

歴史学者、哲学者。1976年イスラエル生まれ。オックスフォード大学で中世史、軍事史を専攻し博士号を取得。現在、ヘブライ大学で歴史学を教授。『サピエンス全史』『ホモ・デウス』『21 Lessons』。

「2020年 『「サピエンス全史」「ホモ・デウス」期間限定特装セット』 で使われていた紹介文から引用しています。」

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